20
季節は七月を迎えた。課題の提出期限を月末に控え、制作に没頭する毎日を送っていた。
今日も早くから庭先でバケオの明るい声と猫たちの鳴き声がしている。
彼らの姿を眺めながら作業をするのが、ここ数週間の恒例になっていた。
イーゼルに立て掛けられているキャンバスにも、彼らの姿がある。
卒業制作に向けた課題、であるが、結局描きたいものといえば私にしか視えない世界の他に無かった。だから今までの白い人シリーズを続けていくことを決めた。
ただ今までと違うのは、登場する白い人たちが絵の主人公になったということ。
今までは風景画のように、そこに拡がる景色そのものがメインであり、白い人たちは偶然そこに居合わせただけに過ぎなかった。
しかし今作からはもっと彼らひとりひとりにスポットを当てることにした。今までの白い人たちが、絵の中ではなんとなく人型だったのが、今回は容姿まではっきりと描きこんでいる。ただ絵の中のバケオには目を入れていない。どこかにまだ抽象的な要素を残しておきたかったというのもある。
「どうー?」
バケオが庭から、私の目の前のキャンバスを除きこもうとしている。日によってはほんの少ししか変化しない絵を、こうも毎日見ても飽きないものなのだろうか。きらきらと目を輝かせるさまは、散歩に出かける前の大型犬のようだ。左右に大きく揺れるしっぽが今にも現れそうである。
「修正しかしてないから昨日とそんなに変わってないよ」
キャンバスを抑えながらイーゼルを右に九十度回す。
「おー!」
「おーって、何が変わったか本当にわかってる?」
「わかるわかる!」
「どこ?」
「えーっと……」
くっきりした二重瞼の潤んだ大きな目をぱちくりとさせて固まる。
「ほら、わかってないじゃん」
「い、いやっ、でもなんか全体的にきれいになったなーって!」
わかっていないくせに、妙に的を獲ている。細部を描きこんだり陰影を調節したり、そんなことしかしていないのだから全体的になんとなく綺麗になったという感想は、あながち間違ってはいない。
「俺、イケメンっすね」
「はあ?」
なに自分でそんなこと言っちゃうイタイ感じのやつだったわけ。私の心の声が聞こえたのか、バケオは慌てて否定した。
「違うって! 絵のハナシっす!」
私の絵の中で、バケオはいつからか住み憑いている二匹の縞模様の兄弟猫の片割れを撫でている。しゃがんだ足もとにはもう一匹が頭を擦りつけている。
バケオはいつもの黒地に白いラインが二本入ったジャージを着て、袖と裾を捲っている。目以外の横顔の凹凸や髪の掛かり方、細かいところまで本人に忠実に描いたつもりだった。
「ちょっと美化しすぎたかな」
なんとなく悔しくてそう言ってみた。
バケオは庭に座り込んで、猫にぶつぶつと何をか、小さな悪態を吐いている。
初めて会ったときから、バケオにはなんとなく幼い印象を抱く。子どもっぽいというか、子どものような天真爛漫さがあるというか。たぶん大学三年の私よりも若い。高校生ぐらいだと思う。短い黒髪と日焼けした肌。運動部にでも所属していたのかもしれない。
二匹の猫はすっかり懐いている。祖母や私が長い間幽霊たちの迷惑を被っていた姿を見てきたせいか、きいろは未だにバケオのことを快く思っていないらしい。威嚇はしないものの絶えず警戒している様子がある。
「と言うか、毎日私の作業見てて飽きないの? いい加減成仏する努力しなよ」
私のことばにバケオが苦い笑みを浮かべた。
「いやー、努力って言っても何すればいいんすかね」
「知らないし。そこは自分で考えてよ」
「だってレイコちゃんのほうがそういうことに関しては経験あるでしょ」
「関係無いわ、そんなこと!」
もうやつは本当に成仏する気があるのだろうか。心配しているのは私だけで当の本人は相変わらずぼんやりしている。いや、私がしているのは心配なんかじゃない。早く厄介払いをしたいだけだ。それだけ。
ふうと長い息を吐いて、イーゼルの向きを元に戻した。




