第8話:政治の役割
あれから白鳥へ先に帰還し自警団長の猪木へ状況を説明するよう指示を出したり、橘含めた外交団へ結果を説明しているうちに二時間ほどが経った。
陽が沈む時間もそれにつれ近付いていく。まともな野宿の準備もしていないのに夜を越させるのはいけないと思い、俺たちは急ぎ帰路へとついた。
「分かっていたことではあるが、まあそうなるわな」
そう苦言を呈す橘を横に、水面がすっかり橙色に染まった豊平川の川沿いの道を、それぞれ馬に跨りながら下っていた。
自警団も白鳥含めた半数ほどが先行で帰還しており、その縦列は行きの際と比べていくらか短くなっている。
「別にお前も取引や交渉は下手じゃねえはずなんだがな、思想が絡むとどうしてこうも」
「……面目ない」
鐘巻に続いて二度目、大口論からの交渉説得の破談。
雄御に圭介のことを揶揄された時など、思想や考え方の衝突が起こっても耐えられたことが無いわけではないが……それにしたって俺に耐性が無いのは確かだ。
内心で反省を復唱する俺に対して、橘は更に口を開く。
「だが、今回は相手が悪かったとは俺も思う。あの手の革命家気質は一朝一夕の説得で考え方を変えられやしねえ、何かデケえ壁にぶち当たらねえと……」
……一朝一夕で変えられやしない、か。
要は頭が堅いということだが、それは俺とて同じ。
俺という人間の考え方が大きく変わったのは、父から夢を奪われた時、そして高校生活を通じて圭介からゆっくりと融かされたことの二度だ。
だが、今回交渉が平和的に終わる道筋があり得たとすれば、どちらが改心するされるの問題じゃなく、将来の展望を交えた実務的な説得でしかあり得なかっただろう。
「……説得する方法ならあった」
相手が悪かった、簡単に止められる相手じゃなかったと俺を擁護する橘へ、馬の蹄音に紛れるようにぼそっとそうこぼした。
手に掴んだ革製の手綱が、軋むような音を上げる。
「道筋の情報を、渡せばよかったんだ」
その単語を、まるでその間だけ時間の流れが遅れたようにゆっくりと強調する。
橘はさっきまで僅かにあった冗談めかした笑みを消し「それは愚策だろ」と、呆れに近いトーンで漏らした。
「分かっている。だからやらなかった」
道筋。それは、俺や橘の頭の中にだけある帝国からの独立を勝ち取るまでの道筋。
外交、農業、産業、拡張、そして軍事。
全てを一本化した上で富国強兵に臨み、帝国からの独立を勝ち取る算段。
それを共有したうえで三千人を説得すれば、もしかすれば考えを改めてくれる未来もありえたかもしれない。
だが、それを実行には移さなかった。移せなかったのだ。
「第一、あいつぁ口が軽すぎる。敵地に突っ込ませる名分を与えるためとは言え、機密情報を共有して教化する馬鹿にはこれは渡せねえよ」
「だな。それに、共有してもあいつはそれまでの間の屈辱に耐えられない……支配されるという屈辱に」
厳密には、あいつは未来を待てないのではない。
膝を屈したまま未来を待つことに耐えられないのだ。
……まあ、情報開示をしても効果が無いのは三千人の俺に対する信用が地に落ちているのも理由として存分にあるんだが。
俺の気性のせいもあれど、どちらにしろ三千人を説得する方法は無かったと結論付けざるをえないだろう。
「で、どうすんだ英治。今回の件、敵の手勢も分からんがゆえに自警団を突っ込ませて終わりというわけにもいかんぞ」
「そうだな。まず敵の勢力を削ぐ必要がある」
非常時になれば帝国から拡大の許可が降りるとはいえ、東豊自警団はたったの五〇〇しかいない。
諸政府全体で見れば五〇〇という数字は最大規模だが、手稲に札幌諸政府、地下抵抗組織と束になって掛かられれば多勢に無勢。
まずはその切り崩しから行うというわけだ。
「敵の勢力は三つに分けられる。手稲、札幌諸政府、そして地下抵抗組織の三つだ。橘、お前には地下抵抗組織の対処を任せたい」
「そりゃあ、下手すりゃ俺も手稲から首を狙われかねねえな」
「だからお前に頼むんだ」
「へっ、信頼してくれてあんがとよ、委員長。しっかし地下抵抗組織とは言ってもどうやって接触するか……」
「必要だったら第二化学室を使っても構わない」
「って言ってもな、設立してたった一日しか経ってないあいつらに一体何ができんのかね」
東豊第二化学室、略してTC2。
名目上は行政事務所として利用している第二化学室の管理班。
だがその実態は榎本の懐妊や道筋含め、今後秘密行動の増えるだろう東豊のために対外諜報と内務防諜の二つの役割を遂行するため、元々外交部門にいた情報部を独立させた組織だ。
とはいえ彼らの実力はまだまだ素人探偵集団に毛が生えた程度。
提案しておいてなんだが、どこまで使えるかは俺も分かったもんじゃない。
「まあ無理に使わなくて構わない。お前のやり方でいいさ」
「そうだな、これからゆっくり育てていけばいい。お前はどうすんだ、英治」
「俺は札幌諸政府の引き込みと手稲離脱による弊害、あともしもの時に備えて動員準備を行う。このあとすぐ猪木に会いに行くつもりだ」
「ああ、そういえば復帰したらしいからな。俺の分も挨拶しといてくれ」
「分かったよ」
そうやって今後の方針について話し合っている間に、遠く向こうにあった東豊がすぐ近くにまで迫ってきていた。
校門へ入るなり右へ曲がり、橘と分かれて第二体育館の方へと馬の手綱を引く。
「さて……仕事の時間だ」
まずは、自警団に事情を説明するとしよう。
******
東豊学園第二体育館、現在はその横の第一寮棟と併せて東豊自警団本部として運営されている建物。
その脇に建てられた、かつて教官室と呼ばれていたクリーム色の外装の司令室へと迷いなく歩みを進める。
「ふあー……」
既に日が沈み始めている時間だからか、司令室前で小銃を片手に立っている自警団員の片割れが大きな欠伸をしているのが目に入る。
情けなくは見えるが人間だから仕方あるまいと思う一方、自警団にも眠たげな目をしながら欠伸をするぐらいの余裕は出来てきたかと思うと、鼻から嬉し混じりの息が盛れる。
「む……そこのお前何用……ってふ、藤原委員長殿!? け、敬礼ッ!」
俺が扉まで残り数歩のところまで寄ったところで二人が俺へ向き直り、自衛隊式の畏まった敬礼をした。
「申し訳ございませんっ! 私の気が緩んでいたがゆえお顔を見間違え——」
「大丈夫だ、楽にしてくれ。そちらこそ立ち番ご苦労。猪木団長に会いたいのだが、今いるか?」
「はいっ! お二方とも中におられると思います!」
「そうか、では失礼しよう」
団員がドアを開けるとともに「失礼します! 藤原委員長殿が猪木団長とお会いしたいと!」と、張り上げるような声で司令室の中へと声を響かせる。
……まるで体育会系みたいだな。
だが旧文明時代でも自衛隊は体育会系の極地のようなものだったしなと思い出しながら、猪木の教育の成果を実感する。
団員に招かれて室内に入るものの、道央北伐前は何か用がある時は猪木の方から会いに来てくれているため実を言うとここへ来るのは初めて。
白い現代的な事務室風の内装を転用していて、よく換気されており壁には自衛隊基地から持ち去ったらしき軍学書や使えるかも分からない無線装置の山が積み重なっている。
幹部と訓練や畑での労役計画について議論したばかりなのか、一般団員たちの一日のスケジュールらしきものがメモ書きのように書き残されていた。
そんな部屋の真ん中に置かれた、透明なマットの下におそらく災害用かなにかの札幌の地図が被せられたテーブルの前に猪木と白鳥の二人がいた。
俺が入室すると言われた時からか、白鳥はソファから立ち上がり既に敬礼をしているのが目に入る。
「ご苦労さまです、藤原閣下。仰っていたとおり、今猪木団長へ事前の説明をしていたところです」
「そうか、ご苦労」
その奥へ目を向けると、猪木の方も松葉杖を手に取り今まさにソファから立ち上がろうとしていた。
彼のトレードマークである、バンドで留められた黒髪混じりの金髪をした短いオールバックヘアはそのまま。
だがその身体は明らかに痩せ細り、腕は枯れ枝のように渇ききってしまっていた。
その僅かに釣り上がった目だけは以前と変わらず鋭いことが、病が彼の気性を変えていないだろうことを証明してくれている。
「猪木、お前は本来寝てなきゃいけない人間なんだろう。無理して立ち上がろうとしなくていい」
「だが…………いや、すまない。英治」
彼はしばらく黙り込んだのち悔しそうな表情を浮かべると、一応の形では納得してくれたのかその松葉杖を再び横の棚へ掛け直した。
俺を案内した団員が「失礼しました」と一つ声を声を掛けながら退室したのを境に、室内は一瞬のしんとした空気に包まれる。
青い顔。光の無い目。死臭。
講和会議前、北伐で発生した死傷者を弔った際にその亡骸を嫌なほど目の当たりにした。
だが、俺にやるべきことは死んだ人間を弔うだけじゃなく。命は拾ったものの、その戦いで傷を負った者からも目を背けてはならないと思うだけで、喉の奥が締まるのを感じる。
だが、その空気は猪木の対面に座していた白鳥が「温めておきました。どうぞお掛けください」という洒落た冗談一つの前に解かれる。
「じゃあ言う通り掛けるとするかな」
「私は退室した方がいいですか」
「いや、そこに居てくれ。これはお前にも聞いておいて欲しい」
肘掛け付きの赤い生地で彩られた椅子に腰掛けるなり、生暖かい体温が伝わってくる。
正直なことを言うと他人が座ったあとの椅子に座るのは得意じゃないんだが、まあこれも慣れだ。文句は言うまい。
「……随分痩せたな、猪木」
「ああ、ご相悪な。怪我をしたら最初に傷口を洗えと言われた理由が分かったよ」
「ハハ、それだけじゃないだろ。医薬品は前線に立ってる奴らに使いたい気持ちは分かるが、お前が倒れたら全員がお釈迦になる。そこんとこ分かってくれよ、猪木」
「……すまない」
視線を下に落とし、しょぼくれた顔を浮かべる猪木。
身を粉にして働いたことだけは称賛したいところではあるが、こいつの立場上褒められた行為じゃないのは確か。
酷い話であるのは自覚するが、下はある程度の替えが効くが上はそうともいかないのが現実だ、それを分かってもらいたいと言うのは我儘ではないだろう。
「にしても、こんだけ痩せたのは半年ぶりか」
「いいや、あの時でもここまでは痩せなかった。少なくとも一人で一日歩けるぐらいの体力は残っていたわけだしな」
五日何も食べてないところから二十キロ歩いて来るってどういう体力してんだ、俺には真似できんなと思うだけで口の中に苦いものが滲む。
しかし、あれから半年か。
実のところ、農区長や室長含めた東豊指導部の中では白鳥や猪木は最たる新顔。
東豊への加入からたった半年しか経っていない。
それまでの東豊では猟銃や警察の装備を身に着けた一応の警備と狩猟以外の使い道も無しに集めた武器弾薬があるだけで、軍事組織の様相は呈していなかった。
だが、そこへこの二人がやって来た。
三百の仲間と自衛隊基地から持ってきた武装を身に着けて。
消失から半年、飢え、渇き、病に侵され、そして住処を対抗する暴走族の組織に追われた賊の集団として。
猪木や白鳥は元々、俺と同期の東豊学園の生徒だったとはいえ賊は賊。
俺は「東豊の危機」として対処するよう圭介へ訴えたが、圭介は彼らが求めてるのは安寧だけだと見抜き食わせ、飲ませ、手当てし、そして使われていなかった第一寮棟へと住まわせた。
しばらくすると彼らは自発的に収穫へ参加し、狩猟に随行し、雪が降れば雪かきをするようになった。
そして、年が明ける頃には賊の長だった猪木を新たに創設した自警団長の座へと据え、東豊の体制へと組み込んだ。
これを圭介は「まさかこんな結果になるとは思っていなかった」と予想とは違う結末になったと口にした。
だが結果から言えば圭介の懐の大きさが、そして東豊の「食わせる力」が、危機を収穫へと変えてしまったのを目の当たりにして、二年の付き合いを経た俺であっても再び圭介へ感服せざるをえなかったのだ。
だからこそ、裏を返せば「食わせられない東豊」になった時のことは考えたくない。
もちろん忠義を貫いてくれる可能性もあるが、反対に政治的発言力の増大やクーデタを招く可能性もある。
そのためにも、今の肥料備蓄が尽きるだろう夏までに手稲の件を解決せねば。
考えを改めて認識し直し、猪木の方へと首を上げる。
「猪木、話はどこまで聞いた」
「粗方聞いたと思う。手稲の反乱、それに対する札幌諸政府や地下組織の同調。展開されるとなれば正規戦ではなくゲリラ戦。全て厄介なことこの上ない。英治、お前の予想ではどのような陣容になる」
「まず確かなのは手稲と東豊の二陣営で、おそらくこちら側に江別と石狩を引き込めるだろう」
江別共和国並びに石狩統合学園政府。
かの二組織は東豊と石狩・豊平水運を共有し、更に東豊の余剰の農学科の人材を派遣している友好な組織だ。
昨年夏からの農政支援の成果もあり、秋の収穫では東豊には及ばずともなかなかな労働力あたり収量を確保した。
従属に関する条約を除けば特段防衛や攻撃に関する条約を結んでいるわけではないが、東豊に胃袋を握られていると同じ。
特に江別へは先日の鐘巻左遷などに代表されるように東豊の人材派遣が常態化している、まさか引き込みを断ることなど無いだろう。
「敵の陣容は」
「確実なのは手稲、西部盟約、加えて諸々の地下抵抗組織だろう。元より内部で抗争していた西部盟約は、そのゴタゴタを帝国に鎮圧されて大変ご不満な様子だ」
「なるほどな……その帝国はどうなんだ」
「……恐らく、いったんは静観を決め込むだろう。大なり小なり反乱が起きることもあいつらなら織り込み済みのはず」
「つまるところ、これは東豊の腕を試しに来ているということか」
「だが他の札幌諸政府は分からん。中央区の奴らはよっぽど日和見だろうが、他の政府はどう動くか……」
猪木はその細い腕を顎に当て、低く唸るような息遣いをしながら何かを考え込んだ末に結論を口にした。
「おそらく失敗するだろう。少なくとも今のままでは」
「要因はなんだ」
「まずこちらの絶対数が少ない。この体制が成立した初期から懸念していたことではあるが、装甲車も火砲もないこの状況で、たった五〇〇で札幌全土の反乱を抑制するなど無理な話だ。次に戦争の目標が無いに等しい。反乱の鎮圧が目標ではあるが、ゲリラ戦に出られては講和もクソも無い上に敵の陣容すら不明ではやりようがない。そして最後に、おそらくお前は早期鎮圧を求めてくる。違うか」
「……そうだな、全くそのとおりだ」
その言葉とともに、自分の鼻筋を背もたれに背筋を這わせるように身体を伸ばす。
俺が無理難題を要求しようとしていることを見事に見抜かれ、これには苦笑を漏らすしかない。
だが、この反乱は起こったとしてもなるだけ早期に終わらせなければならないのは確かだ。
作付けや札幌域内の混乱を防ぎたいのもそうだが、最大の要因は帝国。
推測では帝国が静観を決め込むのも、東豊の状況対処能力を見極めるためだと予測している。
帝国がしばらく情勢を眺めたあとに介入、東豊は反乱失敗の烙印を押され、自治権の縮小などの要求を突きつけられるのは避けたい。
「もちろんだが、やれと言われればやれるだけやる。その先や結果は保障できんという話だな」
「そうか……やるとは言ってくれるんだな」
「何を言っているんだ、英治。団長という立場上委員長の指示に意見はすれど断ることはない」
……そうか、無理だからやらんとは言ってはくれんか。
つまり、東豊がいたずらに人命だけ損耗するという事態になっても命令には従うということか。
忠誠心が高いのは良い、良いのだが……。
少しは反抗してくれたほうが人間としてやりやすいと内心でやり辛さを感じつつも、軍事組織かくあるべきかと無理やり納得した。
「だが安心してくれ、猪木。敵の数は極力減らした上でこちらが使える戦力はなるべく増強するよう務める」
「そうだな。そこは政治の役目だ、さすがに俺にやれと言われても困る」
政治の役目……か。
手稲が行動を起こすまでどれほどかかるかは分からないが、それまでに可能なことを済ませねば。
そのあと、猪木へ礼を済ませた後にドアノブを回し外へと出る。
さてさて、平時のこと含めやることは山のようにあるが、最重要項目を決めるとすれば……。
「……まずは札幌の貴族どもを懐柔しないと、話が始まらんな」




