死線とのダンス
鳴瀬が影から滑り出すように姿を現す。その見覚えのある顔は、俺が確かに、脳漿を撒き散らして絶命したのを確認したはずの、あの日の最後の姿ではなく、頭部は狙撃される直前の、何ら変哲のない生前のそれだ。ただ、瞳孔だけが不自然に収縮し、焦点がどこにも合っていない。
「ボス……ご無沙汰しております。あなたの右腕、鳴瀬です。……覚えていますか?」
その問いかけには、機械の録音を再生しているような、奇妙な間があった。俺は自身の喉の渇きを無視して、鼻で笑う。
「覚えているさ。鳴瀬、おまえ……死んだよな?……その、自覚はあるのか?」
こんな対話に意味があるのか。そんな自問が脳裏をかすめる。生と死の境界が曖昧なこの街の空気が、俺の精神を確実に摩耗させている。だが、逃げる選択肢はすでにない。鳴瀬の手には、かつて俺が彼の昇格を祝って贈った、俺が愛用してやまない同型のナイフが握られていた。鈍く光るその刃が、かつての相棒の意志を模倣するように動く。
「ボスも……こちらに来てくださいよ……」
鳴瀬の言葉が途切れると同時に、俺の視界は加速した。彼が蹴り出した地面が陥没する。かつて鳴瀬と背中合わせで死線を越えたときと寸分違わぬ、鋭い踏み込み。俺は反射的に腰を落とし、左手で懐から抜き放ったナイフを逆手で構える。
キィィン、という高い金属音が路地に響いた。火花が散る。二本のナイフが噛み合い、互いの体温を伝えるはずのない刃が重なる。俺の知る鳴瀬なら、ここで必ず二の太刀を腹部へ向けてくる。予想通り、彼の足先が俺の膝関節を狙って跳ね上がった。
俺は半身をずらしてそれを避け、ナイフを滑らせるようにして相手の喉元へ切っ先を向ける。かつての部下であり、今はただの異物。情を殺し、ただの標的として処理する。
この街に浸りきっていたせいで、体が少し鈍っているか。だが、腕は衰えていない。
俺たちは狭い路地の中で、踊るようにナイフを交差させた。一振りごとに殺意が重なる。互いに相手の動きを熟知しすぎているがゆえの、終わりの見えない極限の読み合い。影が蠢き、地面に落ちる俺たちのシルエットが、まるで最初から一つの生物であるかのように激しく絡み合っていた。
刃を交差させていると、突如、新たな気配が路地を満たした。それは襲いかかる殺気ではなく、冷ややかに俺と鳴瀬のナイフ捌きを検分するような、刺すような視線だった。
その、もうひとりの得体の知れない存在が、静かに言葉を発する。
「見ものですが、勝敗がつきそうにはないですね。力が丁度よい具合に拮抗しています。鳴瀬さんの力が存分に発揮できる場所へと移るとしましょう」
そう言って指を鳴らした男の声。それは、先ほどまで怪異館の入口で退館する客へ恭しく一礼をしていた、支配人の黄泉野完結だった。
不意に周囲の空間が歪む。路地の景色が溶け、まるでインクを垂らしたかのように色が反転していく。俺の足元から地面が消失し、重力が変質する感覚。鳴瀬との睨み合いを強制的に引き剥がされ、俺たちはその歪みの中へと吸い込まれていった。
気づくと黄泉野がその場に立っていた。彼が指を鳴らした瞬間に現れたのは、夜の街ではない。そこは果てしなく続く無限の回廊か、あるいは生と死の狭間か。先ほどまで感じていた路地の窮屈さは消え、代わりにより濃密な闇と、獲物を追い詰めるための舞台が用意されていた。
鳴瀬は表情ひとつ変えず、ただ機械的な焦点の合わない瞳で俺を見つめている。
「ボス、……こちらです」
鳴瀬が低く呟き、再び踏み込もうと身を低くする。黄泉野は優雅な仕草でその光景を眺めながら、満足げに微笑んだ。
「さあ、続きを。物語の結末は、踊り手であるお二人が決めるものですから」
演出家気取りの黄泉野の言葉が、耳障りなほどに先の見えない回廊の奥深くに響いた。俺は再びナイフを握り直し、足裏に伝わる未知の床の感触を確かめる。ここは逃げ場のない檻。だが、俺の中にくすぶっていた何かが、この不条理な状況に呼応して静かに熱を帯びていくのを感じていた。




