16 出発
その後、シンガの命令でジェマは騎士達に捕らえられた。ユノが魔術を作り上げるまで、このような有事の際に使われる特別な部屋に監禁されることになる。ドウマは普通に牢へと運ばれた。
帰れるものなら帰りたいというセルマの希望によって、セルマ達はすぐに帰領が許された。
着替えには時間がかかると聞かされ、面倒なのでそのままの姿で帰ることにする。
皇宮前の広場に出てからユノは言った。
「わざわざ移動させてすまないな。部屋から転移できればよいのだが、現在の私の立場で許可されているのはここまでなのだ」
「全く問題ありませんわ」
そんなふうに二人がやりとりをしている所に一人の侍女が駆けつけて来る。藤籠に綺麗に盛りつけられた菓子を手渡された。すっかり頭になかったセルマは侍女に感謝する。
「せっかくのお土産を忘れてしまう所でした」
「間に合ってよかった。……そうだ、忘れると言えば、先程話したアーズの花というのはそこの城壁に咲いている……」
ユノが指さす先に、ついさっきセルマがジェマと魔術師を縛り付けるのに使用した花があった。思わず二人で目を逸らす。
「……あのお茶をあまり飲みたいとは思わなくなってしまいました」
「そうだな。あえて持ち帰らずともよいだろう」
それから互いの顔を見て、ふっと笑いを漏らす。しかしそんなセルマの笑顔は直後に泣き出しそうに歪んだ。少し気持ちを緩めたせいで、言えずにいた気持ちが零れてしまう。
「……ユノ様は、あのような罰を決めた私を、醜く恐ろしい女だと思われてしまったのではないですか?」
(きっと正しい人ならば、ジェマに償いの機会をあげていたのでしょう……)
それはセルマには出来なかった。ただ自分の為だけにひどい罰を与えた人間に、ユノが引いてしまっていないかが心配だった。
するとユノは、心底驚いたように目を見開く。
「何故だ? セルマが出来ないと言うなら私はもっと惨い処罰を考えていたぞ?」
「ユノ様……」
ユノは藤籠を持ったセルマを抱き込んだ。
「他の誰かの為の利益や理屈ではない、貴女の心の苦しみが少しでも減ればそれでよいのだ。言っただろう。セルマの敵は私の敵だ」
ユノの腕の中でセルマは何度も頷いた。
セルマは自らの体の声に従って、ユノを生きる理由にしようと思っていた。
でも今は違う。
セルマ自身が心の底から、彼と共に生きたいと望むようになっていたのだ。
「セルマ様!」
「ソフィアさん!」
マイカ領へ戻ると、玄関ホールで待っていてくれたソフィア達と再会をする。
セルマは出迎えたソフィアにぎゅうぎゅうと抱き締められた。
「ようございました。本当にご無事でようございました!」
「ソフィアさんこそ怖い目に遭ってしまって……お体はもうなんとも?」
「ええ大丈夫です、怒りのあまり少々暴れてラン達を参らせてしまいましたけどね!」
ぶんぶんと腕を振り回すソフィアを見てセルマは心から安心する。ソフィアを見るラン達のうんざりした顔にもホッとしてしまう。
そしてセルマ達は屋敷の人間とディアナとポルシャを集めて夜食を取ることになる。ミアは目を覚ましたものの療養と言うか軟禁中だ。
テーブルを囲み、ユノの口から今日この日に起きた一連の出来事が伝えられた。
ちなみにユノとダイデンは夕べから一睡もしておらず、夜の内から王都と連絡を取り合ってことを進めていたらしい。
貴族令嬢であるディアナやポルシャは感情を抑えて話を聞いていた。ダイデンから口止めをされていたのだと聞き、ポルシャの件が初耳だったランは苦々しい顔になる。
最も騒ぎ立てたのはソフィアとピートだ。
「まさか側室様がセルマ様の仇だったなんて……!」
「思い付きで国を乗っ取ろうとするってすごくない? ああ、でも皇宮魔術を掌握してたのはいつかこんな日が来るかもと前から思ってたのかなあ」
ふと思い出したセルマはスプーンを動かす手を止めてユノを見た。
「一つ気になっていたことがあるのですが……いくらジェマが愚かだと言っても、どうしてわざわざ暗殺の道具に皇家の毒を使ったのでしょう?」
「おそらく、なのだが。巷には、私には通常の毒物は効き目がないと言う噂が流れているようだ。なので確実に仕留める為にそちらに手を出したのだろう」
「噂って言うかさ。実際にユノ様に毒を仕込んだどこぞの連中が、ユノ様がぴんぴんしてるから驚いたってことが何度もあったんだと思うよ」
「……まあ」
なんとなく、皆が自分の前の皿を見てしまう。ユノは悠々とスープを飲む。
「効き目がないのじゃない。常に防御魔術で無害化しながら飲食していただけなのだがな」
「ホッとしました。どこかの誰かがユノ様を一度でも苦しめていたのなら惨い報復を考えなければ、と思っていた所です」
「セルマは優しいな」
ユノが微笑み、優しいとは、とピートが首を傾げている。
「それと。毒の持ち主が特定出来るというのは嘘だ」
「え」
「はったりをかければボロが出るだろうと踏んだのだ。案の定ああなった訳だが、義母上がもう少しきちんと自分の武器について学んでおけば揺らぐこともなかったかもしれないな」
「ねえ。ユノが死んだ後、調べれば使われたのが皇家の毒だったってことはわかるのでしょう? ってことはユノの自死を装うつもりだったのかしら。やっとの思いで自由の身を手にしたばかりの貴方がそんなことをしたらそれはそれでおかしいわよね?」
ディアナの疑問にポルシャが静かに答えた。
「封筒の中に、偽造されたユノ様の遺書も入っておりました。戦が終わって人生の目標を失ってしまったうんぬんという内容が書かれていましたわ。ですが……これまでの流れを考えれば。愛しい者を失った私が戦の責任者のユノ様を逆恨みし、ユノ様の毒を盗み出して凶行に走った、という結末にされていたのかもと思います」
「ああ、なるほど。また自分達に都合の良い物語を作って国中に広めるつもりだったのかもしれないわね」
嫌そうに言ったディアナがパンを千切って口に入れる。
そこで、ふとユノが手を止めた。
「そう言えば……ダイデン兄上が言っていたことを思い出したのだが……レーヌ侯爵令嬢の芝居を上演した劇団にはな。ジェイドとよく似た面差しの役者がいるそうだ」
皆が一斉に視線をユノに集める。
そしてしばらくしてから同時に首を振る。
今更追及した所でどうにもならない。何も気付かなかったことにしようという意識がこの場で共有された。
翌日になって、ポルシャは騎士団と共に王都へ戻ることになった。
彼女の悲恋物語など知らぬ遠く離れた元他国へ嫁ぐことになるだろう、と本人は言っていた。
「正直。この先一生悲劇のヒロインを背負って行かなくてよいのだ、となってホッとしている自分がおります。私のように未熟な者は、おとなしく父の命令に従い無難な人生を送る方が向いているようですわ」
そう言って去って行くポルシャはここへ到着した時より遥かに力が抜けているように見えた。
動けるようになったミアもまた、彼らに同行させた。ユノから「二度と我々の前に顔を見せるな」と言われた彼女は、これ以上の罰は必要なしと思わせるほどに憔悴していた。
さらに、ユノは現騎士団長に事の次第を話してあるので、ユノを崇拝する騎士団の中ではミアは当面針の筵になるかもしれない。
(でもミア様ならそれすらも自分の糧にしてしまいそう……)
彼女なら大丈夫だろうとセルマは勝手に推測する。
ディアナはしばらくマイカ領に残ると言った。研究所の者達と気が合ってしまったそうである。なんならこの地に生涯留まるかもという可能性をちらつかせた相手に、セルマはなんとなくモヤモヤしてしまう。
それをそのままユノに伝えれば、
「これが……世に聞く焼きもちというものか!」
ユノにはひどく感動された。セルマはぷりぷりと怒ってしまい、ユノを焦らせた。
さらに数日後。
ユノと研究所の者達の手でジェマに使う為の魔術が完成し、ユノは王都へ向かうことになった。
「よろしくお願い致します」
「ああ。しっかりと、セルマの願い通りの罰を義母上に与えてこよう」
ユノの答えにセルマは心から安堵した。
そしてあっさりと片をつけたユノはその日の内に王都から戻って来た。
何故か、皇太子レオを共に連れて。
「一応お前達には事後の報告をしておこうと思ってな」
そう言って、レオは通された応接室で話を始める。
まずジェマは、自らに手を貸した者達を洗いざらい白状させられたそうだ。
幸いにというか、関係者の中に皇家の者はいなかった。
何も知らないまま担ぎ上げられかけていたジェイドは、全てを放棄して国内の中堅貴族の家に婿入りを決めた。皇籍もいずれ抜けるつもりであるらしい。
ジェマの子の内の三人はシンガの血ではないという話が伝わり、残りの皇子皇女達はぎすぎすしながら、ともかく目立たぬようにする道を選んだようだ。
ダイデンは、完全に皇太子派となって忙しく立ち回っているらしい。今回の件に関わった貴族達は速やかにダイデンの働きで処分された。しかし彼らの死の発表は日付をばらけさせるそうなので、国民には何も気付かれずに終わるそうだ。
明日にはまずジェマの突然死が公表される。形だけは盛大な葬儀をするつもりだとシンガ皇帝は言っていた。
「本当、馬鹿だよね。ウィード家はこれから栄華を極める時だっていうのにさ。僕の妻の立場を手にしながら、これ以上何が欲しかったんだか」
シンガが呟いたという言葉にセルマは思う。
ジェマという者は。手に入れ難い何かを欲しがって、その為にあれこれと動き回り、ついにそれを自分のものにするこそが最上の喜びだったのではないだろうか。だからきっと、彼女の欲望は死ぬまで終わりはなかったのだ。
「それと、ドウマと名乗っていた魔術師はな。本名をブラッドと言う」
レオがそう言うとユノが驚きの顔になる。レオは頷きを返す。
「お前の師匠である魔術師レッドの実子だな。お前と共に学び、その実力さを見せつけられて心が折れ、国を飛び出していった人間だ。名前と姿を変えて他国で独学で魔術の腕を上げ、いつかお前達に目にもの見せようと企んでいた所を義母上に拾われたらしい。……あれはレッドの手で処刑されたよ」
「……そうか」
あの騎士は兄弟弟子であったのか。セルマはそれ以上語らないユノの手の上に自分の手を置く。
「それから、これは私の事情なのだがな。私は離縁することにした」
「?」
突然の報告にセルマは首を傾げる。
そこでユノからレオの結婚についての状況を教えられた。
もともとレオの結婚相手はジェマが探してきた人物らしい。ただでさえ通常の婚約適齢期を無視され、ようやく押し付けられた妻となる人は世界の常識から大きく外れたまだ五歳児の姫君だった。しかも婚約期間を持たずに即結婚を言い渡されたのだそうだ。
「いやあ。今でも覚えているよ。迎えに行ったあちらの国で、家族との別れを嫌がり泣きじゃくる幼な過ぎる花嫁。花嫁に釣られて泣き出す女性陣、親の仇のように睨みつける男性陣。自分が悪逆非道の侵略者にでもなったような気分だった。走り出したこちらの馬車を泣きながら追いかけて来たのが花嫁と将来婚約する予定の男子だったと知った時には思わずそのまま引き返そうかと思ったね」
「それは……随分と、つらいお役目を……」
「相手の娘はな。特にその婚姻に何の利益も齎さない遠い小国の王女だったのだ。神殿の託宣だと義母上は言い張ったが……今となってはただただ兄上の後継者が生まれるのを遅くするのが目的だったのだろう」
「それまでに我々を排除するつもりだったんだろうな」
セルマは戸惑ってしまう。
「そのような縁談を、どなたも反対されなかったのですか?」
「父があっさり受け入れたからな。『嫁姑が仲良しなら無駄な争いが生まれないだろう?』などと言っていたっけ。……だが父の本心は、彼女の国では女性は十人子供を産むという習慣を気に入っていたのだろう」
ふん、と鼻を鳴らしたレオはその場にあった茶を煽る。
「さて。それではディアの下へ案内してもらおうかな」
「?」
訳も分からないまま二人はレオを屋敷の客室に連れて行く。
侍女に本人を呼び出してもらい、廊下へと出て来たディアナの前でレオは突如、跪いた。
「ディア。私は妻とは離縁する。彼女も彼女の実家も歓喜して受け入れてくれたよ。……これからは君が私の后となって、一緒にこの国を支えて欲しい」
ディアナはしばらくレオを見下ろした後。
「……遅いよ!」
飛びつくように、レオの頭を抱え込んだ。
後日、気になったセルマはユノに確認してみた。
「お二人がそういうお気持ちだったとユノ様はご存じだったのですか?」
「いや全然。むしろディアはいつもレオ兄上に噛みついていたように見えたな」
恋愛ごとに明るくない自分達ではわかりづらい関係だったようだ。
ともかく、どうかお幸せにと、レオと一緒に王都へ帰って行ったディアナに思う。
三か月後。
なんやかんやの準備を経て、セルマとユノは結婚の日を迎えた。
今はセルマと文通友達になったポルシャから紹介された仕立て屋で、セルマの好みが全て反映された素晴らしいドレスが用意された。
(前の時は、あちらの民族衣装を用意するからと言われたのだわ)
この国の結婚は式を挙げ、神官に承認されることで成立する。この日の為に特別に、隣の領地の神官に足を運んでもらっていた。
式場は屋敷の玄関ホールにそれらしい祭壇を作った。
参列者はソフィアとランとピートとリック。ここでセルマとユノには少し意見の相違があった。
「研究所の者達は絶対に呼ばない」
「同じ領民で、これからもお付き合いしていく方達なのですから、この機会に顔合わせくらいはしておきたいです」
結局、とりあえず本人達に参列の意向を聞いてみて、全員不参加との返事があってそれまでになった。セルマも嫌がる者達を無理に引きずり出すつもりはない。
ユノは大きくホッとしていた。
「正直、私と彼らは好むものが似ているのだ。……彼らにセルマの素晴らしい魅力を気付かれてしまうと面倒だからな」
「そのような心配を? 私にはユノ様しか見えていませんのに」
そう言えば、ユノは突然セルマをぎゅっと抱え込み、「まだ早い」と近くにいたランに引きはがされていた。
式の前日は、セルマは屋敷ではない場所に宿泊することになった。
結婚という流れにおいて、花嫁の実家に花婿が迎えに来るのが世界の常識だ。
実家のないセルマはそこは省こうかと最初は考えていた。だが、ソフィアから、そのような場合は知り合いの家に泊めてもらうのだ、こういう作法が幸福な結婚の構築に必要なのだと強く主張され、従うことにした。
セルマはマイカ領の中に土壁の建物を建て、そこに寝具を持ち込んでソフィアと前夜を過ごす。
セルマが選んだその場所は、かつてファンセンチの王城があった辺りであった。
結婚式当日。
早朝から魔術で飛んで迎えに来たユノとセルマは再会する。
扉を開けて出て来たセルマにユノは跪く。
「私、ユノ・マイカはセルマ・ファンセンチを生涯大切にすると誓います。セルマ殿を我が家に迎え入れることをお許し願えますか」
許します、と答えるのは母親代理のソフィアの役割だった。
けれど。
ソフィアが言葉にするより早く、土壁の家が、一瞬、ふわりと温かく光り輝いた。
「!」
セルマもユノもソフィアも驚いて辺りを見回す。しかしその輝きは一瞬で、何かを確かめる間もなく消え失せてしまう。
「なんだったのでしょう、今のは……」
「……セルマのことだ。この土地からの祝福なのかもしれないな。……セルマ?」
驚く二人の前で、セルマは黙って瞼を閉じていた。
(そう……皆……ここで待っていてくれたのね……)
光の中に、懐かしい父や母や兄弟達の気配を確かに感じた。
両目を開け、潤んだ瞳のまま土壁の家に向き合う。
「お父様、お母様、皆。行って参ります」
優雅に王女の礼をして。
ユノが手を差し伸べた手を取ると、セルマはあの日から途絶えていた自分の人生の道を再び歩き出したのだった。
ウィードの城の使用人達は、最近になって突然増えた害獣被害に頭を悩ませていた。
害獣は決して姿は見せず、仕掛けた罠にもかからない。けれどゴミ捨て場をちょこちょこと荒らしていくやっかいな奴だ。
使用人と害獣の闘いは数年の間続いたが、やがてそれはその始まりと同様に、ある時ぱたりと途絶えてそれきりになったそうである。




