最終話 氷の麗人
あれから、幾星霜の時が経った。
私が経営する『銀の梟亭』は、今やフヴィート公国一……いや、大陸でも有数の名店としてその名を轟かせている。
あ、別に乗っ取ったわけじゃないよ? 元店長は元店長で、他国との取引を請け負ってほぼ店にいないから、私に任せたってだけ。
事業も増えて、人手も増えて……連日大忙し。
「右舷のテーブル、グラス空いてるよ! 次のお料理急いで!」
今日は特別に忙しかった。
なにせ、カトリーヌ姉様の結婚式なのだから。
ついに上位貴族との縁談をまとめ上げた姉様は「私の式なんだから、絶対に誰よりも盛大にしなさいよね!」と私に泣きついて(命令して)きたのだ。
公爵夫人として、そして名店のオーナーとして目の回るような忙しさだけど……不思議と疲労感はなく、むしろ最高に充実していた。
お昼過ぎ。
戦場のような厨房から抜け出し、VIPルームで一息ついていると、コンコンとノックの音がした。
「エリザ様、お疲れ様です。いよいよカトリーヌ様の結婚式ですね」
「本当におめでたいです……エリザ義姉上とジョスリーヌ義姉上に先を越されて、よっぽど悔しかったみたいですけどね」
クスクスと笑いながら入ってきたのは、見慣れた二人の姿。
すっかり落ち着いた大人の女性になったアリスと、公国の騎士団で立派に出世を果たしたジュリアンだった。
「だあーっ!」
「おっとっと」
彼らの足元から、小さな人影が弾かれたように飛び出してきた。
可愛らしい金髪の女の子が、真っ直ぐに私に飛びついてくる。
私は慌てて、その小さな体をしっかりと受け止めた。
「こらっ、走っちゃダメだと言っただろう! すみません義姉上、ドレスが汚れてしまって……」
「いいのいいの。子供はこれくらいわんぱくな方が可愛いでしょ。ねえ? レティ」
私は焦るジュリアンを笑って制し、彼の娘をギュッと抱きしめて甘やかした。
アリスとジュリアンの子供──レティ。
もう四歳になる。
「おしとやかに育ってほしいのに、すぐ抜け出しては自由奔放に駆け回るんです……一体、誰に似たんでしょうね?」
二人は、あの後すぐに結婚したんだよね。
身分差の壁はあったけれど、そこは公爵であるディアエル様の権力でなんとかしてもらったのだ。
原作ゲームの知識では、この二人は結ばれることのない運命だった。
最初こそ、アリスも「私なんかが結婚なんて……」と身を引くスタンスだった。
でも、そこは私が大げさとも言えるほどの猛アプローチで強引にくっつけたのだ。
『ジュリアン、アリスが最近他の騎士から熱烈なアプローチを受けてるみたいよ。このままだと取られちゃうかもね』
『アリス! ジュリアンがあなたのために指輪を選んでたわ! どうするの、逃げるの!?』
そんな嘘八百を吹き込み、無理やりデートのセッティングまでして既成事実を作らせた。
「あの時の義姉上は、本当に悪鬼のようでしたよ。生きた心地がしませんでした」
「結果オーライでしょ? 現にこうして、可愛い娘までいるんだから」
「……はい。義姉上には、一生頭が上がりませんね」
ジュリアンは照れくさそうに笑い、アリスと優しく視線を交わした。
その幸せそうな顔を見たら、強引にお節介を焼いて大正解だったと心から思える。
三人を見送った後、私は再び仕事に戻った。
カトリーヌ姉様の結婚式は、それはもう大盛況だった。
美しいウエディングドレスに身を包んだ姉様は、相変わらず高飛車で偉そうだったけれど、その隣に立つ旦那様はそんな彼女を「手強いところが可愛い」と愛おしそうに見つめていた。
先に結婚していたジョスリーヌ姉様も、誇らしげに祝福している。
招待客の最前列には、お父様と、お義父様の姿もあった。
二人ともすっかり白髪が増えてしまったけれど、孫たちの顔を見てデレデレに相好を崩すくらいには元気そうだ。
過去の呪縛はもうない。
そこにはただ、家族の幸せな時間が流れていた。
結婚式と披露宴が無事に終わり、街中がお祭りムードで盛り上がっている夜。
私は喧騒から少し離れた、花が咲き誇る公国の丘に立っていた。
ここからは、煌びやかな光に包まれた公国の街並みが一望できる。
見上げれば、満天の星空だ。
「……はあ、幸せだなあ」
夜風に吹かれながら、ポツリと呟いたその時だった。
「だっこー!」
「わーい!」
背中に柔らかな衝撃が走り、私は思いっきり顔をほころばせた。
しゃがんで目線を合わせると、そこには私と同じ黒髪を持つ男の子と蒼い瞳を持った女の子が、満面の笑みでしがみついていた。
「ディアン! エレナ!」
私の大切な宝物──子供たち。
私は愛しい二人の小さな子供を、両手でしっかりと抱きしめる。
「二人とも。お母様を困らせてはいけないよ」
子供たちの後ろから、月光のように静かな足音で近づいてきたのは──私の愛する旦那様。
ディアエル様は柔らかく微笑むと、私ごと子供たちをその大きな腕で抱き寄せ、私の髪に、そして額に──惜しみなく甘いキスを落とした。
「ちょっ……ディアエル様。子供たちの前ですよ」
「だからこそだよ。両親が愛し合っている姿を見せるのも、立派な教育だ」
「もう……っ」
私は赤くなった顔を彼の胸に押し付けた。
何年経っても、この人の甘い溺愛っぷりには敵わない。
ディアエル様は私の背中にそっと手を添えた。
「エリザベート。君の店だが……そろそろ、本格的に公国を代表する『特使』として看板を掲げようと思う」
「えっ、特使、ですか?」
「ああ。君が作り上げた極上のワインと接客の噂は、今や海を越えて王国や帝国、砂漠の皇国にまで届いている。各国の皇帝や王族たちが、公国の魔法の給仕のサービスを心待ちにしているらしいんだ」
ディアエル様は眩しい瞳で私を見つめる。
「これからは公国の威信を懸けた特使として……私と共に、世界中を飛び回ってもらうことになるかもしれないが。どうだい?」
「世界中を、飛び回る……」
それはつまり?
他国の気難しい王族や、わがままな皇帝たちを相手に、出張サロンを開くということだ。
超VIP相手の究極の出張おもてなし営業──面白そうじゃない。
「望むところです。どんな厄介なお客様が来ようと、最高のワインとおもてなしで、世界中を私のファンにしてみせますから!」
私の不敵な即答に、ディアエル様は堪えきれないように笑い声を上げた。
「はははっ! ああ、君ならきっとやるだろうね。私の愛しい小鳥はもう鳥籠には収まらない。どこまでも、広い空へと羽ばたいていく──無論、私も共にあるが」
彼の手が私の頬を優しく撫でる。
その温もりを感じながら、私は改めて眼下に広がる街の灯りを見つめた。
今、私の前には新しい世界の扉が開こうとしている。
隣国の皇帝? 砂漠の王? どんなトラブルメーカーが待っているかは分からないけれど、今の私なら絶対に乗り越えられる。
だって私には前世で培った小市民のド根性と、隣で私を溺愛してくれる完璧超人の公爵がついているのだから。
「……私はこれからも、この地で生きていくんだ」
さてと、これからも忙しくなるぞ。




