#37 言えなかった言葉
いよいよ、結婚式当日。
私は本城の控室で、純白のウエディングドレスに身を包んでいた。
「エリザ様……すっごく綺麗です!」
「ありがと。アリス」
鏡の前でソワソワしていると、コンコンと控えめなノックの音が鳴り、見慣れた人物が部屋に入ってきた。
実家のメイド長であるベリンダだった。
「お嬢様……頼まれていたもの、なんとか間に合いましたよ」
ベリンダが恭しく差し出した美しい箱。
その中には古いけれど丁寧に保管され、純白のレースが繊細に編み込まれたヴェールが収められていた。
「ありがとう、ベリンダ。どうしても今日これを使いたかったの」
「……お嬢様」
ベリンダは目を潤ませて深く頷いた。
私はそっと、そのヴェールを自分の黒髪の上に被せた。
────
──
大聖堂での厳かな誓いの儀式を終え、本城の巨大なホールでは、国を挙げての盛大な披露宴が始まっていた。
公国と王国。
両国の貴族たちが入り乱れ、私が自ら手配した極上のワインと料理に舌鼓を打っている。
(私、本当に幸せになっちゃったんだな……)
グラスを片手に、豪華なシャンデリアを見上げてふと息をつく。
原作小説ではただの悪役令嬢として破滅するはずだったエリザ。
今やこの国で一番の権力を持つ美しい氷の公爵に溺愛され、誰からも祝福されている。
信じられないような奇跡だ。
「ちょっとジュリアン! あんた、いつまでウチの妹の護衛気分でいるのよ」
少し離れた歓談の輪から、カトリーヌ姉様の鋭い声が聞こえてきた。
見れば姉様たち二人が、正装に身を包んだジュリアンをジリジリと問い詰めている。
「そうよ。あんたも立派な騎士なんだから、そろそろ身を固めなさいよね。いつまでもフラフラしてる男は甲斐性なしって言われるわよ」
「えっ、い、いや義姉上! 別にフラフラしているわけでは……!」
タジタジになるジュリアン。
ふと、彼の視線がチラチラと横を彷徨った。
その先には、分厚いローストビーフを幸せそうに頬張っているアリスの姿がある。
「ア、アリス嬢は……まだ若いですし、もう少し落ち着いてからでも……」
「はぁ? アリスの話なんて一言もしてないんだけど」
「……あんた、顔真っ赤よ。分かりやすすぎ」
「うわああああっ!?」
姉様たちに盛大にからかわれ、ジュリアンが耳まで真っ赤にして顔を覆った。
アリスは「?」と首を傾げてモグモグしている。
自爆したねジュリアン……原作通り、結ばれるといいんだけど。
原作は悲恋だったしね。
「あ……あれは」
そんな微笑ましい光景に目を細めていると。ふと、ホールの端っこ。
喧騒から逃れるような薄暗い柱の陰に、見覚えのある人影を見つけた。
私はディアエル様に少しだけ目配せをしてから、静かにその人影へと駆け寄った。
「──来てくれたのですね。お父様」
グラスを片手に居心地悪そうにしていたスノーローズ伯爵は、私の声に肩を揺らした。
「……エリザベートか」
「はい。遠いところ、ありがとうございます」
私が微笑みかけると、お父様はひどく気まずそうに目を逸らす。
「だがやはり……私は、この場には相応しくは──」
しかし、再び私の方へ視線を戻した瞬間。
お父様の目が、信じられないものを見るように見開かれた。
「それは……そのヴェールは……!」
「はい。ベリンダにお願いして、実家の宝物庫から持ってきてもらいました」
私が被っている純白のヴェール。
それはかつて、エリザのお母様がお父様との結婚式で身に着けたものだった。
「すみません何も言わずに。どうしても見てもらいたかったんです」
「ハナスタシア……」
お父様の口から、震える声で母の名前が零れ落ちる。
「私には、それをまともに見る資格はない。お前たちを不幸にしてしまった私が……」
お父様は顔を歪め、後悔に苛まれるように目を伏せた。
黒髪のお母様を守れず、同じ黒髪の私を本邸から遠ざけ家族をバラバラにしてしまった。
その呪縛が未だにお父様の心を締め付けているのだ。
「まるで……生き写しだ……」
お父様はゆっくりと顔を上げ私の姿を──ヴェールに包まれた私の黒髪を真っ直ぐに見つめた。
「お前はあの人に似て美しく、そして……私なんかよりもずっとずっと強かった」
お父様の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「お前は不幸になどならなかった。呪われた髪だと言われたその黒髪を、自らの足で誰よりも誇り高く輝かせてみせた……お前は私の誇りだ。エリザベート」
「お父様……」
ただ母に瓜二つだから泣いたんじゃない。
私が幸せになったことで、お父様はずっと抱えていた黒髪は不幸という呪縛から、ようやく解放されたのだ。
その涙を見た瞬間。
私の胸の奥にずっとあった、小さな『しこり』がふっと溶けていくのを感じた。
私は前世の記憶を持ったただの人間だった。
本当のエリザベートの体を乗っ取ってしまったんじゃないかって、心のどこかでずっと思ってた。
(でも──)
お父様が私に向けるこの不器用で真っ直ぐな愛情。
私が必死に生きてもがき、ディアエル様と恋に落ちたこの時間は──全部私自身のものだ。
前世の私も。
今の私も。
エリザベートも。
全部ひっくるめて私なんだ。
「お父様……私をエリザベートとして産んでくれてありがとうございます。お母様のヴェール……ずっと着けてみたかったんです」
「……ああ。よく似合っているよ」
私の頬を伝う涙をお父様が優しく……本当に優しく指ですくってくれた。
私は悪役令嬢でも、他人の代わりでもない。
お父様とお母様に愛されて生まれてきた、ただのエリザベートだ。
喧騒から離れたホールの片隅で。
私たちは長年のわだかまりを溶かすように、静かに微笑み合ったのだった。




