#1 いきなり破滅フラグ
目を覚ますと、そこは豪華な天蓋付きベッドの上だった。
そして、身に纏っているのは無駄にフリルが多いネグリジェ。
「えっと……どちら様?」
目の前のアンティークな鏡に映るのは──烏の濡れ羽色をした見事な黒髪の超絶美女。
私の問いに答えることはなかった。
それが私自身だと把握するのに、暫く時間がかかった。
「う……嘘でしょ。これ、おばあちゃんの書斎にあったあのドロドロの激重ロマンス小説の悪役令嬢じゃん! 表紙のまんま!」
私の名前はエリザベート=スノーローズ。通称、エリザ。
泣く子も黙る名門貴族の令嬢。
社交界では『氷の麗人』と恐れられ、そして崇められる絶世の美女である──というのは、あくまでこの体の『設定』だ。
中身はつい昨日まで、酔った客の話に相槌を打つだけのバーの店員だったのに。
そんな優柔不断で流されやすいベリーノーマルな一般人。
「うーん……まさか転生?」
寝てる間になんで転生なんかしてるの!? というパニックはさておき、私には今すぐに対処しなければならない死活問題があった。
このエリザベート、原作小説では処刑されるのだ。
理由は簡単。彼女が近寄る男たちを冷たくあしらい、プライドを粉々に砕いてヘイトを溜めまくったから。
そして、その処刑を主導したのが──完璧超人の公爵、ディアエル=フォン=フヴィートその人である。
この人だけには会ってはいけない。
多分ラスボスだ。そうに違いない。
「お嬢様。ディアエル公爵閣下がお見えでございます」
メイドらしき人の声に、私はビクッと肩を揺らした。
言ったそばから! 転生して数分でもうラスボス登場!?
(え、マジでどうしよ)
外に向かう私の足音は、心なしかドナドナと鳴っている気がする。
ていうかさっきのメイドのセリフ……ディアエル公爵がエリザを口説きに来る日だ。
ここで原作通り足蹴にしたら、処刑フラグが立ってしまう。
「よし。怒らせない。波風立てない。ひたすら愛想笑いでやり過ごす」
接客業で培ったクレーム対応スマイル。
それだけが私の武器だ。
身なりを整え、いざ。
(あ、来た……)
エントランスに到着した豪奢な馬車の周りでは、剣を佩いた騎士たちが彫像のように整列し、一斉に首を垂れていた。
その異様なほどの統率力は、これから降り立つ主の恐ろしさを物語っていた。
そして、馬車の扉が開く。
降り立ったのは、まるで玉座から立ち上がった皇帝のような、威風堂々たる佇まいの男。
彼は敷かれた深紅の絨毯の上を滑るように歩き出す。
「あっ、あの……」
ディアエル=フォン=フヴィート公爵。
エリザを処刑に追い込んだ張本人。
銀の髪に、切れ長で氷のように冷ややかな蒼い瞳。
彫刻のように整った顔立ちは、ため息が出るほどハンサムだけど……同時に、背筋が凍るようなダークで危険な色気を放っていた。
まさに、昔のロマンス小説から抜け出してきたような絵画的美しさだった。
「ごきげんよう。エリザベート=スノーローズ伯爵令嬢。アマリリスの花に月光が囁く今宵、誰にも靡かず誇り高く咲き誇るその花弁を、この手で密やかに愛でるために馳せ参じた」
低くチェロの弦を弾くような甘く恐ろしい声。
目が完全に、お前みたいな氷女軽蔑してるぜって言ってる! 多分。
ていうかセリフ全部何言ってるの? 古典演劇?
「さあ、早速部屋へ案内したまえ」
「は、はひ……」
メイド先導で応接間に案内をすると、ディアエルの命令で二人きりになってしまった。
ディアエルはふんぞり返るようにソファーに座り、長い脚を組んだ。
「今日、私がここに来た理由は──」
「あっ、ディアエル様! 本日はわざわざお越しいただき、誠にありがとうございます!!」
私は食い気味に、そして全力の揉み手とともに、顔面が筋肉痛になりそうなほどの営業スマイルを浮かべた。
「えっ」
ディアエルの口から、低音ボイスに似合わない間抜けな声が漏れる。
「お茶はいかがですか!? ダージリンになさいますか、それともアールグレイ!? ゴゴティー!? あ、お茶菓子もすぐにお持ちさせますね! わたくしのような者のために貴重なお時間を割いていただきもう本当に恐縮の極みでして……っ!」
処刑されたくない一心で、私はペコペコと頭を下げた。優柔不断で自己主張ができない性格が、ここぞとばかりに大暴走である。
氷の麗人の面影などゼロ。
そこにあるのは、客に媚びへつらう店員の営業スマイルだった。
「ふむ……」
ディアエルは目を丸くし、組んでいた脚を解いてじっと私を見つめている。
や、やばい。
やりすぎた? 貴族令嬢として不自然すぎた!?
恐る恐る顔を上げると、ディアエルの蒼い瞳が信じられないものを見るように震えていた。
「……くっ、はははは!」
唐突に。
あの氷のように冷酷で、恐ろしいラスボス公爵が、肩を震わせて吹き出した。
「えっ?」
「いや、すまない。まさか氷の麗人と名高い君から、これほど愛想の良い……いや、茶目っ気のある歓迎を受けるとは思っていなくてね」
笑いすぎたのか、目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、ディアエルはふっと表情を緩めた。
さっきまでの背筋が凍るようなダークで危険なオーラはどこへやら。
そこにあるのは、憑き物が落ちたような年相応の青年の爽やかな笑顔だった。
「あ、あの……ディアエル様?」
「君もそんなに畏まらなくていい。楽に話してくれ」
先ほどのポエム全開で芝居がかった口調から一転、ひどくフランクで親しみやすい声色。
えっ? 待って待って。
楽に話してくれ? 笑ってる?
(原作と全然違う!?)
私を断頭台に送るはずの冷酷無比な公爵様は、なぜか最高に爽やかな笑顔を私に向けていたのだった。




