燃え上がれ、仲間と共に
太陽が下界を見下ろすように高度を上げる中、グラウンドは熱狂の渦に巻かれ、終盤の競り合いは更なる興奮を呼んでいる。
未来から託されたバトンを握りしめ、最内のレーンを疾走する朝陽。日の光と共に地上へ降り注ぐ熱が鼓動を高め、全身に力が漲る。
後ろに纏められたポニーテールは揺れ、流れる汗は重力に従うように滴り、高校生特有の若さ溢れる潤いが彼女を彩る。
朝陽の視線の先には先頭を走るB組の男子、そしてそれを追い抜かんとばかりに猛追するD組走者、日々乃佳子がいた。目の前の追い比べに続く朝陽は佳子の背中を必死に追う。
(佳子……)
前を走る幼馴染は辛いほどに近くて遠い。
脳裏をよぎるは在りし日の思い出。幼稚園の砂場で一緒に泥だらけになって笑い合った記憶。お互い違う小学校に通いながらも放課後の塾で合流し、帰宅する時の寄り道が楽しみとなっていた日々。
そんな変わってほしくなかった日常に突然亀裂が走った。親友からの唐突な拒絶は朝陽の心に大きな傷を残したのだ。
朝陽はずっと求めていた。佳子が自分を拒絶するようになった理由を。そして佳子に再び自分を見てほしいとずっと願っていた。佳子の周りに集まる取り巻きではなく、幼馴染である自分を見てほしいと。
クラスメイト達に応援される佳子。そんな背中を見つめる朝陽の体に脈動が迸る。佳子の目に自分を焼き付かせたい。目で追ってほしい。そばにいてほしい。
ずっと願っていた再会は明るいものではなかったけれど今日果たすことが出来た。あとは、途切れてしまった縁を繋ぎ直すだけだ。
しかし、朝陽の心の内はとても暗かった。
(佳子お願い。私の隣に戻ってきて。佳子がいれば私、十分だから。佳子がいれば何もいらないから……)
果たされた再会を前に朝陽の思考は佳子一色で染まりつつあった。朝陽の枯れない渇望は消えない思い出によって膨れ上がり、視界は心なしか狭まっていく。周りの応援も遠く聞こえ、朝陽の足はいつしか佳子に追いつかなければならないという義務感で動いていた。
佳子の存在に集中力が削がれる朝陽の足取りはいつの間にか枷を負うように重いものへと変わっていた。佳子を求める朝陽は確かにスピードを上げてはいるものの、思うように足が前に出ない。たった数十メートル走っただけなのにまるでブレーキを掛けられているようだ。物理的な距離だけじゃない。心の距離さえ遠く感じる。
追いつきたいのに全く追いつけない現実に朝陽の息切れが近づいてくる。精神的な負荷に彼女は心を押し潰される感覚を味わう。前を走る2人の走者が上げる土煙が微かに朝陽の頬を撫でる。
ただのリレーの練習であろうが佳子のいる状況では朝陽にとって軽い気持ちで挑めるものではない。
何がなんでも佳子の隣まで追い込みたい。けれど追いつけない。彼女は自分の限界にぶつかり、顔を俯かせかけた。まるで諦めの色を見せるように。
しかしそんな彼女を鼓舞するかのような応援が耳に届く。
「頑張って朝倉さん! 走ってー!」
響く声に顔を上げる朝陽。前を向けば、偶数走者のスタート地点に立って朝陽からのバトンを待つ美鈴の姿が見える。彼女はこちらを向いて声を張り上げている。
(溝呂木さん……)
「頑張れー! 朝倉さーん!」
朝陽の見つめる先で活力溢れる笑顔で応援する美鈴。美鈴の鼓舞が朝陽の鼓膜を振るわせ、彼女の視線を引きつける。
美鈴の応援を受け取った途端、朝陽の視界が一気に広がる。自分を応援するクラスメイト達の声。地上を照らす太陽。自身の背中を追うC組走者の気配。彼女の閉じた視界が開き、彼女の心を再び浮上させる。
そう、もう朝陽は1人じゃない。佳子との別れがその後の人生観に影響を与えたことは変わらない。友達を持つことへの恐怖を植え付けられた過去は変わらない。しかし今は声を張って応援してくれる新しい「友達」がいる。そんな些細な事実が朝陽の身体に力を漲らせる。
消耗し切った身体に鞭打って、巡る力を朝陽は解き放つ。
暗くなった気持ちが晴れただけ。ただそれだけだ。しかし曇りの晴れた朝陽の脚にさらなる力が滾る。迸る衝動に突き動かされる朝陽はぐんぐんと加速していく。後方の走者との差を広げ、前の走者2人に追い縋る。佳子との距離を一気に詰めていき、その横へ並ぼうとする。猛烈な追い上げを引き出す朝陽の気配に気づいたのか、2番手にてついている佳子は自身のギアをさらに上げる。しかしそれを大きく上回る朝陽の加速がさらに距離を縮める。
そして遂に2人が並ぶ。だが追いつかれてしまった佳子もまた、残った底力を解放する。朝陽の追い上げに拮抗するように、抜かされまいとばかりに踏み込む佳子。両者横並びで最後の直線を掛ける。
先頭を走るB組男子はここで次の走者にバトンを託して横に捌ける。
その後ろで熾烈な追い比べを繰り広げる2人に歓声と激励が飛び交う。朝陽は横で走る佳子に目を向ける余裕をかなぐり捨て、必死に脚を走らせる。限界を超えるせめぎ合いで2人は大粒の汗をその身に浮かべさせる。
どちらが先に前に出るか誰にも分からない、過熱な勝負。そんな熱狂の中で朝陽は前へ出ようと一歩一歩前へと踏み出し続ける。佳子に並ぶだけじゃない。佳子より前へ出たい。自分をその目に焼き付かせたい。応援してくれるみんなの思いに応えたい。巡る思いを胸に己を疾走させる。しかしそれでも力を振り絞って対抗してくる佳子が喰らい付いてくる。このまま2人並んで次へとバトンを渡すことになるのか、そう思われた矢先朝陽の耳に澄み渡って聞こえてきた声があった。
「走れぇー! 朝倉ぁー!」
思わぬ、しかしどこか聞き慣れた声の方向へ目を向ける。集団の間を縫って駆ける視線の先には疲弊し切ったはずの未来の姿があった。まだ疲れが抜けていないはずの身体を起こし、肩で息をする彼はよろよろとしながらも朝陽へ真っ直ぐに瞳を向けている。本当に彼の声だったのだろうか、そう不思議に思う朝陽。だがそれが間違いではないと答えるように未来は声を上げる。
「頼む朝倉ぁー! 走ってくれぇー!」
少し変な応援が朝陽へと真っ直ぐ届く。疲労のあまりそんな応援になったのか、自分が頑張ったからお願いのような意味でそう応援しているのか定かではない。けれど彼の必死の応援は朝陽の背中を力強く押す。
(変な人)
普段彼とは違う一面に朝陽は思わず口角を上げる。彼の不器用さをまた一つ知った気がする。
(でも……)
灼熱の太陽がもたらす光がグラウンドをいや、朝陽の道を照らす。不器用な彼が走れと声を枯らすのだ。ならばやるべき事など決まっている。
(分かったよ)
地を蹴る脚に更なる力が渡る。次の走者まで残りわずかといったところで彼女の体はギアを限界を超えるように上げようとする。漲る力を来たる一瞬へ集中する。そして次に踏み込むと同時に朝陽は溜まりきった力を炸裂させて勢いよく前へ出る。
「!?」
横から聞こえてきた佳子の息を呑む声。予想外の加速に思わず声が出たのだろう。しかし朝陽はそんな佳子を突き放すように駆け抜けていく。沸き上がる歓声を横から浴びながらバトンを握って美鈴目掛けて突っ走る。そして練習の時と同様スタートの合図をかける。
「溝呂木さん!」
「あいよ!」
朝陽の掛け声と共に走り出す美鈴。朝陽はスタートダッシュを決めた美鈴へと腕を伸ばす。タイミングよく後方へ腕を向ける美鈴はバトンを受け取る。
走り切った朝陽は横に捌けて膝に手をつく。激しく乱れる呼吸を整える彼女は腕で汗を拭い、空を仰ぐ。ジリジリと照りつける陽光は眩しく輝いている。
たった100mだったはずなのに途方もなくゆっくりで長いようだった。
すぐそこまで足音が近づいてきてそちらへ視線を向けると同じく荒い呼吸を落ち着かせようとしている佳子の姿があった。朝陽と同様汗を拭う佳子は朝陽と視線を交わすとすぐに目を逸らす。朝陽は少しだけ胸が痛くなったが美鈴を応援しようと走り終わったクラスメイト達の元へ行こうと歩き出す。しかし背を向けられた佳子が声を掛ける。
「朝陽」
振り返る朝陽は少し驚いたように目を見開いて佳子を見つめる。少しだけ呼吸が整った彼女は上体を起こして朝陽を見つめ返す。その顔に浮かぶ表情は少し悔しいそうな、それでいて微かに優しいものだった。
「やるじゃん」
たった一言、切なさを含む言葉を漏らした佳子は自クラスの待機場へ歩き出す。残された朝陽は紡がれた言葉に固まり、すぐさま肩の力が降りたように膝をつく。全てが晴れたわけではない。それでも朝陽の心に光が灯ったのは事実だ。
「よかった……」
そう呟く朝陽はクラスメイト達が待つ場所へ走り出す。美鈴への応援に向かうだけじゃない。今は未来とも顔を合わせたい。不器用ながらに応援してくれた未来にお礼を言いたい。
走り抜けた先にあった光を胸に、朝陽は歩みを進める。
(ありがとう、芹沢さん)
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