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9:森の異変

 応接室には丸テーブルと椅子、それといくつか棚が置いてあるだけだった。

 南向きの窓から入る光の直射を避けるように掛けられた風景画が、唯一の彩りとなっている。

「相変わらず狭苦しい部屋ですまないね」

 苦笑して、オズヴァルトは湯気の立つティーカップをファルクの前に置いた。エインセールには、同様に紅茶を淹れたミニチュアのカップをテーブルに置く。

「味の方は大丈夫だと思うよ……うん、大丈夫」

 客人たちの真向かいに腰かけたオズヴァルトが、自分のカップから一口すすって、うんうんと頷く。眼鏡が湯気で曇った。

「それにしても、アリスがそんなことになるとはね……。断定はできないが、好奇心の強い子だ。何かに踏み込みすぎたのかもしれないな」

「はい……。それで、ヒントになるかもしれない地図というのが、こちらです」

 ここに来てから黙りっぱなしのファルクが、やはり無言のまま机に例の地図を広げた。引き続いてエインセールが、眼鏡を外したオズヴァルトに説明する。

「アリス様は直前までこれにまつわる調査をしていたそうなのですが、何の事件なのかが思い出せなくなってしまわれてるんです。あの、いかがでしょうか?」

「なるほど、手描きの地図か……」

 レンズをハンカチで綺麗に拭いて眼鏡を装着し直した賢者が、丹念に図面を眺めた。革手袋をはめた指先が、太い赤丸をなぞる。

「ここがシュネーケンということは、そのすぐ南にあるこの丸印はキッツカシータの辺りだね。となると、あの件と同じかもしれないな」

「何かご存知なのですか!?」

「確証があるわけじゃないけどね。さっき騎士たちが来ていただろう?」

 身を乗り出す妖精に前置きをしてから、オズヴァルトは地図の赤丸――シュネーケン南方に広がる小鹿の森キッツカシータを指差した。

「彼らは都市の守備隊でね。周辺地域の警護を主な活動としているんだが、彼らの話ではこの地域で不可解な、大量の魔物による襲撃がここ数日頻繁に起こっているらしい」

「ええっ……あれ? でもでも、それなら今までだっていっぱいありましたよね? 魔物はどんどん増加しているそうですし」

「うん、たしかにそれだけなら騒ぐことじゃない。問題視されているのは襲撃そのものじゃなく、襲ってきている魔物の種類さ」

 一呼吸置いて、オズヴァルトは疑問符を浮かべる妖精に回答した。

「蜘蛛なんだよ」

「く、蜘蛛……」

「小型蜘蛛さ。通常ならば親個体と一緒に活動する魔物で、力は弱い。その代わり数がとても多いのが厄介な特徴だね。それがわらわらと群がって来てる」

 小型と言っても、人間の子どもくらいの大きさはあったはずだ。それが大量に都市の外壁を這い回っている光景でも想像したか、エインセールの顔色がみるみる悪くなる。

「ううう……訊ねたのを激しく後悔しています。そんな大変なことになってたなんて。しばらくシュネーケンに近寄りたくないです」

「何をイメージしたかだいたい察しがつくけど、そこまで深刻なことにはなってないから、安心しなさい」

 嫌悪感に青ざめた妖精を落ち着かせるように微笑んで、オズヴァルトはカップを持ち上げた。一口傾けて、また眼鏡が白く曇る。

「知っての通り、シュネーケンは軍事大都市。兵も精鋭揃いだ。小型の魔物にそうそう後れは取らないよ。それで、その蜘蛛だけど」

「ま、まだあるんですか?」

 エインセールにとってはもうこの時点で精神的に異常事態だが、問題視の理由はまだ語られていない。眼鏡を再度拭いてオズヴァルトは続けた。

「何が不可解かと言うと……」

「なぜそこに出没してるのか、ってことだな」

 賢者の言葉を引き取ったのはエインセールではない。ずっと黙していたファルクが退屈そうな声音で呟いたのだ。

「蜘蛛型の魔物は洞窟が縄張りだ。そこから出てくることは少ない。まして、わざわざ都市を、それも大群で襲うなんてのはありえない」

「その通りだ。しかし、そのありえないが起こってしまっている」

「な、なるほど……」

 少年と賢者の言葉に相槌を打って、エインセールはカップに口をつけた。

 ようやく話が見えてきた。本来なら小鹿の森キッツカシータに棲息していないはずの魔物が、ありえない行動をとっている。異常に異常が重なった状態というわけだ。

 すなわち、かなり〝ヘンテコ〟である。

「アリス様がすごく興味を持ちそうな事件ですね……」

「そうだね。この地図はそれを調べていたものと見て、ほぼ間違いないだろう。シュネーケンでは、アンネローゼが特別に部隊を編成して、討伐と真相究明に当たっているけれど」

 図面上をオズヴァルトの指が滑り、ノンノピルツ南方に描かれた赤丸に止まる。

「この分だと多彩の森シェーンウィードでも同じことが起こっていたみたいだね。君たちは何か知ってるかい?」

「いえ、まったく……」

 昨日の、女王のバラを荒らしていたマナガルムはシェーンウィードに棲息する魔物だ。他に怪しい魔物も見かけなかったし、もしもいたとしたら気付いたはずだ。

「そうか……この二ヶ所で共通点が見出せたら良かったんだけれど……」

 オズヴァルトは思案気に眉を曇らせたが、ひとつ息を吐くと、地図を折り目に沿って丁寧に折りたたんだ。

「現時点でわかるのはこのくらいだろう。あとは実地で手掛かりを得ていくよりなさそうかな」

「アリス様が言うところのフィールドワークというやつですね。ありがとうございます、オズヴァルト様」

 エインセールが深くお辞儀する。賢者との語らいを経て、地図の意味がわかり、方向性が見えてきた。手詰まりに陥りかけていたのが嘘のように先行きが明るい……。

「――それだけか」

 その声は、希望に心満たされていた妖精にはひどく冷たいものに聞こえた。

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