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21:巨影の邂逅

「おいおい、いつの間にこんなに集まって来たんだ?」

 シャイトのとぼけたような呟きは、かすかに焦りを含んでいた。

 立ち並ぶ木々の隙間を埋め尽くすように蜘蛛の群れが蠢いている。数えるのも嫌になるほどの赤眼の魔物が、醜悪な波のようにじわじわと押し寄せてくる光景に、ファルクも忌々しげに眉を寄せる。

 こいつらの行方を追ってはいたが、この状況で遭いたくはなかった。剣を片方手放したうえに、さっきの戦闘のダメージも残っている今は本調子とはほど遠い。

 しかしそれにしても、なぜこの蜘蛛たちはわざわざこちらを取り囲んでいるのだろう? 都市戦のときのように無秩序に襲ってくる様子がない。それともこれが連中の獲物の狩り方なのだろうか。

「モテるのは嬉しいが、女性以外は扱いに困るぜ……さて、どうする?」

 シャイトが突き立てていた大鎌を引き抜いた。その横顔に、ファルクは素早く首を横に振る。

「逃げの一手だな」

「私も、そう思います」

「だな。さすがに付き合っちゃいられねえ」

 魔物の数は見える範囲で、シュネーケンを襲ってきたときとほぼ同数だ。対してこちらの戦力は騎士がたった二人。いくら敵の一体一体が弱いといっても、これでは苦戦は必至だ。

 意見の合致を認め、ファルクが頷いた。次いで包囲を突破するべく敵の手薄な箇所を探そうと首を捻ったところで、その顔に鋭い緊張が走る。

「ったく、冗談きついぜ……!」

 同じ方を見たシャイトが毒づいた。

 そちらにも蜘蛛が数匹いるが、シャイトをして舌打ちさせたのはそいつらではない。そいつらのさらに奥から、別の魔物の影が接近している。這い回る蜘蛛どもと姿形はまったく同じだが、特筆すべきはその巨体だ。見上げるほどに高い位置で複数ある眼が爛々と青光あおびかりをたたえている。

 蜘蛛どもの親個体、ダーチュラだ。普段ならウーアシュルト洞窟の最奥に居を構えて動かない大物が、まさかここまで出張って来るとは。

 大型蜘蛛ダーチュラの口元が蠢動しゅんどうし、直後、その口から糸が吐き出された。

 突き進む糸は途中で風に解かれたようにふわりと網状に広がり、鳥籠のように広範囲を覆うと、地面を白糸で彩った。糸はファルクたちの元までは届かなかったが、全身に糸を浴びた不幸な蜘蛛がその場でジタバタともがいている。

「二人とも、こっちです!」

 粘着性の強い糸に退路を大きく減らされ歯噛みする騎士たちに、エインセールが呼びかけた。彼女の提げ持つランタンが底部をもたげている。

「導きのランタンが逃げ道を示してくれています! こちらから脱出しましょう!」

「でかしたぞ妖精!」

 ランタンの灯が照らす先へとファルクは駆け出した。そちらにも蜘蛛はうじゃうじゃいるが、比較的、数は少ない。血路を開くべく白刃を一閃する。

「気を付けろ! あいつら、雪崩なだれこんで来るぞ!」

 目についた一体を両断したとき、シャイトの警告が少年の耳朶じだを打った。

 血相を変えて走る若者の後ろ、蜘蛛の大群がこちらに迫って来ている。逃がすまいと言わんばかりに、その動きは先ほどまでとは段違いに速い。

 背後を一瞥したファルクは前方へさらに剣を躍らせた。猶予はない。とにかく道を作るべく邪魔な蜘蛛の頭に剣を振り下ろす。

 魔物の口から白糸がほとばしったのはそのときだった。

「しまった!」

 頭部を斬られて蜘蛛が絶命したとき、置き土産の糸は剣身に何重にも巻きついている。舌打ちしながらも構わず曇った刃を振るうが、先刻までやすやすとほふれていたのが嘘のように、斬撃は蜘蛛の外皮に弾き返される。

 そして蜘蛛たちも、少年の切れ味が鈍ったのを悟ったかのように勢いを増して踏みこんできた。数匹が立て続けに糸を吐き飛ばしてくる。至近距離から飛来する糸を、ファルクはすかさず剣で叩き落とすが――

 か細い悲鳴が、ファルクの意識を後方に引き寄せた。

「妖精!」

「エインセールちゃん!」

 弾かれたように顧みたのは、妖精が落下するその瞬間だった。

 付かず離れずの位置に滞空していたのがあだとなった――ファルクに当たり損ねた蜘蛛糸が彼女に直撃したのだ。全身に巻きついた糸に羽ばたきを封じられ、衝撃に吹き飛ばされながら成すすべもなく冷たい土に墜落する。

 ファルクはもとより、殿しんがりで追撃を抑えるシャイトにも、彼女に駆け寄る隙がない。ぐったりと動けぬ妖精に蜘蛛どもが群がる。

「やめろ……」

 ファルクが踵を返した。甲冑の背を蜘蛛の脚が掠め、かすかに衝撃が伝うが、そちらには頓着しない。届かぬ距離と知りながらもエインセールに手を伸ばす。

 ファルクの眼前で、掲げられた蜘蛛の脚が、ことさらにゆっくりと妖精に振り下ろされた。

「やめろおおおおおおお!!」

 少年の喉から絶叫が迸ったその一瞬、蜘蛛の動きが止まった。

 あたかも威圧され身を強張らせたように、蜘蛛どもがぴたりと静止する。だが次の瞬間には、それがまるで気のせいだったかのように魔物どもは再び蠢き、凶脚を振り下ろしている。

 鋭い脚は、しかし妖精を貫かなかった。むしろ器用にすくうと頭上に掲げ、蜘蛛は一目散といった様子でファルクから遠ざかっていく。

「くっ……邪魔だ、どけ!」

 エインセールを抱えた個体に追おうとするも、這い回る蜘蛛どもに道を塞がれて動けない。それはシャイトも同様のようだった。大鎌で魔物を狩るもすぐに進路を別の蜘蛛に埋められてしまい、その顔は焦燥を隠せないでいる。

 このとき彼らに少しでも冷静さが戻っていれば、蜘蛛が彼らへの攻撃をやめていることに気付いたかもしれない。だがそんな余裕は彼らにはなかった。得物を振るいながら、離れていくエインセールを見失うまいと目で追い続ける。

 その視界に巨大な影が入りこんだのはそのときだった。

「なんだ、あいつは……」

 ダーチュラではない。あの親蜘蛛はさっき糸を吐いた地点からほとんど動いていない。

 新たに現れたそいつは、ダーチュラとほぼ同じ巨体を有していた。全身を灰色の毛で覆ったそいつは、ぴんと立った耳は長く、尾は短い。丸い目は黒く輝き、眼下に這い寄って来た小型蜘蛛を冷たく見下ろしている。形はウサギに酷似しているが、そいつの額に伸び生えているのは雄々しく長大な尖角ホーンだ。

 一角兎ユニホーンヘアとでも呼ぶべきその魔物は、眼下の蜘蛛を――正確にはその蜘蛛が掲げる妖精を見定めるように身を屈めた。

「もしやあいつが、白雪ちゃんの言ってた一角獣か……?」

 呻いたシャイトも、ファルクも、新たな魔物の力が未知数な以上、下手に仕掛けられない。騎士たちが足踏みする一方で、蜘蛛の大群は一斉に一角兎へと進行方向を転回していた。まるで主の帰りに歓喜する忠臣たちのように巨大兎の周りに集結する。

 たかる数多の赤眼に目もくれず、一角兎は妖精を凝視した。近付けた鼻をすんすんと鳴らすと、おもむろに前肢まえあしを振り上げる。

 地を揺らす轟音に湿った破裂が重なった。

『――――!!』

 直後、足元の蜘蛛を踏み潰した一角兎は、まなじりを吊り上げて咆哮している。何を叫んだかわからずとも、それが怒りの意思の表れであることは、たじろいだ蜘蛛の群れを見るまでもなく明らかだ。

「こ、ここは……っ!」

 そして激震は妖精の目覚めを促したようだった。苦しげに目を開けたエインセールが、視界いっぱいにまで迫る魔物の姿に息を呑む。

 糸に縛られてもがくことすらできぬ妖精に目を落とすと、一角兎は再び前肢を持ち上げた。

 しかし今度は地に叩きつけない。代わりに妖精の口元に差し出す。

 前肢の先端、爪と爪の間には、紫色の球体が挟まれている。それは何かの果実に見えた。次の瞬間、それが妖精の口にねじこまれた。

「んん、ん~~~~!!」

 反射的に吐き出そうとするエインセールだったが、魔物の力を前にそれは無駄な抵抗だった。ほどなく彼女の喉が上下する。

 嚥下えんかした途端、エインセールの全身が震えた。震えは数秒で収まったが、そのときには彼女の顔は人形のような無表情に固まってしまっている。

「そいつに何を……!」

 遠目でもわかる異変にファルクが剣持つ手に力をこめる。

 盛られた果実がエインセールに異常を引き起こしたのは明白だった。シャイトに目配せして、斬りこむべく前に踏み出す。

 そんな少年の耳を打ったのはエインセールの声だった。

「はい……知っています……わかります……」

 囁くような、しかし明瞭なその声は、一角兎に向けられているようだった。

 生気を失ったように光らない瞳を一角兎に据えたまま、妖精は言葉を紡ぐ。

「ノンノピルツ……フレノンノ城……」

「!?」

 馴染みある単語の羅列。それをファルクが認識したのと、一角兎が再度咆哮したのは同時だった。しかし今回は憤怒の気配はない。蜘蛛どもは委縮することなく、巨体を翻した一角兎の後に続いて整然と並び始めている。

 当然のようにエインセールを抱えた個体も整列している。それを睨み、ファルクが地を蹴った。

「上だ、ファルク! 避けろ!」

 群れのただ中に飛びこもうとしたファルクだったが、シャイトの鋭い警告に従って真横に跳躍する。

 その身を掠めて、蜘蛛の巣が降り落ちてきた。

 縦横に張り巡らされた糸が広大な網を構築している。網は蜘蛛の大部分に覆いかぶさり、一角兎にも迫った。

『――――!!』

 間一髪で網を回避した一角兎が嚇怒かくどに目を細める。その視線の先にいるのは大型蜘蛛だ。

 網を飛ばしたダーチュラもまた、くぐもった唸りを発して威嚇している。

 二つの巨大魔物は明らかに敵意をぶつけ合っていた。

「何のつもりだ、あいつ。自分の子供ごとあのウサギを狙ったっていうのか?」

 今は黙殺されているが、もしも二体が争いだせば間違いなく巻きこまれる。警戒するファルクだったが、その脳裏にふと疑問が瞬いた。

 ダーチュラが子蜘蛛ごと攻撃したのも謎だが、それ以前に、蜘蛛どもが妙にウサギを慕っている様子なのも不可解だ。魔物が協力し合う事例はないこともないが、先ほどエインセールを掲げたときなど、まるで供物を捧げるみたいだったではないか。魔物たちの関係性がいまいち理解できない。

「…………ん?」

 ダーチュラの脚の動きに注意するファルクだったが、ふと、その視線を上に向けた。ダーチュラの紫に近い青色の眼は変わらず一角兎に向けられている。

 青紫の眼……。

「蜘蛛の魔物は眼が紫や青なのが普通……」

 先ほど小隊に紛れこんでいたときに覚えた知識をぽつりと呟くと、ファルクは何かに気付いたように小型蜘蛛どもへと視線を転じた。

 そこではいつの間にやら奇妙な出来事が展開していた。

 網をかぶった蜘蛛どもが、その網を食べていた。

 網は今や水飴のような粘性のある半透明の液と化している。動きを拘束するためのものではなかったらしい。よほど美味なのか、ぴちゃぴちゃすする音が少年のもとまで聞こえてくる。

 だがファルクの目を引いたのはそれだけではない。液体を啜る蜘蛛の眼が、赤から青に変化していくではないか。

「……そうか、そういうことか!」

 その光景に、ファルクの中ですべての疑問が一点に収束した。

 ここまで目にした異常は、すべて原因が同じなのだ。

 蜘蛛の行動も、エインセールの異常も。

 そしておそらくはアリスも……!

『――――』

 蜘蛛が次々と青眼に――すなわち正気・・に戻っていくのを見て、巨大兎が低く唸りを上げた。怒りに顔を歪ませたまま身を翻す。

 巨大兎が樹間に走り去るや、ダーチュラが高音を発した。

 脳に直接突き刺さるようなその音は、しかし攻撃ではないようだった。反応した子蜘蛛の群れが一斉に動き出す。向かう先は親蜘蛛の元。そしてその親蜘蛛は、用が済んだとばかりにウーアシュルト洞窟方面に引き返している。

「ま、待て、そいつを置いていけ!」

 大群の動きはまるで黒い洪水のようだった。その黒の中に、白糸にくるまれたエインセールが抱えられているのを発見する。

 ファルクがそこをめがけて突撃するが、掻き分けて進むにはあまりにも流れが激しすぎた。群れを挟んだ対岸でシャイトも大鎌を振るうが、群れを止めるには焼け石に水だ。

「待て……エインセール!」

 虚ろな目の妖精に、少年の叫びが届いたかどうか。それも確かめられぬまま、蜘蛛の群れは騎士たちを置き去りにする形でその場を離脱している。

「……ノンノピルツに行かなきゃいけねぇな」

 ファルクもシャイトも荒い息を吐いて敵影を目で追っていたが、やがてシャイトが大鎌を担いで、苦々しげに切り出した。

「間違いなく、あのでかいウサギがこの事件の黒幕だ。さっきのエインセールちゃんの言葉から察するに、奴はノンノピルツに向かうんだろ。それに、今あの都市には白雪ちゃんもいる」

 姫の守護は騎士の最優先事項だ。シャイトが魔法の手鏡を取り出した。

「オレは騎士団と合流してノンノピルツに向かう。お前はどうする?」

「俺は……」

 あの魔物がアリスの都市に現れる。アリスに仕える騎士としては、答えは一つしかない。

 だがファルクは首を横に振った。

「俺は、妖精を助けに行く」

「……姫の危機だってわかっててもか?」

「それでもだ」

 ファルクが大木のそばまで歩み寄り、屈んだ。そこにはシャイトとの戦いで投げた剣が突き刺さっている。

「あいつと一緒にアリスを助ける――そう決めたからな」

「……エインセールちゃんは任せたぜ」

 シャイトはかすかに笑んだようだった。ファルクに背を向け、歩き出す。

「お前の分も守っといてやる。助けたら、さっさと来いよ」

「言われるまでもない」

 鼻を鳴らすと、ファルクは剣を引き抜き、土を振り払った。

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