20:強欲の騎士
地面に転がった冑が揺れた。
中からエインセールが這い出てくる。騎士団の目を逃れるためとはいえ、ファルクの頭と冑の隙間に身を潜めて、そのうえいきなり冑ごと弾き飛ばされたとあっては、その苦労は察するにあまりある。
だが今はその苦しさも忘れたように、エインセールは新たに現れた眼鏡の優男に目を丸くしていた。
「あ、あなたは……! どうしてここに!?」
「知り合いか、妖精?」
「は、はい! シャイトですよ! シュネーケンの!」
飛んで来る妖精が告げた名に、ファルクの顔がさらなる警戒に強張った。
「シャイト……セブンドワーフスの〝強欲〟か!」
「おっと、エインセールちゃん。こんな所で会えるとは驚いたな」
一方、表情を険しくした少年には目もくれず優男――シャイトは、エインセールに笑いかけた。茶目っ気たっぷりにウィンクまでしてみせる。
〝セブンドワーフス〟――シュネーケンに所属する、白雪姫直属の騎士団だ。
七人の精鋭で構成された彼ら騎士団は、メンバーの一人ひとりが他の騎士よりも上位の権限を有し、アンネローゼからの特命を遂行する際に特権を行使することが許されている。
逆に言えば、普段は他の騎士たちとそう変わらない。女好きで知られ〝強欲〟の二つ名で呼ばれるシャイトも、いつもならば騎士団の演習場に詰めているはずだ。それがどうしてこんな所にいるのだろう。
「白雪ちゃんの命令でな。蜘蛛の大群がシュネーケンを襲った話は聞いてるか? その調査の指揮をセブンドワーフスの誰かが務めることになったんだ」
シャイトが深く溜め息を吐いて妖精に説明した。
「けど、こんな事件が起きても各地の魔物が遠慮してくれるわけじゃない。結局、外回りの連中はそれぞれの持ち場で手一杯で、それで内勤のオレに話が回ってきたってわけさ」
討伐と真相究明のため、特別に編成された部隊。話はオズヴァルトから聞いていたが、シャイトがその指揮官だったということか。
エインセールが小さく唸る。シャイトはそんな妖精を愛おしむようにまた微笑みかけた。
「ここに来たのもその一環でな。新しく入った情報の検証ついでに洞窟を調べようと思ってたんだが……地獄に女神とはこのことだな。エインセールちゃんに会えるなんて、天の恵みも同然だぜ」
「シャイト様、お気を付けください」
ナチュラルに歯の浮く台詞を並べ始めたシャイトに、小隊のリーダーの騎士が恭しく注意を促した。片手剣の騎士とともに得物を構える。
「あのノンノピルツの騎士、なかなかの使い手です。我々も援護いたしますので、どうかご指示を」
「……いや、援護はしなくていい。男が三人固まってパーティーを組むなんて、そんなむさ苦しいのはごめんだ」
申し出を手を振って拒絶し、シャイトは倒れた二人の騎士たちを指差した。
「お前たちはそいつらを介抱して撤収しな。ついでにグラントのおっさんに伝えておいてくれ。ノンノピルツの騎士はシャイトが連行する、ってな」
「……俺を捕まえるのも白雪姫の命令か、〝強欲〟?」
シャイトの指示を受けた騎士たちが、気絶した仲間を運び出していく。不意打ちを受けぬようそちらにも気を配りながら、ファルクはシャイトを見据えた。蜘蛛の動向を探るためにさっさと洞窟に行きたいのだが、それには立ち塞がる強欲の騎士を突破しなければならない。なんとか隙を見出そうと、カマをかけつつ挑発する。
「あいつの性格ならどうせ、自分の都市の事件によそ者が首を突っ込んでるのが気に食わなかった、とかいった理由だろう。ノンノピルツが嫌いだそうだが、いい迷惑だ」
「そいつは違うぜ。なにせ拘束するよう命令を出したのは、他でもないこのオレだからな」
主君をあいつ呼ばわりされてもシャイトの口調は小揺るぎもしなかった。むしろ挑発したはずのファルクの方が押し黙る。
担いだ大鎌の柄で肩をトントンと叩きながら、シャイトは返答に補足した。
「白雪ちゃんはオレにがんばれって言っただけだ。ノンノピルツの騎士も同じ事件を調査しているから、それに負けないようにってな。だがまあ、そう言われたらオレもいいところを見せたくなるってもんだろ。だからこっちの調査が進展するまで、そっちにはしばらく、おとなしくしていてもらおうと思ったわけだ」
「そ、そんな理由だったんですか……」
たったそれだけの理由で、多くの騎士から追いかけ回されるはめになったのだ。自然、エインセールの反応も非難めいたものになる。困ったようにシャイトが空いた手で後頭部を掻いた。
「まあ、やりすぎたとは思ってるさ。さすがに大事にしすぎちまったし、それにエインセールちゃんもいるって知ってたらこんなことはしなかった」
「じゃあ、もう捕まえるなんてやめてください!」
すでに小隊の騎士たちは気絶した仲間を担いで引き上げている。グラントたち騎士団にここでのことが伝わるのも時間の問題だ。いくらシャイトが連行すると言っていても、援軍くらいは来るかもしれない。そうなれば今度こそ捕らえられてしまう。
けれど、その前にシャイトが一言、グラントに手鏡で命令の撤回を告げてくれれば――
「たしかに私たちはこの事件を調べてますけど、目的は別にあるんです。絶対にシャイトの邪魔にはなりませんから、どうか……!」
「悪いが、そいつはできない相談だ」
妖精の訴えを却下しつつ、シャイトは大鎌を動かす手を休めた。代わりに膝が撓められる。
「これだけ騒がせておいて、今さら撤回なんてできないさ。それに……任務を遂行してくれてた仲間が倒されたのに見過ごすってのも、示しがつかないんでな」
シャイトが言い放った直後、その姿が霞んだ。
地を蹴った強欲の騎士は、滑らかな足運びで一瞬のうちにファルクへと肉薄している。弧を描く黒染めの大鎌が陽光を跳ね返した。
「離れてろ妖精!」
叫んだファルクが迫る大鎌の刃に双剣を押し当てた。衝撃を相殺するべく、甲高い金属音が響くとともに真後ろに跳躍。土を削りながら急制動をかけた少年が、しかし次の瞬間、がくりと膝をついた。
防御は間に合った。だが、それでも殺しきれなかった衝撃がファルクの体勢を崩したのだ
「ファルクさん! シャイト!」
「心配しなくとも、エインセールちゃんを巻きこんだりはしないさ」
声は上から聞こえた。跳び上がって距離を詰めたシャイトが得物を振りかぶっている。
「だが、お前にはしばらく眠ってもらうぜ!」
「くっ……」
黒い稲妻めいた一閃に、ファルクはとっさに真横に身を投げ出した。回避には成功するが、大鎌が間を置かずに襲いかかってくる。風を割って迫る刃から低い姿勢のまま地面を蹴って逃れると、ファルクは街道脇にそびえ立つ木の後ろに回りこんだ。シャイトが間合いに入った瞬間に斬りこむ心算で双剣を構える。
ファルクのすぐ傍で破砕音が響いた。
それが、大鎌が幹の半ばまでを割断した音だと気付いたときには、大木は耳障りな軋みを上げて倒壊を始めている。待ち伏せを諦めて木陰から飛び出すが、その瞬間、ファルクの胸元を激烈な衝撃が見舞った。
振るわれた大鎌の遠心力に抗えず、少年の体が吹き飛んだ。その先に立ち並ぶ大木に受け身も取れぬまま叩きつけられる。遠のきかけた意識をファルクは歯を食いしばって繋ぎ留め、甲冑の胸部に刻まれた裂傷に目を落とした。
刃物に対しては並みならぬ頑強ぶりを示す甲冑だが、弱点もある。その中の一つが打撃だ。鈍器などによる重い一撃は衝撃を鎧の内側へ直接伝える。ファルクが先ほど騎士二人を昏倒させたのもそのやり方によるものだ。
大鎌もあの速度で振るわれては鈍器と大差ない。加えて騎士の一般的な武装中、最高の威力を誇るのも大鎌の特徴だ。今はまだいいが、もう一度くらえば立ち上がれる保証はない。
「降参してもいいんだぜ?」
そう呼びかけるのは大鎌を担いだ眼鏡の若者だ。最前斬られた大木が倒れるのを背景にシャイトが近づいてくる。
「オレは楽だし、お前もこれ以上痛い思いをすることもない。ウィンウィンってやつだろ?」
「……願い下げだ」
木から背中を離しながら、ファルクは若者を睨みつけた。
「自分勝手な都合で命令を出して下の連中を振り回す……そんな奴に屈してたまるか。俺をどうこうしたいなら実力で黙らせてみろ」
「そうか……それじゃあ仕方ないな」
大鎌が音もなくもたげられた。
振り落ちた漆黒の刃が木の幹を爆砕する。木片が盛大に散る中、そこにいたはずの少年は、そのときすでにシャイトの側方に回りこんでいた。少年の手中で刃が回転、気絶させるべく首めがけて飛びこむ。
だが剣の柄が首に至るよりも、若者が大鎌を引き戻す方が速かった。甲高い音を立てて互いに得物を弾き合う。その直後にはまた互いの得物が衝突し、立ち位置を入れ替えながら火花が乱舞する。
手数に勝るファルクが絶え間なく双剣を打ちこむが、シャイトの大鎌がその全てを的確に受け止め、重みをもって押し返す。少年の両腕が押し上げられ、その瞬間、シャイトの利き脚が跳ね上がった。
ブーツの靴底がファルクの腹部を強打する。それ自体はたいしたダメージにはならないが、ファルクの動きを止めるには充分だった。息を詰まらせた少年に、横殴りに大鎌が食らいついた。生身であれば胴を輪切りにされていた一撃に、少年の体がくの字に折れて吹き飛ぶ。
「こいつで勝負ありだ!」
木の根元まで転がった少年を、シャイトがすかさず追いかけた。大振りの反動をそのまま振り上げに変換し、直上から大鎌の柄を突き下ろす。
シャイトの頬を閃きが掠めた。
仰向けに横たわる少年が双剣の片割れを投げつけたのだ。だがよほど慌てて投げたのか、回転する白刃は命中せず、シャイトの動きをわずかに止めただけに終わる。少年の無駄な足掻きを嗤うことなく、シャイトは真下へとどめを突き下ろし――
「なっ!?」
シャイトの後頭部を固い痛みが襲った。反射的に顔を上げ、視界の端に枝葉が転がるのを捉える。
先ほど投擲された刃が頭上の枝を切断し、それが落ちてきた――そうシャイトが気付いたときには、眼下の少年は跳ね起きていた。シャイトの表情から余裕が消え、すでに近くに迫った白刃に大鎌を差し向ける。
時が止まったように両者が固まった。
ファルクの剣と、シャイトの大鎌。互いに刃を相手の首に突きつけ合っている。ファルクが投げた剣が柔らかな音を立てて地面に突き刺さっても、両者は瞬き一つせず相手の顔を至近距離で見据えている。睨み合いはそのままいつまでも続くと思われたが――
「シャイトのバカバカバカ、バカー!!」
光る矢のように飛来したエインセールがシャイトに激突した。頬桁を殴られた形になった若者が濁った呻き声をあげながら地面を転がる。
「シャイトのバカ! わからず屋!」
「い、いやエインセールちゃん、今のものすごく危なかったからな!? 危うく首が切れるとこだったぜ!?」
「ファルクさんはアリス様を助けるためにがんばってるんです! どうしてそんなひどいことをするんですか!」
頬を押さえるシャイトの抗議も耳に入らぬように、妖精はぽろぽろと涙をこぼして糾弾した。
「アリス様は今、性格がおかしくなってしまってるんです! ファルクさんはそれを元に戻すために必死に……ただそれだけなんです!」
「やめろ妖精……よけいなことを、言うな……」
他所の都市、特に改革派の騎士にアリスの異常を知られるわけにはいかない。泣き腫らす妖精を抑えようとファルクがかすれた声を張り上げる。
「――ははっ、そいつは参ったな」
強欲の騎士が相好を崩した。立ち上がり、エインセールの元まで歩み寄る。その顔を満たすのはこらえきれないと言わんばかりの笑みだ。
「ごめんな。エインセールちゃんにとっちゃ、知り合い同士の戦いで辛かったろ。それに……」
続いてシャイトはファルクを見やった。戦意を捨てるように大鎌を地面に深く突き立てると、空いたその手をファルクに差し出す。
「……何の真似だ、〝強欲〟。仲間が倒されたのを、見過ごさないんじゃなかったのか?」
「その礼は、もう充分に返させてもらったさ」
警戒するファルクの手を、シャイトは強引に掴み取った。
「惚れた女のためにがんばる奴に、悪い奴はいない。邪魔してすまなかったな」
「……べつに惚れてない」
憮然としながらも手を引かれたファルクが立ち上がる。よろめいてこそいるが、幸い、歩けないほどではないようだ。
「とはいえ、ずいぶん叩きのめしちまったからなぁ。ファルクが回復するまで、しばらくはそっちで調査を手伝うぜ」
「ええっ? いいんですか?」
「いいもなにも、同じことを調べてるわけだしな。ほかの調査部隊の連中も呼んで……おっと、その前にグラントのおっさんに命令撤回の連絡をしとかないと――」
懐から魔法の手鏡を取り出そうとしたシャイトだったが、ふとその動きを止めた。
同時にファルクも表情を険しくし、周囲に目を走らせる。
そんな二人の様子にエインセールが首を傾げたとき、木々が大きくざわめいた。
「……!」
息を呑むエインセールの視線の先、木々から吊り下がって、あるいは草叢から飛び出して、またあるいは地面を歩いて、そいつらは続々とどこからともなく姿を現している。
シュネーケンを襲撃したのと同じ小型蜘蛛の大群が、少年と若者と妖精を取り囲み、その眼を不吉に赤く瞬かせた。




