19:小鹿の森
その報せは、シュネーケンの騎士たちにすぐさま知れ渡った。
『手配中のノンノピルツの騎士が、都市の外へ逃亡した』
報告によれば、一度はその少年騎士を発見して追い詰めたものの、彼は転送石を用いてどこかへ消えてしまったのだという。
〝大妖精の転送石〟――転移魔法の力を封じこめた使い捨ての魔法道具である。使用者が記憶しているあらゆる場所への瞬間移動を可能とするこのアイテムは、高価な品ではあるが、危険地帯に派遣されることもある騎士が携行するのは珍しいことではない。
それを使われてしまっては都市の封鎖などまったくの無意味であったが、守備隊長のグラントはこの事態を想定していたのか、一片の動揺もなく迅速に部隊の指揮を執った。捜索部隊を複数編成して、小鹿の森へと送りこんだのである。
なぜその森にかと言うと、そこが逃げた少年騎士の目的地だからなわけだが――
「いったい、隊長はどのようなお考えでいらっしゃるんでしょうか?」
五人で構成された小隊の、先頭を歩く騎士がぼやいた。
森の中は明るく、視界は良好に保たれている。だが例の呪いが蔓延する今は、陽だまりに鹿たちが戯れていたようなかつてほどの長閑さはない。
昼夜を問わず魔物は獲物を求めて徘徊している。森を貫いて各地へ伸びる街道には、通行者の安全を守るために歩哨が一定間隔を置いて警戒についているが、それでも脅威を完全に払えているわけではない。もはやここは憩いの場ではなく、魔物の棲みかなのだ。
ましてや、つい先ほども都市に大群の襲撃があったばかりだ。いつでも抜剣できるよう腰に手を当てつつ、その若い騎士は後続の同僚たちに疑問を投げた。
「転送石を使われては追跡は不可能です。この森に逃げこんだという確証もありませんし。正直、無駄足を踏んでいるとしか思えないのですが……」
「おい、口を慎め」
重厚な甲冑で全身を覆った騎士たちのうち、身の丈ほどの戦棍を背負った騎士が短く戒めた。
長年シュネーケン騎士団に所属するベテランであり、この小隊のリーダーを任せられた彼としては、上官をなじるような言動は見過ごせない。だが彼自身も思うところがあるのか、口調には苦いものが混ざっている。
「例の騎士を拘束する命令が撤回されていない以上、軽々に打ち切るわけにはいかんだろう。たとえ腑に落ちなくとも、騎士ならば任務を遂行するもんだ」
「はい……」
「とはいえ、気が進まないのもわかる。あのノンノピルツの騎士には助けられたというのに、それを捕らえるんだからな。しかも理由もわからないまま」
例えばあの少年が捕まるべき罪を犯した人物だったのなら、命令がもたらされたときにそれも語られていただろう。それがなかったということは、よほど口に出すのも憚られることか、あるいは――
「――まあ、不可解ではあるが、我々は我々の成すべきことを成すだけだ。しっかり周囲に気を配れよ。目標を見つける前にまたあの蜘蛛どもに襲われたら、たまったもんじゃない」
「承知しました。ところで不可解といえば、あの蜘蛛も不可解でしたね」
いっそう注意深く周辺に目を走らせながら、若い騎士は思い出したように話題を振った。
「あいつら、眼の色が真っ赤でしたけど、普通の蜘蛛の魔物って、眼の色は青みがかってるというか紫っぽいんですよね。ずいぶん妙だなと感じました」
「言われてみれば、たしかにな。何か異常でもきたしているのか、はたまた新種・珍種の類か……っと」
小隊が向かう前方で木々がさっと割れた。その先に現れたのは、ひっそりと潜むように横たわる巨大な岩肌の洞穴だ。
ウーアシュルト洞窟。
石材の採掘場として利用される場所だが、大蜘蛛が巣を張る危険な地としても知られている。
「蜘蛛の縄張りですね……この中も調べますか?」
「無論だ」
洞窟にわだかまる闇は濃く、中は見通せない。冷気すら感じさせるようなその闇を、臆することなくリーダーの騎士は見据えた。
「怪しい場所は漏れなく調査する。中にはあの蜘蛛どももいる可能性が高い。全員、隊列を乱すことなく慎重に動け」
「いや、その必要はない」
その声が背後から聞こえると同時に、重い金属音が騎士たちの耳を打った。
弾かれたように振り返ったリーダーが目にしたのは、後ろを歩く三人の仲間のうち、一人が前のめりに倒れこむところだった。全身で地面を叩くように騎士が倒れ伏し、動かなくなる。
「お前、いったい何の真似だ!」
リーダーの怒号を浴びたのは、小隊の最後尾に佇む騎士だった。
隊の殿を務めていたその騎士の手には、たった今仲間を昏倒させた双剣が握られている。凶悪に閃く白刃に、騎士たちが各々の武器に手をかけるが、双剣の騎士が斬りこむ方が速い。
風を割って振るわれた双剣はその柄で、隊列中央にいた騎士の頭を殴打した。防具越しにも強かな衝撃に、騎士が錐揉みして倒れこむ。
倒れた騎士がぐったりと動かなくなったときには、繰り出されたさらなる連撃を、リーダーが背から引き抜いたメイスで受け止めていた。高い音を立てて弾き合うも、リーダーが苦く呻く。得物を取り回す速度は軽量な双剣が圧倒的に上だ。メイスを構え直すより先に、双剣が左右から牙を剥く。
凶刃を阻んだのは先頭の騎士だった。片手剣を抜き払うや双剣の前に躍り出て、二条の斬撃をがっちりと受け止める。押しこんでくるそれを振り払うように押し返し、間髪を容れず敵手へ腕に装着した盾を振り上げる。
顎を狙った一撃に、双剣の騎士がすかさずのけぞった。
だが、かわしきれなかった冑の下端が盾と触れ、冑だけが高く打ち上げられる。
「お、お前はノンノピルツの……!」
露わになった素顔に、騎士たちが驚愕に呻く。
一方で、後退して距離をとった双剣の騎士――ファルクは不愉快げに舌打ちした。
冑が脱げたせいで頬に擦過傷ができたが、それはたいしたダメージではない。それよりもファルクを苛立たせたのは彼自身の動きだ。
ファルクの持ち味は軽い身のこなしを活かした双剣捌きだ。なのに装備した甲冑のせいで敏捷性が減衰してしまっている。
今の交戦も、ファルクとしては一気に四人とも仕留めたかったのだ。せっかく偽の報告を掴ませて上手く都市の外へ脱出できたというのに、ここで手こずるはめになるとは。
「まあ、甲冑のおかげで出られたんだ。贅沢は言えないか」
本当に〝大妖精の転送石〟を持っていたらどれほど良かったか――そう少年が独りごちたとき、落下した冑が地面に跳ねた。その冑の内側から小さく悲鳴が上がったが、ファルクは気にも留めず、それが合図だったかのように土を蹴立てた。
残った二人の騎士のうち、リーダーはメイスで回復魔法を唱えられる。片手剣の騎士の真横を素早く抜き去ると、ファルクはリーダーに再び肉薄した。先に邪魔な回復手を沈めるべく刃を振り上げる――
「!」
ファルクが跳び退った。本能的とも言える動きでまた距離をとる。
攻撃の寸前に全身に走った悪寒――それが殺気だったのだと知覚したのは、飛来した大鎌が先ほどまでファルクがいた場所に突き立ったのを目撃してからだ。
「なるほどな。うちの騎士に変装するとは度胸のあるヤツだぜ。ノンノピルツは変人ばかりって話だが、お前みたいなのもいるんだな」
いつの間に近付いていたのだろう? 洞窟方面から長身の若い男が歩いてきていた。細く引き締まった体は豪奢な金の羽飾りが目立つ軽装に覆われていて、しなやかな優美さを醸し出している。
引き抜いた大鎌を肩に担ぐと、その男は眼鏡の奥の瞳に優しげな光を灯して少年に呼びかけた。
「とはいえ、ここまでだ。おとなしく捕まっときな。さもなきゃ少し、痛い目見るぜ」




