1. 石の向こうの主役
控室の照明が、肩をじりじり熱くする。豹堂が、前夜に俺が出した企画書を卓へ戻した。ゴブ助の目線で通路を映す案だ。豹堂は、もう紙を見ていない。
「魔物の配信など売れない。お前は今日で外れてくれ」
S級探索者・豹堂迅の配信チームで、俺、唐沢航は三年、企画と裏方をやってきた。
頭帯を持ち直す。確認画面に、俺の黒い無造作な短髪が映る。
「分かった。ゴブ助は俺が連れていく。頭帯もカメラも私物だ。こいつまで置いていく理由はない」
「勝手にしろ。お前の物まで取り上げはしない」
「三年だぞ。今日の下見図も、俺が組んだ。それで、もう要らないのか?」
「だから礼は言っておく。だが画面に要るのは、俺の腕だけだ。お前の名前を出せば、剣が速くなるか?」
返事が早い。三年ぶんの段取りが、二言で片づく。企画書の角が、握った形に折れた。俺はそれを広げ直す。
相棒のゴブリンのゴブ助は、いつも画面の外で荷物番だった。
膝の下で、相棒が背の小袋を背負い直す。豹堂は俺の下見図を自分の荷へ入れ、もう一度だけ俺を見る。
「この道で進む。箱までの印もある。お前の説明はもう要らない。低い位置から撮れば、俺の剣も顔も入らん。客は俺の腕を待ってる」
カメラ係が、控室の扉から顔を出した。
「豹堂さん、入場の時間です」
図の印の説明だけは言いかけて、口を結ぶ。天井の低い所には、もう赤で印を付けてある。図にも企画書にも、俺の名前はない。いつものことだ。その空白が、今日はやけに広い。俺は戻された企画書の角を折り、相棒の袋へ入れた。
「行くぞ、ゴブ助。荷物番は今日で終わりだ。俺たちの出番は、俺たちで決める」
「ギッ、ギッ」
「袋は俺が持つ。そこから先は、お前の見てる道を撮る。俺の後ろじゃなくて、お前の目の高さでな」
企画書の入った袋を抱え、ゴブ助が俺の靴へ並ぶ。俺は差し出した手を引っこめる。
「……渡さないのか? いいよ、それはお前の袋だ。俺の企画書まで運んでくれるのか?」
小さな足音が、控室の床で二つ鳴った。
◇
駅前ダンジョンの入口は、夏の終わりの湿気を地下へ吸いこんでいる。入場の係員が、資格と登録札を見比べる。
「唐沢さんと相棒の登録を確認します。一般級とテイムですね。札は撮影中も外さないでください」
「外さない。こいつは俺の相棒だって、ちゃんと見せてくる。名前も、顔も」
係員が、少しだけ口元をゆるめた。
「撮影ですね。足もとに気をつけて。いい顔の相棒さんだ」
首輪を表へ向ける。札の字は、ゴブ助、唐沢航。若草色の細い首が、誇らしげに伸びる。
外されたその日、俺はゴブ助の頭に小さなカメラを付けた。
ゴブ助の苔緑の短い逆毛が、帯からはみ出す。焼き芋を一切れ小袋へ入れると、大耳がぴくりと動いた。三年前、芋を置いて通った窪みで、こいつのほうから空袋へ寄ってきたのだ。あの日と同じ顔に、俺はつい笑ってしまう。
「似合うぞ。俺より、ずっと」
帯の上で跳ねる相棒の大耳を避け、俺は留め具を確かめる。
「引けば外れる。耳は空いてるな? この手が上がったら、箱より袋だぞ。途中でも袋まで戻れ。箱は逃げない」
「ギッ!」
袋の横で顔を上げる相棒へ、俺は屈む。手首の画面には、膝の高さの通路が映る。
「ゴブ助。今日は、お前が主役だ」
同時接続3人。前の企画を見ていた名前が、画面の端に並んだ。たった三人でも、こいつの画面を待っていた人数だ。
枝道では、靴音がすぐに戻る。柱と壁の隙間は、俺の肩より狭い。窪みの段には、持ち主のいない宝箱がある。拾える石を二つ、袋の横へ寄せた。相棒が帰る角と、箱へ抜ける道を目で合わせる。
同じ階層の、同じ通路。向こうから、豹堂の生配信の一行がやってくる。
低い天井を、豹堂の赤銅色の撫で髪がかすめた。赤い印の真下で、ほんの少しだけ首を傾げる。柱の両側を見比べ、箱へ重心を向けた。
「何やってんだ、お前ら……」
「何って配信に決まってるだろ?」
「ははっ! 先に取って、腕の違いを見せてやる。お前の道を歩くだけなら、俺のほうが速い」
「速いのは知ってる。三年、後ろから撮ってた。けど、今日は同じ道を歩くつもりはない」
「なら、後ろで撮ってろ。そいつの出番は一秒もない」
「さぁ? それはどうかな……」
手首に映る相手番組は八千人だ。
カリカリッと奥の割れ目から爪音がして、豹堂とカメラ係が一度そちらを向く。巣穴の口は細い割れ目で、昼は出てこない。箱はその三歩手前の段だ。俺は袋を見せる。
「ゴブ助、割れ目から影が出たら袋まで戻れ。いいな?」
相棒は袋へ鼻先を向ける。俺は首輪の札を映した。
「みなさん、箱は先に触れた探索者か、登録された魔物の物です。札を着けた魔物への攻撃は禁止です。挑むのはゴブ助、登録済みの俺の相棒です。向こうの一行に、先着の勝負を申し込みます」
「客の前で勝負を申し込むか? 三年、後ろにいた男が、俺に?」
「後ろにいたから、道を知ってる。こいつが通れる所もな」
声が硬い。画面に映るのは相棒の靴先だけなのに、手のひらが汗で湿る。豹堂が開始位置を示し、俺は石を拾った。
「石は使っていいか?」
「石? 当てなきゃ構わん。この通路の開始位置から、合図で箱への先着だ。攻撃も接触妨害も、相手の物を動かすこともなし。その条件でいいな?」
刃と隙間のあいだには、柱が入る。俺は相棒の耳へ、そっと手を下ろす。
「その条件でいい」
カメラ係が開始位置を映し、合図を出す。手首の画面で、靴と剣が壁になる。
ゴブ助は柱の陰に隠れ、拾った石をころんと転がした。
石は囮だ。爪音に、転がる音が重なる。豹堂は背後のカメラ係を庇い、剣を音へ向けた。速い――。
「うわぁ……」
小声しか出なかった。手首の同時接続が48人へ動く。
「うわっ! しまった!」
豹堂がしてやられたと気付いた時にはもう、反対側の隙間から相棒の手が箱に届いた。ゴブ助は先に俺を見る。こいつは自分で帯を外して箱の縁へ置き、上がった口角を映す。
「ギッ!」
得意顔は教えていない。
帯を回収して箱を開けると、布と金具が残り、箱は消えた。相手の画面が首輪の名へ寄る。俺の欄へ〈そっちが主役かよ〉〈S級のほうが見失ってる〉。
剣では、豹堂に一生かなわない。それでも、小さな体には小さな体の勝ち方がある。
それを一緒に考えるのが、俺は昔から得意だった。
豹堂がカメラへ向く。豹堂の濃紺の鋭い目が、手首の画面にも映った。
「ふんっ、小賢しいことやりやがって。魔物の配信なんか、誰が見る?」
「さぁ? 見るかどうかは視聴者が決めることだろ?」
俺の横で肩を張る相棒を見ながら、豹堂は残した石を靴で示す。
「石に頼るようなこと、いつまでも続かんぞ」
「なら次は、石を使わない」
「言ったな。忘れるなよ」
相棒が、箱のあった場所へ顔を寄せる。俺は手首に映る顔を追う。
「……ゴブ助、近い。喜んでるのは分かった。だが、お前の顔で勝った場所が見えない」
俺は配信に向けて声を整える。
「みなさん、ゴブ助が頑張りました。これからもよろしくです」
ゴブ助が画面へ寄せた山吹色の丸い目をパチクリとさせた。
◇
手首の画面に〈ゴブ助!〉〈札から来た〉が流れる。同時接続620人、登録180人。湿った石の匂いの中で、三年、肩の下にいた相棒を、俺は画面の真ん中に見ている。
「ゴブ助、お前の名前が流れてるぞ。読めないだろうけど、ほら」
腹の底が熱くて、留め具を締め直す指が少し震えた。俺はカメラを自分へ向ける。俺の茶褐色の伏せた目が、確認画面に映る。
「みなさん、これは、その……ゴブリンの活躍を追う企画で。企画と撮影は俺で、名前は……えっと、俺は……」
自分の名前が、喉で詰まった。ゴブ助の名前なら、いくらでも呼べる。袋の横から、相棒が俺を見上げる。
「ギッ!」
俺は帯を、相棒の高さへ戻した。紙の角より、いまの留め具のほうが手に馴染む。
「今日の主役は、倒されるはずの魔物です」




