第ニ章 レーシーの役目
森に置かれている物体は、魔術的な力を蓄えるための仕掛けらしい。
サエキは術式の構造を読み取り、封じるための処置を施した。力の流れを断ち、物体に込められた魔術的な働きを止める。完全に破壊するものもあれば、術式を封じてから取り除くものもあった。
レーシーは森の側から協力した。
物を見ればサエキは魔術的な要素を感じとれるし気配を探ることはできる、だがレーシーのようの森との対話や森全体の違和感を感じることはできない。
「この先にもある。大きな木の根元だ」
「分かった」
「その先は、私が感じ取れない。力の流れが途切れている」
「魔女が仕掛けを隠しているのかもしれないな」
「あるいは、私の力が届かないだけかもしれない」
「どちらにしても、確認する必要がある」
作業を進めるうちに、森の空気が少しずつ変わっていった。
最初に感じた不自然な圧迫感が薄れ、木々の間を通る風も、本来の流れを取り戻しつつある。
だが、すべてが終わったわけではない。
サエキは最後に残った物体を調べていた。
他のものよりも大きく、複雑な記号が刻まれている。周囲に配置された仕掛けの中心にあたるものだろう。
「これが核か」
「そうだ。ここから、あの女の力が流れている」
「これを止めれば、仕掛け全体が崩れる可能性が高い」
サエキが封じる準備を始めた、そのときだった。
「やめなさい」
女の声が森に響いた。
振り返ると、あの魔女が立っていた。
先ほど焼かれた頬には、黒ずんだ傷が残っている。人間の皮膚に見えていた部分が裂け、その奥から異様なものが覗いていた。
「あなた……よくも私の顔に傷をつけてくれたわね」
「まだ治っていないのか。思ったより効いたようだな」
「黙りなさい!」
魔女の視線が、サエキの手元に移る。
「それを壊すつもりなのね」
「当然だ。森に仕掛けたものを、そのままにしておく理由がない」
「私の力を奪うつもり?」
「この森から力を集めるのをやめてもらうだけだ」
「人間が……!」
魔女の周囲に、黒い靄が広がった。
その向こうで、レーシーが姿を現した。
魔女はそちらを見て、憎悪を露わにした。
「あなたまで、まだ私の邪魔をするの?」
「これ以上、誰も犠牲にはさせない」
「あなたの仲間たちと同じように、あなたも消してあげる」
「やってみろ」
レーシーの声は静かだった。
サエキは二人の間に立ち、魔女へ向き直った。
「待て。こいつの相手は私がする」
レーシーがサエキを見た。
「一人で戦うつもりか」
「そうだ。あんたは残った仕掛けを見張っていろ。こいつを逃がすわけにはいかない」
「私も戦える」
「分かっている。だが、今ここで力を使い切るわけにはいかないだろう。あんたには、森を守る役目が残っている」
レーシーはしばらく黙っていたが、やがて一歩下がった。
「分かった。だが、危険だと判断したら介入する」
「その必要はないさ」
サエキは魔女へ視線を戻した。
「それに、こんな程度の魔女なら、人間の私一人で十分だ」
魔女の顔が歪んだ。
「人間風情が……!」
「さあ、来い。今度は顔綺麗にするだけでは済まないぞ」
「絶対に許さんぞ!!」
魔女が両手を広げた。
森の空気が一変する。
地面から黒い影が伸び、木々の間を縫うように広がった。影は幾重にも重なり、サエキの足元を覆おうとする。
サエキは後方へ跳び、影の広がる範囲から離れた。
魔女の攻撃は幻術だけではない。先ほどまでの仕掛けから集めた力を使っているのだろう。森の一部を利用し、サエキの動きを封じようとしている。
サエキは魔女の手元を見た。
指先に刻まれた記号が、淡く光っている。
あれが術式の起点だ。
サエキは法力を集中させ、白い炎を放った。
魔女は身をひねって避けたが、炎は腕をかすめた。魔女が苦痛に顔を歪める。
「小賢しい!」
黒い靄が膨れ上がった。
今度は、サエキの周囲に複数の魔女の姿が現れる。どれが本物か分からない。先ほどよりも強い幻術だった。
サエキはすぐには攻撃しなかった。
目に映る姿だけを追えば、相手の術中に陥る。足元の感覚、空気の動き、魔力の流れを確認する。
一つだけ、他の幻とは違う反応があった。
サエキはそこへ向けて踏み込んだ。
拳を振るう。
手応えがあった。
幻が砕け、魔女の姿が露わになる。
「そこだ」
サエキは続けて法力を放った。
白い炎が魔女の肩を焼く。魔女は後退し、木の幹に手をついた。
「なぜ……人間が、私の術を……!」
「術式の仕組みを見れば、対処のしようはある。何でも力任せに押し通せると思わないことだ」
魔女は歯を剥いた。
次の瞬間、地面が揺れた。
周囲に残っていた仕掛けの一部が反応し、黒い力が魔女へ流れ込む。まだ無力化されていないものが残っているらしい。
サエキは舌打ちした。
「まだ残っていたか」
「この森は私のものになる。あなたたちが何をしようと、私の力は尽きない!」
「そうか。なら、尽きるまで相手をしてやる」
サエキは懐から小さな包みを取り出し、地面へ投げた。
封じのために用意していたものだ。魔女へ向かって流れる力の一部が乱れ、黒い靄の勢いが弱まる。
その隙に、サエキは間合いを詰めた。
魔女の爪が伸びる。
サエキは身をひねってかわし、法力を纏った拳を放った。
人間の姿をしているが、その力は人間のものではない。正面から押さえ込むのは危険だ。
サエキの拳は魔女の顔面に叩きみ、魔女を地面へ叩きつけた。
だが、魔女はすぐに起き上がった。
「貴様ぁぁぁぁぁ!」
黒い靄が爆ぜた。
サエキは法力を纏った腕でガードをして、横へ転がった。
魔女は笑った。
「ははは!どうだ!!! 人間の身体では、私には勝てるわけがない!!!」
「おめでたい頭だ」
サエキは小さく呟くと呼吸を整えた。
「感情的になって何も気付いていない」
魔女の力が、少しずつ不安定になっている。
仕掛けからの供給が途切れ始めているのだ。レーシーが残りの物体を見つけ、力の流れを妨げているのだろう。
魔女は度重なるサエキの挑発とダメージぜそのことに気づいていない。
サエキは腰に携えていた銀の剣を抜いた。
魔女の目が剣に向いた。
「そんなもので、私を倒すつもりか!?」
「試してみる価値はある」
サエキは剣を構えた。
銀が魔女に有効だというわけではない。だが、銀は様々なモンスターに効果があり魔女にも有効的だと言われている。
ただ確証はない。
しかし、今までの経験では有効なことが多かった。
魔女が銀の剣を警戒している。
その反応だけでも、試す価値はあった。
「来い!!!!」
魔女が叫び、黒い靄を放つ。
サエキは横へ動き、攻撃をかわした。剣を振るう。魔女の腕に銀の刃が触れた瞬間、黒い靄が弾けた。
魔女が悲鳴を上げる。
「やはりな」
銀の刃が触れた部分から、魔女の身体に亀裂のようなものが広がっていた。
魔女は後退し、両手で腕を押さえた。
「なぜ……そんなものが……!」
「魔女という奴らは相変わらず自分の興味のあることは善悪を無視してまで研究するくせに、自分たちのことは勉強すらしないな」
「人間ごときが!!!!」
魔女は怒りに任せて飛びかかってきた。
サエキは剣を構えたまま、相手の動きを見極める。
魔女の攻撃は速い。だが、先ほどまでのように力を集めることはできていない。仕掛けの大半が無力化され、森から得られる力も弱まっている。
それでも、油断はできない。
魔女の爪がサエキの胸元をかすめた。
サエキは一歩踏み込み、相手の腕を剣の柄で押し返す。魔女の身体が傾いた。
その瞬間を逃さなかった。
銀の剣を、魔女の胸へ突き立てる。
刃は心臓の位置を貫いた。
魔女の身体が大きく震えた。
「そんな……人間に……」
「終わりだ」
サエキが剣を引き抜く。
魔女の身体に亀裂が走り、黒い靄が噴き出した。人間の姿が崩れ、輪郭が保てなくなる。
魔女は何かを言おうとしたが、声にはならなかった。
やがて、その身体は黒い灰のように崩れ、風に散っていった。
森に静寂が戻った。
サエキはしばらくその場に立ち、周囲の変化を確認した。
魔力の流れは弱まっている。だが、完全に消えたとは限らない。残された仕掛けがないか、もう一度確認する必要がある。
「終わったのか」
レーシーが近づいてきた。
「ああ。少なくとも、あの魔女はもういない」
「森に残った仕掛けは?」
「すべて無力化できたか、これから確認する。念のため、もう一度見て回ろう」
レーシーは頷いた。
二人は森の中を歩き、残された物体を確認した。
魔女の力が消えたことで、仕掛けの多くはただの物体に戻っていた。サエキは危険がないことを確かめてから、取り除いていく。
最後の一つを処理し終えたとき、森の空気が明らかに変わった。
重苦しさが消えている。
風が枝葉を揺らし、遠くから鳥の声が聞こえた。
レーシーは木々を見上げた。
「戻ったな」
「森の状態は?」
「少なくとも、あの女の力は感じない。ここに置かれた仕掛けも、もう働いていない」
「なら、ひとまずは解決だ」
「そうか」
レーシーはサエキを見た。
「お前がいなければ、あの女を止めることは難しかっただろう」
「私一人の力じゃない。あんたが仕掛けの場所を教えてくれたから、術式を見つけられた。協力した結果だ」
「それでも、礼を言う」
「こちらこそだ。」
サエキは剣を収めた。
「これからどうするんだ?」
「私は自分の森に戻る。」
「それがいいだろうな。」
「魔女はいなくなったが、森の脅威は魔女だけではない。」
「そうか」
「ササヤマという人間は、もう大丈夫だろうか」
「魔女が消えた以上、彼を狙う理由もなくなったはずだ。周囲の異変も収まるだろう。ただ、本人があんたを怖がっていることは変わらないかもしれない」
「それで構わない」
レーシーは森の奥へ視線を向けた。
「彼は、私のことを知らなくていい。森に何がいたのか、何が彼を守っていたのか。それを知る必要はない」
「それが、あんたの望みか」
「そうだ」
レーシーは一歩、木々の間へ踏み出した。
「私は森の道を知っている。人間が迷う道も、森が隠す道も。だが、人間に道を教えることだけが私の役目ではない」
「そうだな、レーシーにはレーシーの役目がある。」
「お前は、私を恐れないのか」
「危険がないと判断したわけじゃない。あんたが今まで何をしてきたか、何を望んでいるかを聞いた。それだけだ」
「人間らしい答えだな」
「人間だからな」
レーシーはわずかに笑ったように見えた。
その姿が、木々の間へ溶け込んでいく。
やがて、そこに何かが立っていたという気配さえ薄れていった。
サエキは森を見渡した。
静かな森だった。
*
後日、社長から連絡があった。
山で見つかっていた奇妙な記号や物体は、それ以降、増えていない。社員たちが感じていた不安も薄れ、作業は通常どおり進められるようになったという。
ササヤマにも話を聞いた。
彼は、以前のように誰かに見られている感覚がなくなったと話した。ただし、森の中で何かを見た気がすることは、今もあるらしい。
「もう大丈夫だと思いますよ」
サエキがそう伝えると、ササヤマは安心したように頷いた。
「ありがとうございます。これで仕事に集中できます」
「念のため、しばらくは山の様子を気にしておいてください。妙なものを見つけたら、触らずに連絡を」
「分かりました」
ササヤマは真面目に返事をした。
彼は知らない。
海外の森で何が起きたのか。自分が注意した女性が何者だったのか。そして、日本に帰ってから感じていた視線の正体が何だったのか。
森には、まだ何かがいる。
サエキはそう考えていた。
ササヤマが森の中で何かを見たとき、それがレーシーだったのかどうかは分からない。だが、今もどこかで木々を見守っているのだろう。
あれは人間のために森を守っているわけではない。
森を守ることが、あれの在り方なのだ。
そして、その森に生きるものを守るためなら、人間を助けることもある。
サエキは山を離れた。
背後の森から、風が吹いた。
木々が揺れる音が、誰かの足音のように聞こえた。
振り返っても、そこには何もいなかった。
異聞始末録 記録者 サエキ
今回の事件は、海外の森を侵していた魔女が日本へ渡り、森林管理に携わる青年ササヤマを狙ったことから始まった。 魔女は森に複数のタリスマンを設置し、そこから力を集めていた。 ササヤマは事情を知らぬまま、それらを片付け、魔女の計画を妨げていた。 森の精霊レーシーは、かつて魔女に仲間を利用され、失った過去を持つ。 同じ被害を繰り返させないため、ササヤマを守りながら魔女を追っていた。 レーシーと協力し、森に設置された護符を無力化した。 最後に魔女と交戦し、銀の剣で心臓を貫いて討伐した。 レーシーは元の森へ戻った。
だがこのレーシーは一時とはいえ自分の森を離れ人間を守ることを選んだ。、 人間に理解されることを望まず、ただ森を守る存在もいる。 森の中で感じる視線が、必ずしも人間に害をなすものとは限らない。




