CASE1 没個性
秘密を持たない人間などいるのだろうか。きっといないだろう。人は誰しも秘密を抱えているものだ。同じものを複数人で視聴していたとして、感じ方や捉え方は三者三様であるといえる。その状況で感想を求められたとする。自分は一番最後に意見することになり、最初の一人が意見する際に自分の意見とは正反対の意見を提示したとする。さらに、一番最後に意見する自分以外の意見が最初の一人の意見に近しかった場合、自分の意見を否定されたと感じた人はどうするだろうか。それでも意見を曲げずに自分の意見を言える人もいれば、他の人の意見に同調する人もいる。きっとそれは自分が他人の中の普通という尺度から離れてしまっていると感じるからだ。人は好き好んで変人扱いされる人は少ないだろう。自分を貫き通しているという点で美徳とされるべき点を人は自ら手放す。普通から逸脱した人は変な人若しくは普通ではない人となり得ないからだ。
人はそれぞれ自分の中の平均を「普通」と表す。
「今日の気分は?」と問われた際に
「普通だ」
と答えたとすると気分の度合いにの平均が普通なのか、いつも通りの気分で、今まで直近の数か月や数年など個人の考える直近の日々の大半が良い状態、悪い状態に傾いていたとしてその頻度から平均をとったとった場合で、良い状態に傾いているのか悪い状態に傾いているのか、その人の日常の気分を知らない人には良いのか悪いのかなんて分からない。一概に「普通」といってもどの尺度を用いて、何を基準に平均をとり「普通」と言っているのかは本人にしか分からないのだ。
「普通」という言葉は便利な点もある。人は「普通」だといわれるとその普通を自分の尺度の「普通」で処理しようとする。「普通」なのだから「きっと私の中の普通であるこういう気分だろう」とかってに憶測し完結してくれる。会話を手短に終わらせたい場合には持って来いというわけだ。
”カラン、カラン” とお店の鈴が鳴ったのは平日の12時55分ちょうどであった。鈴の音が鳴り30秒と経たずにお店の電話が鳴る。そっと受話器を上げる。こちらは相手が話すまで何も話さない。ここは秘密の館だから。
「秘密の館はこちらでしょうか」
と相手が問う。
「ええ、秘密の館でございます。」
秘密の館を利用する人はリピーターであってもこの質問をする。外には看板も無く何の変哲もない家のような外観であり、利用者でなければこのお店には辿り着くことはできないのだ。お店には玄関の様な扉があり、その扉を通過すると二重扉のようにもう一つ扉がある。二つの扉で挟まれた空間には大きめのフードの着いたローブと大きめのジッパーの着いた黒いバッグがある。ローブを着用し深くフードを被る。洋服とローブを除く所持品は大きなバッグに入れてもらう決まりだ。その装いを不完全なままに二度目の扉を通すことはできない。こちらが秘密を知りすぎないためだ。こちらが秘密な分、相手にも秘密を厳守してもらう必要がある。秘密の館というお店の存在のすべてが秘密。もちろん電話番号さえも。お店の所在地に関しても秘密だ。
ここで疑問を持ちそうなところを一つ解説しておくことにする。先ほどお店に掛かってきた電話のことだろう。二つの扉に挟まれたその空間に用意したローブの上に子機を用意している。予約完了時に送信したダイレクトメッセージにこのように記しておく。
”没個性様
この度は秘密の館をご予約いただき誠にありがとうございます。ご利用に際しまして注意点がございますので本メッセージをご利用日までにご確認ください。なお、このメッセージは再送信いたしかねますのでご了承ください。
ご利用方法
到着後は速やかに用意された子機のワンタッチダイヤルの ”1” を選択し、電話をかけてください。こちらは電話には出ますが無言で待ちますので、「秘密の館はこちらでしょうか」とこの文面通り変更することなく伝えていただきますようお願いいたします。「ええ、秘密の館でございます」とこちらが返答いたしますので、その後はそのまま切ってください。子機の下に用意されたローブのフードを深く被り2つ目の扉を通過してください。なお、靴は履いたままお進みください。その後は受付にて着用されている洋服とローブを除く所持品はお預かりさせていただきますので、過度な貴重品の持ち込みやスマートフォン等を初めとした電子機器等のお持ち込みはお断りしておりますのでご了承ください。なお、眼鏡やサングラス等もアクセサリーとして、お預かりさせていただきます。スマートフォンや携帯電話、スマートウォッチ等の電子機器は予めどこかにお預けしていただきますようお願いいたします。なお、遅刻された時間分の差し引きは致しかねますので時間は厳守していただきますようお願いします。これらのお願いが守られていない場合は、案内をお断りするほか、お客様の秘密が漏れた場合の責任をこちらでは負えませんのでご了承ください。なお、案内をお断りした場合、迷惑料としてご利用金額半分を上乗せした、ご利用金額の15割をお支払いいただきますのでくれぐれもご利用方法を守っていただきますようお願いします。
キャンセル方法
キャンセルの際はこちらのメールにキャンセルする旨の返信をお願いします。
キャンセルはご予約日の2日前まで可能です。前日および当日のキャンセルはできませんのでご了承ください。
ご予約日時:2025年10月1日(月曜日)午後1時
ご予約メニュー:1時間相談コース
今回のご利用金額は1万円です。
決済方法は現金のみとさせていただいております。
当店の所在地につきましてはご予約日の前日に再度メールを送信させていただきますのでご確認ください。
ご来店を心よりお待ちしております。
秘密の館”
予約完了メッセージを受信した際、私はとんでもないところの予約を取ってしまったのではないかと不安になった。予約日の2日前には再度キャンセルの意思がないか確認のメッセージが来た。キャンセルの場合のみ返信をと書いてあり、悩みながらもその日私が返信することはなかった。翌日お店の住所の書かれた画像が送られてきた。画像は保存できずスクリーンショットした画像は真っ黒で何も映らないように設定されていた。画像自体の表示は期限付きで、予約日時に消去されるようだ。幸いなことに遠方にあるというわけではなく1時間もあれば時間に余裕をもって到着することができる距離であった。徹底するかのようにお店のことを隠そうと秘密にしようとしていることに好奇心をくすぐられるようになっていた。
相談日当日、不安より大きくなっていた好奇心が嘘かのように、好奇心よりも不安が大きくなっていた。仲の良い友達との楽しみにしていた約束の前に感じたことのあるこの胸の中で広がるような漠然とした不安が私の思考を止めようとしている。
11時50分ごろ、1時間ほど前に近くバス停についていた。10月に入り急激に冷え始めたのか長袖を着ているのにも関わらず少し肌寒い。このまま1時間外で待つには風邪をひきかねない。バス停の向かいの歩道側にカフェがあるのが見えた。若者をターゲットにした韓国カフェというわけではなく、喫茶店を模したようなカフェであった。初めて来るお店に入るのは緊張するものだ。予約が必要なのかとか注文システムとかいろいろ考えるとお店のドアの前でまで来ていたつま先が、ドアの方向から逸れていった。しかし見渡せど、繁盛してるお店は長い列をなしており、寒さしのぎはできそうにない。スマホも持っていない今近くにお店があるのかすらも分からない。覚悟を決めて扉を開けた。緊張してつい力んでしまったのか扉を勢いよく開けてしまった。店内に響き渡る来店を知らせる電子音と喫茶店を思わせるレトロな内装が今がいつであるのか分からなくさせる。困惑していると私より少し若いだろう店員さんと思わしき女性が
「いらっしゃいませ」
と声をかけてきた。その声は明るかった。
「何名様でしょうか」
と尋ねられるがその女性の顔と声色には不安や緊張が宿っているように感じる。
「1人です」
と人差し指を立てながら言うと女性は安心したのか表情が和らいだ。
「ご案内いたします」
という彼女の声は柔らかく心地よいものであった。その後、2人席へ案内された。A4サイズのラミネートされたメニュー表がクロスで拭かれたテーブルに張り付いているのも懐かしさがあっていい。今はもうほとんどがタッチパネルで頼んだものを運んでくれるのも配膳ロボットで支払いはセルフなものが多い。人と接することなく入店から退店まで済ませることが可能なのだ。来店を知らせる音だけが電子音の様で、席には呼び出しベルやタッチパネルはない。この後控えている予定を考えると食事は喉を通らないだろうからホットココアを頼むことにした。頼む物が決まって顔を上げるとこちらが声をかける間もなく、先程席まで案内してくれた女性の店員さんが察してくれた。
「ご注文をお伺いいたします」
という彼女には自信が宿っていた。それもそうだ顔を上げただけですぐに接客してくれるのは心地良いもので、普通になりかけた人と接することなく入店から退店までが済んでしまうサービスも気楽で良いが、このようなサービスは再度利用したいと思わせるほどに乾ききった私の心を潤した。ココアを注文し、待っている間もスマホがないと落ち着かなくなってしまっていたようで、お店の隅々を見渡した。ホットココアの提供までの時間はあっという間であった。温かいココアが冷え切った私の体の末端まで巡っていくのを感じた。こんな事ならば小説でも持ってきておけばよかったと思った。数年前までは書店で買っていた小説も今は電子書籍を買うようになっていた。温かいココアに微睡んでいると入店から40分程経過していることに気が付いた。残りのココアも僅かになっていた為、一気に流し込んだ。口の中が甘さで満ち満ちていた。会計を済ませ、本題の店に向かった。
お店には予約の10分前に到着していた。しかし早すぎるのも相手の不都合になるかもしれないと場所を探すふりをしてやり過ごした。近くに薄暗く落ち着いたアパレルショップがあったがこの後の予定を考えると入店は控えた方が得策であった。秘密の館は住宅街に溶け込むように、外観はどこにでもあるような普通の家の様であった。看板も無く、館という言葉から少し不気味な建物だろうと思っていたが、どこにでもあるような普通の家の様であった。違和感があるとするならば表札らしきものはあれど、彫刻がなく表札の役割を果たしていないところだろうか。予約の5分前になる頃に秘密の館のドアを手をかけた。
ドアを開け一歩進むと暗幕のような真っ黒な布がカーテンのように光を閉ざしている。布と布の合間から中へ入る。暗いが、ランタンの形のランプの暖色の灯りがほのかにあたりを照らしており、暗いながらにもダイレクトメッセージにもあった電話の子機とローブ、大きな黒のバッグの存在や子機のワンタッチダイヤルの番号等は確認できた。子機のワンタッチダイヤルの1を押して電話をかける。相手が受話器を上げた音はするが、無言であった。ダイレクトメッセージに記載してあった通りの問いを投げかける。
「秘密の館はこちらでしょうか」
という問いに
「ええ、秘密の館でございます。」
と相手は落ち着いた声で返答した。その返答を待ってから電話を切った。電話を切るとローブを洋服の上から着用した。ローブを頭から通すときふわっと金木犀の香りを感じた。ローブ生地はサラサラとしていて心地よく思ったより厚みがありしっかりとした素材ということが分かった。掛けていた眼鏡を眼鏡ケースにしまい、腕に身に着けていた時計と一緒に鞄入れ、鞄ごと黒い大きめのバッグの中に入れチャックを占めた。鞄も思ったよりもしっかりとした材質で、中に入ったカバンのサイズや形が分からないようになっていた。フードを深くかぶると視界は狭くなり足元くらいしか見えなかった。2つ目の扉を開けると先ほどのローブからも香った金木犀の香りが強く、しかしキツイという程ではなくぼんやりとしていた香りに輪郭ができた程度の香の強さであり、先ほどよりは少し明るいがそれでも暗く不気味な感じが好奇心を駆り立てる。フードで狭くなった視界でも歩けるようにされているのだろうか、床に張られたテープの上をなぞるように進む。視力の弱い人に配慮してかテープは太く貼られており、黒い床に分かりやすく張られた白のテープは認識しやすかった。廊下の両脇の床に等間隔に並べられた暖色のランタンを何個かすぎた後、テープが壁か何かに突き当たった。きっと受付だろうと思い、
「13時に予約しておりました。没個性と申します。」
と名乗った。ここでは本名は不要だ。ここで聞いたこと、その人の姿や顔もすべて秘密。それがここでのルール。ここで晒し出せるのは、声と内に秘めた悩みのみ。
「こんにちはどうぞお越しくださいました。お荷物こちらでお預かりさせていただきます。現在、着用されている洋服やローブの他に所持されているものはございませんか?」
なぜそんなにも所持品を気にするのだろうか。そんなことを思いながら
「ありません」
と伝えながら、荷物を預ける。受付で荷物を預かってもらった後、
「ご案内します」
と狭い視界の中に暖色の灯りが広がったのと同時に、視界の右側から黒い手袋に覆われた手が伸びてきてた。声から先ほどまでの受付の人とは異なる人だということが分かった。うなずきながら手を差し出された手に乗せる。
受付の人、案内人、先ほど電話で話した人のどなたが相談の担当者なのだろうかと思った。はたまた相談はまだ登場していないのだろうか。そんなことを思いながら手に導かれるまま歩みを進めた。先ほどとは異なり床に暖色のランプは置かれていなかった。暗闇の中、訳も分からないまま歩くのなんて不安を感じる所なのだろうが、こちらに合わせて歩幅を揃えてくださるのでさほど不安は感じない。
案内役が扉を3回叩き、先ほど電話で聞いた声が
「どうぞ」
と声をかけた
「ルル様、お連れいたしました」
と電話の声の主はルル様と呼ばれているらしい。
「こちらにお掛けください」
という案内役の指示と一緒に預けていた右手が、椅子の背もたれと思われる部分に触れた。それと同時に椅子の横につるされたランタンの灯りで椅子の向きを確認することができた。私が椅子に座ったことを確認したのか吊るされていたランタンの灯りが遠くなるの同時に
「どうぞお越しくださいました」
というルル様の声は落ち着きがあり、
「外は晴れてましか?見ての通り灯りはこのランタンだけで外の音が聞こえるわけでも無いですから外の情報がないのです。」
「えっと」
突然の問いに戸惑ってしまった。すると、戸惑っていた私に気づいてか
「名乗るのがまだでしたね。私、相談役のルルと申します。ルルとお呼びください。」
と続けた。
「えっと、私は没個性と申します。没個性では長いので、没とお呼びください」
「では没さんと呼ばせていただきます。」
「早速ですがあなたの秘密を教えてください」
「私の秘密は”普通”です」
不安がなかったわけではないが、。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
「相手の顔色を窺って生きてきました。気づけば、私の好きなもの、私の気持ち、自分が分からなくなってしまったのです。」
「それで”普通”が秘密なのですね。」
「ええ。」
「没個性とは悪く言えば自分の意見を持たず流されやすい、良く言えば協調性があるといえるものです。没さんは現在、没個性をどちらの意味で捉えますか?」
「えっと」
また、私は言葉を詰まらせた。
「まだ緊張されてますかね」
「はい」
「そうですよね。緊張をほぐすのに世間話などいかがでしょうか?」
また少しの沈黙が流れる。しかし、その沈黙も嫌なものではなく、適度な間でルル様が話し始めた。
「勝手に話しますね。中学生の頃の話なのですが、英語の授業の初めに毎回気分を聞かれるんです。なので没さんにも今の気分をおたずねしても差し支えないでしょうか?没さんだけに今の気分を言わせるのも公平性に欠けると思いますので訊ねられてもいませんが言わせていただくと今の気分は普通です。没さんはどうでしょうか?」
ここでの会話はルル様がリードしてくださるから楽だ。私は話題など持っていない。
「気分ですか…普通ですかね」
ここでも私は同調してしまった。
「普通ですか。一緒ですね」
「そうですね」
と相槌を打つとルル様が話し始めた。
「しかし、本当に一緒でしょうか。」
というルル様の発言に動揺した。間違えてしまったのだろうか。背筋が
「普通という言葉は一緒でもその普通の基準は人それぞれ異なるものです。気分の良し悪しの度合いの平均を指した普通なのか、普段の気分の頻度から平均をとった場合の普通なのかもその人にしか分からないものです。同じ平均の取り方でも他人と自分の普通が完全に一致することは殆どあり得ないのです。日常は人それぞれにあって、感じ方も考え方も人それぞれなのですから。というのも私の考えに過ぎませんが考えることも私に与えられた自由なのです。それは誰にも邪魔をする権利はないのです。だから自分を肯定する所から初めて似てはいかがでしょうか?」
「私は確かに人の目を気にしすぎていたのかもしれません。相手にどう思われるのかとかどうみられるかばかり気にしてしまって、自分が一番自分のことを否定していたのかもしれません。」
なんて自分自身が自分のことを否定していることに気づけ始めた頃。扉を叩く音がした。
「ルル様お時間です。」
と先ほど案内していただいた方の声が響いた。そんなに時間が経ったのかと驚いた。
「没さん、あなたの普通をひとつずつ拾ってください。何を基準にした普通なのかそこから自分を理解していってください。あなたは今は個性がないと感じていても元々個性があったはずです。これからは落とした個性を拾っていきましょう。そしてもう落とさないように大切にしていってください」
「はい」
という没さんの返事は最初に聞いたおどおどと自信がなく小さった声からは想像もできないほどに、はっきりと部屋全体に響いた。その後案内役に没さんの退室を任せ、没さんが退室したのを確認しフードを外した。少しでも没さんの悩みを咀嚼できただろうか。私はいつも不安なのだ。
ランタン型のランプを持ち案内役が使用する扉とは別の扉から、この相談室を出た。廊下に響く私の足音がやけに大きく感じた。




