来ると言うなかれ
女はこちらに気づいたのか、輿に向かって深々と頭を下げた。
ウナクは手短に女と言葉を交わすと、急いで輿に戻ってきた。御簾しに女はアラに使えている侍女だと言う。
「私は運が良い。ウナク、行きますよ」
ソンは輿から降りると袖をたなびかせて容華堂に向かった。侍女はソンの顔を見ることをしなかった。なぜか不気味に思えたからだ。
「公子さま、容華堂に何用でしょうか?」
侍女が恐る恐る口を開いた。
「アラ殿に会いに来ました。実はソイについて話があるのです」
「アラさまはどなたともお会いしません。お帰りくださいませ」
その言葉がソンの心に軽微な火をつけた。ソンはアラがどういう女か知りたくなった。しかし、侍女は頑なにソンを容華堂には入れなかった。
その容華堂からは木蓮の香りが微かに広がっている。白い花は落ちれば茶色に変わる。もし、アラが純潔であれば自分の色に染めたいとソンは思いついた。
だが、ここでは善人を装っておかなければ
一生かかっても容華堂には入れないだろう。
「アラ殿はなぜ会いたがらないのでしょうか?公子の私でもいけませんか?」
「アラさまはお待ちしている殿方がおいでです」
なるほど──!。
ソンはあっさりと身を翻して輿に戻って行った。ウナクはその潔さに驚いて足が思うように動かなかった。
輿の中でソンはウナクが追いつくのを待っていた。
(男がいたとは。まあ、女官は結婚出来るかな)
「公子さま!」
ウナクの呼吸の整ってない声が御簾越しに聞こえた。ソンはそんなウナクを後目に輿を出発させた。
「ウナク、何を慌てているのです?」
ソンは涼しい声でウナクに尋ねる。彼はまだ呼吸が整っていない。
「公子さまが簡単に引き下がる方ではないのは承知しております。ただ、わたくしめはそれが怖いのです」
「分かっていませんね。愛に目を瞑ることもあるのですよ」
ウナクは頭を抱えた。そして思うのだ。
(目を瞑る愛なんて殉死みたいなものだ)
春の夜。
花明りが美しい時刻がきた。
アラは中庭の木蓮を見上げていた。そっと、アラは木蓮に手を伸ばす。匂う香油、そして指を絡めてくる誰か。
彼女が振り向くと貴族の御曹司・旭が愛おしそうにアラを見つめていた。
「今日は来ないと仰っていたではごさいませんか」
「男なんて、来ると言って来ない、来ないと言って来るものだよ」
ウクは微笑んで見せた。
ウクの手はアラの柳のような腰を抱き寄せた。
「先程、侍女から聞いたよ。あの放蕩公子が昼間に訪ねて来た、っと」
「妹のことですわ……」
アラは深いため息をついた。彼女はソイの境遇を知らされていたからである。
「君が後宮を退出したらソイを後宮に仕えさせてみたらどうだろう?」
「上手くいくでしょうか?」
「大丈夫」
ウクはアラの体を強く抱き締めた。
その逢瀬を知らないソンは侍女に酌をさせて花見酒をしていた。
あれから、ソイを侍らすことを避けていた。それがソイに対しての真心だと考えたからである。
背後から衣擦れの音がした。
振り向くと大公の継室・イェ氏が仮面を被ったような顔で現れた。金縷の刺繍が入った紅色の着物を着ている。月明かりに金縷が反射して煌めいていた。
「継母上どうなさいましたか?」
「あなたに客人が来ていますよ」
「わざわざ取り次いでくださったのですね。ありがとうございます」
「あなたの悪友ですよ」
イェ氏はきっぱりと言い放った。
「悪友だなんて……」
(さては、時友だな)
「通してちょうだい」
イェ氏が言うと愛嬌のある笑みを浮かべたシウが現れた。入れ違うようにイェ氏は無愛想に出ていった。
「継母上さまは、いつも機嫌が悪そうだな」
シウはそう言いながらソンの隣に座った。
ソンは酌をしていた侍女を下がらせてシウと二人だけになった。
「シウ、私はあの人が笑ったところを見たことがないんだ」
「まあ、継母上さまには男子がいるし、お前を目の敵にしてるんだよ」
「そうだろうな」
二人は顔を見合せて笑った。
シウはソンにとって大切な友だった。ソンが幼い頃に遊び相手として一緒に育ってきたからだ。
シウは貴族の御曹司、ソンは王族であったが彼らには身分など関係なかった。
「ソン、真面目な話をしていいか?」
いきなりシウが切り出した。シウの表情が真剣になっていく。
「どうした?」
「実は……辺境の城の城主になるんだ」
「シウ、どうして黙っていたんだ!」
「黙っていたんじゃない。急に決まったんだ。ソン、弟の伯季と妹の瓊妃の世話を頼みたい」
シウは深々と頭を下げた。
ペクゲとキョンビはウクの同母の弟妹だった。ウクもソンと同じ境遇だった。
しかし、異母の兄が屋敷を乗っ取り、ウクたちは邪魔者扱いであった。
おまけに異母兄の母は悪辣であり、瓊妃をよく折檻しては「躾」と宣っていた。




