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エレナの憂鬱 3

 外がすっかり闇に包まれて8の鐘が鳴る頃、シルヴィオ様は森の家を後にした。


「長居してすまない。エレナ、明日からよろしく頼む」


 馬に乗りあっという間に去っていく3つの後ろ姿をぼんやりと見送る。


 そういえばいつもいる2人が今日はいないと気づいたのは、空が赤く染め上げられた後だった。どうしたのかと尋ねようとしたところ、本日2度目となる来客を告げる鐘が鳴った。恐る恐るドアを開けた先には、息を切らした2人の男性が立っていた。何とシルヴィオ様は、騎士団の仕事が終わった後、屋敷に戻って公爵様に明日からのことを聞いて、そのまま2人に何も言わずにここまで来たらしい。なんてこと。仮にも狙われている身というのに。


 2人から叱られているシルヴィオ様は少し楽しそうだった。私の家でやらないでほしいと思ったけど、はっきり言える相手ではない。

 この時にはすっかり彼と話がまとまっていたから、早く帰ってもらってご飯を食べたいと何もできずに見つめていたら、これ以上何を言ってもだめだと判断したらしい細身の側近が溜息をついて私に向き直った。背筋を伸ばす私に、彼はお詫びの品と言って街で買ってきたばかりの牛肉のスープをくれた。そのまま何故か3人も食べていく流れになり、食事が終わった今漸く帰っていったところだ。


 立ち尽くす私の足元にアウリが擦り寄ってきたことで、固まった体をゆっくり動かす。ドアは閉めたものの、そこから動くことが億劫になってしまい、その場にしゃがみ込む。


「‥‥‥アウリ、つかれた」


「ええ、お疲れ様。すごく頑張ったじゃない」


 シルヴィオ様と側近2人がいる間、一言も声を発することなく私を見守っていたアウリの声に頬が緩むのを感じる。

 やっと、ピンと張っていた気が抜けていくのを感じる。


「うん、頑張った。えへへ」


「それじゃあ明日からも頑張らなきゃね」


 その一言に、緩んでいた全てがピシリと音を立てて硬くなった。少し触れたらヒビが入ってしまいそうだ。


「‥‥‥アウリぃ、明日から、やだよ〜」


「‥‥‥」


 これまで、そしてこれからも何度口から出るか分からない言葉を口にする。


「護衛任務もしつつ、シルヴィオ様の稽古相手にもならなきゃなんて!」



 結局断ることができなかった私は、4日のうち2日、水と火の日に彼の稽古をつけることになってしまった。

 話を聞いていくと、彼は剣術は申し分ないのだが、魔術の技術が伸びなくて悩んでいたらしい。魔力量は人並み以上にあるのに、それをうまく扱えないという。


「うぅ‥‥‥ずっとおうちで本を読んでたい。アウリとごろごろして過ごしてたい」


「はいはい。あなたが食事代を稼いでくるのをここで待っているわね」


「む~。アウリのために、頑張る‥‥‥」


 たぶん私1人だったら頑張れないけど、今はアウリがいるから頑張れる。私が働いて、アウリに美味しいご飯を用意しなくちゃ。



「それで、なんだか見当がついた顔をしていたけど、シルヴィオ様の件は何とかなりそうなの?」


「うん。たぶん」


 漸く泣き止んだ私を横目に、アウリが問いかけてくる。

 まだ彼が魔術を使用しているところを見てみないことには何も言えないけれど、1つ思い当たることがある。


「たぶんね、シルヴィオ様は魔力を術式に乗せるのがへT‥‥‥えっと、上手じゃ、うーん、苦手、なの」


「つまり魔力の扱いが下手なのね」


「アウリ、はっきり言わないで」


 私が何とか濁したのに、意味がない。

 シルヴィオ様は魔力量は人並みにあると言っていた。それは一目見ただけでも分かるくらい。ただ普通に見てそうとわかるというだけで、もっと詳しく見てみると少し違う。

 魔力は抑えることができる。それは魔力の扱いに大きく関わってくる。


 この世界を生きている生き物は、例外なくすべて魔力を保持している。そして何もしなければ常に自分の中から生まれる魔力を放出している。ただそれは敵に自分の位置を知らせているようなものだ。そこで生き残るために私たちが身に着けたのは、魔力を体内に抑えること。抑えるのが上手な人ほど、コントロールは上手で、魔術式に魔力を乗せやすくなる。ただそれが下手な人は、比例して魔術式に魔力を乗せることが難しくなる。

 更に、魔力を抑えていない人は、探索魔術にかかりやすくなってしまう上に、一目見ただけでどれほどの魔力を保有しているかわかってしまう。つまり敵に自分の位置を知らせている上に、自分の実力がどれほどのものかを教えてしまっているものだ。

 シルヴィオ様の場合、それが一般人レベルではないことが問題だ。魔力量が一般人レベルであれば「あ、この人魔力を抑えていない」だけで終わる。ただ彼ほど魔力量があって抑えていないとなると、自自分の魔力量を自覚していないか、魔力を抑えることが苦手な人と認識されてしまう。そういう人は裏社会の人に狙われて死ぬまで魔力を吸われるか、彼ほどの立場があれば最悪殺されかねない。

 だから今回シルヴィオ様が狙われたことへは何も疑問を持たなかった。


「あの子今までよく生きてこれたわね」


「それは、私も時々思ってた」


 正直シルヴィオ様と一緒にいたくなかった理由は、私が人のことが苦手ってだけではない。彼は常に莫大な魔力を放出している。魔術師は魔力に敏感な人が多い。ゆえに、彼ほどの魔力量で、一切それを抑え込んでいない場合、長時間近くにいると魔力酔いを起こしやすい。

 今までは彼に気づかれない程度の、対魔力防御結界を張っていたけれど、これからは常に身近にいるからそういうわけにもいかない。まあ、彼に稽古をつけることになったのは、彼だけじゃなくて私の為にもいいことかもしれない。

 取りあえず、彼が魔力を上手に抑え込めるようになるまで、彼の周りに薄い結界を張って魔力が漏れないようにするしかない。それがいつになるのかわからないけれど。


「あ、でもね、私ずっとわからないことがあるの」


「なあに?」


「シルヴィオ様を狙っていた人、魔術師だって言ったじゃない?簡単な探索魔術なら、魔術を少しかじっている人でも使えるのだけど、彼はどうしてそれを使わなかったのかしら?」


 探索魔術を使っていたら、お祭りの会場にシルヴィオ様がいないことがすぐに分かったはずだ。それをしなかったのはなぜか。もし探索魔術を使っていたのであれば、彼は本当にシルヴィオ様を狙っていたのだろうか。


「ま、今考えても分からないわ。それより早く休んだ方がいいんじゃないかしら?明日は早いのでしょう?」


 思考の海に沈みそうになる私は、アウリの一言でやむを得ず現実へと帰ってきた。


「うぅ、明日から、やだよぉ~」

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