九話
せっかく久しぶりに外に出たのだ。
美春は琥珀を拝み倒して町に出た。服を買い足したいのだと言うと、呆れ顔をしながらも付き合ってくれた。
季節はかわり、秋が深まって来ている。これ以上寒くなると着替えが心もとない。美春は自宅を出る時に、コートの一枚も持って来ればよかったと後悔していた。
風が冷たいらしく、すれ違う人々は首をすくめて上着の前を閉じる。寒さを感じない美春が町に溶け込むには、それらしい恰好をしなくては悪目立ちしてしまう。
隣を歩く琥珀はGパンに黒いシャツ、こげ茶のコート姿だ。モデルの様な姿と冷たい美貌には近寄りがたさを感じさせ、遠巻きに熱い視線が送られている。
美春は取り急ぎダッフルコートを購入した。何となくこげ茶色を手に取ったが、思い直してベージュにした。
気の流れが感じられた時、自分が垂れ流していた気を体に納める法を自然と知った。そのおかげか、変な視線で見られる事はなかった。これなら戻れるのではないだろうか、ふと美春は期待を持った。
「無理。死んだあんたは成長しない。変わる事はない。今は紛れ込めても、すぐにボロが出るだろうよ。何度も親に喪失感を味合わせるのなら、好きにすればいいけど?」
「──」
美春は唇をかみしめた。
美春は店を回り、服と靴、他にも細々としたものを購入した。文句を言いながらも付き合ってくれた琥珀に、何かお礼がしたい。
「琥珀は何が好きなの?」
「何って、何」
「食べ物」
「ああ…。この間、あんたが作ってくれたあれ、プリン? 悪くなかった」
「悪くないって、嫌な言い方」
言い方は悪いが、琥珀なりの誉め言葉なのだろう。
(プリンが好きだなんて、意外と可愛い所があるんだ)
「──あんたは可愛くないよね。いい加減にダダ漏れを何とかしたら? 悪態ばかり聞かされるのには、飽き飽きした」
気を体に納める方法は分かったが、琥珀に意識を閉ざす方法はまだ分かっていないのだ。
(やっぱり可愛くない!)
美春は琥珀に届け!とばかりに強く思った。琥珀は呆れかえった視線を美春に向け、「はっ」と鼻で笑った。
ムッとしながらも、琥珀と歩いた。
美春は力かげんの練習と下宿代の代わりと思い、家事を引き受けている。
料理に関しては、味見をするだけで自分は食べないが、琥珀と子狐達は綺麗に食べてくれている。誰が買って来ているのか知らないが、いつの間にか冷蔵庫に食材が入っているので、それを料理しているのだ。
それ程レパートリーのない美春の料理は、焼く・煮る・炒めるのローテーションで変わり映えしなかった。
携帯を使っても良いのだと分かってからは、レシピを検索して色々な料理を作るようになった。
プリンは自分が好きで家ではよく作っていたのだ。神社に来てから作った事はなかったが、急に食べたくなって一度だけ作ったのだ。相変わらず味は分からなかったが、ぷるんとした冷たい舌ざわりが心地よく、美味しく感じた。
二尾と三尾は気に入ったらしくて、珍しく「美味しい」と言いながら食べてくれた。琥珀は何も言わず、表情も変えなかったので、てっきり気に入らなかったのだと思っていたのだ。
──まさか琥珀が甘い物が好きとは知らなかった。多少腹は立ったが、自分の為に付き合ってくれたのだ。帰ったらプリンをたくさん作ろうと決めた。
──母の無事は確認できた。
美春はプリンを作りながら、漠然と事件の事を考える。
──尸鬼とは?
──何の目的で?
──そして、誰が?
事件を調べると決めた。だが、どこから探ればいいのだろうか。
翌日。迷いながらも町に出ようとしたら、琥珀に止められた。もう少し自在に使えるまでは、一人で外に出るなと琥珀に言われたのだ。
「幻術だけじゃ、尸鬼に対抗できないだろ? また呼び出されるのはごめんだ」
そう言われてしまっては、どうしようもなかった。
──美春はまた修行の日々を送る事となる。
優子からは、何度も携帯アプリにメッセージが届く。
毎日必ずメッセージをくれるのだ。既読になるからアプリは開かないけれど、届いてすぐに気づけばメッセージは見られる。
『どこにいるの?』
『無事なの?』
『何やってるのよ』
『……連絡して』
『ばか!』
山本からはメールが何通も送られて来ている。
『美春ちゃん、あれから消えてしまうなんて、思ってもいなかったよ。
悩み事があったんだね。僕では頼りにならなかった?
今からでも力になりたい。
頼むから、返事を下さい。』
何度も、何度も送ってくれている。
──過去とつながる携帯の画面を、美春は眺めている。
美春が姿を消した。
優子は、青ざめた美春の両親から行方を知らないか尋ねられたが、心当たりはなかった。確かにこの所様子がおかしかったが、家出する原因には思い当たらないのだ。
ふと、美春を見て態度のおかしかった祐里奈の事を考えた。
それまでいつも三人でいたのに、あの日悲鳴を上げて教室を飛び出して以来、決して近づいて来なくなった。
確実な情報はない。強いて言うなら女の勘だ。優子は、祐里奈が行方不明に関わっている気がしたのだ。
おっとりしていて、気の優しい美春。優子とは昔から気があって、小・中学校の登下校はいつも一緒だった。高校生になり優子が部活で忙しくなってからは、登下校は別になったが一番親しい友人である事に変わりはなかった。
高校になって仲良くなった祐里奈が、山本先輩の事で美春に複雑な思いを抱いていた事を知っている。気づいていないのは、奥手の美春だけだった。
祐里奈が美春の家出に関わっているのかは分からない。だけど──。
優子は祐里奈の行動範囲で美春の写真を見せ、この子を見なかったかと聞いて回った。焦った祐里奈が何か行動を起こす事に期待している。
祐里奈はバイト先で店長の言葉に冷や汗をかいた。
「さっきさ、可愛い子の写真を見せられて『見かけませんでしたか』って聞かれたよ。制服姿の女の子の写真だったな。ああ、あの子だ」
丁度TVに美春の写真が写った。
ガシャン! と、祐里奈はグラスを落としてしまった。
「す、すみません!」
「どうしたんだい? 祐里奈ちゃんらしくないね」
しっかり者の祐里奈が失敗するなんて、と店長は苦笑した。
「……友達だったんです。あの子」
「そうか。それは心配だね」
店長は気遣って、一緒にグラスを片付けてくれた。
そう。だったのだ。
(私がこんなに好きな先輩の思いに答えないなんて、ひどい子だった。)
優子が調べているのに気づいた祐里奈は、自室で封を切っていない小包を手に取った。
この小包の中身は分かっていた。あの包丁だ。美春が学校へ来た事に対して送ったクレームメールのお詫びとして、新たに届いた物だった。
効き目がなかった物をもう一つ貰ってどうしろと?そう思うと開ける気にはなれなかった。美春に止めを刺したくても、さすがに警戒されるだろう。
消えてくれて清々した。それなのに──。
祐里奈は封を開き、入っていた包丁を手に取った。タオルでくるみ、学生鞄の奥に隠す。
放課後、後を追って来る優子の気配を感じて、祐里奈は笑った。
(同じ時間。同じ場所で──)
美春を刺した場所へ着くと、祐里奈は立ち止まった。
学校を出る時に、タオルを外した包丁は取り出しやすい位置に移動してあった。学生鞄から取り出して、優子に見えないように後ろ手に隠しながら振り返った。
優子は、人待ち顔の祐里奈を塀の影から見ていた。祐里奈は塀をじっと見つめた。
「出て来れば優子。こそこそと人の事を調べ歩いてさ、感じ悪いよ」
「………美春をどうしたの?」
「殺したわよ」
「なっ!?」
「殺したのよ。確かに刺してやった。それなのに学校にやって来るなんて、おかしいわ…。どこで間違ったのかしらね? うふふっ……。居なくなって良かった。きっとどこかで死んでくれたに違いないわ…。その場で死なないなんて、最後までムカつく女だったよ」
優子には、祐里奈の言っている事が理解できなかった。
殺したのに学校に来た?
美春を殺した、その言葉に頭がガンガンと脈打つ。
「美春があんたに何したって言うの!」
優子は祐里奈の肩を掴んだ。
「先輩の思いに答えなかったじゃないの。私がこんなに思ってる先輩なのに、許せないわ。──私を調べようとした、あんたもね!!」
祐里奈は隠し持っていた包丁を取り出すと、優子を刺した。
「ぐっ!?」
優子は痛みで目の前が暗くなり、その場に倒れる。
「今度は大丈夫よね? うん、ちゃんと包丁が刺さってるし。あー、ちょっと浅いかな…」
そう言うと鞄からタオルを取り出した。倒れた優子の腹に刺さっている包丁をタオル越しに両手で握り、体重を掛けて押し込んだ。
「あ、ぐぅ…!」
「これでいい、か。さよなら優子」
ついているTVを見ようともせず、宙を見ていた琥珀が呟いた。
「ちっ…面倒くさいな」
「また? あんたって面倒くさいばっかり言うんだから」
「ああ。あんたにやらせればいいか。あんたを殺した奴がさ、また人んちの前で女を刺したよ。刺されたの知り合いじゃないの?」
「なっ!?」
美春は慌てて外へ飛び出した。
「優子っ!?」
「み、はる? あんた、どこにいたのよ……。心配したん、だから…」
出血がひどい。深々と突き立っている包丁には、見覚えがあった。
「お願い、優子を助けて! あんたなら助けられるんでしょ!?」
美春はついてきていた琥珀に叫ぶ。
「──面倒くさい。自分でやれば? ほらほら早くやらないと、その子も死ぬんじゃない?」
動こうとしない琥珀に、美春は意を決して優子の横に座り込んだ。
「やり方を教えて…」
「──包丁を抜いて、手に呪力を集めて傷に突っ込む。全身に散ろうとしている蟲を、呪力の糸で一匹残らず捕まえて取り出す。お終い。ほら簡単だ」
「…簡単なら、やってくれればいいのに」
恨みがましく言ってみたが、琥珀に堪えた様子はない。
「ごめんね、優子。少し我慢して!」
美春が包丁を抜くと優子は呻いた。言われた通り手に呪力を集め、優子の傷に震える指を突っ込んだ。
優子が悲鳴を上げる。
「ごめん、ごめんね! もう少し我慢して…」
美春は呪力を細く、糸になるように操作する。逃げ回る蟲を、一匹…、また一匹と捕らえていく。
(これで全部捕まえた?)
美春が手を抜くと、その手には真っ赤に蠢く蟲の塊があった。
「きゃ!?」
余りの気持ち悪さに思わず手を振る。べちゃり、と地面に血まみれの蟲の塊が落ちた。蟲はうごうごと蠢きながら、優子の体内に戻ろうとしている。
「ど、どうしたらいいの!?」
「はい、減点」
琥珀が光を放つと、蟲は消滅した。
「こっちも減点だね」
琥珀は優子の腹に手を突っ込むと、小さな蟲の塊を取り出した。
「体に残していたら意味がない。傷口も塞がないと血が止まらない」
琥珀は塊を虚空に片づけ、光を放つ手を優子の腹にかざして傷を癒やした。
「良かった……」
穏やかな表情になり眠り始めた優子を、美春は泣きながら見つめていた。
美春は心を決めた。
まずは祐里奈から調べてやる──。