幕間 素敵なお菓子
第94話 駒の価値 あたりの話です。
一部、性的な語彙が含まれているのでご注意してください。
「リーゼロッテ、それなに?」
同室の娼婦仲間が部屋に入って来るなりそう言ってきた。
ここは酒場の二階にある、下の酔客を連れ込む為の部屋の内の一室。もう日が昇ると言うのにも関わらず、隣室では男女の営みの声が大きく漏れている。
リーゼロッテと呼ばれた少女はすでに化粧を落としており、それにより年相応の顔つきに戻っている。
他の娼婦仲間は若くて良いと言われる顔つきだが、当の本人は幼い顔だちの為に偏った客層しか付かず悩みの種であった。だから、化粧を濃くして何とか大人びた顔だちをしているのだが、最近出会った少年に歳を想定年齢よりも10以上高く見られてしまったのでそろそろ化粧の方法を考え直さなければいけないとも思っていた。
「昨日の夜にね、あの子がこの店に来て」
「あぁ、例の貴族のお坊ちゃんね……。ってことは、なになに? 身請けの話しでも来たの!?」
「全然、違うわよ」
高級娼館であれば、貴族に気に入れられれば愛人として第二の人生が待っている。職業の底辺として存在している娼婦にとってそれは成り上がりであり、最後の希望だ。
ただ自分達が居る中~低価格の娼婦では夢のまた夢だ。
「じゃあ何なのよ?」
「何だろうね? アンナは分かる?」
そう言い返し、リーゼロッテと呼ばれた娼婦は同室のアンナと呼んだ娼婦に聞いた。
アンナは明け方の冷えた空気にも関わらず、その健康的な肉体を誇示するように薄いワンピースしか着ていない。
今日は荒い客が付いたのか、体の至る所に吸い痕が点在し、また噛みつかれた痕もあった。
そして、湯浴みをしても股に違和感があるのか足を組み替える度に顔をしかめた。
「中身を見ていないのに、分かる訳ないじゃない。それとも、私には見せられないような物かしら?」
「そんな訳ないじゃない」
売ればそれなりの値段になりそうな箱を開けると、その中には今まで見たことが無い物が入っていた。
「砂まみれの棒?」
「――に見えるよね?」
その中には、ロベールがロベリオン第二皇子から貰った砂糖がまぶされた麩菓子が入っていた。
そう、先ほど言われた夜に来た少年と言うのは、ロベリオン第二皇子と会談した後に尾行をまくために娼館街を抜けに来たロベールだ。
そして、リーゼロッテとは本名で、源氏名はミルクである。
リーゼロッテは自らをロンと呼称していた少年が貴族であると知った後でも、少年に対しての態度を変えることは無かった。
それは、自分が相手よりも年上であった事と、少年であれば手玉に取ることができて将来的な身請け先にできるのではないか、と言った考えが大元にあったのだが、それが甘かったと悟らされたのはすぐだった。
初めて会ったときはあれほどだらしなく人の胸に執着していたと言うのに、自らの身分が貴族だと知れた時から律することに力を注ぎ、自分とは褥を共にすることがなかったのだ。
確かに貴族であるのだから、こんな場末の人間とする事は無くてももっと良い人が居るんだろうけど、こっちはこっちでアプローチしているのだから触るなりなんなりしてもらいたいと言うのが心情だった。
話が逸れたが、貴族と分かってからも彼と出会った時と同じ態度を崩さなかった事が功を奏し、一緒にお酒を飲んだりこうした贈り物を貰える間柄となった。
貰ってばかりではいけないので、こちらからは尾行をまくための経由地として力を貸すだけだけど……。
「あの子からの説明は何もなかったの?」
「お菓子だって言われたけど、どうみても砂の付いた棒だよね」
「うん……」
麩菓子と言う全く新しい存在のお菓子に、まぶしてある砂糖は一般市民どころかこんな場末の娼婦にはまず関係ない品である。
だから、茶色の砂糖は砂に見えても仕方が無かった。
「あ″~……、疲れたぁ~……」
おっさんの様なガラガラ声を出しながら、同室の娘が入ってきた。
「客は帰ったの?」
「このラリオン様の性技をもってすれば、あんな野郎をイカせるなんて一瞬さ」
酒焼けではないガラガラ声のラリオンは、水瓶から柄杓で水をすくうと口に含みうがいを始めた。そして、そのまま木戸をあけて二階から水を吐き捨てた。
「あ~、スッキリした。あの客、もうそろそろ死ぬんじゃないかな? 口に出されただけで痺れる痺れる」
何を含んだのかは皆知っているので言及はしないが、そんな味のする客を今まで取った事が無いので、ラリオンの言う通り本当に死ぬかもしれないとその場に居る二人は思った。
「それで、二人は何を難しい顔してんの?」
「これ……」
ラリオンに聞かれ、リーゼロッテが答える前にアンナが言った。ラリオンは示された箱の中身を見ると眉をひそめた。
「砂の付いた棒?」
「そう思うよね? 一応、リーゼロッテが仲の良い貴族の坊ちゃんから貰ったお菓子らしいけど」
「ふ~ん」
ひょいぱく、と箱の中身が何なのか疑っている二人を余所に、ラリオンは恐れることなく中のお菓子を食べ、そして――。
「うっ、ぐっ……」
突然、苦しみだした。
「ちょっと、大丈夫!?」
「早く吐きなさい! 早く!」
仲間の苦しみ様にどうすれば良いのか分からない二人は、とりあえず苦しみの原因であるお菓子を吐かせようとするが、ラリオンは首を振った。
「これは……危険よ……。私はどうなるか分からない……だから、これは私が責任を持って……」
捨ててくるわ、と言葉を続ける前に、箱に手を付けようとしたラリオンの手をアンナが掴んだ。
「あんた、それ演技ね?」
「そそっ、そんな訳ないでしょ? 私は、二人を思って」
「にしては元気じゃない」
「ぐぉっ……、心臓が……」
さっきは焦った二人だったが、あまりにもわざとらしい演技に溜め息を吐いた。
「洒落にならない馬鹿な事は止めなさいよ。いざと言う時、信じてもらえなくなるわよ」
医者が少なく、また自分達の様な底辺にはまずかかることが出来ない。
しかし、病気の発見が早ければ薬草などで回復する可能性が高い。それでも、こういった嘘を恒常的についていれば「またか」と言われ無視される事になってしまうのだ。
だから、相互扶助の意識が強い娼婦たちはこういった嘘を嫌う。
「ごめん、ごめん。でも、本当に美味しいからさ」
「美味しいの?」
「だってこれ砂糖だよ? 美味しくないわけないじゃない!」
「砂糖って……あの砂糖!?」
砂糖と言うのは、話にしか聞いたことのない未知の物体だった。だが、その味は心も体も溶かす様な素晴らしい物だと聞いていた。
この三人の中では、客からのプレゼントでラリオンだけが砂糖菓子を食べたことがあった。そのラリオンが言うのだから間違えないだろう。
リーゼロッテは恐る恐る砂に見える砂糖を指ですくうと口に運んだ。
「――――――――――ッ!?」
目の前で火花が散ったような気がした。甘い物で言えば、秋ごろから出回る桃の蜂蜜漬けのお湯割りがあったが、そんなのが比にならないほど甘かった。
「さすが貴族と言うべきか……。こんな物をプレゼントしに来るとは……」
戦々恐々と言った様子でアンナが呟いたその言葉に、リーゼロッテはロンとの距離を否が応にも離れている事を知らされる。
初めて会った時や、その後の酒の飲み合いで良い友人になれると言うか、可愛い弟ができたように思えたが、これは考えを改めなければいけないと思わされた。
しかし、本職としては仲良くしておいた方が良いだろう。そうも思った。
だって彼はいずれ大きくなるのだから。
登場人物
リーゼロッテ=源氏名ミルクちゃん。化粧が濃い。
アンナ=リーゼロッテと同室の娼婦仲間。
ラリオン=上記二人と同室の娼婦仲間。酒焼けではないガラガラ声。
ロン=ロベールがミナの共に訓練所に行くときに付けた名前。