130 辿りついたコウモリ
やったよ……。ボク、終わらせたよ、みんな……。
巨大な眷属に腕を伸ばして、頭を撫でてやろうとした。けど視界がぼやけてしまうと、その手は石になってしまったかのように動かなかった。
触れている眷属の体が透けていってる。ボクの魔力の限界が来たんだ。真っ赤な眼差しがスッと消えてしまって、薄れた体内から悪魔の面影が消えたイブレイドが落下していく。かなりの高さだって分かってるけど、彼を助ける気力すら湧いてこない。
ふと腕を眺めた。不自然に揺れ動いている気がすると、段々と縮んでいっているのを感じた。腕だけじゃない。体すべてが小さくなっていって、元のボクに戻ろうとしている。
背中の羽も穴だらけになるように腐っていって、骨組みだけが残った時、音もなく体から剥がれ落ちた。
落ちていく。何も聞こえないまま、霞んだ視界に雲海が映っていって、そして遠のいていく。
やるべきことやった。すべてを出し切って、みんなを守ったんだ。きっと、お父さんにだって褒められる。ゼレスおじさんとか、アルヴィアたちにだって……。
…………。
泣いてしまうかな。ボクが死んだら、彼女は――。
「クイーン!!」
何も聞こえなかったはずの耳に、彼女の声がはっきり届いた。聞こえた瞬間、見えてる世界がくっきり映し出された。まるでまだ神様が、ボクに生にしがみつかなければならないと自覚させるように。
次の瞬間、背中を支える風がブワッと吹いてきた。テレレンの魔法だ。
「――みんな!」
減速していきながら背中に振り返ろうとしたけど、それより先に誰かに体を受け止められ、そいつが支えきれなかったせいで一緒になって地面に倒れた。お尻に少々衝撃が入ったけど、ボク自身は無事だ。すぐに受け止めれくれたそいつを心配する。
「アルヴィア!」
「私は平気。クイーンは?」
「ボクもだ。……」
「……」
「……」
黙ったまま見つめ合う。何もしていないのに、彼女の顔を見てるとなんだか泣きたい気分になってきた。
「……フッ」
「フッ。……へヘッ」
変に笑いがこみあげてきて、思うがままにボクらは抱き合った。
無事なんだ。無事だったんだボク。無事に、みんなのところに帰ってこられたんだ。
「お帰りクイーン。信じて待ってたわよ、私たち」
「ああ。やってやったさ、アルヴィア」
「クイーンさま~! テレレン泣ぎぞうだっだんだよ~お~」
言ってることとは裏腹に流れ落ちる大粒な涙。
「泣くなよテレレン。ボクは強いんだぞ」
「よかったダヨー。本当に、ほんっっっとーに、よかったダヨー」
「ドリンまで……。泣き虫が多いな、ボクの仲間には」
自分自身緩んでしまいそうな涙腺をこらえながら、その二人にも腕を伸ばし、四人一緒になって抱き合った。
これで一安心出来る。テレレンにも無理をさせたし、ドリンにも放っておいたことを謝らないといけない。アルヴィアとだって、これからしっかり関係を直していかないとなんだ。本当に、死ななくてよかった。
「イブレイド……。お前ってヤツは……」
ラーフの声がして、ボクはみんなのところから顔を離した。どうやらイブレイドのこともテレレンの風で受け止めていたようで、ラーフの腕の中で目を閉じている。まさか死んでしまったのだろうか。そう危惧した瞬間だった。
いきなりイブレイドが目を開くと、ラーフのことを突き飛ばして立ち上がり、苦しそうに頭を抑えだした。
「ぐう……頭が、割れる。……そうだ。魔物だ。魔物が、まだ……マモノを、ハカイ、する!」
声がまた悪魔に戻ってしまっていた。まさか、まだ霊薬の効果が残っているというのか。
「危険だ! みんな離れ――」
ボクが立ち上がった瞬間、ふらっとして膝をついてしまった。アルヴィアに「クイーン!?」と心配されて、再び立ち上がろうとしても手足に力が入らなかった。
ここが、ボクの限界か。
「コロス。ゼンブ、コロシテやる!」
イブレイドが再び暴走を始めてしまう、その時だった。
「――冥府へ帰れ、悪魔よ」
この声! 聞き間違えるはずない。だってこの声はボクが一番好きな――!
「っだは! っがぁ!?」
突如イブレイドに影の鎖が巻き付き体の自由を奪った。この鎖の正体はある眷属が持つ能力。どこからともなく現れたのは、影によって生み出された眷属のケルベロス。三つの頭を持った番犬で、それを従えてる人はこの世にたった一人。
ピキッとガラスが割れるような音がした。見ると、誰もいない、何もない空間から勝手に手で出てきて、その手が時空間を裂くように動いていった。そこに出来た亜空間から、おびただしい魔力と風格ある威厳を保った存在が登場してくる。
地面に足をつけ、指を鳴らして亜空間を閉じる。銀色の長い髪で、凛としたボクの憧れ。久々に見たその顔にボクは胸が躍動した。
「お父さん!」
「え、ウソ! あれがクイーンの?」
「お父さんって、魔王様ダヨか!?」
本物だ。見た目だけじゃないこの圧巻な存在感。間違いなくボクの大好きなお父さんだ。
「ゼレスのコウモリが知らせてくれたが、だいぶ遅れてしまったか」
肩に乗っかるゼレスおじさんの眷属。そう言えば、飛ばしたところで半日かかるって言ってたけど、この一匹はちゃんと到着してたんだ。お父さんがイブレイドに近づいていく。その後ろにケルベロスもぴったりついていく。
「人の王子がどうしてこんな力を。それは我々が使っていいものではないと、誰もが気づけるはずだろうに」
「マモノ! マモノォ!」
「声すら届かなくなっているか。私の手に負えればいいが……」
手に負えればって。何をするつもりなんだろう。
お父さんの右手が青色に光っていく。その光はまるで皮膚の内側から漏れ出てきているようで、しばらくすると、なんと皮膚が紙ふぶきのように剥がれていって、無限に奥が続いてそうな宇宙のような手が出てきた。
その手でイブレイドの頭を掴むと、お父さんは何も言わないまま力を込めていっていってるようで、人知れず空気の流れがそこに吸い寄せられていくように揺れていた。たちまち空気の揺れは大きくなっていって、イブレイドだけが苦しそうに絶叫し始める。その叫びは魂を吸い取られていってるような恐怖を感じさせるくらい大きく、そして壮絶なものだった。
「ガアアァァ!! ハ! ハナセエエェェェェ――っ」
暴れようとしてもガシガシ鎖がしっかり締め付けていて、お父さんは顔色一つ変えないまま自分の作業を進めていく。すると、途端にイブレイドの声がなくなった。苦悶な顔はスッと引いていて、お父さんが手を離すと鎖も解け、その場にバタリと崩れ落ちた。
「イブレイド! 彼に何をしたんだ!」
切羽詰まった思いで訊くラーフ。お父さんは手が掲げ、そこに皮膚が元通りになっていくのを眺めながら答える。
「彼の内なる力をこの手に封じ込めた。心臓はまだ動いているだろう」
「本当か!?」
「無事かどうかは分からないがな。いかんせん、この力は大きすぎる。君たちのことを覚えていたら奇跡だ」
「そんな!」
告げられた宣告は酷なものだったけど、イブレイドが目覚めるのは早かった。再びラーフに支えられて体を起こすと、今度は苛立った様子が微塵もない、王子としての彼が戻ってきていた。
「無事かイブレイド? 俺の声が聞こえるか?」
「……ラーフか?」
その名前が出てきた時、ラーフは安心しきったように息を吐きだした。一緒に心配していたアリーナ姉妹も同時に胸をなでおろす。




