125 銀に映った充血
生きること。共存することの何かを、ボクが改めて知れた時。それを好ましく思わない者がしんみりといした雰囲気に水を差してくる。
「人間と魔物が抱き合うなど、馬と豚が交尾するかのように汚らしい」
ずっとアルヴィアの胸元で甘えていたボクは、その一言で現実に引き戻された。ボクらがどれだけ理解しあっても、やはりこの男だけは避けて通れない。
「お前が魔物を拒絶する理由は分かる。でも、争い以外に道はあるはずだ。ボクならその方法を知っている」
「聞きたくもない。僕から母上を奪ったお前らの考えなど、知ったことじゃない」
きっぱり言い切られると、それにもう一人、ラケーレが便乗してきた。
「そうだそうだ。アタイらが人間のこと知ってやる言われはない」
そう言ってボクの前に悠々と歩いてきて、彼女の目がボクを睨むように見てきた。
「魔王の娘。アンタ、なんでアタイよりも強い力持ってるはずなのに、こんなのがわんさかいるこの王国を焼き払わないんだ? アンタなら余裕で出来るだろ?」
「そうしたところで何の意味がある?」
「はあ? アンタ、目の前をウロウロする虫を潰したことないのか? それと同じようなことだろう?」
「人間は虫じゃないぞ、ラケーレ。彼らがボクらに害を与えてる時は、必ず理由がある時だ。その理由を知ろうとせずに拒絶するのは筋違いだ」
「殺せば終わるんだよ死ねば何も言わねえ。人間も虫も、屍になっちまえば一緒じゃねえか。仲良しごっこをしようとするなんて虫唾が走るってもんだ」
なんだかいつもと様子が変だ。おおざっぱで扱いが厄介なヤツだと思ってたけど、今のラケーレは何か引っかかるような言い方をする。戦うことよりも、人間に対してここまで憎しみを露わにしているのを見るのは初めてだ。
「お前も、人間に対して思うことがあるんだな?」
「アタイがどれだけ生きてると思ってる? 二百年だぞ。二百年の間にどれだけアタイの同胞が殺されていくのを見てきたと思ってる。最初に見た死体が自分の親だった時、当時子どもだった頭にどれだけ強くこびりついてるか想像出来るか?」
仲間と親の敵。やっぱりラケーレのそうだったのか。
「だからって、罪のない人間に仕返しをする理由にはならない。敵を取るとしたらちゃんとその本人に報復を与えるべきだ」
「もう死んでるに決まってんだろ!」
ドッといきなり大声が返ってきた。
「人間とかいう軟弱者なんて六十年もしたら干からびる。結局アタイに残ったこのむしゃくしゃは、どこにも消えないままなんだよ」
圧力に屈せず、委縮しないままボクも強く言い返す。
「憎しみを何年も抱えてどうする! 敵が死んでるっていうのなら、お前は過去から抜け出し前を見るべきだ。いつまでも引きずったってもうお前の手で敵は取れないし、暴れたところでお前は周りから孤立してしまうだけだ」
「どうでもいい。全部壊せばすべて終わる。一人でしか生きれないなら周りを消してしまえばいい。アタイはそれだけの強さを積み重ねてきた」
「そんな力はまがい物だって、あの時の敗北から学ばなかったか? もし忘れたのならボクがもう一度証明してやる。お前の残ってしまった憤りを、ボクが全部受け止めてやる」
そう言い放ってから、ラケーレが腰を屈めて突っ込んでくるのは恐ろしいくらいすぐだった。鋭利な爪が伸びきる前に、ボクの前にアルヴィアが庇いに入る。
「無敵女ッ! アンタも完膚なきまでにねじ伏せたいって思ってたぜ!」
「クラッシュ!」
鋭く睨み合いながら、アルヴィアが攻撃を跳ね返そうとする。しかし、七魔人たるもの一度受けた能力に対策をしないわけがなかった。
魔法障壁が破裂する寸前、ラケーレは自らの足でスッと後ろに引いた。そこは見事に破裂の範囲外。わずかな一瞬の間に、人狼は押して引いての瞬間移動をしてみせた。
「そんな!?」
「――眠ってろっ!」
「アルヴィアッ!」
フレインを構えながら前に出ようとしたが、間に合わないと理解してしまう。その時だった。
ボクの前を真っ白なスケルトンが通りすぎた。
――ガッ! と拳がぶつかり合う。響いた轟音はバッファローが衝突し合ったかのように鈍く、骨の軋む音がしながら、発生した衝撃の強風が遅れてボクらの髪を揺らした。
「アッハハ!」
スケルトンが笑い出す。そいつの両目は人間の手を切り離したもので覆われている。アルヴィアは知人なのか「あんた!」と驚く。
「七魔人のラケーレさん。俺はあんたに出会いたかったぜ。七魔人で一番の戦闘狂だってな」
「へえ。ただのスケルトンじゃないなアンタ」
ぶつけ合った拳が反発するように離れる。スケルトンの腕は人狼の半分ほどしかないというのに、そこにヒビすら入っていない。
「アンタだな、七魔人の新入りは」
「お? 知られてたなんて光栄な。実は先輩には俺の悩みを訊いてもらいたくて」
「悩み?」
「目覚めてから俺、自分の全力がどんなもんか分かんないんっすよ。人間とかそこらの魔物じゃちょっとの力で壊れちゃって。だから、ちょっくらお手合わせしてもらえたらなぁなんて」
「お手合わせをする気はねえな。やるならマジのやり合いだ。全力を知りたいってんならなおさらな」
「おう怖い怖い。まあそれでもいいっすよ。お互いストレス発散方法が何かを殴ることなんですし、情けもなくやりましょうか。場所変えましょうよ」
塞がれてて合いもしない視線をしばらく合わせ続けたまま、二人は同時にその足を動かしボクらから離れていこうとした。その顔にこれからを楽しみにしていそうな笑みを浮かべたまま、彼らは遠くの夜に消えていく。
「アンタ、名前は?」
「アーサー。魔王国の東方、第四管轄区域っすよ」
「そうか。アタイのすぐ上の地域だったか。骨、折れたりしてもいいよな?」
「再生出来るんで問題ないっすよ」
「そっか」
ラケーレがパッと身を翻した瞬間、アーサーの首を掴んで十メートル離れてた木に強く押し当てる。悠然としていた会話の流れから一転、殺意の眼差しが彼女に宿った。
「さっさとそいつを外してもらおうか。アンタを縛って離さないその女の手を」
「……こいつが縛ってるわけねえだろうが」
アーサーの口調が荒々しいものに戻って、次の瞬間、
「――心臓分解」
彼の体がいきなりバラバラに分かれた。関節を一つのパーツとして、それぞれが自律的にラケーレの体をミミズが這うように動いていき、彼女の背中で再び元の形を取り戻していくと、いつの間に掴んでいた彼女のうなじを強く握って、自分が押し付けられた場所に同じことをやり返した。あまりの勢いにボキッと音が鳴って、折れた木が倒れていく。
ラケーレの手から首のパーツが落ちていく。アーサーがラケーレから手を離しながら、それを足で蹴り上げてキャッチしてみせると、不格好だった手で頭を持ち上げ、そこに首をがっちりはめて元通りにした。
「骨、折れたりしてもいいっすよね?」
言い返したアーサー。木と共に倒れていたラケーレが顔を上げ、笑った顔のままアーサーに向き直る。
「ヘッ。今ので勝てる気でいるのか?」
「まあ、そうっすね」
真っ白で薄い手が挙がっていって、目を覆っていたその手を優しく握った。そして、パキッと骨の折れるような音がして指が開くと、中指と薬指の間から、充血だらけの血糊のような瞳が開眼した。
「これを外せるの、楽しみにしてたんで」
もう片方の目もパキッと外し、誰とも知らない愛人の手を一つに重ね、木陰に隠れるように優しく置いておく。血を映したような双眼のスケルトンが、人狼の前に立ちはだかる。
「……今日が満月でよかったな。アンタ、最高についてるぜ」
満月の下でそう呟くラケーレ。すると、その体毛の黒茶が色が抜けていくかのように白くなっていき、そして毛先が銀色の輝きを手に入れていく。
「こんな明るい夜なんだ。力がみなぎって来る。月の光が、アタイの本性を映し出してくれる」
「……本性。悪くねえ」
「さあ! 『ルミノックス』を楽しもう!」
真の姿になった銀狼が、内なる戦闘狂を最大の笑みで表現した。
* * *
「なんだったんだ、あのスケルトン」
「戦うのが好きって性格、僕は永遠に理解出来なさそうだよ」
「うわ!? ウーブ!」
知らぬ間に真横にそいつが立ってた。
「ほら。邪魔なヤツは追っ払ったよ。早く自分のやることやってよ」
邪魔なヤツって、もしかして、ラケーレを連れてったのってそういうことだったのか。でも、正直助かった。この男が何をしでかしてくるか。復活した体力を無駄にしたくなかった。
今なら真向から向き合える。横にアルヴィアと七魔人もついてる。この魔物嫌いな王子様に。そして、この醜い争いにケリをつける時だ。




