113 身動きできない心臓
――囲い込めー! 魔物どもを袋叩きにするぞー!
――ゴロ、コロセー! ミナゴロシ、シテシマエー!
……開戦の火ぶたが切られる時、クイーンたちの戦いも激化していく。
「もう一回泣き叫べダドー!」
重たいフックが、オデの頬を貫かん勢いで振り抜かれて、たまらずオデは地面に手足をつけてしまう。さっきっからオデはやられっぱなしで、立ち上がるのもやっとなほどだった。
「ん? 騒がしいダド。これはもしかしたら、魔物と人間どもがぶつかっているかもしれないダド」
それを聞いてオデは顔が青ざめるような心境になる。
「そんな。まさか、本当に戦争が起こったダヨ?」
「やっとこの時が来たダド。もうお前に用はないダド。お前、弱すぎて準備運動にもならなかったダド」
弱すぎて……弱すぎて……弱すぎて……。
頭の中で言葉が反響する。いつもだったらその一言はスイッチだった。けど、このゴーレムには怒りなんてものが沸き上がらない。それ以上にオデは今、このゴーレムに殺されるんじゃないかという恐怖が心を支配していた。
魔物は臆病な生き物。クイーン様はそう言ってたけどその通りダヨ。敵わないと思った相手には、これっぽっちも体が動かせなくなって、戦う気力もなくなってしまっているダヨから。
「魔物だー!」
遠くからの声。オデの知らない、装備を来ている怖い人間たちの軍勢がずらりと並んで歩いている。
「ゴーレム二体発見! 隊列C! 打撃部隊を先頭に、進めー!」
「「「うおおー!」」」
百人以上の大群がぞろぞろと走ってきて、瞬く間にオデたちは囲まれてしまった。
「んダド! またやってきたダドか! 邪魔するなダドー!」
黒いゴーレムは持ち前の電撃で辺りの兵士たちを問答無用に跪かしていく。倒れていく仲間を見て、指示だしの人が血相変えてそちらに集中攻撃を命令していく中、オデは武器を持った人間たちが怖すぎて頭を抱えてずっと伏せたままいるしかなかった。
――攻撃してこない?」
――弱ってる証拠だ!」
――息はまだある! 止めを刺せ!」
体の節々から丸くて重たいもので殴られていく。岩の体でも、本当に砕けてしまいそうに固い武器たち。怖くて悲鳴も上げることすら出来ず、彼らがどんな顔してオデを殴っているのか顔すら上げられない。
クイーン様の顔が思い浮かぶ。誰か助けてほしいダヨ。アルヴィア殿。テレレン殿。誰でもいいから、助けてほしいダヨ。
オデは、こんな人間たちと戦いたくなんてないダヨ。
* * *
今は静かなコウモリに続いて街中を歩き続ける。魔王の娘御一行の声は聞こえなくなったけど、代わりに外の騒ぎが増したような気がする。どこに行ってももう王都の周りは祭り騒ぎで、どこへ行っても平穏なんてものはなさそうだ。
早いとこ鎮まってほしいけど、まあ、七魔人程度の僕じゃどうしようもない。とにかく、アーサーたちのことを見つけないと。
「――なぁおいウーブレック~」
空から声が聞こえた。そして頭上からアーサーが目の前に降ってきた。
「助けてくれ。ある女が俺のことをずうっと付きまとって来るんだ」
「平然と上から降ってきて、流れるように僕に頼み事するの辞めてくれない?」
「なあ頼むよ~。お前は話し上手だろう?」
まさかの向こうからやってくるとは思ってなかったけど、まあ好都合か。きっと待っていればもう一人の子もやってくるだろうし。
「……なんで彼女はお前をそこまで狙ってるの?」
聞かれたくなかったことだったのか、肩に乗っかっていた手がだらりと下りていく。
「あの子は人間の中でも賢い部類の人間だと思うよ。そこまで君に執着するには、何か理由があるんでしょ?」
「仇だってさ。妹の」
「……そういうこと」
敵討ちという言葉は、僕らは生きていけばいくほど何度も耳にする言葉だ。僕らはいつだって、その仇として演者に仕立て上げられるのだから。
「人間側に勝手に攻めよられて、自分の身を守るために返り討ちにしただけだった。僕らの界隈じゃよくある話だね」
「向こうから勝手に襲ってきてるっていうのに、俺らにどうしろって言うんだよ、ほんと」
「大方、さっさと全滅してくれ、ていうところでしょ。僕らを好む人間なんていないし」
「そいつをどうにかしなきゃ俺が死ぬところだったんだ。ていうか実際頭は潰されたからな。仕方のないことだと思うだろう? 俺は殺さない程度には手加減してやったつもりだぜ?」
「いや、お前の手加減はあまりあてにならないよ。事実――」
背を向けていたアーサーを庇うように腕を広げて、僕の眼前まで迫ってきていたアルヴィアの剣を止めた。彼女の恐ろしい表情を僕は初めて見て、アーサーのいい加減さを再認識する。
「これだけ彼女が怒っているんだし、謝罪の一つでもしておくべきなんじゃないの?」
気だるそうに振り返るアーサー。アルヴィアの睨みが僕にも向けられる。
「どいてちょうだいウーブ。用があるのはこのスケルトンだけなの」
「見れば分かるよ。でも、君は彼と関わらない方がいい」
「止めないで。こいつには死よりも恐ろしいものを味わってもらわないと」
その脅しにアーサーの反応は「おーこわ」と一言呟いただけ。それもそのはず、既に死体である彼に死よりも恐ろしいものなんて味わいようがないし、そうでなくとも、こいつだけは他の魔物と違って特別だ。
「痛みとか、死とか、そういうのはこいつには与えられないよ。彼の心臓はここにはないから」
「じゃどこにあるのよ。その頭蓋骨を割れば死ぬんじゃないの?」
「普通のスケルトンならそうだけど、こいつの場合はそうじゃない。こいつの命は、スケルトンとして蘇った日からずっと墓場に置きっぱなしなんだ」
「墓場に置きっぱなしって。何なのよそれ? 私はほら話をしている余裕なんてないの!」
「悪いけど本当のことだよ。今ここでアーサーを倒しても、こいつはまた復活する。心臓が新しい骨を集めてね」
彼にまつわる真実を包み隠さず話した。それを信じるかどうかは彼女次第だと思ってたけど、彼女の手からカタカタと音が聞こえてくると、持ってた剣が震えて出していて、煮え切らない憤りがとうとう爆発してしまったかのように、その子は持っていた剣を殴るように捨ててその場に膝をついた。
「どうして……どうして、よりによってレイリアが……。私の魔法が、彼女に備わっていたら……」
ボソボソと独り言をし始めた途端、淡く光った水滴が一滴落ちていった。僕は真実を伝えただけだけど、この後どうすればいいかまでは考えてなかった。人間の心は僕には読めない。誰かを傷つけられた悲しみとか、泣いてしまうほどの悔しい想いなんてものは、生涯一人で影に生きていた僕にはわかりようがなかった。
「……ウーブレック。謝るだけでこの場が済むと思うか?」
「難しいかもね。彼女の痛みは、僕らじゃ理解しきれない」
「理解、ね。しようとするのがそもそも間違いじゃねえの?」
そう言うと、アーサーはいきなり自分の右手をもぎ取った。体は離れても感覚は繋がったままで、その指先が動作を確かめるように動いている。
わざわざ切り離して何をするかと思えば、そのままアルヴィアに近づいていき、その手を彼女の手に大覆わせ、上から装着させるように固定させた。
「何よ、これ」
アーサーは一度無視して左手の方も同じように重ねがけ、右の手首の骨をトンカチのようにして叩いてそっちも切り離す。
「ちょっと!」
アルヴィアが骨の手を外そうと手を入れるも、びたっとくっついた手は中々引き剥がせない様子だった。アーサーは両手首の骨を、今度は頭を首の付け根の部分に引っ掛け頭蓋骨をも外そうとする。
「これ以上追いかけられても困るんだ。お前の中にある俺への憎しみはさ、こいつを殴って晴らしてくれよ」
「はあ? 何が言いたいわけ?」
コポンと頭が外れた。器用に右手首の骨にそれを乗っけて、僕の方に突き出してきた。どうやら目を覆っている人間の手を外してほしそうにしていて、僕がそれを力強く剥がしてやると、アーサーは眼のない自分の頭蓋骨をすぐ傍の家壁に軽く殴っただけで埋め込ませた。体を離れた頭蓋骨が勝手に喋りだす。
「人間の皮膚は殴ると剥けて痛いだろうけど、骨なら問題ない。それをつけたお前は、思う存分俺の頭を殴ることが出来るんだ」
「外しなさいよ。あなたの手がくっついてるだけで不愉快よ」
「んじゃ俺を殺すか? どこにあるとも分からない心臓を、だだっ広い世界をちまちま歩きながら探すつもりか?」
「あなたから訊きだせばいい話よ。そうよ、あなたから聞けば心臓を潰すことだって――!」
大声が街の屋根を越えて消えていく。それ以上の言葉は、どうやら彼女にとっても不本意なことだったようで、叫んだ口を悔しそうに閉じていっていた。
僕に人間の感情はよく分からない。けれど、その時だけは確信的なものを感じ取った気がする。
この人はまだ、魔物を信じようとしてくれてるんだ。
「……本当に心臓を潰したかったら、僕に聞けば教えてあげられるよ。でも、その前に伝言を伝えさせてほしい。魔王の娘さんが君のことを呼んでたよ。時間が空いたら、このコウモリに道を聞いて行ってあげて」
頭上を飛んでいたそいつを、羽虫を追い払うように手で払いのけて向こうに飛ばした。それからアーサーに横目を向けるように後ろに振り返った。
「行こうアーサー。僕らは今、あまり人前に出ない方がいい」
「……あいよ」
人一人分の距離を進んでから、アーサーの返事と足音が聞こえてきた。




