109 次代を託される者たち
ボクの言葉に嘘偽りはない。心の底から、目の前にいるのはまがい物だって、何度だって断言できる。それだけの根拠がボクの中で揃っている。
「いきなり何を言うかと思えば。お父さんの顔も忘れてしまったのか娘よ?」
お父さんもどきの目が一瞬丸まった気がした。
「忘れるわけない。ボクが大好きな、そして憧れなお父さんのこと、絶対忘れるわけがない。だからこそお前がお父さんじゃないって分かるんだ」
偽物だ。まがい物だ。ここにいるお父さんそっくりなヤツは、別人による模倣の演技だ。
だって……本当のお父さんは……。
「これは……魔王の絵か。やけに細かいところまで鮮明に描かれている」
ログレスに連れてこられた部屋の中に、一つだけ壁に飾られていた絵画を見つけてそう呟いた。
「ここは私の息子の部屋だ」
息子の部屋と呼んだここには、なんというべきだろうか。人が生活している面影がないというのだろうか。寝るためのベッドや休むためのイスなんてものがなく、本棚も空っぽで天井のシャンデリアも灯っていない、まるで虫が住み着く寸前の廃墟のような雰囲気があるようで、そのせいかかえってこの絵が目立って見える。
「息子さんの部屋になぜ魔王の絵を?」
「頼まれたのだ。母親を失った理由を知った日に、私に描いてほしいとせがんできた」
「ほう。この絵をあなた様が」
「イブレイドは、きっと私以上に魔物を憎んでいる。誰よりも復讐の念に駆られている。人間が正義で、魔物が悪だと一番に信じきっている」
今一度ディヴォールの絵を見つめる。長い銀髪に凛々しい顔。黒いオーラが出ているところも、本物の彼にうり二つだ。
「なるほど。この絵は彼にとっての人生訓というわけですか。絶対の悪の、その根源を見失わないための、いわば道しるべ……」
……だが、姿を模しただけでは音波は変わらないわけだ。
「ああ。心が痛むようだ。実の娘からまさか存在を疑われてしまうだなんて。お父さんはずっとお前のことを思い、そのために何をすべきか悩んだ末にここまで来たというのに」
「適当だ。その言葉も、態度も、目線も息遣いも声色も威厳も全部。全部全部、偽物だ」
「なぜだ? 人間によって頭を狂わされたか? そうなのだろう、我が娘よ?」
「そんな野蛮な人間と出会ってないし、いたとしても返り討ちにしてる。そんなことよりボクが言いたいのは一つ」
息を吸い直して、豪勢に声を張り上げる。
「本当のお父さんなら、ボクを前に『娘』なんて呼び方はしない!」
グッと、大きく目が見開かれた。こんなことは想定していなかったと、もはやその双眼で語っているかのように分かりやすく。
「……そうか」
驚いていた顔が、影で見えなくなるほどに俯いた。そして、右の手から指がパチンと鳴らされた瞬間、お父さんの姿がゆらゆらと陽炎のように揺らめきだした。
幻影は薄れ、やがて真実の姿へ。圧倒的な存在感を持っていたお父さんになりすまし、この場でボクを欺こうとしていた本体が、徐々に徐々に映っていく。
「お前は!?」
立派な素材でしたてられた防具と、光ってみえる腰の剣鞘。頭は金髪で、整った顔立ちと溢れ出るリーダーの風格。お父さんとは、まるで正反対のオーラを感じる。
間違いない。前に街中で出会った、ウーブの首を一瞬で切断した国の王子。
――イブレイド・セルスヴァルアだ。
「まさか魔王の姿が偽物だってバレてしまうなんて。君は魔物のくせに、まるで愛情や絆なんてものを持っているみたいだ」
「魔物のくせに、なんてのは言いがかりだ。どんな魔物でも感情は持ってる。ゴブリンでもウルフでも、ゴーレムにオーク、ミノタウロスやハーピー、スライム、マンドラゴラにだって。感情を持っていない魔物なんてどこにも存在しない。あんな適当な演技でお父さんになりきれたと思ったら大間違いだ」
「醜いね」
落ち着き払った様子から出てきた、思わず眉が寄ってしまう一言。イブレイドはまるでボクを。いや魔物を見下すかのようにこう言った。
「君たちに感情なんて過ぎたものだよ。絶対の正義である人間にこそ、愛が何たるかを語るべきだ」
こいつは、根っからの正義主義なんだ。正義こそすべてで、正義こそ最後に勝つと、きっとそう信じている。信じきっているからこそ、ボクの前でこんな舐めた口を利ける。
「悪いがお前の正義論に付き合ってる暇はないんだ。メレメレや人間たちに嘘を吹き込んだのはお前なんだろ? 今すぐに、人間の兵たちを撤退させろ。じゃないと無益な犠牲者が何千と生まれることになるぞ」
「構わないさ」
「なんだって?」
あまりに涼しい顔でそう言われたものだから、思わず聞き返してしまった。
「そもそも僕の狙いは魔物の撲滅だ。そのためにこの戦争を引き起こそうとしたんだ。犠牲が出るのも想定済みなんだよ」
「狂ってるのか? そんな犠牲に何の意味があるんだ!」
「君こそ何を言っている? この瞬間から、魔物が消えた世界が出来上がる。もう僕らが怯えて暮らすことのない、絶対平和の時代が訪れるんだ。人間がどれだけ君たちを恐れて生きているか、君には知る由もないだろう」
「好き勝手言いやがって。そもそもこの戦争ですべての魔物が消えることなんてあり得ない。たとえ魔物が負けたとしても、そこから逃げて、隠れたヤツがまた繁殖して、そしていつか、お前ら人間に復讐を誓う。そんなのがお前の望みなのか?」
「君たちは必ず根絶する。子孫や種すらも残さず全部刈り取る。この戦争の後のことだって、既に考えているんだよ」
すべての準備が整っているってか。そんな用意周到なこと、一体いつから考えていたんだ。
「……その顔、不思議がっているね」
「え?」表情から思考を読み取られた!?
「僕はね。産まれて間もない頃に母上を失ったんだ」
胸元に手を当てながら、でも淡々と、幼子に昔話を読み聞かせるかのように話が続いていく。
「僕と母上の記憶は一つもない。それがただの事故なら仕方がないって思えるだろうね。でもそうじゃない。父上から聞いたのは、母上は魔物によって殺された事実」
「違う! その時にいたのは魔物じゃない!」
魔物ではない、悪魔の存在を投げかけてやろうとしたけど、イブレイドはボクの言葉を足蹴にした。
「人間と魔物以外に、この世界で殺意を抱く生き物がいるとでも? まさか。君たちの同胞が母上を殺したんだ。だから僕は復讐を誓った。復讐のための計画を練った。そうさ。この計画はすべて母上のため。それを忘れないための計画名だ。『ラム・アファース』。母上がご結婚なさる前の名前だ」
「お母さんの名前を計画名にって。お前のお母さんがこんなこと望んでいるとも限らないじゃないか」
「いいんだよ。僕の望みは母上の望みであり、母上の望みは僕の望み。それが、親子なんだよ」
そう言い切ると、この長話を終わらせようとイブレイドが剣を引き抜いた。
「ラム・アファースの最初の犠牲者は誰か知っているかな?」
「……まさか」
「そう。君だよ」
平然とした殺意を向けられた。浮かべられた微笑は、なんだか既にボクの心臓を握りしめているかのようでとても不気味だった。
「初めて君を見た時、君から感じられた魔力からまさかと思ったけど、本当に僕の目の前に現れてくるだなんて。でも、ごめんね」
最後の一言は、攻撃を仕掛ける合図だってすぐに分かった。来ると分かっていたんだ。
でも。それでも――
「ぐはっ!?」
気がついた時には胸元が貫かれていた。人間の心臓が位置しているところから、生暖かい液体が溢れ出てきている。思わずボクは片膝をつくようによろめいてしまって、ハッと気配を感じて後ろに目を向けてみると、一瞬にしてイブレイドがすぐそこに移動していた。
「幼気な子どもをいたぶるようで、僕も心が痛むね。でも、君は魔王の魂を持つ存在。その心臓はどこにあるのか明かされていない」
「っあが!?」
また痛みが走った。今度は腹のど真ん中から血が噴きだしてる。たまらず両手が地面について、体に五人分の人間が乗っかっているような重みがかかって倒れそうになる。
一体何が起こっているんだ。何も分からない。気がついた瞬間に体を斬られている。人間よりかはある自然治癒能力でも、こんな頻繁に体を貫かれれば間に合わない。魔王としての心臓が見つかるのも時間の問題だ。
いや、冷静に考えろ。こんなのは単純だ。人間でボクの目を盗むような速さや動きなんてあり得ない。可能性があるとしたら、その潜在能力に関係があるはず。
「――なぁ、なんだ」
「うん?」
「お前の、魔法。この攻撃も、魔法の効果なんだろ?」
「関係ないよ。今すぐに死ぬ、君には」
「かあっ!?」
またやられた。今度は右肩の関節。
「心臓をあぶり出してやる。絶対に!」「うぐあっ!?」
左の肘。鎖骨の中心。腰の下。ふくらはぎ。
「ここでもない。ならここか!」「――があっ!!」
すねの皮。膝の関節。かかとから入って足のくるぶしまで。
「ここか? ここか? ここなんだな!」「――うがあぁぁ!!」
痛い。痛い痛い痛い!
体のそこら中から血が止まらない。手足も胸ももう真っ赤。ボクの肌白い素肌がまるで変ってしまっている。
もう体が倒れる寸前だ。両手両膝がもうプルプルだ。でもそれ以上に、意識が飛びそうだ。痛みが度を通り越して、その感覚すら麻痺しようとしている。
「……首元も違ったか。残ったところは、頭だけ」
――マズい。さすがに頭を狙われたら、本物の心臓が!
「さっさと終わりにしよう。計画の最初の段階で、無駄に時間を浪費したくないんだ」
慈悲もなく、イブレイドが頭上で剣を持ち上げていく。このまま真っすぐに振り下ろされれば、頭が真っ二つに割れる。ついその銀の輝きに、ボクは直感してしまう。
たった一言。とても。この上なく単純な言葉で。
――このボクが、死ぬんだ。
「消えてくれ、悪夢よ」
それが降ってくる瞬間は、やけに遅くとも、しっかりボクの両目に映った。落ちてくる動きが鮮明に、今まで見えていなかった攻撃がはっきりと。
死の瞬間ってのは、そうなのか。何かが頭の中で研ぎ澄まされて、こんなにもゆっくりに見えるようになるんだ。でも結局ボクは抗えない。体が動かない。声も出ない。
だから、そう。待つだけしか出来ない。ただしばらく、これがボクの心臓を真っ二つにする瞬間まで、見ていることしか――。
「――『ネロス』だろ?」
遠のいていた意識の外から、キーンと甲高い金属音が確かに聞こえた。真っ暗になりかけていた視界から光が消えない。まだ、ボクの意識が途絶えてない。頭も切れてない。
「お前の魔法の名称。その効果は、世界の時間を止めるもの」
この声は……聞いたことがある。高貴に振る舞ったような、男性の声。だんだん、視界がはっきりしていく。豆粒ほどだった光が、次第に広がっていって目の前で起こっていた光景を映し出す。
「……なんのつもりなんだい? 『ギルエール・フォン・リーデル』」
どこからともなく現れたそいつは、イブレイドの攻撃からボクを護ってくれていた。




