104 強情
ボクらは一言も発しようとしない。ただ互いに見つめ合ったまま、頭の中ではどんな態度で接すればいいのかと意味もなく焦燥感に襲われている。
「……っふ。そういうことか」
なぜかアルヴィアと一緒にいたギルエールが、ボクらを見て何かを悟った。
「クイーン様……」
彼女の隣についてるテレレンが、クイーンと私の顔を交互に見つめていく。不安そうな気持ちを誰よりも抱えているかのように。
――もしも私が素直になれたなら。さっきのギルエールのように、自分が馬鹿なヤツだって理解出来れば、私はクイーンにごめんなさいの一言が言えるのか。
――もしもボクの器が広ければ。悲しみを押し殺したお父さんみたいに魔王として振る舞えたのなら、あの時アルヴィアにぶつけられた言葉をすべて受け止め、今ここでも仲直り出来るのかな。
…………。
あれ?
ボクはこいつを許したいと思っているの?
本当に彼女を、私は許せると思っているというの?
忘れられない記憶の傷跡が呼び覚まされる。診療所であられもない姿に変わってしまった妹。刻まれた私のトラウマ。胸の奥が押しつぶされる感覚。
耳に残った言葉たちが勝手に蘇る。「ちょっと甘いと思うわクイーン」「覚悟が足りないって言ってるのよ」「そんなので世界を変えられるっていうの?」
理想のために生まれてしまった、あまりに大きすぎる犠牲。こんなことを許せば、その波及が更に広がっていくかもしれない、私やまた妹に降りかかるかもしれない不安。
裏切り者の、今までのすべてを否定する嫌味。気持ちがくじけそうになろうが心に棘が刺さろうが、必死こいて頑張ってきたボクの努力を真っ向からへし折ってきた苛立ち。
そうだ。
ボクは
私は
――こんなヤツを許しちゃいけない。
「……時間がない。急ごう」
「え? ちょっと、クイーン様!」
ボクの意志は固かった。頑なにアルヴィアを許そうとせず、もはや思い出すのも嫌になって駆け足になってそこから離れていった。
「はぁ。どうしてこんなところまで父親に似てしまったのか」
やれやれと首を振っていたゼレスさんが、私の前から勝手にいなくなったクイーンを追いかけていった。その場に残ったテレレンが、戸惑いを隠しきれないようにまた代わる代わる私たちを交互に見てせわしない。
「えっと……えっとぉ……」
何も言わない様子に、私の足が彼女を無視するように動き出す。背後からギルエールが「いいのか?」と立ち止まったまま訊いてきたけど、私の意志は揺れ動かない。
「待って、アルヴィア姉ちゃん!」
テレレンが駆け寄ってきて、とおせんぼするかのように立ち塞がってくる。
「アルヴィア姉ちゃんが怒ってる理由、テレレンには分かるよ。妹のレイリアさんにあんなことがあったんだもん。家族を傷つけられて怒らない人なんていないよ。でもね。それはきっと、クイーン様も分かってるはずだから。本当はクイーン様が一番、アルヴィア姉ちゃんのこととっっっても心配してるはずだから」
自分より年下の子にそう言われたからか。それともテレレンの必死さが可愛らしく思えたからか。一瞬だけ憤りが引っ込みかけた。けれどもすぐに彼女の顔がフラッシュバックして体が火照る。
「心配してくれてありがとう。でもごめん。もう少しだけ時間が欲しいの」
「そっか……」
露骨にしょんぼりとされて、言った私もちょっとだけ胸が痛んだ。けど今はまだ無理だ。あの姿を思い浮かべるだけで死にたくなるほど息が苦しくなってしまうから。
「芯の弱いヤツだ、相変わらず」
一緒にいたギルエールから憎まれ口を叩かれる。
「何よ。何も知らないくせに黙っててくれる」
「『今更もう遅い』なんて言って俺の前からいなくなったくせに、今度は居場所とも言っていたあいつの前から離れようとしている。あの時の言葉は全部まやかしだったんだな」
「まやかしなんかじゃ――!」
躍起になってそう反抗したけど、すぐに今の発言が失言だったと後悔する。
「……それじゃお前の居場所はどこだ? 俺のとこでもない。あの小娘のところでもない。家出をしといて今更家族の元などとも言うまい」
……正論だ。悔しいくらいに正論。
「居場所なんて言葉はお前にとって軽いのかもな。一つのイスに座れるのは一人だけというのを知らない子どものようだ」
「私は……私は……」
上手い具合の言葉が見つからない。居場所がどこかにあると思っていたのに。居場所を求めてギルドに入ったり街を出て行ったりしてきたのに、気がつけば全部自分でその陽だまりを奪ってしまっている。
今私のいるところは暗い闇の中。深海のように冷たくて、身動きの取れない閉所のように精神が蝕まれる孤独の底。
でも、孤独を受け入れなければレイリアはどうなるの? 傷ついた彼女が目覚めるのを誰が待ってあげるの?
……いいえ。
こんなの全部言いわけ。クイーンは確かに言っていた。レイリアが無事な姿になるまで、一緒に待ってあげるって。その時寄り添ってくれたのは崩れそうだった心の支えになっていたのに、それを無視していた。
クイーンは悪くない。彼女本人は、本心から私のことを心配してくれていた。
それでもまだクイーンを憎んでしまうのは、彼女の立場がちらつくから。次代の魔王に、今の魔王やこれまでの魔物たちの蛮行が重なってしまう。それに理想としている平和な世界を思い描いても、きっとその中にレイリアを傷つけた魔物も平穏になった風を感じている。それが何より罪深いこと。
私はそいつを許せないだろうし、一緒に生きることも難しいと思う。意識しなくても一瞬だけでも視界に入ってしまえば絶対に無理。
それじゃ私はどうするべきなの? クイーンに謝って魔物たちを守るの? それとも、本当にここで決別して改めて人間たちの正義に従って生きていくの?
……駄目だ。
何もかも、分からなくなってきた。
「お前がどんな人間か教えてやろうか?」
そう言うや否や、ギルエールは間髪入れずにこう告げてきた。
「感情に流される女。それでいて自己中なヤツだ。いつか万能な精神安定剤が出来ることを祈るべき人間なんだよ、お前は」
突きつけられた言葉は、彼に直接胸をどつかれたかのように重く強くぶつかってきた。怒りはさらに募っていって、もはや目に映るすべてを壊したいくらいだった。
「その時の感情で動くヤツは、さすがに使えそうにない。お前にも協力してもらえることがあるかと思っていたが、どうやら駄目そうだ」
「別に、元々協力するなんて一言も言ってないじゃない」
「またそうやってすぐに感情に流される。だからお前はすべてを失うんだ」
反発するように苛立ちが込みあがってきたけど、そんな自分を認識してしまって返す言葉を見失った。ギルエールは身を翻して今来た道を戻っていき、途中の角を曲がってその背中が見えなくなった。
なんだかあの時と逆のようだ。私が分かれを告げて、彼との関係を断ち切りそこを去ったあの日の。前はあいつが一人ぼっちになっていたのに、今度は私がそうなってしまっている。
「テレレンはいるよ!」
目端に映っていたハートのアホ毛が上下に揺れ動いた。
「テレレンは一緒にいてあげる。一人ぼっちが寂しいことだってテレレン分かってるから。だから、アルヴィア姉ちゃんのこと、一人になんてさせないよ」
……素直に、心が温まってしまった。全く私は。年下な子からこんなに健気なこと言われちゃうなんて。全く情けない。
「ありがとうテレレン。今はまだ、許せないこともあるけれど、でも、なるべくテレレンが望む通りのことになるように、私も努力してみるから」
「ほんとう!? それならテレレンも嬉しいなぁ。あーでも、別に無理はしてほしくないかな。アルヴィア姉ちゃん自身の気持ちをちゃんと大事にしてあげてほしい。素直な自分と向き合って、それで出てきた答えをクイーン様に伝えてほしいな」
「優しいのね。でもそれだと、本当に許せなかった時にテレレンを悲しませるかもしれないわ」
「大丈夫だよ。クイーン様はどんな気持ちも受け止めてくれるから。テレレンのナイフだって心臓で受け止めてくれてたんだよ」
「そうなの? そんなこと、あったかしら?」
「あ、そっか。あの時アルヴィア姉ちゃんは外に出てたもんね。あの時のクイーン様すごくカッコよかったんだよ。テレレンのおばあちゃんって言ってた人が魔法をかけてたんだけどね――」
マジックライターを暴いた時の話。あの時、クイーンに成りすました放火魔と戦っていた時に屋敷で起きていたことを、テレレンは嬉々とした表情で話し続けていった。
* * *
「いいのか? 彼女は大事な友達なんだろう?」
ゼレスおじさんがしつこくそう訊いてくる。今やっと街の外に出てきたけど、ここに来るまでそんな質問を四、五回くらい訊かれてて、いい加減ボクもうんざりしてきた。
「分かってるよ。ボクだって分かってる。だけどあいつがいけないんだ。あれが本心だったかどうかは関係なくて、ボクのこれまでを笑っていたって言ったのが悪いんだ。煮え湯を飲まされたこっちの身にもなってよ」
「感心しないな。次代の魔王たる者がそんな小さな器では。それに、君が目指しているのは魔物と人間の共存する世界なのだろう? その唯一の理解者である人間を手放すなど、この上なく愚かな判断だと思うが」
「う、うるさいって! とにかく、今はアルヴィアのことは後回しでメレメレの方だ。戦争が起こらなければあいつとはまた話せるんだから」
「……やはりまだ半人前だな」
さっさと歩き出した際、背後からそう聞こえたようが気がした。ゼレスおじさんの近づく足音がして、今度は切り口の違う質問をしてきた。
「あのゴーレムは呼ばないのか?」
「ドリンとは後で合流する。先に話し合いだ」
「お前たちが今、バラバラになってしまうのはあまりよくないことだと思うが」
「ちゃんとすぐに合流するって。そんなに心配しないでよ」
もう何かを訊かれるのは懲り懲りだ。とっととメレメレのヤツと話をつけてしまおうと、ボクは歩く足を速めていった。




