43.小さくも気高い彼女の背中:後編
・・・再び、訪れる静寂。賑やかな周囲の声と安らかな漣の音を私の意識は再び認識し始める。吹き抜ける海風、目の前の砂浜に反射するじりじりとした日射し。
その熱に充てられてか、虚ろに私は言葉を漏らす。
「私は・・・私は嫉妬したんですの。アナタに。」
唐突に出てきた私の言葉にあかりは怪訝な表情を浮かべた。その様子を横目で流しながら私は続ける。
「アナタが入学直前に起こした事件。実は、あの現場に私も居合わせたんですわ。」
「貴女も?」
「ええ。でも、私は何もしなかった。ただ茫然と、事態が収まるの待っていましたわ。」
「いや、それが正解だからね?」
私の話に困った様にあかりはそう答える。でも、私はそれに構わず更に言葉を続けた。
「ええ、そうでしょうね。当時の私も、その考えがあったからこそ行動を起こさなかったのですから。———ですが、あの時のアナタは放置しなかった。間違った事だと、分かっていながら周囲の危険を鑑みてそれが最良だと判断したんですわ。・・・・その様な考えは、私にはなかった。」
「・・・・だけど、エカチェリーナ。それは——」
「『経験』とおっしゃるんでしょう?どうやらアナタは、修道院に来る前から多くの実戦を経験した様ですから。」
「多くって・・・そんなに馬鹿みたいに戦闘に参加してる訳じゃないわよ?」
「ですが、それだけが理由ではありませんわ。」
「・・・・・?」
あかりの事を半ば無視して発した私の言葉に彼女は怪訝な様子で私を見つめる。その彼女の強い視線を肌で感じながら私は膝を抱えた。
「・・・・アナタの魔法を初めて見た時、ただ純粋に、綺麗だと思いましたわ。一切の無駄なく悪魔を切り伏せる帯、緻密に構築された多くの魔術、華やかで清廉なあの姿。アナタの魅せたそれは、魔女と呼ぶには余りにも・・・美しかった。」
あの時——授業の戦闘シミュレーションで見たあかりのあの戦い、あの姿は今でも鮮明に覚えている。
身に纏う艶やかな衣装、そこから延びる八本の帯。それらが羽を伸ばすかの様に広がり、四方八方から襲い来る悪魔を全て切り伏せる。柔らかくも鋭い、洗練された動き。パズルの様に緻密で精密に組み合わさった多数の魔術は、最早芸術の様で。なのに、その表情は気品そのもの。陰りなんて欠片ほども映らない。
決して、完璧な戦闘だったとは言えない。でも、それは気高く鮮やかで。『戦闘』と呼ぶには余りにも不躾な———優美な舞の様だった。
「——だからこそ、アナタを不愉快に感じたんですわ。」
不格好な、私のそれとは程遠い。綺麗なあなたのそれに・・・・・嫉妬した。
「どうして、それほど美しくあれるのか。どうして、それほど強く在れるのにアナタはその強さを否定するのか。私より優秀でありながら私の事を見上げるアナタを、私は認められなかった。」
「・・・・・」
「だから、私はアナタに強く当たった。・・・・認められない。アナタという存在を、アナタという価値を私は意地になって否定しようとした。その所為で、私は重大な過ちを犯しかけた。」
あんな、下らない事をしてしまうほど・・・アナタより優秀だと証明する為になどと、粋がって盲目になってしまうほどに——
——私は、あなたが羨ましかった。
「私は、愚か者ですわ。」
私の自白が終わると黙り込んでいたあかりがため息をつきながら怪訝な表情でぽつりと口にする。
「分からないわね。」
「・・・何がですの?」
また意味の分からないこと言い出す彼女に私は膝に埋めた顔を上げて意味を尋ね返した。すると、信じられない言葉が彼女の口から返ってくる。
「貴女がそこまで私を評価する理由が。——確かに、人より多少知識があるのは認めるわ。でも、それ以外に特質したものを私は持ち合わせていないわ。魔法自体はどこにでも居る様な武装系の魔法だし、戦い方だって無駄な動きが多いってよく言われるわよ?貴女の様な高度な魔術を構築できる訳でもないし、魔力の量だって同級生の中でもかなり少ない方だと思うけれど——」
「——っ!それですわ‼」
「はい?」
私の憤りの声に間抜けな声をあかりは漏らす。そのなんとも気の抜けた反応に私の憤りは更に膨れ上がり、彼女に向って捲し立てる様に声を荒立てた。
「アナタはそうやってすぐに自分の事を卑下する!自分がどれほど他と劣っていようとも自らの欠点を理解し、それを補う事ができるのは立派な才能ですわ!それを認め、評価する者がここにはいるんですのよ!」
「えっ、ちょ——」
「それに、新人大会の予選で見せた『あれ』を忘れたとは言わせませんわ‼あの様な芸当を成せる者が一体何に劣ると⁈」
「あれは——」
「それから、同じ日にさも当然の様におっしゃいましたけれど、どれほど訓練された魔女でも魔術の同時展開は四つ程度が限界ですわ。それをアナタはいくつ展開してるとおっしゃいましたの⁈」
「・・・あー・・・とりあえず、落ち着こ?みんな見てるよ?」
「・・・・アナタがそんなだから、私は、私が惨めに思えてくるんですわ。もしアナタが劣っているのであれば・・・それにすら劣る私は、何なんですの?」
私の口から溢れ出た本音にあかりの表情は曇りを見せた。初めて見る彼女の表情。でも、そんな表情に反応できるほど今の私には余裕はなく、言い争いに等しい私達の声に集まる周囲の視線に私は息苦しさを覚えた。
「それにもう一つ、アナタの気に食わないところがありますわ。」
「まだあるの?」
ここまでくれば最早愚痴にも等しい私の言い分に、いい加減うんざりした様子のあかりがそう漏らす。だが、私はなりふり構わずあかりに尋ねた。
「アナタ、常にブーストを張ってますでしょう?いつ、どこで会っても。・・・今も。」
「・・・・・・」
私の言葉にあかりの表情が急に硬直する。まるで知られたくない事実を知られたかの様な焦りの表情——
「上手く誤魔化していますけれど、アナタは常にブーストを張っている。それは、肉体保護のみならず筋力強化さえも。」
「・・・『魔女の目』、か。そっか。そりゃあ、気づくよね・・・」
魔女の目——それは、一部の魔女が先天的に持つとされる特殊な能力。魔力感知能力とは別の能力で、本来視認する事のできない魔力を可視化する事ができるというもの。それにより魔力の流れや魔術式などを鮮明に識別する事ができる。
私も、その能力を持つ者の一人。そして、その私の目には彼女の身体は常に肉体強化魔術の魔術式が描かれた魔力の膜に被われている様に見える。
——しかしそれは、決して普通な事ではない。
「どうしてですの?その帯だってそうですわ。何を警戒してそんなに身構えているんですの?ここには悪魔なんていなければ、アナタを脅かす者もいませんわ。・・・アナタは、何をそんなに怯えてるんですの?」
魔術の常時展開というのは当然簡単なものではない。魔力の消耗はもちろん、精神的にも肉体的にもかなりの負担を背負う事になる。
その為、現役の狩り人でもそんな事をやる者は少ない。やるとすればせいぜい第一級狩り人の様な上級魔女くらいの魔力と精神に余力のある者だけでしょう。
だからこそ、彼女のそれは異様なんですわ——
度重なる私のしつこい追及にあかりもとうとう根負けした様で、分かりやすい大きなため息をすると諦めた様に肩を落としてゆっくりと答える。
「見えているものが違うからよ。」
また意味の分からない事を言い出した彼女に私は顔を歪ませる。もっと明瞭な文章として発言してくださる?と、彼女に別の憤りを抱いていると急に彼女は私に尋ねてきた。
「ここには悪魔なんていない・・・今、貴女はそう言ったわね。」
「ええ。」
「本当に?断言できる?」
「・・・ええ。」
私が明確にそう断言すると彼女は表情を暗くして言葉を漏らす。
「そうよね。でも・・・私には、それができない。」
「・・・はい?」
できない?・・・それは、一体どういう———
「私はね、エカチェリーナ。——魔力を感じ取れないのよ。」
「・・・・はあ⁉」
意味も訳も解らずただ呆然と考えているとあかりが急に衝撃の事実を告げた。それにより一瞬にして私の思考が停止する。処理できない情報が頭の中をぐるぐると廻り、度重なるエラーを吐き出して思考の再起動を阻む。
「だから、悪魔がいるかどうかも——」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ちなさい!魔力を感じ取れないって・・・どういうことですの⁉」
動揺を隠せない私が慌てて話を止めて彼女に改めて言葉の意味を尋ねる。だが、困惑する私を差し置いて彼女は至って冷静に淡々と答えた。
「その言葉通りよ。私は魔力という概念を感じ取れないの。他人の魔力も、自分の魔力も、真横にいる貴女の魔力でさえ、私は感じる事ができない。だから、ここに悪魔がいるのかどうかも、ここにいる一体何人の人達が魔女なのかさえも、私は分からない。」
では、比喩でもなんでもなく。事実、そういう疾患を抱えていると?・・・ですが・・・しかし、そんな事———
「・・・そんな事・・・あり得ませんわ。魔力は魔法を使う上で必要なエネルギーなんですのよ。それを感じ取れない魔女なんて、この世に存在し得ませんわ!」
「それが居るのよ。ここに。」
私の言葉にあかりは肩を竦めて諦め交じりの悲しげな声ではっきりと答えた。その真っ直ぐな赤い瞳の奥には偽りの影はない。
「本気で、言ってますの?」
「逆に、こんな下らない嘘を堂々と吐けると思う?」
「・・・思、えません・・・思えませんけれど、でもそれではまるで——」
「魔女じゃない?」
私が言おうとしていた言葉を彼女は僅かに微笑みながら口にする。その表情はとても痛々しく見るに堪えなかった。
「私が・・・他より劣っていると思う一番の理由は、そこにある。魔力を感じ取れなければ、悪魔は識別できない。それどころか魔法の制御だって困難になる。だから私は、あらゆる手を尽くして武器を見繕って、常に鎧を着て備えておく必要があるの。いつでも、どんな状況でも戦える様にね。」
「・・・・・・」
「尤も。ブーストを常に張る理由は、ただ単純に身体が貧弱っていうのもあるんだけどね。」
・・・・知らなかった。
彼女がそんな事情を抱えているなど、彼女の普段の姿からは想像すらつかない。いや、事実を知った今でもそれを受け入れ切れない自分がいる。
それほどまでに、彼女は自然で。ごく普通に魔法も、魔術も使っているんですの。——とてもではない。そんな疾患を抱えているとは、到底思えない。
でも・・・でももし、そうであるならば一つ疑問が残る。
「では、アナタはどうやって悪魔を識別してるんですの?」
そう、彼女はこれまで悪魔を正確に識別していた。彼女が関わった事件の全てにおいて。そして魔力も同様に。であれば、今の彼女の話ではこの事実に説明がつかない。
「ん?んー、感。」
「はあ⁉」
またもや彼女は衝撃的な事実を私に告げる。もう、彼女が冗談を言っても私にはそれが冗談であると判別できなくなりそうですわ。
「って言うのは半分冗談で——」
実際冗談だった様ですわ。殴りたい。
「気配で識別してるの。」
私の気苦労を知らず彼女はそんな事を口にする。湧き上がる憤り紛いの呆れの感情。それを密かに抑え込み、握りしめた拳を開きながら私は詳細を尋ねる。
「気配・・・ですの?」
「ええ。物にはそれぞれ特有の気配があるの。人には人の、物には物の、悪魔には悪魔の。それを頼りに朧気に識別してるわ。だから私は、ある程度悪魔を選別する事はできても、それが悪魔だと断言する事はできない。魔力も同様に。」
だから、『見えているものが違う』と・・・
「では、もしかして、アナタのあの異常な反応速度は・・・」
「ん?・・・あー。周囲の人間との位置関係だったり、攻撃の兆候ないし予測だったりは気配でなんとなく分かるよ?でも、流石に分かるだけで情報処理は魔術に丸投げしてるけど。」
そう言ってあかりは困った様に微笑んだ。
しかし、実際その様な事がありえるのでしょうか。魔女でありながら魔力を感じ取れないなど、今まで聞いた事もない。
というより、魔法を操る者として本来起こりえない事ですわ。
ですが、かといってあかりが虚言を言っているとも思えない。これまでの彼女の言動には後ろめたさの様な悪意はなく、ただ真摯に私の問いかけに答えていた様に感じる。
だからこそ、それがどれほど現実とかけ離れたものであっても、彼女が語った事は決して嘘ではないのでしょう。
であれば——
「デタラメ、ですわ・・・」
「そうかな?でも、そうしなければ私は戦場という舞台にすら立てない。私にとってそれは基礎の基礎で、極々最低限必要な技術だった。」
「・・・・・」
さも当然の様にそう口にする彼女の言葉に私は胸が苦しくなる。・・・そして、それと同時に『勝てない』と強く感じた。
それほどの障害を抱えていながら能力が無いからと諦めてしまうのではなく、それにすら適応してしまう彼女の強かさ。その障害を他に悟らせないほどの彼女の高い技量。そして、それを決して言い訳しない彼女の気品。
彼女に、勝手に嫉妬していた自分が恥ずかしい。
———私こそ、ただのクソガキですわ。———
「カチューシャ、飲み物お持ちしま、し・・・たー・・・・・」
そこへ、飲み物を買いに出かけていたキアラが帰ってくる。彼女は両手にストローの刺さったカップを抱えて楽し気に帰ってきたが、あかりの事を見つけるなり引きつった表情をして固まった。
「だから言ったでしょう?貴女が思ってるほど、私は何も持っていないって。」
複雑な表情で硬直したキアラに気を使ってか、あかりはそう言って立ち上がり手を組んで身体を伸ばした。
「さ~って、せっかく来たんだから水遊びくらいはしてくるかな~」
いつもの気の抜けた声でそう言葉を残す彼女は浜辺で遊ぶフレンダ達三人の元へ走っていく。
煌びやかな砂浜。そこに映る一人の少女の小さな背中が、とてもたくましく見えた。
日はすっかり暮れ、夜の帳が下りた頃。海水浴を楽しんだ私達は修道院の寮へと帰り着いた。外灯に照らされる暗い夜道、各々大きなバックを抱えて疲れた様子で寮の門を潜る。
今日は、いろいろと予想外の事実を知らされて余計に疲れましたわ。
何より衝撃的だったのは、あかりが抱える魔女としては致命的な問題。そして、それを差し引いても余りある彼女の才能。
・・・考えてはいけない。その考えは彼女に対する冒涜だ。———しかし、それでも思わず考えてしまう。望んでしまう・・・・
——もし、彼女に魔力を感じる力があったなら———
そんな起こりもしない願望を抱く最中、寮のロビーを通り抜ける私をあかりが引き留める。
「今日は楽しかったわ。エカチェリーナ。」
そう口にしたあかりに私はため息を吐きながら肩を落として彼女の言葉を指摘した。
「いい加減、その呼び方やめてくださる?なんだか他人様の様で気色悪いですわ。」
「え、じゃあ、なんて呼べばいいのよ。」
こちらの気も知らないで間の抜けた顔で訊き返したあかりに私は再びため息を吐きながら彼女の方に向き直り答える。
「『カチューシャ』と呼んで下さって結構ですわ。——アナタ達も、ですわよ。」
「えっ、私達も?」
私の言葉にフレンダが困惑した声を漏らす。更にはそんなに意外だったのかエレナやヘレン達までもがお互い顔を窺って動揺している。・・・そんなに私は嫌な女に見えますの?
三人のあんまりな反応に私が思わず眉を潜ませていると、一人楽しそうな表情をしたあかりが私に言葉を返す。
「分かったわ、カチューシャ。」




