1.灯りは魔女の街へ
電車がその特有のガタゴトという音を立てながら長閑な田園地帯を走り抜けていく。車窓から覗く景色は電車の歩幅に合わせて流されて見えなくなる。
空に穴が開いたという『テンペスト』の日より千二百年後、西暦三二一五年四月。私は車内の椅子に座り電車と共に揺られながら窓の向こうの景色を眺めていた。
私、梅沢 あかりはこの春、イギリス・ロンドンを抜けた先のストレガという町にある魔女の専門学校、教団直下機関悪魔対抗術・魔女専門学校——通称『修道院』に入学する。
魔女とは魔法を操る女性達を総称でそう言うのだが、私はその修道院で魔女として悪魔に対する唯一の対抗手段である魔法を学び、いずれは悪魔を狩る『狩り人』になるんだ。
——というのは半分建前。
確かに私は修道院へ魔法を学びに行くのだが、私の本当の目的は、女に変質してしまったこの体を元に戻す方法を探ること。そして、家族を殺したあの一本角の悪魔に復讐を果たすこと。ただそれだけ。その為に私は今ここにいる。
だから、教団が目的とする悪魔根絶にも、万有の力とされる魔法にも正直なところ興味はない。
私は小さいため息を吐いた。
あの事件から、もう四年の歳月が流れた。もう世間からは、あの事故はなかったかの様にその記憶から忘れ去られてきている。
あの時見たあの一本角の悪魔は一体どこにいるんだろう。今もどこかで誰かを苦しめているんだろうか。・・・あの時の様に——
そんな事を思いながら車窓の景色を覗いていると車内にアナウンスが流れ今まで田園風景だった景色が一変して煉瓦造りの町並みに変化する。
「まもなくストレガ、ストレガです。」
それを聞いた私は網棚に置いていた自分の荷物を下ろし、座席の間をかき分けて乗降口の前へ移動する。
駅に近づくにつれてゆっくりとブレーキを掛けて減速していく電車は、駅のホームに入ると所定の位置で足を止めた。乗降口で停車を待っていた私はその停車の反動で体が傾き、足がもつれて体勢を崩しそうになってしまう。
その様子を見ていた他の乗客が心配気に私に声を掛ける。私はそれに軽い会釈をしながら「大丈夫です」と伝えると人は爽やかな笑顔を見せる。
乗降口の扉が音を立てて開きホームへの道が繋がる。すると、私を心配してくれた乗客が私に道を譲り促してくれる。親切なその彼に私はお礼を言いながら、踏み外さないよう足元を見ながら両手でキャリーケース持って降車した。
「やっと着いた。」
そう言って重いキャリーケースを置いた私は一息吐く。日本からだとほとんど地球の裏側、飛行機で十二時間、空港近くのホテルで一泊して電車で更に一時間。合計移動時間、十三時間。
道のりが長すぎる。
私は重たいキャリーケースを引いてため息混じりにホームを後にした。
背の高い人々の流れに乗って改札を抜けた私はようやくストレガの町に足を踏み入れた。目の前に建ち並ぶ煉瓦造りの町並みは母国・日本とはまるで違う風情があり温かみがあって、ほのかに土の香りが漂う。
目に映る光景も、耳が拾う町の音も、髪を撫でる風も、何もかも新鮮ですべてが煌びやかに見える。
私は綺麗な街並みにうっとりしてしまい、ついゆっくりと散策したい衝動に駆られてしまう。そして、誘惑に負けた私の足は街の中へ吸い込まれていく。
でも、私は我を忘れそうになる自分の身体をどうにか律して町の中心にそびえ立つ巨大な建物へと足を踏み出した。イギリスのモン・サン=ミシェルと言われる巨大な建築群、あれこそが世界唯一の魔女の学校——
「あれが、修道院。」
私の口から不意にそんな言葉が漏れた。不安と緊張、それとほんの少しの期待が胸に沸き上がってくる。
そんな時だった。私がいた広場に悲鳴が響く。
「きゃああああああああああああああああ‼」
その悲鳴に周囲が騒然とする中、声のする方へ振り返ると一人の女性が歪んだ表情で連れていた犬を凝視している。その犬は少し様子が変で、苦しそうな鳴き声を上げながら体を震わせている。だが、よく見れば近くには男性が血を流して倒れており、その犬の口元にはその男性の物だろうか真っ赤な血が付いている。
「どうしたの?ジャックちゃん。落ち着いて、大丈夫よ。」
ただならない様子に私は彼女達の方へ徐に近づいていく。
すると突然、ジャックの身体が脈動を始めた。付けていた首輪がブツリと言って千切れ、ビキビキと嫌な音を立てて身体が肥大化していく。
「悪魔化・・・」
私はぽつりと呟く。
悪魔化、それはテンペストを境に人を脅かすようになった呪い。魔力に体を蝕まれ肉体が変質し狂暴化してしまう現象——
「ねえ、ちょっとやばくない?」
「おいおい、何してる。早く教団に連絡しろ!」
「みんな逃げて!悪魔よ‼」
私の声につられるように次第に周りの人達が声を漏らし始めた。
辺りにじわじわと混乱が広がっていく。その一方で、ジャックの姿は見る見るうちに原形を無くしていく。体や脚は大きく膨れ上がり足から伸びる爪も鋭く鋭利なものとなっている。可愛らしかった顔も見る影もなく赤い目が光る凶悪な獣の姿に豹変していた。
今はまだ理性が残っているのか、何とか誰も襲わずにいるがこのまま見過ごすのは危険かもしれない。
私は近くにいた男性に声を掛ける。
「ヘイ!ミスター?」
突然声を掛けられて驚いた表情を見せる彼に重ねて言葉をかける。
「これ、預かっててくれる?」
そう言って男性にキャリーケースを預けると私はゆっくりと悪魔に変わり果てたジャックに近づいていく。
「ちょっと君⁈危ないよ‼」
そんな男性の声を聞きながら私は声を上げる。
「主はここに来たる!」
私の声にジャックは振り返る。
「悪しきものよ、心せよ。主は汝の罪を咎める。主は汝の行いを罰する。主は汝に終局を告げる。されど——主は汝を赦す。」
牙を剥き出しにするジャックは唸り声を上げながら私に襲い掛かる。私は腰に巻いていた二本の魔法の帯を操りジャックの身体に巻き付けその動きを封じ込める。
「魔に呑まれた哀れなものよ。その魂に救済を。Amen.」
そう言って胸の前で十字を切る。
不運にも悪魔になってしまったジャックに祈りの言葉を捧げた私は、帯で抑えていなければ今にも噛みついてきそうな彼を空へと放り投げる。そして、二本の帯をしならせてジャックの身体を容赦なく両断する。
「花帯・桜。」
身体を切り裂かれ悲鳴を上げるジャック、途端に荒々しい呼吸が止まりその不気味な赤い目から光が消える。そして、最後には身体が灰の様に崩れ去る。
これが、悪魔の死。遺体は欠片も残らず、ただの灰となって散ってしまうだけ。
だが、これしか悪魔化したものを救う術はない。悪魔化してしまえばその体は二度と元に戻ることはないから。
だから、『死』こそが彼らの救済。『祈り』だけが彼らの弔い。
私は飼い主の女性の方へ振り返る。瞬く間に飼い犬を失った彼女は顔を覆い俯いたまま地面に蹲っていた。
その姿に心苦しさを感じながらも私は近くに落ちていたジャックの首輪を拾い彼女に歩み寄る。首輪に付いたままのリードを丁寧に束ねて彼女の前に立つと膝をついて女性にそれを渡す。
「あの・・・私の口からこんな事を申し上げるとお気に触れるかもしれませんが・・・心から、深くお悔やみを申し上げます。」
私の言葉に女性は何も答えない。
「ですが、どうか顔を上げてください。きっとジャック君はあなたのそんな悲しい顔を見たくないと思うから。」
それを聞くと彼女はゆっくりと私の方を見て一層悲しい顔をすると小さく頷いた。
大切な家族を失い涙が止まらない彼女に寄り添っていると街の奥から人をかき分けて慌ただしい団体が現れる。
不味い、教団の人達だ。いや、本当はそんな風に思う場面ではないんだけど、何せ状況が悪い。予期せぬ事態だったとはいえ狩り人でもシスター(修道院の生徒)でもない人が悪魔狩りを行ってしまったんだ。これは非常によろしくない。
「これはどういうこと?悪魔は?ここで何があったの?」
教団の狩り人の一人がそう言った。周囲の人達は返す言葉に困っているようで頻りに近くの人の顔を窺っている。私も体の至る所から冷や汗が止まらない。
だけど、これはもう言い逃れできないと観念して私は正直に自白する。
「私が、やりました。」
「・・・あなたが?」
「はい。」
彼女は不機嫌そうに眉を寄せてこちらを見つめるとため息を混じりに私に近づき尋ねる。
「あなた所属と階級は?」
「無所属、です。」
「・・・・はあああぁぁぁぁ・・・・・・」
私の言葉に彼女は分かりやすいほど大きなため息を吐いた。
「あなたね!自分がどれほど危険な事をしたか分かってる⁈今回はうまくいったのかもしれないけど下手をすればあなた、ただじゃすまなかったかもれないんだよ⁈」
「はい、わかってます。」
「いいえ、分かって無いわ。いい?実力も経験もない子が悪魔と戦うなんて自分の身を危険に晒すだけじゃない。周りの人間さえも巻き込みかねないの。こういう事はそれ専門に扱う人達に——」
「僭越ながら、申し上げてもいいですか?」
説教する狩り人の言葉を遮り私は彼女に尋ねた。
「・・・何よ。」
「あの状況で私が何もしなければ、恐らくこの場にいた人の二、三人は殺されていたかと。」
私の強気な言葉に狩り人は硬直する。でも、そんな彼女を差し置いて更に私は言葉を重ねる。
「悪魔化直後は理性と魔性が混同している状態。だから、その危険性は他より秀でています。ここが森の中でしたら私も救援を待ちましたが、ここは町の中心地、そんな状態の相手を前に律儀に救援を待っていたら一層危険だと判断して、やむ負えなく・・・」
「・・・・」
「勿論、反省はしています。ですが、後悔はしていません。」
私は真っ直ぐと狩り人を見つめる。その余りの態度に我慢の限界なのか狩り人が更に強い口調で声を荒立てる。
「生意気なことを言うな‼‼現場も知らない小娘のくせに——」
「待って待って待って。この子の言っている事にも一理あるわ。」
激昂する狩り人をなだめるようにもう一人の狩り人が会話に割って入る。そして、怒りが収まらない説教狩り人さんを落ち着かせながら彼女は私に言った。
「確かにあなたの言う通り、私達の到着を待っていたら周囲の人達に被害が出ていたかもしれない。それは認める、到着が遅くなってしまった私達にも非があることも認める。でも、あなたは本当に危険な事をしたの。それだけは分かってほしい。だから、今後こんな危険な真似はしない事。いいね?」
「はい。肝に銘じておきます。」
そう言った私に優しい彼女は笑みを返してくれる。
最後に私が修道院の新入生だという事がばれて、彼女に修道院まで送ろうかと尋ねられたが、ゆっくりと街並みを見たかった私はそれを丁重にお断りした。