17.事件の進展、司教の休息
合同講義を終えた私達はサリーの後を追って大講義室を出た。第二区画の長い廊下は講義終わりのシスター達で溢れかえっており、疲れ切った足取りで廊下を歩いている。
そんな人だかりの中をかき分けながら、私達はゆっくりと歩くサリーを見つけ出し何とか廊下の曲がり角で彼女に追いついた。
「サリー先生!」
私がサリーを呼び止めると彼女は振り返り首を傾げながら怪訝な表情で言う。
「どうしたの?」
「グリゴリの事、どうしても気になって・・・」
私がそう言うと彼女は優しく微笑んで私達をなだめるように言葉を返す。
「心配しなくても大丈夫だよ。授業中も言ったけどグリゴリは自分の住処に帰ったから。それに、万が一何かあっても修道院の結界は他よりも強力だから、ここに居れば安心だよ。」
結界——保護生活圏の外周に沿って張られている魔術防衛壁の事だが、ここ修道院は魔女の学校でもありイギリス教会本部としての役割を担っている。だから、他の町よりも結界の強度が高いっていうのは私でも知っている。
しかし、私が聞きたいのはそう言う事ではない。
「やっぱり、あんな所にグリゴリが出るのは異常ですよね?」
私の心情を察する様にエレナがサリーにそう尋ねた。すると、彼女は手に持った荷物を持ち直しながら快く答える。
「うん。グリゴリの生息域は魔力濃度の高い悪魔の口付近だからね。そこ以外での目撃情報は記録に無いわ。海を越えた場所に現れるなんて前代未聞だよ。」
「じゃあ、グリゴリが突然現れたのは何か異変があったって事ですか?例えば、生態系が変わった、とか?」
「う~ん、教団も同じような事言ってるみたいなんだけど、調査隊の友達からそんな話聞かないんだよね。強いて言えば、熊型の悪魔の数が増えてるって事くらいかな・・・そもそも、グリゴリみたいな特級悪魔は滅多に人間の文化圏に干渉してこないはずなんだけどね~」
「どうしてですか?」
「さぁ?彼らの行動にはまだ解明されてない事も多いから・・・」
エレナの言葉にサリーは分からないと言うように肩をすくませてそう答えた。という事は噂されていた生態系の変化や人間捕食の可能性は低い、か・・・なら——
「じゃあ、あのグリゴリは誰かが連れてきた、とかは・・・?」
内心ではあり得ないと思いつつも私は恐る恐るサリーにそう尋ねてみると、彼女は目を丸くして驚いた表情を見せる。そして、面白おかしいといった様子で私達に言う
「まさか!グリゴリを制御できる生物なんていないわよ。目に映る物全て彼によって食材なんだから。」
「そうですよね・・・」
まあ、それもそうか。あんな規格外の悪魔を制御できる生物なんて、いる訳がない。そもそも制御できるか以前に、そんな事をすればサリーが言うように自分が危険に晒される事は目に見えている。
——なら何故、グリゴリはあそこに現れたというのだろう・・・・?
「ただ、あの事件は変な事ばっかり起きたんだよね。」
急にサリーがそんな言葉を漏らした。気になった私が「変な事?」と彼女に尋ねると彼女はすんなりと答える。
「うん。グリゴリが現れた事もそうだけど、あの時私も含めて先生が四人も居たじゃない?」
「そうですね。」
「その全員狩り人な訳だけど、誰も直前までグリゴリの存在に気付けなかったのよ。」
「「「「・・・え?」」」」
私達四人が動揺の声を漏らす。誰も気付けなかった?それってつまり——
「あんな高濃度の魔力体、近づいてきたら分かるはずなんけど、誰も気付かなくて。本当に突然現れた様にしか・・・・・あ。」
ようやく自分の発言の重大性に気付いたのかサリーが急に言葉を切った。そして、大量の冷や汗をかきながら心底焦った表情をして私達に言う。
「これ喋っちゃいけないんだった!あっ、あっ、い、今の忘れて‼」
その反応に彼女の言葉が嘘じゃない事を察したエレナは動揺の声を漏らす。
「それって転移してきたって事?でもグリゴリって・・・!」
「転移しない。」
困惑するエレナとは対照的にヘレンが冷静にそう返答すると、それを聞いたフレンダが「じゃあ、やっぱり・・・!」と口にして更に動揺が広まる。そして、明らかに動揺している三人を目にしてサリーは慌てて「ち、違うから!」と否定する。
が、もう遅い。今の言葉に嘘は感じ取れなかった。つまり、本当にあの時のグリゴリは突然現れたのだろう。何の前触れもなく、本来の生息域から遠く離れたあの場所に・・・
——でも、言われてみればそうだ。あの時は私も直前までグリゴリの気配にすら気付かなかった。あれほどの巨大な悪魔の存在にあの場に居た誰も気が付かなかったと言うのは確かに変な話だ。あれは動くだけで災害を起こすのだから現れれば誰かしらは気付くはず・・・
「ちょ、ちょっとみんなこっち来て。」
言い逃れ出来ない事を察したのかサリーがそう言って私達を連れて誰もいない教室へ押し込んだ。そして、慌ただしく鍵を閉めると膝から崩れ落ちて項垂れた。
「もう、何で言っちゃうかなぁ、私・・・あああああぁぁぁぁ・・・・・・」
頭を抱えて落ち込む彼女に私達は流石に困惑してお互いを見合った。うっかり漏らしたのはサリーの方だが何だが少し彼女がかわいそうに見えてくる。
すると、もう吹っ切れたのか自棄になったのか諦めた様子でサリーが言う。
「もう仕方ない、ここだけの話だよ?」
その言葉に私達は無言で頷き拝聴する。
「確かにグリゴリの存在に先生達は直前まで気付かなかった。みんな言ってたわ、『突然現れた』って。だから私達も、あのグリゴリは空間転移してきたものだって思ってる。グリゴリ級の悪魔が突然生まれる訳ないから。でも、そうだとしても変なのよ。」
「と言うと?」
「そもそもの前提として、みんなも知ってるとは思うけどグリゴリは転移魔術なんて使わないのよ。そんな事しなくてもグリゴリはその羽ばたき一つで二キロも移動できるから。」
「二キロも・・・・?」
平然な顔でサラッとサリーは言うが、彼女の言葉に私は困惑気味にそう漏らした。もしかして彼女は言う単位を間違えていないか?と思わず疑念を抱いてしまうほど桁外れの数字に私は動揺すら覚える。
そして、その困惑は隣のフレンダも感じていたらしく徐に私に尋ねてくる。
「・・・それって、どのくらい速いの?」
「単純に考えて、グリゴリの飛行速度が秒速二千メートルだとしたら・・・えっと・・・」
そう言って私が必死に脳内で計算をしていると別の所から答えが返ってくる。
「五十五分でアメリカ横断」
そう答えたのは意外な事にヘレンだった。その事実に驚いたのか、それとも数字に驚いたのかフレンダが「ふえ⁉」と声を漏らしている。・・・正直言って私も驚いた。いつもおっとりとしている彼女がすんなりと答えを出したのは意外過ぎる。てか、五十五分でアメリカ横断って・・・・
それはそれとして、グリゴリは転移魔術を使わないとしたらやっぱり誰かが転移させたという事になるだろうか?
その疑問をそのままサリーに尋ねると彼女は小さく頷いて答える。
「そうなるわね。飛んで来てたら私達は分かったはずだから。でも、問題なのはここからなの。」
「ここから?」
「ええ。それが、あの時転移魔術を使った気配なんてしなかったんだよ。いやまあ、授業開始に使ったと言えば使ったけど、それ以外に使った形跡はなかったの。」
「え、じゃあグリゴリは転移魔術を使わずに転移したって事ですか⁉」
サリーの言葉に驚くフレンダがそう声を上げた。その反応にサリーは驚き慌てて口元に指を当ててフレンダに静かにする様に促す。そして、心配そうに周囲の状況を窺いながらサリーは怪訝な表情で話を続ける。
「そう、いう事になるのかな?・・・でも、転移魔術を使わずに転移するなんてあり得ない。だから変なの。」
「・・・じゃあ、グリゴリはどうやって?」
話しが難しくなってきて理解するのがやっとな様子のエレナがそう漏らした。その姿を横目にフレンダが「誰にも気づかれない様に転移魔術を展開したとか?」と何気なく言うと、サリーは怪訝な表情のままその言葉を否定する様に言う。
「でも、グリゴリのサイズを考えるにあれを転移させるって大規模空間転移魔術を起こす事になるのよ。だけど、そんな魔術を起こすには地表に大きな陣を組んでの儀式クラスになるんだよね。」
まあ、そうなるのも当然だろう。何せあれは高層ビルが横になって這っている様なものだ。一般的な転移魔術では出力不足だろう。
「・・・その、もしもの話よ?」
そう前置きを置いてサリーは恐る恐る言葉を続けた。
「もしも、誰かがグリゴリを呼び寄せるつもりでそんな物を用意してたとしたら、流石に私達も気付くはずなのよ。ちゃんと授業をやる前に下見に来てるんだし。」
「そうですね。」
フレンダがそう言うとサリーは首を傾げながら思い出す様に口にする。
「でも、そんな物は無かったよ?騒動の後にも現場検証したけどそれらしい物は見つからなかったし。それに召喚に必要な魔力のリソースとか、今言った技術的な事とかリスクとか考えると、正直誰かが呼び寄せたなんて現実的じゃないと思うな。」
「そう、ですか・・・」
しかめた顔で自身の見解を話したサリーに私は小さくそう返した。
では、あれは一体何だった言うのだろう。グリゴリは悪魔の口周辺の地域にしか出没しない。なのに、あれはあそこに現れた。にも拘らず、グリゴリ自身が移動した可能性も、他者が呼び起した可能性も無いとなるとあの異常現象に説明がつかない・・・
などと、私が独り悶々と考えているとエレナが「じゃあ、なんだったんですか?」とサリーに尋ねている。それに対してサリーは「それが分からないから私達も困ってるのよ。何から何まで前代未聞なんだもん。」と肩をすくめて少し不機嫌そうに答えた。
その反応から嘘は感じられない。現状では彼女も私達と同様に何も知らない様だ。
そして、サリーは徐に人差し指を口の前に立てると、私達の目線を合わせる様に前かがみになって真剣な面持ちで言う。
「いい?この事は内密にしてよ?ほんとは言っちゃいけなかったんだから。」
「「「は~い。」」」
「はい。」
サリーの言葉にフレンダ達三人は気の抜けた返事を返した。
これ以上、彼女から聞ける事は無さそうだ。少しは事情を知れたとは言え、結局何も分からないまま、まだしばらく頭を悩ませる事になりそうだ。まあ、先生にも分からないのだから仕方ない事ではあるが・・・
しかし、あの事件は本当に何だったというのだろう。ただ『あり得ないことが起きた』だけなのか。それとも——
「——分かった。引き続き調査を。」
そう言って私は通話を切った。眼前にはグリゴリによって荒れた大地が広がり、焦げた臭いが鼻を突いてくる。グリゴリが放った魔法によって広がった火の手がようやく鎮火したとはいえ、未だに木の葉の陰で燻ぶっているのか至る所で黒煙が上がっている。
特級悪魔の突然の襲来。前例のない事件だが、目的はともかくとしてグリゴリは転移されたものと考えるべきだろう。飛行してきたのならば私が気付かないはずがない。
しかし、グリゴリの歩行被害とこの火事の影響で地形が大きく変わってしまった。これでは儀式の陣があったどうか判別できない。一番可能性が高いのはグリゴリが転移してきたという仮説なのだが、証拠が無ければ当然断定できない。どうしたものか・・・
「おつかれ、リン。」
突然、背後から私の名を呼ぶ声が聞こえた。だが、この声には聞き覚えがある。
「議会はよかったのですか?司教。」
私が振り返るとポツンと一人、何時もの祭服姿の司教が護衛も付けずに立っていた。
「大丈夫よ。私がいてもいなくても話は進まないから。」
彼女はそう言って倒れた木々に飛び移りながら私の傍へ駆け寄る。本当に子供の様な仕草をする彼女に私は少し呆れ気味に言葉を返す。
「だからといって、わざわざあなたがこちらへ出向く事は無かったのでは?」
「気分転換よ、気分転換。事後処理やら原因究明やらで、部屋に缶詰めなんだもん。」
「分身体で気分転換と言うのはどうかと思いますが。」
私がそう言うと彼女は肩をすくめて「捉え方次第よ。」と返答した。
そう。さも当然の様にこの場に現れているが、これは彼女の高度な魔術で構築された彼女の分身である。人体の肉体構造を完璧なまでに再現しており、あらゆる物から見ても人間と認識されるほどの完成度を誇る。これは、どれ程訓練された魔女でも見分ける事は困難を極める。私も事前情報が無ければ分からなかっただろう。
「それで、本体は今どちらに?」
「ん~、教団の大聖堂『アヴァロン』の中枢、かな。」
大聖堂アヴァロン・・・それはバチカン聖国に設置された教団の本拠点の事だ。つまり、必然的に彼女は何千キロと離れた国からこの身体を操っている事になる。これほど高度な魔術を平然とした様子で——
つくづく彼女と言う魔女は、異次元の存在ではないかと疑いたくなる。魔法に関しては全く持って理解不能だ。
「議会の進捗は?」
個人的不満はさておき、そう私が尋ねると彼女は倒れた樹木に座り込みうんざりと言った様子で答えた。
「ぜんぜん。未だにグリゴリの異常行動について話し合ってる。もう、問題はそこじゃないのになぁ・・・」
「・・・・司教は、どうお考えですか?今回のグリゴリの一件。」
司教の様子を窺いながら私がそう尋ねると、彼女は僅かに表情を暗くして言葉を返す。
「グリゴリ単体によるものじゃない事は明らかだね。何ってする意味がない。でも、転移魔術の気配がしなかったって言うのは気になるね。リンが言うからには事実だろうし。」
「はい。あの時転移魔術の発動、及びその際に発生する空間転移特有の歪みは感じませんでした。つまり、相手はこちらに気付かれる事なく移動、或は転移魔術を発動したものと思われます。」
「う~ん、そんな事が出来そうなのは、私の知る限りあれくらいしかないんだけど・・・」
『あれ』と言うのは、つまり——
「・・・各国の教会は何と?」
「関与を否定。そもそもあれは今も我々の管理下にある。って。」
「どちらとも取れる言い方ですね。」
「深くは言及しないでおきましょ。所詮は教団の息が掛かった組織、どうせ訊いたって教えてくれないんだから。・・・それに、それはあくまで憶測の話。流石にただの思い過ごしになるでしょ。」
そう言って彼女は座る樹木に手を付いて足を投げ出した。彼女の思い過ごしならばいいが、彼女が言う事は比較的高い確率で現実になる。念の為、警戒した方が良いかもしれない。
「そうだ。グリゴリと言えば彼女、元気にしてる?」
「彼女、とは?」
急に彼女にそう尋ねられ私は反射的に尋ね返した。すると、彼女は無邪気な笑みを浮かべて詳細を話す。
「あかりよ、あかり。あの時唯一私の分身体を見抜いた、彼女。」
「ああ・・・」
あのセーラー服のシスターの事か——
「何でバレちゃったのかなぁ。構築は完璧だったはずなのに。」
脚をバタつかせながら彼女は残念そうにそう漏らす。確かに、あの時ただ一人彼女は司教をゴーレムだと疑った。それはあの時の司教が人間ではない事に気付いたからだ。
だが、一体何を持って識別したというのだろうか。
「言動がおかしかったんじゃないですか?」
冗談交じりに私がそう言うと彼女は「そんな事ないもん!」と声を上げた。その肉体年齢相応にして実年齢と相反した態度を横目に私は呆れた口調で彼女に言う。
「と言いますか、お暇なんだったらご自分の目で確かめて来たらどうです?」
「え~・・・私が行くと周りがパニックになっちゃうでしょ?」
・・・全く、この人は相も変わらず。呆れて言葉も出ない。これでも教団からすれば最高幹部なのだからこの上なく不思議な話だ。
すると、彼女は唐突に大きく腕を振って勢いよく立ち上がり私の方へ振り返って尋ねる。
「そう言えば入学式前に起きたシスター悪魔狩り事件を起こしたのも彼女だったよね?」
「そう聞いています。」
私がそう答えると彼女は顎に人差し指を当てながら不敵な笑みを浮かべて楽しげに言う。
「もしかしたら彼女には何かあるのかもね。これからが楽しみだなぁ。」
「それよりも、あなたは仕事をしてください。」




