第二十一話 直ぐに騙される子羊ちゃんと、用心棒の先生と。
『私もお手伝いさせて下さい、資産運用』という中川の言葉を聞いた俺の表情を見た二人の顔から類推する限り、きっと俺はとんでもない表情をしていただろう事は、鏡を見ないでも分かる。
「……そんな怖い顔しないで下さいよ、小山先輩。ま、先輩の思う所も分らないではないですよ? 私は資産運用の専担者ですしね?」
専担者、専門担当者である中川は他の係――例えば俺の融資係や、外交係、預金窓口と違って『資産運用』という項目のノルマが多い。まあ、資産運用係だからそりゃそうなんだが、つまるところ保険を売ったり投資信託を売ったりするノルマが他の人の倍以上ある。
銀行の仕事と言えば、お金を預かってお金を貸し出すイメージ、つまりお金が必要な人の所に通うイメージだろうが、資産運用はその真逆、お金があるお客様から投資信託や保険商品を買って貰うのが仕事、つまり富裕層相手のビジネスモデルであり……『七億円』を持っている葵なんかは、良いお客さんって事だ。
「……でも、流石にちょっとショックです。私、ノルマの為にそこまでする女だと思ってたんですか?」
「……悪い。ちょっと神経質にはなっていたかも知れん」
「……冗談ですよ。確かに私の言い方も悪かったかもですし。まあ、ウチの商品で良いな、と思うものは当然勧めはしますけど……私がするのはどちらかと言えば相場観的なヤツですかね」
「相場観?」
「まあ私、毎朝相場系のテレビは見てますし、情報自体は一般の人よりは多いと思いますよ? それが仕事なんで当たり前と言えば当たり前ですが」
「……確かに」
朝の早い時間帯には経済専門の番組もやっているし、資産運用係はそれを毎日視聴し、情報交換をしている姿も見た事がある。一般の、さして金融に興味のない葵からしてみれば立派に『専門家』と言っても良いだろうな、確かに。
「なので、私は葵にその相場の知識を与えようと思います。その中で、いくつかの商品を紹介しますし……さっきも言いましたけど、場合によっては当行の商品だって勧める事はありますよ? でも、流石に先輩、私をナめすぎじゃないですか? 確かに出逢いはあんな感じでしたが……それでも、もう葵の事は友人だと思ってます。その友人を利用する真似、するワケ無いじゃないですか! なんだと思ってるんですか、私の事!」
そう言って俺をギロッと睨む。その視線を受け、俺は素直に頭を下げた。
「……悪い。さっきのは俺が悪かったな」
確かに中川はどちらかと言えば『軽い』ヤツだが、そんな事をする人間でない事は知っているハズなのに……ナーバスになってるのかな、俺。
「ま、それだけ先輩が葵が可愛いってことですもんね。愛されてるな~、葵」
「ちょ、香織ちゃん!? そ、そんな事ないよ!」
からかう様な中川の言葉に、頬を染めて手をわちゃわちゃと振って見せる葵。その姿はなんだか小動物の様で愛らしい。
「……まあ、私も香織ちゃんに手伝って貰えれば有り難いのは有り難いです。今日も宝くじの換金に付いて行ってもらったんですけど……そもそも私、銀行自体に行ったことも数えるくらいしかなかったですから、随分助けて貰えました」
「慌ててたもんね、葵。『応接室にどうぞ』って言われてあたふたしてたもん」
「だって! 急に支店長さんが出て来て『この度はおめでとうございます』だよ? コーヒーに、美味しいお茶菓子まで出て来て」
「ご相伴にあずかりましたよ、私も。さすが、Too Big To Fail。良いコーヒー淹れますね~」
Too Big To Failとは、世界的に見て『大きすぎて潰せない』銀行の事だ。邦銀3行、海外他行26行の計29行が一般的にそう言われている、いわば銀行業界の一部リーグだ。
「でも、本当に助かりました。手続きもあたふたしてたら香織ちゃんが手伝ってくれましたし、勧誘? され掛かったのも助けて貰いましたし」
「早速、勧誘されたのか?」
「若いイケメン連れて来ましたよ、件の支店長。名刺見たら『外交係』って書いてあったんで、資産運用は専門じゃないんでしょうね。言ってることがさっぱりピーマンでした」
「また古い言葉を……んで? 撃退したのか?」
「勿論ですよ! きらめき銀行の資産運用舐めるな、って感じです!」
「凄かったんですよ、香織ちゃん! その若い人が色々言っているのを悉く論破して、最後はその若い人、涙目で応接室出て行きましたもん!」
「葵は『興味ありません』って言ってるのに、しつこい勧誘するんですよ。終いには『大丈夫! 損はしませんから』なんて……どんな教育してるんでしょうね、あそこ。『それ、断定的判断の提供ですよね? それと、顧客の投資経験からみてそんな高リスクの商品勧めるって、適合性の原則を満たしてなくないです?』って言ってやりました!」
「それはまた……ボコボコにしたんだな」
「内管受けてれば……っていうか、銀行員のコンプラ考えれば絶対出てこない言葉なんですけどね、あんなの。きっと葵が素人と思って舐めて来たんですよ、アレ」
ちなみに『内管』とは内部管理責任者の略で、日本証券業協会が主催する民間資格だ。営業所ごと、例えば俺の所属するきらめき銀行岡本支店でも必ず一人が持っていて、内部管理責任者が営業所全体の管理をしなければ投資信託などの販売はしちゃダメだよ、という資格である。『責任者』と言えば仰々しい感じはあるが、ぶっちゃけそんなに難しくはない試験ではある。俺だって持ってるし。
「……と、まあ今日の葵を見てる感じでは、ああいう輩に引っ掛かりそう……とは言いませんが、なんか騙されそうですし」
「……確かに」
『ひ、ひどいです!』とか葵は言っているが……有り得る。『なんかよく分からないんですけど、良いって言われて~』とか言いそうではある。押しの強いのに弱いだろうしな、葵。
「そ、そんなこと……う、ううう……」
「否定できないでしょ、葵?」
おかしそうに笑った後、中川は視線を俺に向ける。
「私が常に付いて回る訳にはいかないですけど、『相談して決めます』って言えば、直ぐに買わされる事も無いでしょ? どのみちお金を銀行に預けている以上、どうしたって銀行に行かなくちゃいけないですし、そうすれば『七億円』ですよ? 絶対、勧誘はありますから。そういう意味での用心棒代わりですよ、私は」
金融用心棒か。なにそれ、ちょっと経済ヤクザみたいな雰囲気があるが……
「……なるほどな。確かにそれはあるかもな。だが、お前になんのメリットがあるんだ、それ?」
葵からしてみれば心強いだろうが、中川に驚くほどメリットが無い気がするが。
「そうでも無いですよ? さっきも言いましたけど、良いと思った商品は勧めるつもりはありますし、そうすれば私の実績にもなります」
「それにしたって……流石に一億も二億もさせるつもりは無いんだろ?」
「まあそうですね。精々、百万とか二百万まででしょうか? 無論、葵が良いなと思うほど勉強すればそれ以上もありますけど……そんな気、無いんでしょ?」
「そうだよ。私、言ったよね? 別に無くなっても良いって」
「これですもん。こんな子に一億も運用させられませんよ。寝れなくなりそうだし」
そう言って肩を竦める中川。百万、二百万は大金だが、それでも中川の担当している顧客の運用額からみれば微々たるものだ。
「……まあ、色々言いましたけど、私結構、葵の事嫌いじゃないんです。騙されて馬鹿見るの、可哀想じゃないですか」
照れた様にそっぽを向く中川。そんな中川をキラキラした視線で見つめる葵に気付き、尚も慌てて見せる。
「そ、それだけじゃないんだからね! 私だって……ぽ、ポイントアップするかも知れないでしょ!」
「ポイント? なんのポイントだ?」
「先輩にだけは知られてはいけないポイントですよ! だから、完全に善意って訳でも無いんだからね!」
「うん……それでも嬉しい。ありがとう、香織ちゃん!」
「あーあああ! 調子狂う!」
そう言って髪を掻きむしる中川。その姿に俺は笑みを浮かべて。
「それじゃ……よろしく頼む」
俺は右手を中川に差し出した。




