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星斗幻想紀  作者: 風光
9/12

9 海王の譴罰

   『海』が攫っていったの……きっと…そう、きっと……




 う〜ん……胸元が…重い、重いよぉ……

 …この頃は…ね。起きてるだけで、苦しいから…あたし、よく昼寝をするようになったの……でも、でもね? それ…全然、健康的な眠りじゃなくて……ずっと『嫌な気分』を感じながら…ただ、瞳を閉じてるだけなのよ。ヴェストルが来てくれるのを待ちながら……ずっと、目を閉じて…眠ろうとしてるの…

 ヴェストルね、今は曇ってても来てくれるのよ。あたしの事を心配してくれて…僕には傍に居るしか出来ませんが…って……そんな事、無いのにね……だって、あたし…ヴェストルの素敵な笑顔を見る度に、とっても気分が良くなるんだもん。

 《本当》に……全て、忘れてるのよ…

 こうして横になって…瞼の裏にヴェストルを思い浮かべるだけで、頭痛も吐き気も遠のいてく……漆黒の背景に、はっきりした映像じゃないんだけど…ね。……銀色の流れで…でも、でもね? それが、ヴェストルなんだって…あたし、分かるのよ。これが、『あたし』の《中》のヴェストルなんだ…って……

 ……一つの心、一つの生命……

(あっ…)

 すうーって頭痛が離れてく。一緒に、手足の存在もあやふやになっちゃって…あたし、寝ようとしてるんだな、って…そんな事をぼんやり考えてたら…

 ……え?

 突然、闇に一つの『映像』が映ったの。黒い幕の中に、白く煌く湖面が見えてきて…純白の服を着た女の人がね、その岸辺を前にしゃがみ込んでる。

 これって…夢なのかな。……でも…でもね? あたし、意識の隅っこで…まだ吐き気を感じてるのよ。

 その時ね、真っ直ぐな黒髪を揺らして…その人、ちょっと腕を伸ばしたの。何かを洗ってるみたい。淡くて黄色い……

(…あっ! あれ…)

 あれ、あたしのお気に入りのパジャマじゃない!

 あたし、慌てて口を開こうとして…その時ね、女の人が振り返ったの。

「え?」

 …えぇぇ〜!

 だって…だって、そうでしょ? 中島のお姉ちゃんなんだもん。八つになるまで、いつも仲良くしてもらって…あたし、一人っ子だったから……《本当》のお姉ちゃんみたいに慕ってたの。確か、その頃…丁度、今のあたしくらいの歳で…

 でも、でもね…お姉ちゃん……急に居なくなっちゃったのよ……あたし、お姉ちゃんを『海』に独り占めされたんだ、って…

「………」

 あたし、声が出ない……お姉ちゃん…どうして…どうして、そんなに悲しそうなの? どうして…

 ……あっ!

 …あたし、あたし………

 ……忘れたかった事…全部、思い出してた……

 お姉ちゃん……辛かったよね……悔しかったよね………

 …お姉ちゃんの気持ち…きっと、あたしには全部は分かんないかも知れない…でも、でもね……こんなに、苦しいの…

 …え? …違う、の?

 お姉ちゃん、静かに首を振ってる。とっても悲しそうな顔で、手元にあるあたしのパジャマを見て……

 あっ! あたしのパジャマ……真っ赤に染まってる…!

 あたし…あたし………

 ……痛い、痛いよ…又、頭が……痛い、よ…!

 あたし、あたし……必死になって…あたし、叫んで……

(お姉…ちゃん……!)

 でも…声に、なら……痛い! 痛いよ……

 …もう、やだ……

 全て…消える……闇に………

 ……あたし、も……


 …次の瞬間、あたし、自分の声にはっと目を覚ましてた。

「きゃっ!」

 痛い、よ…頭が、割れる……中から、殴られてるみたい…痛い! 痛いよ……痛い、痛い…

「くっ…」

 両手で力一杯挟み込んで…締め付ける……痛い、割れる…本当に割れる…!

 …やだ…やだ、痛いよ……痛い…!

 ……割れて! …もう、頭を割った方が……ううん!

 …でも、でもね……あたし、あたし……

「美星さん!」

 ……温かい腕が……思い切り、抱き締めてくれる…

 …あたしね、冷たい汗でびっしょりになりながら……ヴェストルの腕の中で、意識を失いかけてた。

「美星さん…」

 優しい言葉が、とっても辛そうに響いてる…あたし、それを感じて…全力で笑おうとしたのよ……

「…ありがとう」

 でも…でもね。それで、精一杯だったの……

「ゆっくり休んで下さい。僕は、このままここに居ますから…」

「うん…」

 …あたし、安心して……完全に意識を失ったのよ…


 目を覚ましたらね…あたし、もうびっくりして……

 …ずっと横になった儘だから、すっかり細くなっちゃった両腕にね……青黒い痣が出来てたのよ。何度も何度もぶつけたみたいで…

「思い切り、腕を振り上げていたんですよ…それどころか、美星さん…今度は、頭までぶつけようとしていましたから……思わず、部屋に飛び込んでしまったんです」

 あたし……そんな事、してたんだ…

「もう…大丈夫ですか?」

「うん…ありがとう」

 あたし、そっと抱き着いてた。

「ヴェストル…あたし、自分が恐いの…もう、負けちゃいそうで……あたし、何をするか分かんない…」

「美星さん…」

 優しく、抱き返してくれる…あたしの《全て》を、そっと包み込んでくれるのよ…

「きっと…中島のお姉ちゃんも……」

 そう、きっと…あたしが『死』に負けちゃう事を……知ってたの…

 …ね? ヴェストル…

「……」

 ヴェストル…辛そうな顔で、何も応えてくれなかった。

 あたしね、ヴェストルを苦しめたくなかったから…すぐに顔を下げたのよ。でも、でもね…? 応えないって事は………

 ……ね。

 でも、でもね? それでも、あたし…恐くなんてないの……悲しんだりしないのよ…

「美星さん…」

 うん、大丈夫。あたし、《本当》に落ち着いて迎えられるんだから…

「…はい」

 あたし、にっこり笑ってた。少し恥ずかしそうに、ヴェストルも微笑み返してくれる。そして……

 …ね。あたしから…

 ……キスしてたのよ…


「その方は、本当に美星さんの事を親しく思っておられたんですね」

 あたしの『夢』の話に、ヴェストル、そう言ってくれたの。

「うん。あたしも、本当のお姉ちゃんみたいに思ってたもん。あたしが生まれた時から、一緒に沢山遊んでくれたのよ…」

 とっても懐かしい……あたし、あの事件を知ってからは…辛すぎて、全部忘れてたのよ…

「あたしより七つ年上でね…すぐ近所に住んでたの。母さん同士が親しかったから、いつも遊びに来てくれて……あたしが赤ちゃんだった頃ね、何度も優しく抱いてくれてたのよ」

 あたし…今でも覚えてる……あれ、まだ二歳にもなってなかったと思うけど…

 お姉ちゃんね、あたしを公園まで連れ出してくれたの。一緒にシーソーをしたり、砂場で暴れたりして遊んでたら…急に、雨が降ってきたのよ。お姉ちゃん、あたしが風邪をひいたらいけないからって、両腕に抱き上げてくれてね。全力で家に向かって駆け出してた。その走ってる途中にもね、そっと優しく尋ねてくれて…「恐い?」って…何度も、何度も……温かな声で尋ねてくれるの……

 あたしね、恐かったんだけど…お姉ちゃんの笑顔を見たら、すっかり安心してたのよ…

 とっても、懐かしい……胸の奥が熱くなって…その頃の思い出が、黄金色の波に洗われて次から次へと浮かんでくる…

「…ヴェストル。あたしに綺麗な星を教えてくれたのも、お姉ちゃんなのよ。もっと他にも、本当に沢山の事を教えてもらったの…本当に、沢山……

 お姉ちゃんが一番『好き』だったのはね…『海』だったの。あたし、歩けるようになったら、すぐに連れて行ってもらったのよ。最初はね、とっても恐くて…大きな音と一緒に、大きな『何か』があたしに近付いて来るんだもん…もう、びっくりして…お姉ちゃんにしがみついてた…」

 本当は、とっても穏やかな波だったの。その時にね、お姉ちゃん、笑いながらあたしの頬をちょん! って突っついたのよ。

「『ミホちゃん、お姉ちゃんも嫌いなの?』って聞いてくるんだもん。あたし、びっくりして…慌てて首を振ってた。そしたらね、お姉ちゃん、笑みを深めてこう言ったのよ…『じゃぁ、海さんも好きになってあげなくちゃ。だって、お姉ちゃんも海さんも『一緒』なんだから』って…

 お姉ちゃん、《本当》に『海』が『好き』だったの。毎月、必ずあたしを連れて行ってくれて…あたしを紹介してくれるのよ。寄せてくる波に足を浸しながら、お姉ちゃん、いつも『海』と親しげに話してた。あたしも恐くなくなってから…暫くの間なんだけどね、その話に加わってたような気がして…」

 …そうなの、それでね……ちゃんと『海』も答えてくれたような気がするの。

「きっと、『海』もお姉ちゃんが『好き』だったのよ……あたしね、それが分かったからかな…四歳くらいの時に『海』に怒った事があったの。『お海さぁん! お姉ちゃん、ミホのお姉ちゃんなんだからね? 独り占めしたら、絶対に駄目なんだからね!』って…お姉ちゃん、必死に叫んでるあたしの横で、真っ赤になるまで笑い転げてた……

 それからね、お姉ちゃん、教えてくれたのよ。『私も、ミホちゃんと同じくらいの時に、『海さん』とお約束した事があるのよ』って。あたし、びっくりして…『何て? 何て?』って、お姉ちゃんを何度も揺さぶったの。そしたら、お姉ちゃん、こう言ったのよ。『私、『お海さん』だぁい好き! だから、お利口にしてたら毎月ここに来てあげるね? って、約束したのよ』って…

 …お姉ちゃん、ずっとその約束を守ったのよ………」

 あたし……そこで、大きく深呼吸してた…

「お姉ちゃんね、ヴェストル……あたしが八つになるまで居てくれたの…毎日のように追いかけっこして…ダンボールで草の斜面を一緒に滑り降りて………なのに…なのにね……

 …急に、遊びに来てくれなくなったの………」

「美星さん…」

 あたし…両手を握り締めて……精一杯耐えてた。

 …でも…でもね…涙が出るのよ……どうしても、溢れてくるの…

「あたし…あたしね? ヴェストル……あたし、本気で『海』がお姉ちゃんを独り占めしたんだ、って…そう信じてた……そう信じてた方が良かったのに……!」

 肩をそっと抱いてくれる…あたし、きゅって目を瞑って…言葉を押し出してた……

「ただ…ただ、お使いに行っただけなのに……ただ、いつもと同じように歩いてただけなのに……どうして? どうして…どうして車になんて轢かれるの?

 ヴェストル……犯人は、ね…ただお姉ちゃんを可愛いと思ったから…ただ、それだけの事で……そんな事で、あたし達の幸せを《全て》打ち砕いたのよ…! 横に、車をつけようとして……ちょっと、ぶつかったんだ…って………冗談じゃないわよ! 車にとってはちょっとでも、お姉ちゃん、大怪我したのよ? …ヴェストル、だから…だからね……犯人、今度は、事故を隠す為に……苦しんでるお姉ちゃんを…もう一度……そうよ、もう一度轢いて殺したのよ…!

 ……あたし、あたしね…信じたくなかった…お姉ちゃんが、そんな事されたなんて……酷すぎるよ……あたしの上を、ね…車が踏み潰してくの……

 耐えられなくて…信じたくなかったのよ…!

 …お姉ちゃん、どんなに辛かっただろう…あたしがこんなに苦しんでるんだもん…お姉ちゃんは、もっともっと苦しんだんだ、って………

 ヴェストル……だって…だってね? お姉ちゃん、もう殺されちゃったのに…犯人、死んだお姉ちゃんの体に乱暴したのよ…! …あたし、信じられない……自分の欲望の為だけに、一つの命を奪って…沢山の人を不幸にしながら……犯人、死体まで弄んだのよ…! そんな、欲望に…満足したら……お姉ちゃんを……お姉ちゃんを…ばらばら、に…して……ビニール袋に、入れて……海に、投げ捨てて……!」

 あたし…あたし……ただ、ただ泣き続けてた…………

「……ヴェストル…前、ルミが言ってたでしょ…? この国は…犯罪者にだけ有利なんだ…って……あたしにはね…それが《真実》なんだって…そう思えるのよ……ただ…あたし……復讐なんて…そんな事、出来なくて……ただ、忘れようとしたのよ…

 …犯人、ね…お姉ちゃんが死んで……何年もしてから捕まったの……でも…でも…ね……殺すつもりだったんだ、って…そんな証拠、何処にも無くて…車も処分されてて…現場だって、何年も前の痕跡なんて消し去ってたのよ……自供はあったんだけど、ね……お姉ちゃんの…遺体、は……既に見付かってた右腕しか無くて……犯人がね…他の人がしたんだ、って…法廷で……ねぇ、信じられる…? ただの轢き逃げなら…時効が成立するんだって……殺す為に轢いたとは、認められなくて…轢きはしたけど、そのまま逃げたんだ、って……そんな言葉、信じられないのに……! 結局…法律なんて……何も、してくれなかった…

 酷すぎるよ……お姉ちゃんやあたし達の…『幸せ』…全部、そうよ《全部》引き裂いて…! そんな犯人に、誰も…何もしてくれなかったのよ…!

 ヴェストル……あたし、あたし…ね……お姉ちゃんの『死』を認めたら…辛くて…生きていけそうになくて……だから…《全て》忘れる事にしたの……

 …楽しかった思い出だって…苦しみを思い出すから……全部、《全部》消しちゃったのよ……あたしには、辛すぎたから……認める事なんて、あたし……出来なかったのよ…!」

 …ヴェストル……分かってる…これも《現実》だった、って……分かってるのよ…! でも…でもね? お姉ちゃんの事だけは……駄目なのよ…!

「美星さん…」

「…あたし、ね…弱いから……忘れたかったの…忘れたままでいたかったの…」

「…ですが、美星さんは忘れていたわけではないでしょう? …記憶の奥底に、ただ眠らせていただけなんです。それは『忘却』ではありません。しっかりとした『記憶』なんですよ…」

 ヴェストル…

 …そう、かも知れない……お姉ちゃん…あたしの大事なお姉ちゃんを、忘れる…《本当》の意味で忘れるなんて……そんな事、出来ないのよ…

 ……あたしの行為…一つ一つに、ね……お姉ちゃんとの思い出が、込められてるんだもん………

「忘れてはいけない事です。ですが、耐えられずに眠らせてしまう事は…『人間』には、仕方無いのかも知れません…」

「…ヴェストル……」

 ありがとう…………


 ……………………………………………………………………………


「礼奈、ちょっとテレビをつけてもいい?」

「えぇ…」

 礼奈、きょとんとしてる。ごめんね。でも、でもね……これだけは、見なくちゃいけないのよ…

 …ヴェストルに、お姉ちゃんの事を話してから…三日経ってね。今日が、お姉ちゃんの命日なんだ、って……あたし、そんな事まで忘れてた…

 テレビをつけたら…あたしの重い気持ちを踏み躙るみたいに、生中継! って派手な文字が目に飛び込んできたの……そして、ね…そこに映って…マイクを突きつけられてるのは……

 ……お姉ちゃんを殺した犯人なのよ…

 …時効の成立で……平気な顔して…レポーターと話をしてる……

「ミホ…この人が…」

 あたし…力無く頷いてた。……誰も、何もしてくれなかった…レポーターだって、怪しいとは思っても…深くは問い詰めないのよ……法律上は罪を問えない…問い詰めて、逆に訴えられたら困るもん…ね。

 結局、マスコミだって、自分を不利にするような『正義』は行わないのよ……

「最初の自供では、この辺りに遺体が捨てられた事になっていましたね」

 どうして…どうして……

 ……どうして、そんな簡単に言えるのよ…!

「えぇ、そう言わされたんです。ですが、僕はこの辺りに車を停めた事はありませんし、結局遺留品すら出なかったじゃないですか」

 あたし、あたし………

「…そうだったかも知れないわ! でも、でもね、あなただって罪を犯したんじゃない! お姉ちゃんの体を轢いたのは、あなたなのよ! お姉ちゃんを奪っておきながら、どうしてそんなに平気でいられるの!」

 …悔しくて…本当に悔しくて……あたし、泣きながらテレビに怒鳴ってた……

「ミホ…」

 礼奈、そっと抱いてくれるの。あたし、きっと…とっても醜い顔で画面を見てる……

 …穏やかで、春みたいに青い『海』…優しく、陽光に煌いてる……一番、お姉ちゃんが『好き』だった『海』……

「この崖の下での捜査は難しいですからね。これから、降りられるんですか?」

「いえ、ここに捨てられたとは分かりませんから。ですが、僕も彼女を轢いた事は確かですし…ご遺族の方と同じ所に献花をしたいと思ってるんです」

 止めて! そんな事、しないで…

 …白々しい真顔で、どうして…どうして、献花なんて出来るのよ!

 止めて………!

「何処まで…何処までお姉ちゃんを弄ぶのよ………!」

 あたし…絶叫してた……

 …所詮、皆は『被害者』じゃないのよ…! 裁判官も、弁護士も、レポーターも、世論だって…全部、『あたし』じゃないのよ! どうして止めないの…どうして献花なんてさせるのよ!

「ミホ…」

 泣きながら、思わず画面から顔を背けたあたしに…礼奈ね、とっても厳しい声で言ったの…

「あの現場に行きましょう…」

「…え?」

「しっかりと、見ていて欲しいのよ…」

 礼奈がそう言って、あたしの濡れた瞳を覗き込んだ瞬間…

 …寒い! あたし…潮風に吹かれてる?

 十二月の寒風に抱かれてるのに…下の『海』は、とっても落ち着いた春の様子を呈してる…何時までも続く、潮騒の音……お姉ちゃんの『海』……

 …礼奈ね、吹き上げる風に攫われないように、しっかりとあたしを支えてくれたの。そして、黙って足下を見つめて…

 ……! …すぐ足下に……あの、あの犯人が…!

「声は出さないで、ミホ…見ているの……人間の《法》では出来なかった事を、彼がしてくれるわ…」

 え?

 あたし、何の事か分かんなくて…

 その時、その時ね……

 …急に、崖下の海面が渦を巻き始めたの。同時に、雲一つ無かった静かな空に、鈍い灰色の靄が立ち籠めて…ゆっくりと回りながら……落ちてくる!

「礼奈!」

「……」

 見上げると…ね? 礼奈、とっても厳しい顔してる……ううん、ほんの少し…哀れみも含まれてるかな…

 海面からも渦が盛り上がってきて…慌ててる、道路の人達に向かって伸びていくの。

 『海』が、空から落ちる水の触手に触れた瞬間……

 ……あの犯人、渦に巻き込まれたのよ…

 凄い悲鳴がしてる…でも、でもね……正直に言うと、あたし…助けようなんて思わなかった……

 犯人、『海』に向かって引き摺り込まれてく………

 …犯人が波間に消えるとすぐ…竜巻は収まったのよ……

 薄れてく灰色の雲から、海水の雨が降り注いでる。また照り始めた太陽の光で、無数の雫がとっても眩しく煌いて……

 …あたしね、あまりに突然の事で…茫然としてた。その時、礼奈が黙って沖の方を指差したの。

 前と変わらない…蒼い海原……あっ!

 ……白い雲の前で…お姉ちゃん?

「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

 あたしの声に、にっこり微笑んでくれる…

 うっすらと…でも、《本当》に見えてるお姉ちゃんの横に……その時ね、青白く透き通った、男の人が現れたの。黄金色の鎧を着て…手には矛を持ってる。

 その人…優しく、お姉ちゃんを引き寄せて……

 …やだ! 消えてく…雲に溶けてくよ…!

 お姉ちゃん…!

「お姉ちゃん!」

 そっと頷いて…綺麗な笑顔で……消えてくのよ……

「ミホ…」

 動けないあたしに…礼奈、そっと耳元で囁いてくれた…

「あの男の人は…《海の老人》の息子の一人、浅瀬を司る方なの…あの二人は、これから《永遠》を共にする事になるわ…」

「礼奈…」

 …そんな……

「お姉ちゃん…それで、『幸せ』になれる…の?」

 礼奈に聞いてもね、仕方無い…分かってる……でも、でもね? 知りたかったのよ…

「…《永遠》に『生きる』事は…《永遠》に『死ぬ』事と同じなの…だから……わたしには分からないわ…」

 暫くの沈黙の後、礼奈、あたしに微笑んでくれたの…

「でも…あの人は《本当》に『死ぬ』事は無いの……神に愛されているから…神自身が、あの人の『生命』なのよ……一つの心、一つの生命…」

 あたし……あたし、涙を流してた…

「第三期の存在が、生きては死んでいく…運命の女神達に依るその弛まぬ流れが、『時間』として黄金の川に紡がれていくんだけど…ミホ、《真》の存在には…『時間』は絶対に入り込まないの……それはね…『昇華』の『様相』を帯びる事はあっても…《永遠》なのよ……」

「礼奈…」

 あたし…抱き着いてた……声も出さずに、泣き続けてた…


 お姉ちゃん……


 きっとね…お姉ちゃん、《全部》解ってて…選んだんだと思う……《本当》の中には、『時間』が存在したりしないんだ、って…それでも、《本当》を受け入れて……きっと、きっと……

 だから、お姉ちゃん…

 ……とっても『幸せ』になったのよ……

 …お姉ちゃん、あたし……もう、忘れたりしない…お姉ちゃんの心と触れてた《全て》……もう、忘れたりしないよ…

 だって……それが《永遠》なんだもん……ね…

                                                                         9 海王の譴罰 おわり






      愛しき存在は遠くとも

       常にわたしの中に舞う…

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