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星斗幻想紀  作者: 風光
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10/12

10 土曜の憂憤

        聞こえんのじゃろうか…あの『悲鳴』が……




 公園を取り巻く木々に、綺麗な雪が降り積もってる…とっても素敵な雰囲気。あのコゲラ、こんなに寒くても大丈夫かな…

 ……でも…でも、ね? …それもこれも…全部、誰かに見せてもらわないと、あたし……分かんなくなってるのよ…

 …あのね、あたし……もう、上半身が起こせなくなっちゃったの。力が全然入んなくて…だからね、お医者さん…半月に一度、わざわざ家に来てくれるのよ。あたし、何だか悪くって……だって、ね? …何度採血や検尿しても、原因は分かんないんだもん…そんなに一生懸命してもらって……

 …あたし自身は…ね? もう…諦めてるから………

 でも、でもね…あたしの体で、何か分かって役に立てるんなら…それも嬉しいかなって思うのよ。こんなに痩せた身体でも、何か分かったらいいなって…

 そう…あたしね、自分の窶れた姿を見たくないから…一昨日、礼奈に鏡を全部仕舞ってもらったの。まるで、骸骨みたいに痩せてるんだもん…こんなに青白く疲れた表情をしてるのが、あたしなんだって…信じてはいても、やっぱり見たくないからね。まるで、何十もの歳を、一気に取ったみたいに疲れてるんだもん……

 何だか、頭痛もすっかり当たり前になっちゃって…酷い時にも、顔を顰めるくらいかな…吐血も、今日はまだ一度しかしてないし…調子は良いのよ。

 ……でも、でもね……ちょっと、喉の奥が塞がってるみたい…

 最近はね、あたし、殆ど何も食べてないのに…苦しくて…胃の中を全部出してしまいたくなるの……手足が震えて…精一杯、吐こうとするんだけど…やっぱり、何も無いんだもんね…

 出るのは……赤い血ばっかり…

 そんな状態で頭が割れるような痛みに襲われたら…今のあたしでも、流石に辛くて……

 でも、でもね…

 ……恐くはないのよ…

 ただ…ね。あたし……疲れてる…息をするのも、面倒に思えてくるくらい…

 ガッ! ババババッ

 あっ、又あの音がしてる。昨日からかな、近くで古くなったビルを壊してるのよ。古いって言ったって、まだ十年くらいしか経ってないんだけどね。最新の情報を扱うには、不便なんだって。あたし、よく分かんないけど…でも、でもね? まだ綺麗だったのに…ちょっと嫌な気分なの。

「美星さん…」

 灰色を映す西の窓から、急に優しい声が入ってくる。あたし、首だけ動かして、小人のヴェストルに笑い掛けてた。

「今日は、落ち着かれてるようですね」

 部屋に入った瞬間、若者の姿になってる。あたしね、あたし…まだ、どきどきするのよ。とっても素敵なんだもん。

「うん、ありがとう。昨日よりはずっと気分がいいわ…」

 そうなの。ヴェストル、毎日来てくれるのよ。曇ってても、まだ明るい時分からこうやって逢いに来てくれるの…

 ヴェストル、安心したようににっこり笑って…いつも礼奈が座る椅子に腰掛けてる。あたし、そんなヴェストルを見てね、ちょっと意地悪く澄ましてみたの。

「これで、あたしの大好きな金星でも見えたらいいんだけど…」

 途端に、ヴェストル、困った顔をしてる。

「物質界の雲は、僕には扱えないんですよ…又、《縁》が生じるのを覚悟で扱うなら別なんですが…」

 口籠もってるんだもん。あたし、くすくす笑ってすぐに謝ったの。

「ごめんね、分かってる。又、変な《縁》でも創って、逢いに来てくれなくなったら嫌だもん。ごめんね」

「いいえ、僕にそれだけの『力』があれば、美星さんに喜んでもらえたんですが…」

「ううん。ヴェストルが傍に居てくれる事が、あたしの一番の喜びなの…」

 そう…そして、ヴェストルを『好き』でいる事が、あたしの一番の『幸せ』なのよ。

「…有り難う御座います」

 そっと、優しく指先を取ってくれる。ちょっと恥ずかしいくらいに痩せた指…でも、でもね…? 不思議なの…ヴェストルがあたしを引き寄せてくれたら…あたし、昔みたいに元気な姿になってるのよ。

 『嫌な気分』を捨てて、部屋の外に飛び出してく…

 あたしね……この頃、思うのよ…

 ……こうやって、星夜の町に連れていってもらう事が…あたしが生きてる目的なのかな…って……


 真上にね、ぼんやりとした長楕円形の雲が見えてる。M31なんだけど、あたし、肉眼で見たのは初めてなの。淡く中心部が輝いてて…とっても綺麗。…そこからずっと東に視線を下ろしたら、真っ赤なアルデバランが見えて…V字型に集まるヒアデスが、澄み切った夜空で一際映えてる。でも、でもね? あたし、やっぱりプレアデスの方が可愛くてお気に入りなの。ヒアデスみたいに威張ってないし、広大な宇宙の中で心細げに小さく身を縮めてるんだもん。思わず、両手で包んであげたくなるような、そんな星団なのよ。

「寒くはありませんか?」

「うん、ヴェストルの御蔭でね!」

 あたし、ぴったりと身を寄せてた。人間じゃなくても、こんなに温かな体…あたしね、あの時の……黄金色の光の波を思い出してた…

 あれは…ね。今のヴェストルと同じだったの……それが、あたしにはとってもよく分かるのよ…

「そろそろ、降りる?」

「はい…」

 ヴェストル、そっと手を引いて、遥か下に広がる闇の中へと導いてくれる。

 青く霞んだ星夜の町並み…霧の様な闇が流れては、日常の喧騒を押し隠してくの。とっても静かで…建物を壊すような、あんな騒音は全然無いのよ。

「あれ?」

 ビルの谷間に、小さな農園が見えてる。そこにね、地面をふんわり覆ってる雪と同じくらい、真っ白な髪をしたお爺さんがしゃがみ込んでたの。見たら、お爺さん、小さな花の手入れをしてる。それがね、名前は分かんないけど、とっても可愛らしい水色の花なのよ!

「お嬢ちゃん、気に入ったかの?」

 じっと見てたら、急にお爺ちゃんが笑いながら話し掛けてきて…あたしね、思わず大きく頷いちゃった。

「そうかそうか。それじゃぁ、一株持って行きなされ」

「いいの?」

「勿論じゃよ」

 そう言いながら、お爺さん、袋に一株移してくれたのよ。あたし、もう嬉しくって!

「ありがとう!」

 三つ四つ花が固まってる。う〜んっと息を吸い込んだら、素敵な薫りが胸一杯に広がるの。まるで、ここだけは春みたい…

「いやいや、儂もお嬢ちゃんの喜んどる顔を見たら、嬉しくなるからのぉ」

「よく手入れされた碧紗(へきさ)ですね。ここにはいつも来られるんですか?」

 ヴェストルの言葉に、お爺さん、少し真顔になってる。でも、でもね? すぐに優しい笑みを浮かべてくれたの。

「そうじゃ。殆ど毎日来とるよ」

「あたし、よく分かんないけど…大変なんでしょ?」

「なぁに、年寄りの趣味じゃからのぉ。儂はただ、ものを言わん生き物が好きなだけなんじゃよ。『人間』は、そうでもないようじゃが…」

「ううん! そんな事…」

 でも、でもね……あたし、最後まで言えなかった…

 …お爺さん、目の前の壊れかけた建物を見てるんだもん……

「あれは…『生きて』はおらんのかな?」

 厳しい声…冷たくて…真剣で……

 …その時ね、震え出したあたしを、すっと温かな腕が抱き寄せてくれたの。あたし、その腕に力一杯しがみついてた…

「お嬢ちゃんに言うても仕方無いんじゃが……『ものを言わん』存在が、全て『死んで』いるとでも言うんじゃろうか。虐げられて苦痛の《声》を上げる人間には同情を寄せても、無音の《声》で縋り付く存在には見向きもせん。人間とは不思議なもんじゃ…踏み躙られた草花が、《悲鳴》を上げているのが聞こえんとはな…水の流れや風の乙女が話し掛けても、気付きもせん。光に宿る、偉大な《生命》が分からんのじゃろうか……あの建物とて、愛らしい《生命》が最後までしがみついておったんじゃが……もう…」

 まさか……

「…そんな!」

 あたし、大きく目を見開いてた……

「そう、『死んだ』んじゃよ…なかなか『変化』を見せぬ存在は、猶のこと弄ばれる…無惨なもんじゃ。『生まれた』頃は、持て囃されておったのに…最早、誰も慈しむものはおらん…」

「…ううん! そんな事、ない…少なくとも、あたしは嫌な気分がしたわ……あたし、『物』に《生命》があるかどうかなんて…分かんない……でも、でもね? ……胸が痛いのよ…」

「美星さん…」

 あたし、ヴェストルの胸に顔を埋めてた。自分の都合だけで存在を捨てる…きっと…ね。それがペットなら…まだその行為に反論する人はいると思う……でも…でも、ね? それが…建物になったら……水や、光になったら……

「美星さん…『人間』の中では、未だに《生命》を定義する事は出来ません。ですから、美星さんは美星さんの感覚で《生命》を見つめて、この方の言葉を考えなくてはいけないんです…」

「うん…」

 人も物も…全部、《本質》的には同じなんだもんね……ヴェストル、あたし、分かってる…『存在』は《全て》……ね…

「お嬢ちゃんのように、《真》を知る人間も居るんじゃが…一方では、呪いによってさえ、目覚めん輩が多過ぎる…」

「え?」

 お爺さん、呪いって…!

 びっくりして顔を上げたら…お爺さんの体、どんどん小さくなってる! 青い澄んだ光に纏われて……その綺麗な光がね、狐の形になってくのよ。ふさふさとした長い尾を揺らして…青い狐、急に闇の中に駆けてくの。

「ヴェストル!」

「はい」

 呪いなんて…! どうして…どうして?

 あたし、お爺さんが狐になった事より……呪い、の一言に打ちのめされてた…

 こんなに可愛い花を育てる人が…どうして……

 あたしね、手を引かれながら…声も出さずに泣き出してた………


 ここ…病院?

 ヴェストル、ふっと空に舞い上がって…病室の窓を通り抜けてる。

「美星さん…」

 うん…大丈夫。もう、泣かないからね…

 病室の薄暗がりの中で、青い狐が一人の女の子の胸に乗りかかってる。その子、まだ小さいのに…すっかり痩せ衰えて、ベッドの上で呻き声を漏らしてるのよ…酷い…こんなの、酷すぎるよ……

 …あたし、思わず夢中になって叫んでた。

「止めて! お爺さん、止めて! こんな事、しちゃいけないのよ。考えてる事は正しくても、そのやり方が間違ってるじゃない!」

「御老体、私もそう思います」

 …え?

 急に、後ろから落ち着いた声が聞こえてきたの。振り返った窓辺に、ふわっと桃色の霞が流れて…その中からね、淡い色合いの衣を纏った琳瑩さんが、少しずつ現れてくる。

「琳瑩様…では、戻る時が来たのですな…」

 綺麗な青い狐が…又、あのお爺さんに戻ってる。

「はい…人間の方々に災いを為せば、狐狗苑に戻らなくてはいけませんから…」

「それが守戌である琳瑩様の務め…」

 お爺さん、すっかりうなだれてる…

「琳瑩さん…」

 あたし、お爺さんの為に何か言いたくて……でも、でもね…琳瑩さん、辛そうに首を左右に振ってるのよ…

「御老体……何故、御老体ほどの空狐(くうこ)が、物質界に留まって…この様な事をされたのですか?」

 琳瑩さん、黄金色の瞳を悲しそうに細めてる。そっと、お爺さんに近付いて…優しく顔を上向かせたの。

 そしたら、お爺さん……泣いてるのよ…

 あたし、辛くて……

「美星さん…」

 …うん、分かるよ、ヴェストル…これが、狐狗苑の掟なんだ、って……でも、でもね? 辛いのよ…

「琳瑩様…儂の様な孤独な年寄りには、物質界の方が心が休まりましたんじゃ…この星夜の町の農園なら、選ばれた存在しか現れませんからのぉ…」

「…はい」

 琳瑩さん、苦しそうに瞳を閉じてる…

「もう、どれ程昔の事か…その日、一人の女性が農園を覗きに来てくださったんじゃ。儂は、孤独故に孤独の儘を楽しんでおったんじゃが…その女性は、とても碧紗の花を気に入って下さってのぉ。一株分けてあげましたんじゃ…その女性は、それはとても喜んで下さって…にこやかに、礼を言って下さった……

 …琳瑩様……その笑顔は、孤独な年寄りにとっては、心からの慰めでしたんじゃ……」

 あたし、あたし……

 …胸元の花を、強く握り締めてた……

「それからも、何度もその女性は来て下さったんじゃが…その度に、儂も花をあげたんじゃが……」

 お爺さん、必死に嗚咽を抑えてる…

「ある日の事……その女性は、儂に向こうて悲しそうに告げてきましたんじゃ…もう、ここには来れません、と……

 …勿論、儂は驚いて問い質したんじゃが…その女性は、辛そうな顔をするだけで、答えてはくれんのです…儂は不安なまま、それでもいつもと変わらず、花を渡そうとして…………

 ……琳瑩様…その女性は…急に、背中を突き飛ばされたように…かくっと体を反らせましたんじゃ……悲鳴も出せん程の勢いで…何度も何度も、のけ反っとるんです…苦しそうに…口を開け、涙を流しながら……

 儂は、急いで駆け寄ったんじゃが……目の前で…その女性は、細かな砂粒になって……風に運ばれてしまいましたんじゃ…………」

「……!」

 あたし…あたし……

 …ヴェストル、そっと…肩を抱いてくれてた…

「琳瑩様…儂に分かっておったのは、この慰め手が、何かの化身だったと言う事だけでしたんじゃ…

 …儂はすぐに、この女性の『殻』を探しに出掛けて…のぉ……

 ……そこには…大きなデパートが崩れておりましたんじゃ…前庭の花壇に、儂の花が資材に押し潰されて………

 …悲しかったですぞ……儂の気持ちまで踏み躙られて…一つの《生命》も、そこで消されたんですからのぉ…」

「御老体…」

 琳瑩さん…閉じた瞳から、銀の流れが溢れ出してる……

 …あたしも……

「琳瑩様、その時、儂は誓いましたんじゃ…《生命》の何たるやも知らず、平気で存在を破壊する人間に復讐と警告を為そうと……じゃが、人間を殺すのはいかん…殺しはせんが、それに等しい呪いをかけてやろう、と……

 この幼子も、ある建設会社の社長の孫娘なんじゃが…誰も、儂の呪いを警告として受け止めようとはせんかった……それも当然なのかも知れん…彼等には、『罪』の意識など全くありませんからのぉ……

 …琳瑩様…儂の全てを奪った人間に……儂は、黙って耐えるべきでしたんじゃろうか…?」

 琳瑩さん…何も応えないの……あたし…黙ってられなくて…

「…耐え続けるなんて、そんな事、出来るはずないじゃない!」

「綺さん…」

 あたし…お爺さんの首に抱き着いてた。

「ごめん……ごめんね…」

 あたしも…その『人間』なんだもんね……《同じ》…『人間』なんだもんね……

 …あたし、泣きながら謝ってた……

「お嬢ちゃん…

 …謝るのは、儂の方じゃ…お嬢ちゃんが言うとったように…儂は方法を間違えたのやも知れん……

 ……お嬢ちゃんを見とると…今は、そう思えてくるんじゃよ…」

 そっと、離してくれる…あたし、両手で顔を覆って泣き続けてた……


「では、琳瑩様…」

 ヴェストル、あたしをそっと抱き上げてくれる。少し離れた所で、あたし、濡れた瞳をお爺さんに向けてた…

 …苦しいの…お爺さんの想い、間違ってないもん…方法を間違えただけなのに……何も、あたしには出来なくて…

 琳瑩さん、お爺さんの言葉に静かに頷いて、右手をそっと滑らせてる。伸ばされた人差し指と中指の先に、淡い桃色の小さな珠が……

「天狐ノ守戌メェ、覚悟ォ!」

 …え? 何?

 眩しいのよ! 窓の外から、急に雷光が飛び込んできて…

「琳瑩様!」

 …! 琳瑩さんに向かってる!

 あたし、慌てて動こうとして…

「大丈夫です、美星さん。彼女は狐狗苑の守戌なんですから」

 落ち着いた声でね、ヴェストル、そっとあたしを引き留めたの。

 あたしが藍色の瞳を見上げる前に、琳瑩さん、滑らかな動きで右手の珠を雷光に向けて構えてる。

 ……? すぅーって蝋燭の炎を消すみたいに、雷光が薄れてくの。桃色の珠も、金色の光と一緒にふわっと消えてしまって…

「誰ですか?」

 琳瑩さん、後に桃色の風を連れながら、窓から飛び出してる。

「ヴェストル!」

「はい…」

 あたしが求めたから、すぐにヴェストルも追い掛けてくれたの。

「…え?」

 何よ、あれ!

 大きな…龍? それが、空中を漂ってるの。…でも、でもね? それ、鬼の頭をしてるのよ! 太くて鋭い鉤爪を振り翳して…曲がった嘴からは、変に甲高い声を飛ばしてくる。

「ショウヨウ様ハ何処ダァ」

「貴方には、関係の無い事です」

 琳瑩さん、抑揚なんて全く消えた冷たい声……若しかして、あの化け物…?

「はい、美星さん。あれは夢魔の以津禍(いつか)です」

 やっぱり、そうなんだ。

「龍王封印ノ鍵ヲ渡セェ!」

 身を切るような寒風が、怒声と一緒にぶつかってくる。すぐに、ヴェストルが庇ってくれたんだけど…でも、でもね? 今度も、又《縁》を創ったら…又、あたし……

 ううん…今度は、二度と逢えなくなるかも……

「ヴェストル殿、任せて下さいますか? 綺さんの為にも…」

「…はい、御願いします」

 ヴェストル、琳瑩さんに深く頭を下げて、あたしとお爺さんを退がらせたの。あたし、嬉しくて…琳瑩さん、分かっててくれたんだ…

 そんな、何も言えないあたしにね…琳瑩さん、にっこり微笑んでくれたのよ。

「以津禍、すぐにこの場から立ち去りなさい。この方々を巻き込むのなら、私は容赦はしません」

「黙レェ!」

 クワッて嘴を開いて…やだ、炎が飛び出してる!

 …でも、でもね。琳瑩さん、軽いステップでかわしたの。ふわって、羽毛みたいに軽々としてる。まるで、体重なんて無いみたい。

 琳瑩さん、すぐに両手に桃色の珠を創って、それを柔らかな動きで投げつけてる。二つの珠が、以津禍の周りを舞って…綺麗な桃色の淡い渦を創り出してるのよ。こんな場面なのに、あたし、思わず見惚れちゃった。

「グゥゥーッ!」

 でも、でもね。以津禍にしてみたら、見惚れるどころじゃなかったみたい。身動きとれなくて、苦しそうに呻いてる。

「妖夢界に戻りなさい…」

 静かな言葉と同時に、桃色の珠は以津禍を貫こうと…

「小賢シイィ!」

 やだ! 綺麗な霞が、打ち払われてるじゃない。凄い突風が襲ってくる…

 …でも、でもね。ヴェストル、ちゃんと透明な膜で守ってくれてたのよ。

「ヴェストル…」

 あたし、心配になって見上げてた。今ので、又…

「大丈夫です。あれくらいなら、すぐに対処出来ますから」

 そうなんだ……良かった…《本当》に、良かった……

 …ううん! 琳瑩さんには、全然良くないのよ。あたしが目を向けたら、以津禍、琳瑩さんに向かって鉤爪を翳してる!

「逃げて!」

 あたし、思わず叫んで…

 …シュ……

 ……カッ!

 え? な、何?

 琳瑩さん、両手で防ごうとしてるんだけど…その目の前をね、白い軌跡が走ったの。以津禍、さっと後ろに飛び退ってる。

「猛(たける)!」

 普段は落ち着いてる琳瑩さんの顔が、嬉しそうに眩しく輝いてる。温かな感情が溢れ出して…とっても素敵な笑顔なのよ。

「さっさと終わらせた方がいいぜ。対魔委員会の奴等も、すぐそこまで来てやがる」

 そう言って、暗闇から真っ黒な髪の男の子が出てきたの。あたしと同じくらい…かな。ちょっと大人びてる気がする。…あれ? この子も、何かの『力』があるみたい。だって、何気無く、空中に浮かんでるんだもん。

「はい…」

 ……? 琳瑩さん、又静かな口調に戻ってる。

「オノレェ!」

 かっと嘴を開いて…え? 今度は又、雷?

「…猛!」

 琳瑩さん、まるで命令してるみたい。あの男の子も、黙ってそれに従ってる。

 琳瑩さんの前で、鍔の無い短刀を構えて…あれ、匕首って言うのかな。それを、男の子が突き出してる。目映い雷光が、匕首の前で四方に飛び散って…その光の帯がね、とっても眩しくて…あたし、思わず目を閉じてた。

「グッ…」

 え? あっ! 琳瑩さん、何時の間にか以津禍の背後に回ってる。桃色の珠が流れて…ぱっと弾けてるの。その一つ一つが朱色の炎になって、以津禍を包み込んでる……

 ……あたし…ね。…物凄い悲鳴を、聞いてられなかったの…

 ……炎は、全部焼ききってしまって……灰だって、雪の上には降り積もってなかったのよ……


 あたしが落ち着きを取り戻した時にはね、琳瑩さん、もうお爺さんを霞で包み込んでたの…あたし、どうしていいか分かんなくて…

 それでも…そっと、笑おうとしてた…

「…大切にするからね…この花……」

 あたしには、何時まで世話出来るか分かんないけど…ね……

 ……お爺さん、消えながら……優しく頷いてくれたのよ……

「では、私達もこれで失礼します…」

 急にそう言って頭を下げてる琳瑩さんに、あたし、慌てて叫んでた。

「待って! 珈娜枝ちゃんに、伝えて欲しいの。小箱、ありがとう、って…御蔭で、とっても慰められた、って…」

「はい…分かりました」

 綺麗な微笑を浮かべて…琳瑩さん、あの猛って言う子と一緒に、桃色の薄幕に飲み込まれてく…

 風が淡い端切れを消し去ったら…そこには、もうあたしとヴェストルしか残ってなかったの。あれだけの事があったのに…まるで、嘘みたい。

「美星さん、僕達も戻りましょうか」

「うん…でも、でもね? ちょっとだけ…」

 あたし、ヴェストルに頼んで、そっと病室を覗き込んだの。…良かった、あの女の子、呼吸も落ち着いてる。

 もう、大丈夫よね?

「…はい」

 良かった……

 ヴェストル、優しく抱き締めてくれる…あたし、深い『時間』を秘めた藍色の瞳を見詰めて…

 その次にはね、あたし達もそこから消えてたのよ……

                                                                        10 土曜の憂憤 おわり






      『時間』の全てを身に受けながら………

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