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星斗幻想紀  作者: 風光
8/12

8 天王の連理

 僕の世界へと通じる道は…《本当》は何処にでも在るんです




 …どうして? どうして……

 ……ヴェストル…

 もう…一月も経つのに……どうして来てくれないのよ…?

 …やっぱり……何か、あった…の? あたし…あたし、もう………

 待てないよ…

「グッ…グフッ…」

 やだ…又……

 ………手が…真っ赤に染まってる…

 …苦しいのよ! 頭痛はどんどん酷くなるし…誰かが、あたしの頭を鷲掴みにしてるみたいで……気分も悪くて…ずっと、吐き気がするの…

 ヴェストル……逢いたいよ……助けて…

 あたし…あたし…………

 …若し、若しもこのまま『死』んでしまったら……でも…でもね? …最後にもう一度……逢いたいのよ…! お願い…早く来て……

 ……ヴェストル…

 …泣きたい……苦しくて…辛くて……

 でも……でも…ね。あたしより…ヴェストルの方が苦しんでるのかも知れない…そう思ったら……泣けないのよ…痛いの……胸の奥が……とっても痛くて…泣けないのよ…!

 もう、一月も苦しみ続けてるんなら…傍に居てあげたい……何も出来ないと思うけど…居てあげたいの……そして……

 …あたしの傍にも…居て欲しい……

 ヴェストル………

「…痛い!」

 痛いよ…頭が……潰される! 痛い…! もう、やだ……

 …ヴェストル……あたし…

 …………『死』を望んでるかも知れない…


 ……………………………………………………………………………


 今日は…ちょっと落ち着いてるかな…

 吐血も朝の一度だけだったし…吐き気も胸元で止まってるもん。

 …でも、でもね……苦しいのよ…ヴェストル……

 ううん、きっとヴェストルも……あたし、何も…出来ない…の?

 ねぇ…何があったのよ…! ねぇ…お願い、応えて……やっぱり…酷い状態になって苦しんでるの…?

 …痛いよ……ヴェストルが来てくれなくなって…ずっと……

 あたし…このまま、ずっと……ずっと、胸の奥が痛いまま……ずっと待ってるの…? …やだ……耐えられないよ…

 石になれるんなら……早くなりたい…

 …あたし、ね…枕を抱いて……涙も流さずに泣き続けてた……


 やっ! …突き上げられるみたいに…頭の中……ずきずきす、る…痛い、痛い…よ!

 …あたし、冷たい汗を全身に掻いて…頭を押さえて身悶えてた…

 もう…もう……あたし……もう…耐えられない……

 このまま………

 …う、ううん! 負けないんだから…頑張るの……礼奈と、ヴェストルの為に…

 でも…でもね……本当に…頑張れる、の……?

 ……あたし…分かってる…あたし………

 …………『死』を望んでしまいそうなの…

「……礼奈…」

 あたし、午後から模擬試験だって…知ってた……でも、でもね…もう、《本当》に耐えられなかったのよ…! このままだと、負けてしまいそうで…

「はい、景守ですが」

 穏やかな、優しい声……

「礼、奈…あたし……」

「ミホ! どうしたの?」

 でも…でもね……それ以上は…声が出なかったの…

「ミホ、待ってて! すぐに行くから、そのまま待っててよ!」

 真剣で…礼奈には珍しい、力強い言葉…

 …あたし、虚ろになった目で……微かに頷いてた…

 でも、でもね…礼奈……もう…あたし、頑張れないかな……

「…ミホ!」

 ……え…? とっても、はっきりした声…

 あたしが目を上げる前に…しなやかな指先が額に触れたの……温かくて…『何か』が満ちてくるみたい…

「こんなにも窶れて…どうして、どうして呼んでくれなかったの…!」

 怒りと、心配と、不安…全部、優しい嗚咽に含まれてる…

 …あたし……子供みたいに泣いてた…

「礼奈…」

 ぼんやりと…青の入った黒い瞳が見えてくる…

「ミホ…!」

 すっかり細くなったあたしを…礼奈、しっかり抱き寄せてくれたの……

「ごめんなさい…わたしが…」

「ううん…」

 礼奈の優しい言葉を、あたし、掠れた声で止めさせてた。

「ごめんね…大事な時なのに……どうしても、耐えられなくて……負けちゃいそうで…」

「そんな事…」

 礼奈、何も言わずに小さく首を振ってる…

「礼奈…お願い……もう少し、このまま…」

 あたし…安心して、礼奈に寄り掛かってた。温かな腕の中で、本当に安心して泣き続けたのよ……


「ありがとう、礼奈…」

 あたし、すっかり気分が良くなってた。不思議なの、たった数分間の事なのに、もう何だって頑張れそうな気がする。一ヶ月も続いた不安や恐れに、ついさっきまで負けそうだったなんて…全然、思えないくらいなのよ。

「ミホ…ミホがどんな事を言っても…わたし、毎週ここに来る事にするわ…」

「礼奈!」

 でも、でもね…礼奈、あたしに何も言わせないのよ。

「もう、決めたの…あんな姿、もう見たくないもの……」

「…ありがとう」

 だから…あたし、素直にそう言ってた。

「ねぇ、ミホ…ヴェストルさん、まだ来ないの…?」

 小さく尋ねる声にね…あたし、黙って頷いたの。気分の悪さが何処かに消えてしまったから…今度は、ヴェストルの事ばっかり心配になるのよ。

「そう…」

 礼奈、暫く考え込んでから、急にあたしの目を覗き込んだの。

「ミホ…逢いに行ってみる?」

「え?」

 あたし、きょとんとして礼奈の顔を見つめてた。とっても真剣な瞳…そんな事、出来るの?

「まだ、試した事は無いの…だから、本当は勧めたくないんだけど…」

「ううん! お願い…ヴェストル、きっと困ってるのと思うの…

 あたしには…ね。何も…そう何も出来ない、よく分かってる……でも、でもね? …せめて、傍に居てあげたいの……ううん、…きっと…あたしの方が、ヴェストルに傍に居て欲しいのよ…」

 真っ赤になって、あたし、正直に話してた。

「危険かも知れないわ…」

 静かな礼奈の瞳にね、あたし、頭を振って微笑んだの。

「礼奈の事だもん。考えられる危険は、全て防げると思うから…だから、あたしに教えてくれたんでしょ?」

「ミホ…」

 礼奈、頷いてくれる。

「じゃぁ、横になって…」

 あたし、素直に従ってた。礼奈、本当に色んな事が出来るの…それもこれも、全部……きっと、あの『樹』から…

 あたしも、その『樹』に会ってみたいな…礼奈、この世界で《本当》に巡り逢えたらいいね…

 そっと、柔らかな指先が額に触れる。低くて滑らかな呟きを聞きながら…あたし、ぼんやりとしてた。

 ……礼奈…

 …すぐに、あたし…意識を失ってたの。


 ここ、何処なのかな…? 真っ暗じゃない。

 あたし、途方に暮れて周りを見回してた。全く、何の音もしないのよ。息が出来なくなるくらい、空気が重くて…あたしの心音だけが、不釣合いなくらい大きく響いてる。

「あっ…」

 急に、目の前に藪が広がったの。あたしよりも背の高い草の群れで、すぐそこに狭い裂け目が顔を覗かせてる…道になってるみたい。もう、十一月なのに、とっても青々としてて…あたしね、そこから流れてくる久しく嗅いでなかった強烈な匂いに、思わず噎せてたのよ。でも、でもね? とっても懐かしい薫り…うっとりしちゃう。

 薄く張った白雲の向こうには、夏の太陽がぼんやりと見えてる。その光に淡く縁取られて、青草が誘うように揺れてるのよ。あたしね、その誘いに導かれて、頭を低くしながら中に入ってた。

 この道、どんどん狭くなってるみたい。ほら、すぐ目の前の隙間なんて、膝をつかないと通れそうにないじゃない。

 正直に言うとね、あたし、とっても不安になってた。あたし、このままここを進んで行ってもいいのかな、って…礼奈が言ってた危険って、若しかして何かに襲われるような事なんかじゃなくて、こんな所で迷う事なのかも知れないのよ…

 そんな事をちらっと思いながら、それでも、あたし、黙って這い続けてた。

 暫くしたら、漸く藪を抜け出す事も出来て…次にはね、あたし、急に森の中に入って立ち尽くしてたの。

 とっても大きな木々が左右に並んでて…薄暗い闇の中を一本の石畳の道が続いてる。でも…でもね。湿った黒い土の中に、その道、殆ど埋まってるのよ。凸凹してて、とっても歩き難い感じがする。

 …それでもね、あたし、ちゃんと歩き出してた。

 本当に暗いの。左手のすぐ傍に小さな谷川があるんだけど…水は流れてないのよ。岩ばかりが見えてて、所々に大きな水溜りが出来てる。光はね、その上に広がる、幾重にも重なった枝葉を通してしか射してこないし…

 枯れ葉が積もってるだけで、下草も無い右手の斜面は、真っ暗。綺麗な花の一つでもあったらいいのに…ううん、せめて鳥の声や風の音だけでもあって欲しいのに…本当に何も無いんだもん。

 時々、土の中に消えてく石畳を、あたし、転ばないように慎重に、でも必死になって登ってた。……あっ…! あたし、足が動いてる…!

 …でも、でもね? それ以上、何も考えられないの。ここでは、難しい事を考えるなんて出来ないのよ。進み続ける事だけが、あたしに許されてる…そんな気がするのよ。


 それにしても…うんざりするくらい、道が続いてる。何処まで行くのかな…ヴェストル、いつもこんなにまで苦労して、あたしに逢いに来てくれてるのかな……

 …正直に言ってね、ちょっと不安になってる。このまま何処にも着かないんじゃないかな…って…

 怖いのよ……

「お姉ちゃん、頑張れぇ!」

 え? …えぇぇ〜!

 い、今の…珈娜枝ちゃんの声じゃない? ……でも…でもね? 珈娜枝ちゃん…何処に居るのよ。

 …やだ、あたし…幻聴まで聞こえるようになっちゃったのかな。

 そのまま立ち止まって…あたし、暫くきょろきょろしてた。その時、急に頭の上から大きな羽音が聞こえてきたの。風を切る、ブンッて低い音が圧力と一緒にぶつかってくる。あたし、思わず目を瞑って身を縮めてた。

「美星様ですね」

「え?」

 あたし、びっくりしちゃって…だって、そうでしょ? 誰も居ないと思ってたのに…鳥さえ居ないと思ってたのに、突然、若い男の人に声を掛けられたんだもん!

 目を開けてみたら…とっても背が高くて、ちょっと鋭いかな、って感じの黒い瞳の人がすぐ前に立ってるの。その人、あたしに向かって跪いてくるんだもん、もう、あたし、慌てちゃって…

「あ、あの…」

 …え? あれ、背中に見えてるの…翼じゃない!

「この道は狐狗苑に属するとは言え、本来ならそこを歩む者に姿など現してはならないのですが…珈娜枝様たっての願いに依り、天狗である私が遣いとなって、贈り物を届けに参りました」

 …天狗?

 う〜ん…でも、でもね? 赤ら顔じゃないし、鼻だって低いのよ。とっても格好良くて、翼以外は人間そっくりじゃない。

「受け取って頂けますでしょうか」

「う、うん。勿論よ」

 その人、真面目な顔で小さな木の箱を渡してくれたの。中を開けてみたら、可愛らしいスミレと一緒に、鮮やかに澄んだイロハカエデの緑葉が入ってる。とっても爽やかな贈り物!

「ありがとう! もう、これで寂しくなんてならないわ」

「そのお言葉に、珈娜枝様も喜んでおられることでしょう。では、私はこれで失礼させて頂きます…」

 そう言った瞬間、その人…じゃない、天狗は風みたいに消えちゃったの。不意に、又、静かな雰囲気が満ちてくる。

 でも、でもね。あたし、とっても元気になって歩き出してた。

 …早く、ヴェストルに逢いに行かなくちゃね!

 温かな小箱のせいかな。もう、周りの暗闇がそんなに濃く思えなかったの。杉の枯れた枝が積み重なる山肌から、すーって上まで視線を向けてく間にね、とっても沢山の緑色が目に入ってくる。黄色から、とっても明るい黄緑…艶のある緑色や、時々覗く白っぽい空の色まで。しかもね、その一つ一つが違う葉形をしてて、重なった所は一つ分、色を濃くしてるのよ。とっても複雑なんだけど、重たさを感じさせない素敵な彩り…

 葉の形なら、珈娜枝ちゃんの贈り物にもあった小さなイロハカエデが一番ね。色も透き通るような黄緑色で、愛らしいの。すっかり、あたしのお気に入りになっちゃった。

 あっ、倒木が道を塞いでる。大きな幹の左隅にある小さな穴を潜って…何だか、とっても気持ちの好い冒険をしてるみたい。あたし、子供みたいにわくわくしてる。

 …でも、でもね? 急がなくちゃいけないの。礼奈、無理してるかも知れないし…ヴェストルだってね、とっても苦しんでるかも知れないのよ。

 ……胸の奥の痛みだけは…ね。この素敵な贈り物でも、癒せないのよ…

 待っててね、ヴェストル。あたし、頑張るからね!


 もう、どれくらいの間、歩いてるのかな。相変わらず周りに生き物の気配は無いし、時間を予想出来る存在なんて何も無いのよ。大体、この道に『時間』なんてあるのかな…?

 小川の上の石橋も何度か渡ったけど、水はやっぱり流れてないの。同じ様な木に囲まれて、同じ様な凸凹の石畳の道が何処までも続いてる。

「きゃっ!」

 もう! 今迄、物音一つしなかったじゃない。どうして、急にドングリが落ちてくるのよ!

 バラバラって、風も無いのに、不規則な間隔で小さなドングリが落ちてくる。何だか、あたし…誰かに追い立てられてるみたい。

 心持ち、足を早めたんだけど…あれ? ちょっと明るい所が、枝葉越しに見えてるじゃない。

 …やっぱり! 森の中に、小さいけど開けた場所が見えてるのよ。

 あたし、あたしね…夢中になって走り出してた。何だか、とっても嬉しくて…

 あと、もう少し……大きな石の塊に、清らかな斜光がぶつかって…

 え? …えぇぇ〜!

 …どうなってるのよ? …森が…消えちゃったじゃない!

 何も、無いの…在るのはね……とっても澄み切った黄金色の光だけ。……でも…でもね? …それ、太陽の光じゃないみたいなの。

 温かくて……やだ…

 …あたし、胸元まで真っ赤になってる……この温もり…ヴェストルを思い出すんだもん……あたしに触れてくれる、優しい腕まで感じてる…

「美星さん…」

 ……え? …ヴェストル?

「ヴェストル! ヴェストルなの!」

 何処? あたし、見えないよ…!

「…はい」

「何処に居るの? ヴェストル!」

「ここは、僕の空間ですから…美星さんには、僕を『光』としてしか知覚出来ないんですよ…これも、僕の『様相』の一つなんですが」

 だから…あたし……さっきからずっと…ヴェストルに抱いてもらってる気がするのね…

 …あたし、『光』に身を任せて泣き出してた。

「ヴェストル、ずっと来ないんだもん…心配したのよ? …大丈夫なの?」

「はい…すみません。『肉体』を失う衝撃は、殆ど無かったのですが…あの夢魔との衝突で生じた《縁》の調整に手間取ってしまったんです。調整している間は、物質界と関わってはいけませんから…長い間、御誘い出来なくて、本当にすみませんでした」

「じゃぁ…ヴェストルは傷付いてないのね?」

「はい」

 良かった…《本当》に良かった……

「…逢いたかったのよ……ずっと、そう思ってた…」

「僕もです…苦しんでいる美星さんを、黙って見ているのは…とても辛かったんですよ……僕には、何も出来なくて…」

「ううん…それは、きっと…《本当》に何も出来なかったんだもん…」

 そうよ…きっと、ヴェストル…出来る全てをしてくれたと思うもん。

「美星さん…」

 黄金色の綺麗な『光』が、前や後ろ…上下左右から、優しくそっと抱き締めてくれる…あたし、その圧力を……あたしの《全て》で感じ取ってた…

「あっ…」

 ヴェストル……

 …体の中に……『光』が染み込んでくるみたい…温かな波に洗われて……

 ううん……あたしも……広がってるの…

 …どんどん…どんどん散っていく……でも、でもね…『あたし』が薄くなってるんじゃないの…消えていこうとしてるんじゃないのよ。

 『あたし』が…そのままの『あたし』で……

 …『虚無』になってく………

(ヴェストル…)

 あたし……あたしの《外》と《中》で…ヴェストルを感じてる…

 ……とっても嬉しいのよ…

「美星さん…見えませんか?」

 …え?

 あたし…『目』が何処にあるのか分かんない…

 …でも、でもね? …観えてくるのよ…灰色の森が……

 何本も立ち並んでる…その中でね、二本の『樹』だけが……『色』を持ってるの…互いに寄り添って…幹を絡ませて……一つの『樹』になってるのよ…

 力強い脈動……銀の…流れ…?

 あたし…あたし……

「……これ…」

「はい…『郷夢の森』ですよ…」

 ヴェストル…あたし……

 こんなに近いの…こんなに……

「美星さん…」

 『あたし』の《中》から…『ヴェストル』の《中》に『あたし』が……


 ……礼奈…あたし…


 …………《永遠》を感じてたのよ…



「…ミホ!」

 ……え? …えぇぇ〜!

 すぐ目の前に、疲れた顔の礼奈が座ってる。そして、その横には…

「ヴェストル! ヴェストル!」

「はい…美星さん」

 格好良い若者の姿で……あたし、抱きついて思い切り泣いてた。

 …あれ、全部『夢』だったのかな…

「いいえ…違いますよ」

 そっとあたしを離して…ヴェストル……

 ねぇ、それ…

 …木の小箱なの……珈娜枝ちゃんからの贈り物…

「じゃぁ…」

 ヴェストル、優しい笑顔で頷いてくれる…

「……嬉しい…!」

「…美星さん。僕も、美星さんに来てもらえて嬉しかったんですよ。ですが、あれ以上美星さんが僕の世界に留まれば、今度は礼奈さんの方が危険でしたからね…」

「ヴェストルさん…!」

 慌てて、礼奈が止めようとしてる。あたし、何も言えなくて……

 …礼奈を力一杯抱き締めてた。

 礼奈、ありがとう…《本当》にありがとう……


「ヴェストル、《縁》が生じたってどういう事なの?」

 落ち着いてから、あたし、すぐ傍に座ってるヴェストルに尋ねたの。

「僕は《本来》なら居るはずのない空間で、『様相』としては極めて特異な『肉体』を持って美星さんと御逢いしているんです。それだけでも、僕の影響を受けるあらゆる存在に、絶え間無い『変化』を与えているんですが…あの日は、《本来》なら物質界には存在しない《業》と、僕が居るはずのないこの世界で衝突してしまい、しかも、この『様相』では出せない程の『力』を発してしまったんです。この時、僕と夢魔に生じた《縁》は、僕の影響を受ける《全て》に悪い変化をもたらしたんですよ」

 …あのね、ヴェストル…正直に言っていい? あたし、ほとんど分かんないのよ。

 礼奈が教えてくれたのは、このあたしの居る世界が物質界だってこと。そして、その物質界とは別に妖夢界って名前の世界があって、そこの住人が夢魔って言うんだ、ってことくらいなのよ。彼等は、あたし達人間の望みや欲望が妖夢界で顕現した存在で、何らかの理由で珈娜枝ちゃん達を襲ってるんだ、ってね。

 そう言えば、珈娜枝ちゃんは天狐って言う狐らしいの。全然そうは見えないんだけど…しかも、狐の中でも一番『格』が上なんだって。神様と同じくらいの存在で、人に害を与えない種族だそうよ。

「…あたし、さっき狐狗苑を通ったの?」

 狐狗苑が、珈娜枝ちゃん達の《本来》住んでる世界で…日本だけに『扉』があるんだって。

「そうなの…わたしには、狐狗苑が一番安全な『触媒』に思えたから…」

「触媒?」

「僕の世界に到る『道』は、《本当》は無数に在るんです。ですが、美星さんには直接『扉』を開ける事が出来ませんから、礼奈さんは別の空間を間に置いて『扉』を開けたんですよ」

 よく分かんないけど…でも、でもね。とっても真剣にあたしの事を心配してくれたんだって事だけは分かるの。

 あたしね…《本当》に、礼奈と友達で良かったと思う……こんなに素敵な友達、絶対、他に居ないもん。

「久し振りに、三人で星夜の町に行きましょうか」

 外はもう真っ暗。『時間』ってどんどん勝手に流れるのね。

「でも、わたしは…」

 礼奈…礼奈ね、きっと……あたしに見えてるよりも、もっともっと疲れてるはずなの。

「ヴェストル…」

 あたしのせいなんだもん…

「長い間、《気》を使わずにいたようですね。その制御にまで気を配れていないじゃないですか…勉強のしすぎは体に悪いですよ。礼奈さん一人の問題ではないんですから…気を付けて下さい」

「…はい」

 ヴェストルがね、ちょっと頭に手を置くだけで、みるみる礼奈の顔色が良くなってくの。あたし、嬉しくて…

「ありがとう、ヴェストル」

 思わず、力一杯抱き締めてた。……本当に、ありがとう…

 そんなあたしを優しく離して、そっと微笑みながら指を取ってくれる。どんなに近くなっても…あたし、どきどきしちゃうのよ。『他人』の儘なんだもんね…だから、どんどん『好き』になれるのよね……

「では、行きましょうか」

 枯れ木が青闇を背に浮かび上がってる。その枝の間に、大好きな金星と夏の星座達が沈みかかってて…

 振り返ったら、カシオペアが輝き始めてる…もう、すっかり辺りを包む大気は秋なのよ。

「美星さん、寒くはありませんか?」

「うん…」

 大好きな礼奈と…ヴェストルがこんなに傍に居てくれるんだもん。絶対、寒くなんてならないわ!


 そうよ、こんなに傍に居てくれるんだもん…ね。

                                                                         8 天王の連理 おわり






      《真》を抱き 春には歌い

       《誠》に抱かれ 夏に戯る

      星斗を包み 秋を囁き

       夕に包まれ 冬に羽ばたく…

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