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星斗幻想紀  作者: 風光
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7/12

7 日曜の怫欝

              人を殺すなんて…簡単な事だよ




 とっても綺麗な夕焼け空なの…

 今年はね、大好きな金星もずっと見えてるし…これで、頭痛さえ無かったらいいんだけど…ね。

 まだ紅葉の季節には少し早いけど、すぐそこの公園に見えてるイチョウやケヤキの葉先は、それでもほんのりと黄色くなってる。残暑よりも涼しさの方が身に染みるようにもなってきたし…もうそろそろ、秋本番なのよ。礼奈、頑張ってるかな…

 あのね、礼奈、公立の高校を目指してるの。だから、まだちょっと時間はあるんだけど…最近ね、とっても疲れてる気がする。だけど、あたし……何も出来なくて…

 でも、でもね? 心配だけはかけないようにって、あたし、頑張ってるのよ。礼奈、律儀に通ってきてくれるんだもん。その間くらいは楽しめるように、ね。出来ない事を悩むなんてらしくないし、だったら出来る範囲で励ましてあげたいのよ。

「ですが、無理はいけませんよ。美星さん」

 小さな、丸顔のヴェストルが顔を覗かせてる。その表情はにこやかなんだけど、藍色の深い瞳はとっても真面目にあたしの事を心配してくれてた。

「うん! ありがとう、ヴェストル。でも、でもね? 頭痛や吐き気がどんなに辛くたって、礼奈やヴェストルの事を考えたら…あたし、我慢出来るのよ」

 そう、ちっとも無理なんてしてないわ。ほら、素敵な笑顔を見たら嫌な気分なんて消えるんだもん。どきどきして…とっても『幸せ』になれるのよ。

 ヴェストル、そっと…でも、しっかりと指先を取ってくれる。

 …とっても、温かいんだもん。

「…ありがとう」

「はい?」

 あたし、真っ赤になって囁いてた。

「ありがとう…いつも、来てくれて。ありがとう……こんなに傍に居てくれて…」

「…はい」

 当然ですよ、なんて、ヴェストル、もう言わないの。そんな事、二人共よく分かってるんだもんね。

 そっと、引き寄せてくれる…

 …あたし、心の中で続けてた……

 ありがとう…あたしを『好き』になってくれて……


 ペガサスの四角形が昇り始めてる。いつもいつも見上げてるのに、その度に何処かが違ってるの。背景の暗闇だって藍色から群青色、もっと蒼いのまで本当に沢山あるのよ。

「寒くはありませんか?」

「うん」

 でも…でもね。もう降りた方がいいみたい。だって、本当に綺麗なんだもん。恐いくらい…こんなの、あたしが見ててもいいのかなって、そう思えてくるのよ。

 淡く霞んだ青闇へと沈み込んでく。この星夜の町も、楽しい事ばかりじゃないのよね…時々、あたしの《縁》で、本来居るはずの無い人が紛れ込んでるんだもんね。

 きっと…あたし、この町には住めないのよ。…少し、寂しいかな。

「あっ…」

 コンビニエンスストアの前で、誰かが喧嘩してる。あたしより、ちょっと幼いくらいの男の子が、一人で二人を相手に怒鳴ってるじゃない。

 あたし、止めさせるつもりで前に出たんだけど…ヴェストル、しっかりあたしの腕を掴んで放さなかったのよ。

「美星さん、あれは幻ですよ」

「え?」

 あたし、確かめるようにヴェストルを振り返ってた。その時、すぐ横から急に別の声が聞こえたの。

「そうなんだ。(かむはた)さん」

「…真哉君!」

 あたし、本当にびっくりしてた。だってね、あたしが中学校に通えてた頃、真哉君、女の子に一番人気があったのよ。あたしだって、他の皆と一緒に憧れてたんだもん。勉強は良く出来たし、運動だって何でも出来るの。格好良いし、優しいし…ちょっと前に出たがるのが欠点なんだけど、そんなの些細な事だもんね。本当に、理想の恋人そのものって感じ。

 でも…でも、ね? あたし…前みたいに、どきどきしないのよ。……ヴェストルみたいには…ね。

「ほら、見てごらん」

 真哉君が指差す方向に目を向けたら、さっきの喧嘩に…え? 真哉君が近付いてく?

「そうなんだ。あれは僕の『幻』なんだ…いや、『現実』だったんだよ」

 え? えぇぇ〜?

 混乱してるあたしに、ヴェストル、そっと言ったの。

「美星さん。あの映像を見ていれば分かりますよ」

 でも…でもね。少し…やっぱり、ヴェストルの声……静かだった…

 真哉君、喧嘩を止めようとしてる。落ち着いた、きっぱりした態度で。う〜ん、ちょっと格好良いな。

 あたしね、そんな風に気楽に見てたら…

「…!」

 今の…今の、何? あの男の子が持ってるの……拳銃じゃない!

 真哉君が倒れてく…嘘、嘘よ……!

「ううん、あれが『現実』なんだ。僕は頭に銃弾を受けて即死したんだよ。後の二人も同じ。他にも、アルバイトの店員が無関係なのに重傷を負ったんだ」

 淡々と話す真哉君って…じゃ、じゃぁ…幽霊なの?

 …もう、映像なんて消えてる。あたし、びっくりして何も言えなかった。

「ついさっきの事だったんだ。思わず仲裁に入ったんだけどね…まさか、兄貴と同じように…誰かの為になろうとして、殺されるとは思わなかったよ」

 ……そうなの。真哉君のお兄さんね、強盗を追いかけて…逆に、ナイフで刺し殺されたのよ……

「勇敢なだけじゃ無理なんだね…」

「…この社会は、未だ不完全なものですからね」

 あたし…ヴェストルの言葉に、反対出来なかった。だって…だってそうじゃない? どうして、他人の為になろうとして…どうして、殺されなくちゃいけないの!

「真哉君…」

 あたし、あたし……

 …でも、でもね……何も言えなかったの…

 真哉君、そんなあたしに笑い掛けてくれた。

「御免ね、こんな映像を見せてしまって。だけど、誰かに知ってもらいたかったんだ」

「…復讐、するつもりなの?」

 あたし…ルミの弟(しんやくん)の事、思い出してた…

 少し、黙ってる。ちょっと恐い時間が流れて…真哉君、静かに言ったの。

「…いや、出来ないからね」

 え?

「続きは見ない方がいいですよ、美星さん」

 ヴェストルの優しい言葉に、真哉君も頷いてた。

「ちょっと、酷いからね」

 だから、映像が始まった時…二人共、あたしを庇ってくれたの。

「あの小学生は、このコンビニにたむろしているグループの一員だったんだ。もう一方の二人は近くに集まっている別のグループで、どうも奴等は互いに対立してたみたいだね。

 どうやったかは知らないんだけど、奴は拳銃を手に入れると、最初から使うつもりで持ってたみたいなんだ。だから、必然的にさっきの出来事は起こってしまって…僕や店員が巻き込まれたんだよ。

 あの後、奴は仲間に匿われてたんだ。だけど、僕が現状を把握して復讐を決心するよりも先に、警察が動いていてくれてね。勿論、すぐに見当はつくから、奴が所属していたグループは、どんどん追い詰められて…

 結局、原因である小学生を処刑する事になったんだよ」

「え?」

 処刑って…

「そう。線路の高架下で、電車が通過した時にその小学生は自分の拳銃で射殺されたんだよ。銃声も聞こえない、奴等にとっては一番妥当だと思える方法だったんだろうね」

 そんな…! まだ、小学生なのに…どうして、どうしてそんなに簡単に命を奪えるの? 失うのは簡単でも、同じ命は二度と創れないのに…!

「彼等にとって、拳銃は頼りがいのある『友人』なのでしょう。力強く、逆らう事の無い『仲間』…そのような物に頼る事しか出来ない、自らの心の貧しさには気付いてもいないのでしょうね」

 そんな…

「そうだろうね」

 真哉君、静かに呟いてる…

「綺さん…僕は、これからどうしたらいいんだろう。憎しみや腑甲斐無さを感じていても、それを発するところはもう無いんだ…何だか、心が晴れないんだよ」

 真哉君……

 でも…でもね? あたしには、遠回しになんて言えなかった…

「…この世界に残る《意味》が無くなったのなら…次の『歴史』を進んでもいいと思うの。あたし、こんな事しか言えないけど……きっとね、真哉君や真哉君のお兄さんの行為って…大事なんだと思う。ごめんね、あたし、こんな他人事でしか言えないんだけど…でも、でもね? 次の『時間』も…その行為を促した気持ち、絶対忘れて欲しくないのよ……」

 うまく話せないけど、あたし、必死に分かってもらおうとしてた。そうしたら、真哉君、明るく笑ってくれたの。

「…有り難う。僕にも、本当は分かってるんだ。ただ、誰かにそう言ってもらいたかったんだよ…」

 ……うん。

 真哉君がしてくれたような行為が続いてくから…『人間』も成長出来るのよね…?

 青闇にぼんやりと滲んで消えてく…真哉君を見送って、あたし、ヴェストルを見上げたの。

「…そうですね」

 きっと…ね? ヴェストル、こんなあたし達の世界にうんざりしてると思う。でも、でもね…そんな世界の儘で、理解しようとしてくれてるのよ。

「そろそろ、公園の方に戻りましょうか」

「うん…」

 あたし、その腕に寄り掛かってた。

 …どんどん、隙間が塞がってくね…ヴェストル……


 夏の星座が、西の地平に傾いてる。もうすっかり、主役は微かな星達になってるの。ちょっと寂しいくらい、明るい星が無いんだけど…

「あっ!」

 まるで、蛍みたい。とっても柔らかな光が北の空を流れてく。

「ジャコビニ流星群…」

 あたし、笑いながらヴェストルを見上げてた。爽やかな風の中で、とっても優しい笑顔が恥ずかしそうに揺らいでる。本当に、素敵な笑顔……

 どきどきしながら…あたし、次々と流れる淡い光を見つめてた。

「やぁん! 来ないでよぉ!」

 急に、小さな女の子の声が聞こえてきたんだもん。あたし、びっくりして慌てて周りを見回してた。

 首の後ろで髪を結んだ可愛い子が、すぐに公園の中に駆け込んでくる。…一体、どうしたのかな?

 あたしとヴェストルが立ち上がりかけた時、その八歳くらいの女の子の後ろから、大柄の男も走ってきたの。砂場の前で追いついて、女の子の腕を掴んでる。

 …え? あの子、吊り上げられてるじゃない!

「放してぇ! 珈娜枝(かなえ)、本当に知らないんだもぉん」

「そんなに怪我をしたいのか?」

 ……! あれ、拳銃…

 あたしね、真哉君の事思い出して…

 ……でも、でもね。あたし、やっぱり黙ってなんて見てられなかった。

「放してあげなさいよ!」

 あたし、駆け寄って拳銃を取り上げようとしたの。少し男の注意が逸れた隙に、その女の子、さっさと逃げ出してる。

「くそっ!」

「お姉ちゃん」

 珈娜枝ちゃんは、すぐにあたしの後ろに隠れてた。だから、当然拳銃はあたしの方に向けられて…

 でも…でもね。あたし、逃げたりしなかったのよ。

「近頃は、夢魔も機械を操るんですね」

 急にヴェストルが横に来て、男の拳銃を押さえてくれる。…え? 夢魔って?

「貴様…?」

 ヴェストルの調った指の間で、突然拳銃が金色の粉に変わってる。

 …どんどん、綺麗な星が崩れ落ちてく……

「あは。お兄ちゃん…そうなんだぁ」

 何がそうなのか分かんないけど…珈娜枝ちゃん、あたしの後ろで嬉しそうにはしゃいでた。

「あなたがこの世界で何をしようと、僕には関係ありませんが…美星さんを傷付ける事は許しませんよ」

「…何故、貴様のような存在がここに居る」

「関係の無い事です」

 一瞬だけ、とっても深い沈黙が横たわったの。でも、でもね…急に、その人、大きく笑い出してた。やだ…何か恐いよ…

「だが、邪魔をしない事だ。この世界で我等と争えば、困るのは貴様の方だからな」

「そうかも知れません…」

 …え? どういう事!

「…ですが、美星さんがあの天狐(てんこ)を守りたいと思う限り、僕は自分がどうなろうとそれに従いますよ」

 天狐? え? ちょっと、ヴェストル! 一体、どうなるって言うのよ?

「大丈夫ですよ、美星さん」

 混乱してるあたしに、ヴェストル、温かく微笑んでくれたの…思わず、あたし、安心しちゃった。

 その時、突然、男の首が伸び始めたの。あたし、もうびっくりして…どうなってるのか、全然分かんなくて……

「わぁ。蛇さんみたぁい」

 …う〜ん、とっても気持ち悪いよぉ。首から下が、真っ赤な鱗に覆われて…背鰭の付いた蛇みたいになってくのよ。

「美星さん。離れないで下さい…」

 ヴェストル、しっかりと抱いてくれる。珈娜枝ちゃんも、あたしの足にしがみついてた。

「どうする? 争えば、この町は…」

 恐い……不気味に笑ってるの、人間の顔のままなのよ。蛇の胴体も、あたしだけじゃ抱えられないくらい太くなって…

 あたし、ヴェストルと逢ってから、沢山のものを見てきたけど…これって、本当に本当なの? あたし、もう分かんない……

 その時ね、ヴェストル、軽く右手を上げたの。刹那、今迄だってぼんやりと霞んでた大気が、もっとあやふやに薄れてく。

「しつこいですよ、蝕陰(しょくいん)。争いを恐れているのは、あなたの方でしょう」

 ヴェストル、静かに…少しの抑揚も無く告げてる。

「凄いねぇ。こんな結界、琳瑩(りんえい)お姉さまだって創れないよぉ?」

 …どうして、この子はこんなに明るく出来るのかな。

「黙れ!」

 蛇が、蝕陰が叫んで…あたし、その咆哮で吹き飛ばされそうになってた。ううん、本当に体が浮き上がったのよ!

「…自らの『力』の増長を望む時には、妖夢界(ようむかい)の住人でもそこまで必死になるんですね」

 ヴェストルがそう呟いた瞬間、あたし達の周りだけ突風が収まったの。公園の木は大きく靡いてるのに…

「当然だ、それが我等の《本質》だからな!」

 蝕陰、そう叫んで急に目を閉じてる。…え? あたし達を包んでる闇が、どんどんその勢いを増してる…? やだ、真っ暗になっちゃうじゃない!

 その時、ヴェストルを中心にして、黄金色の薄い球体があたしや珈娜枝ちゃんを覆ってくれたの。周りはすっかり暗闇が…ううん、もっと深い、ただの『黒』が一面を満たしてるのに、この球の中だけははっきり物が見えてるのよ。

「蛇さんも見えないねぇ」

 きょとんとした愛らしい顔で、珈娜枝ちゃんが笑い掛けてくる。でも…でもね? あたし、とてもそれに応える余裕なんて無かったの。分かんない事ばっかり、立て続けに起こるんだもん。

 …え? ……ヴェストル?

 あたし、しっかりとヴェストルの体を抱いてるのに…急に、そこには何も無いみたいに思えたの。慌てて見上げたんだけど…ちゃんと、あたしには瞳を閉じたヴェストルが見えてるのよ。でも…でもね? …『絵』を抱き締めてるみたいで…やだ、恐いよ…ヴェストル、本当にここに居るの?

 …あたし、もっと力を込めて抱き着いてた。その時ね、温かな指先が頬にそっと触れてくれたの。あたしの方には向いてくれないけど…あたしの傍には居てくれてるのよ……

 あたし…安心して《全て》を任せてた。

「…この世界へ顕現する為、『肉体』に閉じ籠もるとは呆れたものだ。その体、粉々にしてくれる!」

 突然、頭の上から、声が物凄い勢いでぶつかってきたの。あたし、思わず悲鳴を上げて顔を伏せてた。

 キシッ…

 …え? …やだ! 球体を、無数の雪片が貫こうとしてる?

「肉体に制限されているのは確かですが、僕を甘くみては困りますね…」

 ヴェストルが静かにそう言って…ゆっくりと目を開けてた。落ち着いた、普段と変わらない藍色の瞳…

 でも、でもね……何か、遠くに感じるのよ……ううん! ヴェストル、絶対にあたしの傍を離れないんだから! そうよ、あたし、信じてるんだからね…

(勿論ですよ、美星さん…)

 あたしの胸に届いた声…きっと幻なんかじゃないわ。

「お姉ちゃん!」

「え?」

 球体の表面が、とっても強烈な光を放って……珈娜枝ちゃんのびっくりした声と同時にね、あたし、思わず眩しくて目を閉じてたの。

 …え? どうしたの…ヴェストル?

 ヴェストルの腕が…あたしの体から離れてく……! やだ、どうしたのよ! ねぇ、ヴェストル!

「美星さん…暫くは御逢い出来ないかも知れません…」

 え?

 あたし、目が見えない儘…ヴェストルを手探りしてた……

「…ですが、必ず又迎えに行きます。それまで…待っていて下さい」

「ヴェストル!」

 どうしたのよ? 応えて! ねぇ、お願い!

 ヴェストル……!


「ミホ…ミホ!」

 ……声が…する……礼、奈…?

「良かった、無事だったのね…」

 湿った声……抱き着いて…

「…ミホ? 大丈夫?」

 あたし……

 目は…開いて、た……いつもと同じ…星夜の、町……

 …でも、…でも…ね……そこに、居ないのよ…

 ……ヴェストルが…

 死んじゃった…ううん! そんな事、無い! …絶対に、そんな事無いんだから…!

 …無いのよ、そんな事……アリエナイ…

 アッテホシクナイヨ……

「お兄ちゃん、凄いねぇ。あの蝕陰をやっつけるんだもん」

 焦点も合わない先で…楽しそうに…

 お願い…! 言わないで……! あたしの為に…あたしが……

 …でも、でもね…? 見過ごすなんて、出来なかったのよ…!

「ミホ…大丈夫よ」

 ミタクナイ……キキタクナイ……

 …でも…でもね……礼奈の声、あたしをそっと包み込んでくるの…

「ヴェストルさんは、ミホと逢う為に『肉体』を伴う『様相』を選んでいたの…ただ、夢魔を送り返す為には『肉体』に封じた以上の『力』が必要だったから…だから、その『肉体』を犠牲にして…」

 …やっぱり、もう……会えないんじゃない…!

「お姉ちゃん。お兄ちゃんを信じてないのぉ?」

 不思議そうに、珈娜枝ちゃんが見上げてる……あたし、急にはっきりした意識で…

「信じてるのよ! 信じてる…でも……」

 ヴェストルが消えて…耐えられるはずないじゃない…!

 …体が、震えるのよ…やだ……

「よく聞いて…ミホ!」

 礼奈、あたしの肩を掴んで…珍しく、強い口調になってる……とっても真剣な声…

「ヴェストルさんは、消えてなんていないの…消えたのは『様相』の一つであって、『ヴェストルさん』は今も存在しているのよ。でもね、新しい『肉体』を持つ事は、それ程簡単な事ではないわ。だから、信じて待つの…石になったとしても、待ち続けるのよ…」

「礼奈…」

 あたし……抱き着いて、思い切り声を上げて泣いてた…

「きっと、すぐに来てくれるよぉ」

 …とっても、明るい言葉…

 あたし…あたし……

「…そうよね……ごめんね、礼奈。でも…でもね……あたし、待てるかどうか、分かんない…」

 こんなに『好き』だから…もう、すぐにでも逢いたいから…

「ううん、ミホは待てるわ。でも…若しも耐えられなくなったら、わたしに電話して…ヴェストルさん程ではないけど、きっと『何か』は出来ると思うから…」

「…ありがとう」

 あたし…涙で濡れてたけど……

 …にっこり笑えたのよ…

「あは。良かったぁ。珈娜枝ね、もうお姉ちゃん、笑ってくれないのかと思った。だってぇ、珈娜枝のせいなんだもんねぇ」

「珈娜枝ちゃんは悪くないわ…あたしのせいなのよ」

 本当に可愛い笑顔…あたし、珈娜枝ちゃんを思い切り抱き締めてた。

「ううん、蝕陰だけが悪いのよ…」

「うん、うん。穢れた夢魔が一番悪いんだもんねぇ」

 礼奈の言葉に、珈娜枝ちゃん、そう言って笑ってる。

 その時ね、急に後ろから静かな女の子の声が聞こえてきたの。

「いいえ、珈娜枝も悪いのよ」

「琳瑩お姉さま!」

 青闇の中に、あたしくらいの歳の子が浮かび上がってくる。とってもたおやかな雰囲気で…穏やかな気品が漂ってるの。

 珈娜枝ちゃん、不意に大人しくなって、その子の淡い桃色の着物に隠れてた。

「人間の方々に迷惑をかけるなんて!」

「だってぇ〜」

 強い言葉に、珈娜枝ちゃん、心からしゅんとしてる。

 そんな珈娜枝ちゃんからすぐに視線を外して、琳瑩さん、次にはあたしに向かって頭を下げてきたの。

「本当に、申し訳ありません。妹の為に、こんな事になってしまって…」

 あたし…あたしね。落ち着いて微笑む事が出来たのよ……

「ううん。ヴェストルは消えたりしてないんだもん。きっと、いつか戻ってきてくれる…あたし、待てないかも知れないけど……でも、でもね。信じてるのよ…」

「…有り難う御座います」

 又、深く頭を下げてくるの。あたし、びっくりして…

「やだ、そんな事しないでよ。あたしなんて、何もしてないんだから」

 慌ててるあたしに、綺麗な微笑を浮かべてくれる。礼奈とは、また違う綺麗さなの。…何処か、冷たい…ううん、不思議なところがあるのよ。

 珈娜枝ちゃんもそうなんだけど…金色の瞳のせいかな?

「もうそろそろ、珈娜枝ちゃんを狐狗苑(ここうえん)に戻した方がいいんじゃないかしら…」

「私は戻ってもらいたいんですが…」

 礼奈の心配する言葉に、琳瑩さん、困った顔してる。…あれ? 礼奈、珈娜枝ちゃんや琳瑩さんを知ってるの?

「珈娜枝、絶対戻らないんだからぁ! もっとぉ、色んな事したいんだもん」

 憤然とした口調が可愛くて…琳瑩さんも、珈娜枝ちゃんには厳しくなれないみたい。

「でも…危険過ぎるわ」

「大丈夫! 琳瑩お姉さま、守戌(しゅじゅ)なんだもん。それに、(しょう)お兄ちゃんも守ってくれるもんねぇ」

 小さな指先が遠くの人影を差して…あっ! あの人……!

 闇の中に佇む男の子……そう…あの子……鬼絞に憑依された未夏を…

「では、これで失礼します…これ以上ここに居ると、あなた方にも危険が及びますから」

「じゃぁね。ばいばぁい!」

 あっと気付いた時には、もう二人共、すぅーっと桃色の霞みに包まれて消えてたの。あの男の子も、何時の間にか居なくなってる。

「…ミホ、戻りましょう?」

「うん…」

 あたし、ヴェストルの事や分かんない事ばかりで…とっても疲れてた。

 礼奈、そんなあたしを優しく支えて連れ帰ってくれたのよ。


 ヴェストル……

 礼奈はね、大丈夫だって言い続けてくれる…でも、でもね。やっぱり不安なのよ…あんな事になって、本当に無事でいてくれてるのかな、って……

 怪我をして、苦しんでるかも知れないのに…あたし、何も出来ないの……

 分かんない事で不安になるなんて、らしくないけど……でも、でもね? 心配だもん…ヴェストルだから……心配になるのよ…

 《本当》に、早く逢いに来て…


 …ヴェストル……

                                                                         7 日曜の怫欝 おわり






      遥かな『過去』を その身に纏い

       久遠の『未来』へと 新たを過ごす

      月の煌き 秘めたる風は

       静かな波間に 夢路を巡る…


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