第二章(4)
侵入してきたのは二人。顔は闇と布で分からない。
ギラリと、夜闇に光る銀の光。それを認識して固まったジーンの横を、リフェは一気に駆け抜けた。
彼の耳元で微かにピアスの赤が光る。次いでリフェの手には、あの大きな剣が現れた。
「ガキ!?」
一人がリフェの姿を認めて声を上げた。狙っていた商人から、ナイフの向きをリフェに変える。だが、それよりもリフェの方が早かった。
暗殺者の刃が向く前に、両手ですくい上げた大剣が刃を弾く。勢いあまったナイフは天井に突き刺さった。
「ジーン!」
「っ!」
名を呼ばれて、ジーンはようやく我に返った。その間もリフェは暗殺者を相手にしている。銃を持ったもう一人も加わり、二対一。
狭い部屋の中、家族を庇いながらリフェは彼らの攻撃をいなしていた。一人はナイフ。もう一人の武器は錬成銃だ。
錬成銃とは、錬成玉をつけた銃のこと。周りの空気を熱線に変えて発射する物で、弾切れがないのが利点。ただ、錬成玉を壊されると使い物にならなくなるのが難点だ。
リフェは先程から熱線を自分に集中させ、こちらに被害が回ってこないようにしている。同時に、飛来するナイフを巧く相手側に弾き、足止めもしていた。
その三人の動き、ジーンが割って入れるようなものではない。
「くそっ、おい、あんたこっちだ!」
寝ぼけ眼のラピアと、目を覚ましている母親を自分の後ろに押しやり、ジーンはリフェの足元で震えている商人に声をかけた。
彼が巻き込まれても自業自得だが、あのままではリフェが暗殺者に集中できない。ただでさえ自分の実力では援護できないのだ。せめて彼が動きやすい状況を作りたかった。
ジーンの声で、男は必死にこちらに来ようとする。だが恐怖で体が動かないのだろう。四つん這いで、ゆっくりとしか進めない。
その間もリフェは自分と商人への攻撃を両方防いでいる。動きは引けをとっていないから余裕はあるのだろうが、今のリフェは子供の体だ。体力いは暗殺者に劣る。
(いつまでも、このままじゃまずいっ)
暗殺者の攻撃が、いつ母親や子供に向けられるか分からない。万が一にもリフェの隙を突かれれば、自分が対処しなければならなくなる。ジーンも一端の護身術は使えるが、リフェのように守りながら戦うのは難しい。
ジーンは懐から小さな本を取り出した。正確には、本の形をしたメモ帳だ。
それを目の端で確認したリフェが、こちらの意図に気づいた。時間稼ぎのために、彼は間隙を突いて一気に魔力を高める。
「アングリフ・ヴィ・ベフライエン!」
リフェが叫んだ瞬間、彼を中心に風が巻き起こった。暗殺者達は壁に打ちつけられ、商人もこちらに吹き飛ばされるように転がってくる。ジーンは少し足を踏ん張った。
魔法に必要な呪文は、最も簡単なもので『系統』『属性』そして『発動言語』の三つ。
発動言語はどの魔法でも同じ『ベフライエン』だ。これを呪文の最後につけることにより、魔力が魔法として放たれる。
今の魔法の『アングリフ』は攻撃の系統であることを表し、『ヴィ』は風属性を表す。
本来は、たたらを踏ませる程度の突風を巻き起こす魔法だが、リフェが『自分の属性は風だ』と言っていたからここまで強烈な威力になったのだろう。
何はともあれ、この時間を有効に使わせてもらうまで。
ジーンは持っていたメモ帳を開いた。
「血の契約に従いて……」
最初の言葉を唇にのせる。それに合わせ、全身に血とは別のものが巡り始めるのをジーンは感じた。おそらく、魔術士が魔法を使う時にも似た感覚があるはずだ。
「我は汝に、在るべき場所を与えん」
ちらりとメモ帳に目を走らせる。覚えていないのかと問われれば微妙なところだ。長いのと、めったに使わないせいか不安がある。
己の未熟さに辟易するが、こんな場面で失敗はしたくない。リフェのくれた時間を無駄にするのも御免だ。
「我が呼ぶは命注ぎし王に仕えし生と死の操者。生なき仮面・生在りし体・命操りし大鎌持つ者よ。我が声に応え、与えし場にその身と力を現せ!」
早口に唱える呪文の中、ジーンを中心に床が淡く光る。否、青い光を放つ魔法陣が描かれた。ジーンとリフェ以外の顔が驚きに彩られる。
魔法の中で魔法陣を使うものはたった一つ。かつては伝説の一族が、そして現在はその血を薄く受け継いだ、遠縁の一族が使う特殊魔法――召喚
こことは違う、どこにあるのかも定かでない異空間から契約者を呼ぶ技。
現代では、ノース大陸で自治国を形成する一族、《シュリュッセル》が使う術。
「契約のもと、我は現下に門を開く。鍵手になりし我が名はジーン・エイリ・ハイディンガード! 我が求めしは契約者……っ」
パンッとメモ帳を閉じると、ジーンは勢いよく左手を魔法陣に突き、叫んだ。
「マルゲリータ!」
一瞬、緊張に引きつっていた周囲の顔が胡乱な目つきに変わった。
次の瞬間、明るく輝いた魔法陣に誰もが目を庇う。だが、それも一時的なこと。ゆっくりと光が収まってくる中、リフェ以外が化け物にでもあったかのように顔を恐怖に歪めた。
まだ残る光の中、恐ろしいほどに存在を主張する黒い大鎌。その下にあるのは、白い骨格と落ち窪んだ闇の双眸。いうなれば、人間の頭蓋骨だった。
黒いフードを被り、鎌を持ったその姿はまさに生と死の操者。死神だ。
暗殺者達の息を呑む音をバックに、小部屋に死神の声が響いた。
『呼ばれたからにゃあ、出てくるっぺよ』
「……へ?」
マヌケな声を発したのが誰だったのか、床を見ていたジーンには分からなかった。ただ、己の肩が小刻みに震えているのはよく分かる。
光が収まった中に佇む死神は、バサッと羽織る黒のマントを翻した。ただし、その身はラピアが抱きかかえられるほど小さく、怖いというより愛嬌が満点。
周りの点になった目は気にならないのか、それとも気づいてないのか、死神は格好をつけるように鎌を持ち直した。
『久々の娑婆の空気。粋な騒音! ふっ』
何が可笑しいのか、死神はフードを跳ね上げるようにして窓の外を見て、言った。
『陽が目に沁みるぅ』
「今、夜だよ」
リフェが真顔のまま突っこんだ。そして全員が凍りつくこと十秒。
「カッコがつかねぇんだよっ、バホ二号!」
グシャッという効果音と共に、死神――もとい、マルゲリータはジーンに踏み潰された。
『何すんだっぺやジーン! こちとらおめさに呼ばれて来てやっただよ!?』
「うるせぇ! 好きでお前と契約結んだわけじゃねぇよっ。大体なんでマルゲリータなんだっ? 呼ぶ瞬間からオレのクールなイメージがパァだ!」
『何言ってるだ! おめさが自分でつけたじゃねぇべか!』
「お前が名前つけてくれって言うからだろっ。どうでも良かったからどうでもいい名前つけたんだよ! 召喚時に名前が必要なら最初に言いやがれ、バホ召喚獣!」
『リフェどん。ジーンはまた短気になったべ』
「うん、どんどん短くなるんだ」
「誰のせいだと思ってんだ、バホ共!」
今にも血管が切れるかもしれない、とジーンは思った。
いつもいつもこうだ。どんなに頑張ったところで、最後は格好良さが壊滅する。かと言って、ジーンに呼べる契約者はこのマルゲリータとあと一人。そして、そいつだけは呼びたくない。できるなら、死ぬまで。
不意に、痛んだ右肩をグッと握った瞬間、鋭い金属音が響いた。
音に意識を戻せば、ようやく凍結から開放された暗殺者達がリフェに襲いかかっている。
今考えるべきは、暗殺者を倒すことだ。
「ちっ、マルゲリータ!」
『へい、親方!』
足をのけた途端、マルゲリータは鎌を持って一気に暗殺者達に飛びかかる。軽口を叩きつつも、その動きは素早い。
小さいとはいえ、死者を表した骸骨の顔。怯んだ相手の隙をつき、マルゲリータは淡く光る鎌で暗殺者達の胸を浅く薙いだ。それは細い線が入るだけの微々たるもの。
痛みに眉をしかめつつも、追撃しようとする暗殺者。だが、その手から錬成銃がポロリと落ちた。隣の男も崩れるように膝をつく。
「ち、力が……」
『すまんねぇ。あんさんらの体力、ちーとばかし食わせてもろたっちよ』
すでにジーンの隣に戻っていたマルゲリータは、笑うようにカタカタと顎を上下させて言った。なまじ骸骨なだけにかなり恐い。
マルゲリータの能力は、その刃で傷つけた者の命を奪ったり与えたりすること。傷の大小に関わらず、小さなかすり傷で死を与えることもできるという。
ただし、今までそれを見たことはない。ジーンが殺しを嫌うことと、ジーンにそれだけの能力があるか分からないからだ。
召喚獣の力は主となる者の力に比例する。マルゲリータの場合はジーンだ。だがジーンの力は基準値よりも低く、弱い。
かつて《ヒメルメーア》は、契約をせずとも願うだけで様々な召喚獣を呼べたという。血が薄れに薄れた《シュリュッセル》も、最高で五人の召喚獣と契約を交わす力がある。
だが、ジーンが契約を交わせたのは二人だけ。しかもその一方は術の失敗と暴走により、ジーンの体に甚大な被害を与えている。
それにマルゲリータも、『本来の姿はこれほどちまっこくない』と言っていた。
まともな姿で召喚することもできない。そんなジーンが、彼の実力を惜しげもなく出せば、自分自身に何が起こるか分からないのだ。
(ま、今はこれで十分だけどな)
何度も錬成銃を握ろうとするが、取り上げられない暗殺者。殺さなくても、これだけ力を削げれば問題ない。
「さて。じゃ、こいつら縛って警備兵に……」
言いかけて、コロコロという乾いた音に目線を下げた。
足元に、小さな缶。その正体に気づいたとたん、缶から一気に白い煙が噴出す。
「しまっ……」
煙幕の向こうで窓の割れる音。舌打ちした時、煙を突っ切っていく小さな塊に気づいた。
「リフェ!?」
「追う。マルゲリータを護衛に。あと縄!」
端的に言われて気配が遠ざかる。ジーンは彼の言葉に反応できなかった。何を言われたのか分からず、しばし固まってしまう。
『オラをこん人達の護衛に回して、縄持って追いかけて来いっつう意味じゃないけ?』
隣で言われて、ジーンはようやく合点がいった。だが、自分で気づけなかった悔しさから、マルゲリータを一蹴りして縄を持つ。
「しっかり守ってろ! 誰か襲ってきたら容赦なく力使って良い。その人達に指一本触れさせるなよ!」
『あいよ~』
間延びした了承を聞いてジーンが走り出したのは、すでに煙幕が晴れてからだった。




