第二章(2)
「ジーン、緊張しすぎ」
「う、うるさい。仕方ないだろっ」
「いや、まだ依頼人の所に着いてないから」
夜が近づいてくるか、という紺色の空の下。リフェ達は珍しく連れ立って歩いていた。
向かう場所は、彼らが暮らしていた所よりも数段格上。貴族とまではいかないが、有力商人が暮らしている地区だった。
「大丈夫だよ。依頼人の屋敷での護衛だし。屋敷の見取り図も貰ったし。こっちの指示には従ってくれるみたいだし」
「そりゃお前は慣れてるんだろうけどな。オレは初めてなんだよ……」
現場に着く前からガチガチに固まっているジーンに、リフェは苦笑するしかなかった。
確かに、軍人だったリフェは護衛なども経験がある。依頼人が一箇所に留まってくれると言うので、護衛しやすいと思ったほどだ。
しかしジーンは未経験。戦闘というものすらやったことは皆無に等しいと聞いた。
「それにこの依頼、オレはまだ納得してないからな」
「……じゃあ、何でここにいるのさ」
「お前が問題起こしたら、事務所の沽券に関わんだよ!」
腹の底から叫んで、ジーンはふんっ、とそっぽを向いてしまった。
こんな会話をもう五回以上している。ジーンが望んでいた大きな仕事なのに、今回は彼の価値観に合わなかったらしい。
難しい青年だ、とリフェは思った。
「あ、ジーンあそこだよ。依頼人の家」
事務所なんかとは比べるのも勿体ない屋敷。その門前に、三人の人影があった。
「チビお兄ちゃん、おっきいお兄ちゃん。こっちだよ!」
一週間ほど前に会った少女と飼い犬のルカ。少女の名前はラピアというらしい。そして、その子を挟むようにして立っていた両親がぺこりと頭を下げた。
「お待ちしてました」
「危ないですよ。外に出てるなんて」
「いえ、まだ……人目がありますから」
おどおどした様子で、父親は視線を右往左往させた。そんな彼をジーンはきつく睨む。ビクリと怯んだ父親。不安げな母親。よく分かっていないラピアとルカ。
ジーンを肘で突きながら、リフェはこっそりと溜息をついた。
この依頼、はたして偶然か必然か。
※ ※ ※ ※ ※
三日前、リフェが万屋として店番の仕事を終えた帰り道のことだ。
近道をしようかと、路地裏に入ったのが出会い。中年の男が一人、ほうほうの体で這いよって来たのだ。そしてその後ろから放たれる数本のナイフと、錬成銃の攻撃。
リフェは反射的に魔光石に力を込め、取り出した武器でそれらを弾いた。そのまま男を引きずるようにして人ごみの中に戻る。
その際、男から流れてくる臭いに眉をひそめた。
街灯に照らされた男の顔は可哀想なほど青白い。そして、息も絶え絶えにお礼を言う胸元から零れ落ちた楕円型の白いロケットペンダントは、見覚えのある物だった。
事務所に連れていけば、やはりジーンの嫌そうな顔が出迎えてくれた。
ロケットペンダントの中は、予想したとおり、以前犬の捜索依頼をしてきた少女と妻と思しき女性だった。この男はあの少女の父親だったのだ。
話を聞いてみれば、最近あのように狙われることが多くなったらしい。
「心当たりは?」
リフェが問う。それに、男は青い顔をさらに悪くし土気色にした。
震える体と何か言おうとしては閉じられる口。定まらない視線。一見すれば、命を狙われているという恐怖からに思える。だが、リフェはすぐに違うと気づいた。
軍で培った観察眼は、男が人に言えないような事柄を持っていると見抜いた。何より、
今も微かに男から漂う臭いに嗅ぎ覚えがある。
彼はリフェと目が合った瞬間、ビクリと体をすくませた。無意識に冷たい目をしていたのかもしれない。
しかし、それが功を奏したのか、彼はポツリポツリと話し出した。
聞き終わったあと、ずっと黙って聞いていたジーンが発した言葉は――
※ ※ ※ ※ ※
「殺されて当然だ」
「ジーン……」
あの時と同じ言葉を言ったジーンに、リフェは肩を落とした。ちなみに彼はこの言葉を何度も言っている。三日前から、覚えているだけで二桁は言ったはずだ。
もう夜中を回り、ラピア達は眠りについている。こちらの指示に従い、全員そろっていつもとは違う部屋に移動してもらった。大部屋と地続きの小部屋にだ。
小部屋には大部屋を通ってでしか出入りできず、外に面した窓も大人がギリギリ一人通れるぐらいの大きさ。一階と二階の隙間は狭く、天井からの侵入も不可能。埃っぽいのが難点だが、その辺りは自分の命のため、と我慢してもらった。
リフェ達がいるのは隣の大部屋だ。小部屋に面した壁に背をもたせかけ、辺りの気配を窺う。父親は眠れていないようだ。
「まだ言ってるの? もうここまで来ちゃったのに」
意識は外と小部屋に向けながらも、リフェはジーンに話しかける。暗闇の中、一瞬だがうっと詰まった気配が感じられた。
「今は、仕事に集中しなよ。しょ・ちょ・う」
いつ暗殺者が来るかも分からない状況。その中では、ほんの少しの弛みが悲劇を呼ぶ。それを知っているから、嗜めとほんの少しの嫌味をこめてリフェは言った。
怒鳴ってくるかと思いきや、ジーンは軽く姿勢を整える。
「何で……何でお前はこの仕事を引き受けたんだ? だってあの男はっ……」
そこまで言って、声が大きいことに気づいたのだろう。ジーンは声を抑えた。父親のことはどうでもいいようだが、壁一枚隔てた向こうには妻と何も知らない娘もいる。
「あの男は……麻薬を、運んでたんだぞ」
言われて、リフェも少し口を引き結んだ。
ジーンの言ったことは事実だ。本人がそう認めたのだから。
この家は商家で、あの商人は貿易商人で、様々な荷物を売り、運んでいた。その中の荷の一つに麻薬があった。彼の体から流れてきた臭いは間違いなくその臭いだ。軍の仕事で何度か出会っていたから、リフェにはすぐ分かった。
「今まで散々人を苦しめてきて……自分の命が危うくなったら助けてくれだ? 虫がいいにも程があるだろうがっ」
声を潜めているが、ジーンの言葉からは激しい嫌悪が感じ取れた。
商人は命を狙われている。誰にかと言えば、元仲間が送り出した暗殺者にだ。
どうやら、軍の一部に彼の麻薬ルートがバレかけているらしい。そこから芋づる式に被害が回ってこないよう、軍が動く前に男を消そう、ということなのだろう。同じ商人の仲間と、あとはおそらく――
(帳簿見たけど、運んだ量の割に収入少ないんだよね。それに、この商人がよく出入りしてるのって貴族出身の軍人の家だし……)
その貴族、もしかしたら政治部や軍部の一部も関っているかもしれない。だからこそ、商人が捕まり全てが明るみに出る前に消そうとしているのだろう。そういった考えも、リフェには浮かんでいた。
ここまでジーンには言っていない。詳細を知れば、彼は激怒どころか沈んでしまうかもしれないと思ったから。
「殺されたって当然だ。お前はそう思わなかったのか?」
「確かに彼には罪があって、何かしら報いは受けるべきだと俺も思うよ。でもジーン。彼を狙う暗殺者がやろうとする殺しも立派な罪だ。止められるなら止めたいと思わない?」
「それは……っ」
殺されると分かっている人がいて、それを無視できるのか?
ジーンがそんな薄情ではないことを、リフェはこの一ヶ月で知っている。そして、それを彼自身も分かっているからこそ憤っているのだ。
殺されて当然だと思う。けれど、知っているのにただ黙って助けないのは、殺しに加担しているようなもの。そんな矛盾した考えが、ジーンの中にはあるのだろう。
彼はイライラした雰囲気を纏い、どこか負け惜しみのような調子で口を開いた。
「殺しも立派な罪って……お前も命令されれば殺ってたくせ……っ」
口が滑った。そんな感じだった。
何を言ったか気づいたジーンは、気まずそうに口をつぐむ。動揺を顕にする彼に、リフェは苦笑した。伝わったかは分からないけど。
「そうだね。軍人だったから、なんてただの言いわけだし。俺も……同類なのかもね」
「…………」
ジーンは何も言わなかった。ただ、戸惑っているのだけが気配で伝わる。
それでいい、とリフェは思う。
悪い奴は罰が当たって当然。まるで子供のような言い分だけれど、ジーンはそれでいいと思う。そのままでいて欲しいとも思う。
自分には、もうそんな考えができなくなってしまったから。
リフェは暗闇の中、自分の手を見る。
軍人として何かを守ってきた手。その代わり、何かを切り捨ててきた手。
子供の頃は、それこそ今の姿だった時は、何でも守れるように強くなるんだと思っていた。そうなりたいと考えていた。
けれど現実には難しくて、無力さに嘆いたことは一度や二度じゃない。
そして軍人として生きる内に、いつの間にか小よりも大を、できるだけ多くの者を、という選択を無意識にするようになった。この手が届く範囲で、そんな考えを実行していた。
今も、その考えに基づいている。
(全ての人を、なんて言わない。悪人を助けてやる聖人でもない。ただ、ここには罪のない人もいて、俺の手は届いて、助ける力があるから……)
罪を犯したのは商人であり、妻や子は関係ない。男が罰せられることに反対はしないが、それに何も知らない者が巻き込まれるのは嫌だ。だから、ここに来たのだ。
未だに、ジーンからは気まずさと戸惑いの気配が感じ取れる。
リフェは、口にせず思った。
(ジーンは、このままいい方向へ成長して欲しい)
現実を突きつけられる時はくるだろうけれど、その重さに苦しむだろうけれど、それでも、今持っている思いを捨てないで欲しい。
ガキっぽくて愚かだと笑われても、ジーンが持っているものは、今悩んでいることは、とても大切なものだと思うから。
自分のように、簡単に割り切れる人間にはならないで欲しい。そう、思った。




