第四章(5)
リフェは困っていた。
ジーンが夕食を持ってきてくれて、一緒に食べた。薬も飲んだ。体も拭いてもらったし、包帯も替えてもらった。そして現在、食後のお茶を一緒に飲んでいる。
その間、ほぼ無言。
『夕食』
『あ、ありがとう』
『薬飲め』
『うん』
『包帯替えるぞ』
『え、あ、うん』
『茶』
『ど、どうも』
以上、この二、三時間での会話だ。
(俺、何かしたっけ?)
心配をかけた。それが一番先に思いつく。
リュミナの話では、リフェの意識が戻らない間ジーンは不眠不休だったらしい。しかも自身を責めていた、と言っていた。
けれど、意識が戻ってから愚痴も説教も聞いたし、散々無鉄砲だと罵られもした。
では他に何をしただろうか。
(も、もしかして、俺の怪我のせいでさらに赤字? しゃ、借金したとか!?)
それは非常にまずいと思った。ただでさえ世話になりっぱなしなのに、ここにきて借金とか。まず過ぎて一気に血の気が引いていく。
「なあ、リフェ」
「ごめん! 借金は俺が必ず返すから!」
ベッドの上だから土下座はできなかったが、ひたすら頭を下げた。胸の傷が痛むが、それどころではない。この陰鬱な空気は絶対、静かに怒っている。
「は? 借金って、お前何言ってんだ?」
「え、俺の治療費のために借金したんじゃないの?」
「してねぇよ。治療費はラキアスさん持ちだ」
ということは、軍部の経費で落ちるか、あとでまだイーストにあるはずのリフェの口座から勝手に落ちるだろう。
(良かった。まだ借金持ちとかなりたくない)
ホッと胸をなでおろしたのも束の間、それではジーンはなぜ機嫌が悪いのだろうかと考える。やはり、心配させすぎたのが悪かったのだろうか。
「リフェ」
「う、うん?」
こちらを向いた顔に、リフェは少し目を見張った。ジーンの様子がいつもと違う。怒っているとか、そんな感情ではない。とても真摯で、何かを決意した強い目。
「教えて欲しい」
「何、を?」
普段なら、きっとここで茶化すこともできただろう。
ふざけあって、口喧嘩になって、結局何だかんだ言いつつ笑いあう。この一ヶ月で慣れたやり取りが、いつもならできていただろう。
けれど、今のジーンからは気迫のようなものが出ていて、リフェは言葉を選ぶ暇すら与えられなかった。
「お前のこと。それと、《銅の呪術師》のこと」
ドクンと、心臓が一つ跳ねた。リフェは逸らされることのない視線に問い返す。
どうしてそんなことを聞くのか、と。
「ジーン……ラキを守りたい気持ちは同じだよ。俺も君と同じだ。でも、これは……あいつのことは俺の問題なんだ。君を巻き込むわけには……」
「それは、オレと出会って日が浅いからか? オレが赤の他人だからか?」
「そうじゃないよ! そうじゃなくて、君にはたくさんお世話になってる。だからこれ以上君を危険にさらしたくない。あいつと関われば命だって……」
「オレは!」
どれほど危険か伝えようとした言葉を、ジーンの叫びが止める。彼は唇を噛んで、どこか泣きそうなのを我慢しているようだった。
「オレはっ、オレはお前やラキアスさんに比べて弱いし、できることだって少ないっ。そんなこと分かってる。足手まといになるんだって、嫌というほど知った!」
ジーンの両手は膝の上で握られ、白くなっている。どれほどの力で握っているのかは、自ずと知れた。
リフェは、口を挟めなかった。それほどに彼の言葉は必死で。ジーンの思いを聞かずに返事をしてしまうのは、反則だと思った。
「頼りたくても、頼れるほどの力をオレは持ってない。どんなにできる奴ぶっても、オレはまだまだガキでっ。甘い考えで、何も分かってなくて……っ。でも、でも!」
ジーンはグッと顔を上げた。目は涙で揺れているけれど、だからこそ余計に、言っている言葉が本心なのだと分かる。
「オレはお前を助けたい!」
「っ!」
「役に立たないし、赤の他人だけど、それでもお前を助けたいって思ってる! 少しでもお前に近づきたいって、お前みたいになりたいって思うから!」
だから、リフェのことを知りたいと、一人で抱えるのではなく、せめて苦悩のはけ口ぐらいにはなりたいのだと、ジーンはそう言う。
(ジーン……)
知っていた。ジーンが薄情でも、冷酷でもなく、とても心の優しい青年なのだと。けれど、これほど自分のことを考えてくれているとは思わなかった。
リフェは一ヶ月前に会ったばかりの、行きずりで、さほど親しくもない人間だ。それなのに、彼はどうしてここまで親身になってくれるのだろうか。
(俺は、そこまでできた人間じゃないのに……)
リフェは上手くできたか分からない笑みのまま、ジーンを見上げた。
「ジーン……俺は、君にそこまで思ってもらえるほどの人間じゃないよ」
少しだけ、俯いたジーンの肩が動いた。
「俺は、割り切っちゃった人間なんだ。手の届く範囲と、届かない範囲で守りたいものを切って、諦めてる。君が憧れてるラキなんかに比べたら、全然……どっちかって言うと、ジーンが嫌いな、汚い奴になると思うよ、俺」
自分で言って、情けなくて顔が歪む。
本当にそうだ。ラキアスのように全てを守ろうと、そのために足掻こうという気持ちがない。
いつからか分からないけれど、それを捨ててしまった。楽な方に逃げてしまったのかもしれない。
だから、自分はジーンにここまで思ってもらえる資格はない。
そう思い、自嘲しながらジーンの肩に触れようとしたその時――
「…………て、よ」
「え?」
何事かを呟いたジーン。上手く聞き取れず覗き込むと、彼は下からギロリと睨みつけてきた。
ジーンには珍しく、殺気に近い怒気。反射的に身を引こうとするが、数瞬早く彼の手がリフェの襟首を掴みあげる。
「んなこたぁ、知ってんだよ。このバホ!」
「ちょ、なんでキレるの!?」
さっきの萎れた姿はどこにいったのか。ジーンは襟首を持ったままリフェに顔を近づけた。かなり力が強い。
「もう知ってるよ。お前が何かを切り捨てて、何かを守ってるなんてな! でもっ、それでもお前は逃げたりしてないだろう!? 手の届かなかったものを諦めたことに嫌悪を抱いても、今まで守ってきたものが間違いなんて思ってないだろう!?」
彼の勢いある言葉に、リフェは何度も頷く。
当たり前だ。守ったものが間違いだなんて思ったら、それは守ったものにも、切り捨てたものにも最低の仕打ちになる。
自分のしてきたことを、否定することだけは許されない。
「お前がどんな人生送ってきたかなんて知らない。けど、色んなもん背負って、今まで切り捨ててきた奴や、思いや、苦しみ背負って、それでも進んでるお前をオレはすげぇと思ったんだよ! 迷って悩んで、でも笑って前を見てるお前をすげぇと思ったんだよっ!」
ガクガクと上下に揺らされて、リフェはベッドにボンと座らされた。
少し傷に響く。でも、それよりも今は彼の言葉の方が何倍も――
「お人好しで、甘味好きで、バホでっ、ラキアスさんの方が凄いとこあんだろうけど、それでもオレはお前をすげぇと思ったんだよ! お前の隣に立ちたいと思ったんだよっ!」
「ジーン……」
ぜぇ、ぜぇ、と息を荒くしながら、ジーンは襟首を掴んだまま、その腕に顔を伏せた。
「だから、お前を少しでも助けさせろ。オレがすげぇと思った奴の役に立たせて、オレのグチャグチャに潰された自尊心守らせろ……この、バホッ!」
勢いが治まってうな垂れたジーン。その頭を、リフェはそっとなでた。
こんな自分を『すごい』と言ってくれている人がいる。目標にしてくれている人がいる。
いつもとは違う、皮肉も何もない真っ直ぐで熱いジーンの言葉。こんなにも、胸に響いてくる彼の思い。
(じゃあ、頑張らないとダメだよね)
リフェは自然と笑みがこぼれた。
ここまで言ってくれたジーンに恥じないように。こんな自分を、まだ信じて待ってくれているイーストの人達のために。リフェは立ち止まるわけにはいかない。
ジーンが進み続けてる自分をすごいと言うのなら、笑って前を見る自分をすごいと言うのなら、せめてその期待には答えよう。
ここまで言ってくれる彼の思いを、その言葉に感じた嬉しさを、無碍にしたくない。
「ジーン」
名前を呼べば、優しい夜色の目を持つ青年が顔を上げる。
ジィーフェのことは、とても難しく苦しい。解決策が浮かんだわけでもない。だけど、今は一人ではないから。助けてくれると言う、彼が隣にいるから。
リフェは、少し胸が軽くなった気がした。
「ありがとう」
「……おう」
恥ずかしさからか、赤くなった顔でむくれているジーンに苦笑する。
きっと大丈夫。一人でないのなら、支えてくれる人がいるのなら、きっと。
窓を開ければ雨はやみ、夜の闇に、たくさんの星が瞬いていた。




