第四章(3)
「ラキアスさん」
雨天用のコートをはおり、フードを被ろうとしたところで、ジーンはラキアスに声をかけた。きょとんとした顔で、彼はこちらを見る。
こういう表情をすると、三年前に見た少年と何も変わっていない気がした。
「えっと……その」
「こんなとこで会うなんて驚いたぜ。しかも、先輩を助けてるなんてさ」
お前もでかくなったな、と頭をなでられる。
「いや、まあそれは偶然と言うか……」
「偶然でもなんでも、そのおかげで先輩は生きてるんだ。感謝してる」
頬が熱くなるのを感じた。仮にも憧れている人から言われると、ものすごく嬉しい。
「あ、あの、チェス様はお元気ですか?」
ラキアスと出会った時に知り合った《ヒメルメーア》という尊い一族の血を引いた少女。確か婚約をしたと発表されていたはずだ。
「ああ、今はイーストにいて……花嫁修業? みたいなことを母さんとしてる」
言いながら照れる様子は微笑ましく、聞いてる方も少々気恥ずかしくなる笑いだった。
当時からお似合いの二人だと思っていた。彼らはジーンにとって尊敬の対象だ。その二人が一緒にいられるようになったことが、我がことのように嬉しい。
「お前は何でここに? 故郷はノースだろ」
「……出てきたんです」
「ああ、やっと家出が成功したのか」
ラキアスは苦笑した。
彼はジーンの内情を知っている。三年前に散々愚痴を言い、家出に三回失敗していることも話した。だから苦笑したのだろうが、そんな彼の様子にジーンは少しムッとした。何だか、馬鹿にされている気がしてならない。
「ラキアスさん、その……何でサウスに攻撃しないんですか?」
「は?」
何を言ってるんだ? という顔をされて、ジーンはさらにムッとする。
常々疑問だった。今までサウスは何度もイーストに被害をもたらしている。つけ加えて今回の事件だ。いくら証拠がないとは言っても、攻め上げればボロも出すし証拠だって見つかるはずだ。
「あの魔術士組織が、サウスの配下だっていう情報もあるし、今までのことを含めたって攻撃する理由にはなるでしょう? 今の政権崩して、悪い考え持った奴らを締め上げれば、何とかなるかもしれないじゃないですか! イーストはセントラルやウェストと同盟だって組んでるんでしょう!?」
詰め寄りながら一気にそう言うと、ラキアスは数歩下がりながら頭を掻いた。困りきった表情をしてポンポンと頭を叩かれる。
「お前、相変わらず見た目冷静なのに中身が熱いな」
「茶化さないでくださいっ。イーストが動いてくれれば、リフェがあの呪術師と戦うこともないし、イーストへの被害もなくな……」
なお言い募ろうとして、ジーンは息を呑んだ。ラキアスが、冷たい眼差しで見ている。このまま射殺されてしまいそうな、そんな目。
「あのな、そんな簡単なことじゃない」
「でもっ」
反論しようとしたジーンを、ラキアスは片手で制した。
「ちょっとした戦闘ならまだしも、大陸同士の戦争ってことになったら、被害は尋常じゃない。軍人だけじゃなく一般人にだって被害は出る。それこそ何の関係もなかった人達にもな。それでいいと思うのか?」
いいわけがない。罪もない人達が死ぬなど、あっていいはずがない。
「でも、サウスの統治者は間違ってるんでしょう? たくさん悪いことをしてきたのに、何でずっとのさばってられるんですか!」
その言葉に、ラキアスは盛大に溜息をついた。
「馬鹿にしないでくださいよ!」
振り仰げば、呆れ果てた目と視線があった。憧れている人ではあるが、今はその態度や言動全てに腹が立つ。
確かに自分は政治に疎い。情報など毎日の新聞に書いてあることぐらいしか知らない。
それでも、今のサウスの体制が良くないものであることは分かる。今イーストが動かないせいで、傷つく人がいることを知っている。
リフェが苦しんでいることぐらい、分かってしまう。
そんな思いが相まってギッと強く睨みつければ、ラキアスは呆れた目でジーンを見下ろした。そして、一言こう言う。
「ガキ」
「っ!」
激昂しそうになったジーンを尻目に、ラキアスは淡々と言ってのけた。
「お前は、シダ大総統の代わりができるか?」
「は……?」
突然変わった話に、ジーンの怒気が萎えていく。
「確かに、シダ大総統の行為は褒められないし迷惑だ。俺達から見たら間違ってるし、悪いことだ。でも、サウスに住む人の視点や、客観的に見たら違うかもしれない」
「どう考えても悪いです!」
「そうか? 《ヒメルメーア》の力は絶大だ。それを、本当にセントラルやイーストが独占してもいいと思うか?」
ジーンの頭の中がこんがらがっていく。なぜここで《ヒメルメーア》のことが出てくるのだろうか。彼が何を言おうとしているのかが分からない。
ラキアスもそう判断したのか、少し考えてからまた口を開いた。
「シダ大総統が危険視してるのは、一つ二つの大陸が力を持ちすぎることだ。そうすると、別の大陸は支配下に置かれ、その大陸の住民に被害が及ぶかもしれない、ってな。かくいうイーストも、《ヒメルメーア》を抱えるセントラルに、昔はそういった危惧を抱いてた」
唖然としているジーンを見やって、ラキアスはさらに続ける。
「もちろん、イーストもセントラルも独裁が起こらないようにしてるし、それを提唱してる。でも周りは簡単に納得できない。誰だって、周りがすごくて、自分が何かしら劣っていると感じれば不安を抱くだろ?」
それは、ジーンにも少し分かる。
兄にも劣っていた。あとから生まれた弟にも勝てなかった。だから怖かった。
いつかあの一族の中で、自分の居場所がなくなってしまうのではないか、と。そしてその不安は現実のものになって、ジーンは里を恨み、切り捨てた。
規模は違うけれど、似たようなものなのだろうか。
「まあ、いくら不安だ目障りだ、つってもシダ大総統のやり方は乱暴すぎるし、いいことじゃないのは確かだ。でも、サウス大陸の将来を考えてってこともあって、間違ってると断言もできない」
俺個人としては嫌いだけどな、とつけ足して、ラキアスは俯いたジーンの頭を叩いた。
彼の言っていることは理解した。でもまだ、納得はできない。
「それに今、サウスからシダ大総統っていう柱がなくなるのも良くない。野心家だが彼あってのサウスだ。争うにしても時期をみないとな。ここの人達が困っちまう。だろ?」
「争うつもりがあるんですね。いつかは……」
いくらサウスが間違っていないとしても、ラキアスだってイーストを担う人間だ。己の大陸を守るために、全面的に争うこともどこかで考えているのだろう。
「俺も親父も、セントラルの人達も、できれば争わない方法を模索してる。仮に争うことになったら、先輩も、あの呪術師と完璧な敵になるだろうな」
「そんなっ、いえ……そう、ですね」
リフェは子供の姿だけれど、元はイーストの軍人で、あそこが好きだ、大切だと言っていた。もしそんな時がきたら彼はきっと、今の姿のままでも立ち上がるのだろう。
そして、彼と繋がりがあるあの魔術士はサウスの駒だから。また、戦うことになる。
「あいつ、何も話してくれなくて……」
目覚めて二日。リフェは何も話さない。何があったのか、どういう関係なのか、話してくれない。笑って『ごめんね』と言うだけ。
「オレが頼りないから……弱い、から……」
ラキアスのように何かを察することも、ほんの少し協力することも自分はできない。リフェの態度が、やんわりと拒絶を示している。
あの時、あのパーティーの事件の時、今まで保っていた最後の自尊心が崩れた。
万屋を経営しているという自尊心が、特殊な一族であるという自尊心が、全て壊れた。
リフェに『頼む』と言われたのに、何かをするどころか一歩も動けず、ただ守られて。結局、足手まといになっただけだった。
里でも役に立たなかった自分。里を出ても、何一つ変わらない。
ジーンは拳を握りこみ、痛みで緩みそうになる涙腺を引き締めた。
「あ~、あのな。俺も諜報部隊から少し聞いてるだけで、先輩から何でもかんでも信頼を置かれてるわけじゃないぞ。つき合いが長いから、何となく分かるだけで……」
慰めようとしてくれているのか、ラキアスはしきりに『まだ出会って一ヶ月なんだろ?』とか『あの人の思考を読み取れるのはロウ大尉だけだ』とか言っている。
確かに、まだ出会って一ヶ月ちょっとだ。普段もケンカばかりで、仲がいいなんてお世辞にも言えない。それでも、ジーンはリフェに一目置いていたし、目標にもしている。彼の行動や言動は信頼だってしているのだ。
けれど、リフェは何も見せず、何も言わない。自分が頼りないことは分かっているが、あからさまな一方通行が、予想以上に悲しかった。
「オレは……あいつの隣に立ちたい」
リフェのやることをそばで見てみたい。彼が見ているものを、同じ目線で見たい。たくさんの困難を知っても、前を見て、笑って歩いている彼の隣に並びたい。
「なら、それ言ってこいよ」
「え?」
ラキアスから予想だにしていなかった答えを言われて、ジーンは固まった。
言ってどうなるというのか。
「先輩は、誠意をもって向けられたものを無碍に返す人じゃない。何らかの答えはちゃんとくれるさ。お前が本当の思いを言えば、あの人もちゃんと応えてくれる。言わなきゃ、先輩には何も伝わらないだろう?」
呆然と見上げていると、ラキアスはジーンの額を弾いた。
「先輩、意外に鈍感だしな。お前の熱さで向かってけよ。そしたら嫌でも気づくだろうし」
そう言うと、ラキアスはフードを目深に被り玄関のドアを開けた。
「あの!」
「俺は『クローディクス将軍』だから、先輩に表立って何もしてあげられない。でも、お前はそれができるだろう?」
ラキアスは、こちらを向いてニッと笑う。三年前と変わらない、三年前にジーンに勇気をくれた笑顔だ。
「今、先輩の一番近くにいるのはお前なんだ、ジーン。だから、頼むな」
ラキアスはジーンを見つめていた。ちゃんとした答えを、口に出して伝えられる言葉を待っている。今のリフェを託したいと思ってくれているから。
ジーンはスッと息を吸った。
「オ、オレは万屋事務所の所長です。んで、あのバホは所員です。面倒ぐらい見ます!」
「上等。ところで、そのバホってなんだ?」
「バカとアホの混ぜたやつです。あいつは一つじゃ足りません!」
胸を張ってそう言うと、ラキアスは思い切り噴出した。つられてジーンも笑い、相乗効果が働いたようにどんどんと大きくなる。
激しい雨はまだやまない。けれど、それに負けない笑い声が事務所から響いていた。




