chase-02:その名も鬼畜将軍
シグマ・アルスミードという男は、ミゼット国の中でも特に優秀な将兵の一人だ。
僅か25歳という年齢で、一兵卒から少将という前代未聞の大出世を遂げた男。一年前に内乱に次いで起こった他国からの侵略にて、彼の指揮系統にある部隊がどの戦闘においても結果的に勝利をもぎ取ったというその功績。知謀策略においても老獪な海千山千の猛者たちと肩を並べるほどの実力があると証明していた。周辺諸国を震え上がらせた大国ミゼットの名は、この男一人が作り上げたと言っても過言ではない、とまでまことしやかに囁かれるほどである。
上将までもが彼には一目置いているといい、続いて大将、中将らもシグマの計り知れぬ有用性に舌を巻かされるばかり。曰く、「元が少年兵ゆえ勉学にも良く励む。妬む暇すら与えてもらえない」とまで言わしめた。
しかし、指揮系統を一つでも握れば、芋づる式に他を巻き込んで戦局を一つも二つも塗り変えてしまうその手腕は、見方を変えれば諸刃の剣でもある。彼はどの国から見ても喉から手が出るほど欲しい人材であり、また彼が寝返るということは国家が滅ぶということに等しいと言えるのだから。
ただし。その輝かしい栄光や評価を丸ごとぶち壊すような欠点があるとラグナは思う。
あの男は人非人だ。追いかけっこにおいてのっけからグレネードランチャーをたかが二人に向かってぶっ放すような男。弩級のサディスト。鬼の子とは何を隠そうあの男の代名詞でもある。そんな男が英雄として祭り上げられるようでは、世も末だ。いや世界が終わる。
ゆえに、断固として主張する。
「あれは人の皮を被ったケダモノ、いえバケモノでごぜぇますよ」
「……まぁ、アレをやられた身としては、それには大いに同意するけどね。ラグナ」
「何でごぜぇましょうか」
「入れすぎじゃない? お砂糖」
ぽとんぽとんぽとんぽとんぽとん、と、黒い水面に白い立方体が吸い込まれていく。
角砂糖を次々にコーヒーの中へ投入し、ラグナは八つ目を入れた所でようやく砂糖入れの蓋を閉め、小さなミルクの器の中身を丸ごとカップの中へと落とした。
あの襲撃から一刻ほど後。
フィンドールという町に転移して現れたラグナとスイートは、スイートが前に知人から紹介してもらったというカフェに入っていた。
思い出すだに恐ろしい出来事に、未だに動悸の収まらない心臓を抱えたまま、しばらく水もろくに口にできなかった二人だったが。つい先ほど、ようやっとスイートが意を決して、コーヒー二つ、と店員に注文を出したのである。
「別にいいじゃごぜぇませんか。私、コーヒーは苦手なんですよ」
「それで激甘のミルクたっぷり……。思いっきりお子様……」
「喧しいでごぜぇます、スイート」
「はいはい。……で? あの鬼畜将軍が何でまた君を追っかけてるの」
「……あのアホンダラのところにいたのを、逃げて来たんです」
「は?」
スイートは目を瞠った。
「君が? あの将軍と知り合い? しかも、その言い方からすると――同居? あの人間は何考えてるの?」
聞かれたラグナは、スイートに胡乱な目を向けた。
「聞きたいんでごぜぇますか? 精神に一生傷残りますよ」
「…………えっと。やめておこうか」
「冗談です……まぁ、半分ほど、でごぜぇますが」
さらっとラグナは笑う。
「ちょっと愛人やらされたんでごぜぇますよ。行き倒れていたら拾われまして」
スイートの笑顔が凍る。
「……愛人? 行き倒れた?」
「あい」
「拾われて愛人にされた?」
「あい」
まさか。
スイートが呆然とした顔でそう呟いて、ラグナをじろじろと眺めた。
自分が一見するとまだ十七程度の少女に見える容姿であることは知っていたので、ラグナは何も言わずに黙っていた。
実際は二十一歳ともう立派な成人なのだが、背は平均より“やや”低い。さらには現在口にしているカフェオレの例があるように、嗜好も子供っぽい。ラグナ自身自覚していることではあるが、まだブラックの強烈な苦みには親しめそうにない。
さて、あれこれ考え、言葉の吟味を終えたらしきスイートの一言は。
「ひょっとしてシグマ・アルスミードはロリコンかい」
「いえ、あれはただの紛うことなき鬼畜です」
ロリコンもあるかもしれませんが。
言いながら、ラグナはふと眉を潜めた。
……本当にそうだったらどうしてくれよう、あの鬼畜?
「まあ本人の嗜好はどうでもいいけど……いずれにしても、君は早く逃げなくちゃいけないんだね。将軍が『待ったなし』の電光石火攻撃を得意とするとは良く分かった」
「……実は時間差プレイ・放置プレイも得意だと言ったらどうするのでごぜぇますか?」
「ふふ、だとすれば胸が高鳴る言葉だね。彼はあれかい、君を追っかけるなんて、ボクのファミリーに喧嘩売ってる?」
爽やかな笑顔でスイートはぱきん、と拳を鳴らす。
「このスイッティシャ・イャル・ペンネを敵に回したらどうなるか、ちょっと知ってもらおうかな」
「また“詐欺姫”の名前を売ることになりますよ、スイート」
ラグナが多少げんなりして言うと、スイートの笑みが深くなった。
麗人はゆっくりと、椅子の上で足を組む。
「望むところだ。ボクのお姫様だ。おもちゃにはさせないよ、シグマ・アルスミード」
――一世一代の大チェイスに、こうしてペンネ家の男装の令嬢が名乗りを上げたのだった。