chase-25:殺戮者も鬼畜も願い下げだ
わうわうと王犬たちがけたたましく鳴いている。
ラグナの眼の前で、魔術師と呼ばれた青年はへらっと笑った。
「どこで気がついた? 俺、間諜をさせられている哀れな一般人を装ってたつもりだったんだけど」
「あなたが本当に一般人でありゃあ、なぜ一言も口に出さなかった私のお師匠様の名前を知っているのでごぜぇますかねぇ」
ゆったりとラグナは腕を組んだ。
「ましてや、翠の魔術師なんて、五年も前に代替わりしている。その頃からあなたが間諜だったなら話は別ですが、魔連は外では色以外の名前で私たち色持ちの名をろくに呼びやしねぇんでごぜぇますよ。魔連の事情にあなたは妙に詳しすぎた。……ティーリスからの間諜には、エリアス・トライドの名前は秘されていたと、当代の翠の私が知っていやすからね」
「あらまぁ、一杯食わされちゃってるなぁ俺。しまったしまった」
「あなたが魔連内でいろいろとやらかしてくれたことは全てローゼが明らかにしてくれるでしょう。魔連で罪を償う気があるならば、今すぐここで大地の回復に手を貸すことで、量刑を減らしてもらうよう取り計らいやすが?」
「うーん、無理かな」
魔術師はにこにこと邪気のない笑みで答えた。言いながら、懐から青黒い仮面を取り出す。真夜中のような色合いの仮面だった。
眉を潜めるラグナの前で、彼はその宵闇色の仮面を身につけた。
「改めまして、翠の魔術師ラグナ・キア。俺は真夜中のスレイヤー・フレッドシュタイン。あんたの御察しの通り――『力』の魔術師だ」
「……なぜあなたがその名前を名乗っているのかは分かりかねますが、この後ろで無様に汗だくになっている男に使ったその手口、どこぞの誰かに似ていて、非常に不愉快でごぜぇます」
「ああ、うん、そうだろうね。でも、まさか失敗するとは思わなかったな。せっかく王犬を使って君と回廊を繋げさせて、この男の自我を乗っ取った後で――君の知識をゆっくりいただこうと思ったんだけど」
「気色悪いことを考えないでいただけやすかね。私はまかり間違ったってこの男と十秒でも思考を繋げていたくないと思っているんでごぜぇますが」
「あははは、そうか。まぁ俺は結果としちゃこの男の中に踏み込めなかったけど、面白いものが見れたよ」
言って、スレイヤーは舐めるような目をラグナの背後に向けた。どろりと、得体の知れない感情の籠もった宵闇の視線に、背後でシグマが身構える気配がする。
「本当に面白い。あんた。中に『誰』を飼ってるの? すげぇ凄腕の魔術師みたいだったけど。一回バラして研究してみたいなぁ、是非」
「断る」
「おや残念。にべもなしか」
肩をすくめた青年は。
「目論見も失敗、せっかく作り上げた気象魔法も全てご破算。こうなれば最後の手札を切るしかないかな」
すいと宙に視線を投げて、小さくつぶやいた。
「――千切り置かれた業の跡 我の定めをなぞらえて」
「何を――」
ラグナは怪訝に首をかしげたが、すぐにその意図に気がついた。
「っ! この響きは――誘導詠唱!」
「いまひとたび 燃え上がれ」
駆け寄り、鉄パイプを振り下ろすより先に。にこりと無邪気に相手は笑う。
「置き土産。どうぞ、翠のラグナ・キア」
大地が。
ぐらりと――足元が崩れ落ちたような感覚に、ラグナは襲われた。
国が揺れている。
足元を大きく掬われ、ラグナは悲鳴を上げて倒れ伏した。地鳴りに混じって、力の魔術師の哄笑が耳に響く。
「貴様……何をした!?」
シグマが鋭く叱声を放つ。
「――気象魔法の、再利用でごぜぇます!」
地面に張り付いたまま、ラグナは喘いだ。
「私が迂闊でありやした……! 『壊された後』に、罠が仕掛けられていたのに気が付かなかった……!」
「『罠』ってほどのものでもないけどなぁ」
誰も立てぬ揺れの中で、唯一その影響を受けぬスレイヤーは、地に落ちていた鎖鎌を拾い上げる。鎌の柄を握って肩に担ぎ上げると、こちらに向けて唇を太く曲げた。
「ずらかる時はどさくさに紛れてってのが、こそ泥とモグリの流儀だろ?」
芝居がかった動作で、優雅に左手を胸に当ててお辞儀をしてみせる。
「では。憎悪で国が滅ぶ、その様を二人して見届けると良い。俺はコレにて」
「待て! スイートはどこだ!?」
「知らない。俺は一緒に連れてこようと思ったんだけどさぁ、気がついたら消えてたんだよ。転移事故かもね。じゃあまた」
するりと、その姿が宙に溶けて消えた。ひらりと地面に落ちて朽ち果てるのは、転移札。
「転移事故……」
ラグナは青ざめた。では、スイートは。
じわじわと恐慌が腹の中を這い上がってくる。
「糞が」
小さくシグマが悪態を吐いた。
「ぐっ」
どかっと腰に衝撃を受け、ラグナは噎せた。蹴られた。
「動揺している場合か。魔法について教えろ。奴は何をした?」
ひとしきり咳き込むラグナに、冷や水代わりの叱咤と詰問を浴びせてくる。苛立ちのおかげで恐怖の沼はどこぞにすっこんだ。
「……破壊された魔法の再利用っちゃあ、元になる構成部品の数――つまり、魔法の規模によって種類に幅が出やす。国一つ巻き込むほどのものでありやすから、何が起こってもおかしくねぇのでごぜぇます」
「例えば、大転移も可能か」
集団を転移させるほどの巨大な転移――必要な図や構成を思い描きながら、ラグナが頷くと、シグマは舌打ちした。
「なるほどな。だからあの山の中に『隠していた』わけか」
「どういう――?」
そこではたと、ラグナは気づいた。揺れが収まり、代わりに周りが妙に明るい。肌に感じる、理が歪むこの感覚。どこかで空間の門が開いている。
「『憎悪で国が滅ぶ』。使う魔法がどうだろうが、奴が絵に描いていたのはおそらく――」
シグマが言葉を切り。ラグナは呆然と空を仰いだ。
巨大な転移の門が、空に光り輝いていた。
それが、地上に落下した。
どこからか鬨の声が聞こえてくる。
門の光に押し潰されるように。町が、山が、飲み込まれる。
光を潜り抜けた先には。
石造りのタイルで舗装された道。計画的に整えられたとひと目で分かる町並み。大きな時計台と、文字盤の上に掲げられた都市の名が見える。
ノリス。それはティーリス帝国首都の名前だ。
愕然とするラグナの耳に、先程よりもよほど大きく鬨の声が響いた。否、ノリスの町を声が揺るがしていた。町に人が溢れている。襤褸を纏い、その手には農具も刀剣も火器も、およそ殺傷に用いるために想像できるあらゆるものが握られている。
「――大規模転移の発動による、各地からの反乱勢力の一斉集合と首都攻撃。これが奴が描いた、この騒動の最終図で間違いない」
シグマは続きを静かに引き継いだ。
ラグナは震えた。目にしている光景が信じられない。だって、これは。
この国はこのままでは、滅んでしまう。
「――さて、どうするか」
シグマが嘯く。
「ラグナ・キア。今回の魔法事件、おまえはどう畳むつもりなんだ」
「え」
振られて、ぎくりとラグナは振り向いた。
「畳む、って、でも。もう、こんな状態じゃ……」
「何もできない? おまえは馬鹿か?」
ば、馬鹿?
あまりに率直に罵られ、ぐわんと頭を殴られたような衝撃を受けた。何を言っているんだ、という顔でシグマがラグナを見つめている。
「どうしたいか言え。でないと私も動きようがないだろう」
「は……?」
シグマは焦れたように片眉を上げた――騒ぎに浮かれて、突進してきた男を片手で捻り上げながら。
「おまえが私を召喚しているんだろうが。早く方針を決めろ」
男を投げ、ついでにその手からもぎ取った鍬がシグマの手から飛び、ラグナの肩口をかすめていった。背後に近寄っていた別の男が、顔面に鍬の刃を食らいそのまま昏倒していく。
「私を誰だと思っている?」
ぞっとする覇気を孕んだ笑みを浮かべ、シグマがラグナに迫る。
「鬼畜将軍、か。まぁ呼び名などどうでもいいが。鬼の所業でも何でも。おまえが望むならやりたいようにやってやる。私を使え、翠の魔術師。今はおまえが私の上官だ。命令なら従ってやる」
そんな尊大な部下などいるか。
思わず突っ込みかけたラグナだったが、立て続けに五人がシグマに無力化されるのを目撃して、今はそうこう言っている場合ではない、と気がついてやめる。
シグマの蒼い目を見つめ返す。そこにラグナに対する疑いの色は微塵もない。
「どうにかできるのでごぜぇますか?」
裏拳でさらに一人仕留めた男は、振り返りざまに黒い笑みを浮かべた。
「アドリブなら任せろ。有象無象程度、煽り様などいくらでもある」
だからとにかく事態を畳め、とシグマは言った。
ああ、とラグナは溜め息を吐いた。この、安心と信頼の極悪発言になぜか安堵した。
立て続けのトラブルで、どうかしていたようだ。これだけ豪語するのだ、投げればなんとかしてくれそうだ。なんたってあの悪名高い鬼畜将軍である、とラグナは納得した。
――人、それをヤケクソ、またの名を開き直りと呼ぶ。
とりあえず路地に逃げ込み、物陰にすっこむと、シグマがそれで、と尋ねてくる。
「当ては」
「首都の空いっぱいに、一発派手にぶちかませはできやすが」
「十分だ。具体的には」
「最初に向こうがやってきたんです、こっちも残っているものを再利用しましょう……気象魔法をああも利用されちまって、更にいろいろと歪みが出たってことで。そのあたりの修正と立て直しにはもうひとひねり加えないといけねぇのでごぜぇますが」
ラグナは猛スピードで計算を働かせながら答えた。ぶつぶつと足りないものを数え上げる。
「……規模は追加でなんとか補えるとして……どうしても時間の構成が足りない」
「それは、αἰώνの象徴画のことか?」
耳元に落ちたシグマの声に、ふつっとラグナの思考が途切れた。不思議に思って見上げる。
「なんで分かるのでごぜぇますか?」
答えようと口を開いたシグマに割って入るように、「わふっ」と鳴き声が響いた。
振り向くと、今までどこにいたのか、王犬たちが舌を出して尻尾を振っている。
ああ、そういえば――と、ラグナがシグマの知識の原因に思い至った時、路地の先にあるもう一つのものが目に入った。
瞬間。
思わずラグナは絶叫し、シグマが頭の上で舌打ちした。
*
「なあ爺さん。火酒あるか」
「そんな代物がこんなところにあるとお思いですかの?」
「だよな」
聞いてみただけだ、とジェスはスイッティシャを見下ろしながら顎を撫でた。
「どうすっかなぁ。気付けに使えそうなモンがねぇんだよなぁ」
そもそもなぜ眠っているのかも分からない。魔法で寝ているのか、薬品で寝ているのか。火酒程度で魔法を解除できるのか。不確定要素が多すぎる。しかし起こさないことには始まらない。
「――火酒はありませんが」
「が?」
老爺が隅に置いてあった茶色の遮光瓶をつまみ上げ、ちゃぷちゃぷと振ってみせた。
「消毒用の酒精なら僅かですがございますぞ」
「……薄めて使うか。それで頼む」
「はいな。水は、瓶に汲み置きしておいたものを使うとして……本当は生水より蒸留水が欲しいところですがな」
ごとごとと陶器を動かす音がする。老爺が取り出してきた適当な瓶に水を少しと、小さなボトルに入っていたエタノールを目分量で入れてじゃぶじゃぶと振った。それで大雑把すぎる気付け薬の出来上がりだ。
「お酒は強いんですかのう、このお嬢さんは」
「さあなぁ。足腰が砕けるとかは、ねぇと思うんだが……」
駄目な人間は本当に駄目なものだ。
(使い物にならなくなったなんて言ってくれるなよ)
意を決し、スイッティシャの唇を開いてそこに瓶の先をねじ込んだ。一気に傾け、詐欺姫の気管に火をつける。
「――っ」
喉を焼いた酒精にむせ返り、スイッティシャの体が反射的に跳ねた。
「げっほ、ごほっ!? がはっ」
「……起きたか?」
「ふむ」
咳き込む彼女を覗き込むと、薄く涙の膜の張った瞳と目があった。
「ここは――! おまえ……ジェス・カリ、ス……か!?」
「よう。おはよう姫さん。気分はどうだ」
「最悪だ。まさかボクを襲ったのはおまえじゃないだろうな」
「違うぞ。そもそもあんたの方がいきなりここに忽然と現れたんだからな」
「何だって……っじゃあ、ここはティリンスなのか!?」
「……、いや」
スイッティシャの中の情報が古いことに首を傾げたが、それもそうか、とジェスは思い直した。ティリンスに行った頃には、すでにラグナたちは帝国へ経った後だっただろう。
「それも違う。ここはティーリス帝国の北部だ」
言いながら、ジェスはコートから出てきたエリアス・トライドの紙切れを差し出した。
「どうやら今回、俺達はこいつに随分助けられたらしい」