10
家に上がるエレベーターの中。
一つずつ増える数字の間隔が長く感じられる。
ポケットの中の電話が鳴るが、この中に乗っている人は私だけではないので無視しなければならない。
それに手が自由ではないので、もらう余裕がない。
すぐエレベーターから降りた私は携帯電話で確認した。
三件の留守電。
いずれもひまりからかかってきた電話だ。
(何か急用でもできたの?)
本来ならすぐに電話をかけるのだが、もう家まで10歩で到着する状況。
さっさと家に帰り、ひまりに会いに行った方が早いと思い、私は素早く足を運んだ。
(ひまり...まだ夕食は食べてないよね? せめてご飯食べたかどうか聞いておけばよかったかな? 今日は夜勤かもしれないって言ってたから、事前に一人で食べたのかもしれないけど...。)
焦りを抑えきれず、結局走ってたどり着いた玄関。
ドキドキしながらドアを開けたが、目の前の光景に心は別の意味でドキドキし始めた。
「え...ひまり...?」
なぜだろう...。
ひまりが泣いている。
表情だけでわかる。
あれは単に悲しい映画を見たからではない。
何か大変なことがあったに違いない。
「えっ...!?ひまり、泣いてるの!?何、何があっ....」
その時。
いきなりひまりが走ってきて、私の胸に抱かれた。
まるで安心できるかのように私に体重を預けるひまり。
私は腕の中ですすり泣く彼女を静かに抱きしめた。
「もしかして説明しにくいことなの?」
ひまりは私の腕に頭を埋めたままうなずいた。
何があったのか気になったが、今は好奇心をしばらく抑える時だ。
私はひまりが落ち着くように、彼女の背中をなでなでしてあげた。
「では··· 心の準備ができたら言ってね。」
「......れたかと思った!」
「うん?」
「捨てられたかと思った!」
「誰に?」
「あなたに...。」
「あ、そうか、そんなことが...... え?」
(え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?)
私はひまりを腕から離し、彼女の顔を見た。
私と目が合うのを避けるひまり。
本気で彼女を理解できないのは今回が初めてだ。
「私がどうしてあなたを捨てるの!?? もしかして...電話に出ないから?」
「.......」
「……ごめん、今日予定されていた夕方の日程が全部キャンセルになって早く退勤したの...それでサプライズしてあげようと、わざと電話に出ずにまっすぐ家に帰ってきたんだけど...まさかそんなふうに考えるとは思わなかったよ。」
ひまりは私の話を聞いてしばらく考えた後、すぐにまた私の胸に抱かれた。
「......驚かせてごめんね......。」
「いや、大丈夫。」
(気が晴れたのか...?)
少し前まではすさまじい泣いていたひまりが一気に落ち着いたという事実が信じられない。
でも、腕に抱かれたひまりの呼吸が落ち着くのを感じたので、今はひとまず安心しても良さそうだ....。
簡単な慰めの言葉で落ち着くところを見ると、幸いにも誤解の深さは思ったより浅かったようだ。
もし心の奥底まで私に対する不信感に満ちていたのなら、こんなに簡単に落ち着くはずがない。
それにしても何でやっと電話に出ないことで、私が彼女を捨てたと思わせたんだろう....。
普通なら忙しいから電話に出ないと思うだろう。
もう少しこの部分について考えたかったが、それは後に延ばすことにする。
今はひまりの気分を和らげることが先だ。
「いや、ひまり。 私も電話を無視してごめんね。 それより··· お詫びの意味としてはもう買ってきたので、ちょっと変に見えるかもしれないけど...。」
私は包んできた寿司をひまりに見せた。
「あれって、行列がすごくて食べるのを諦めたあのお寿司でしょ!?」
「ふふ...サプライズって言ったでしょ? でも...食べられるの? そんなに泣いて...。」
「もちろん!!!」
涙を流したせいか、鼻水だらけの声。
いつものようにきれいに微笑むひまりを見て安心できると思ったが、なんだか気に入らない。
どうしてそんなことを考えたんだろう。
キッチンに駆けつけるひまりの後ろ姿を眺める私の心が重い。
夫婦関係が悪くないと思ったのは、自分の思い込みに過ぎなかったのだろうか。
それとも夫として何か間違った行動をしていた部分があったのだろうか。
いくら脳を酷使しても答えが浮かばない。
今、ひまりが笑っているのも、実は私の気分を盛り上げるためにそうしているのではないか?という疑念が頭の中から消えない。
その時、一つの可能性が頭をよぎった。
(まさか今日ひよりと寿司屋に行ったことを誰かに密告されたのか!!!??)
残念だが、これならすべてが説明できる···!!
かわいい女の子と高級寿司屋に二人きりで入っているところをひまりの友人の一人が見たかもしれない。
そしてそのことをひまりに伝えたのなら!?
(ヤバいだろ!!!!!)
危ない。
これ··· 完全にチェックメイトだ。
ひまりがこれで私が浮気していると誤解しても、私が持ち出せるカードはない。
頭がくらくらして何も考えない。
「あなた?どうしたの? お寿司が… まずい?」
(はっ!!)
何か知っているような発言。
尋問が始まったようだ。
かつて私とひまりが仲良く食事を共にしたこの厨房は、今は暖かさを失った尋問室。
ひまり刑事は容疑者である私に質問を投げかけ始めた。
「あなた?」
「あ、違うよ!! 何かお腹が空いてなくて...。」
「へえ~?どこで···… 何か食べてきたの?」
(フオオオオ!!!)
どうすればいいんだろう?
今からでも正直に職場の同僚と早めの夕食を食べてきたというか?
そう言っても信じてくれるかな?
ひよりは客観的に見てかわいい女の子だ。
スタイルもいいし、初対面で話しかけるのは難しいけど、一度仲良くなれば愛嬌に限りがない。
そんな職場の同僚と二人きりでご飯を食べている姿は誰が見ても...。
(不倫デートじゃん!!!!!!!)
結婚してまだ2年しか経っていないのに不倫スキャンダルだなんて。
もしこの噂がひまりの友達の間で広まっているのなら...
私は再生不可能なクズという汚名を着せられ、ひまりはみんなの同情の対象なるだろう。
最悪の事態を避けるためにもう少し頭を働かせたいが、残念ながらタイムオーバーだ。
これ以上答える時間が遅れれば、余計な誤解を招くことになる。
「あ、いや...そうじゃなくて、お弁当を遅く食べたからかな。あはははは...。」
しまった。
慌てて思わず言い回しをしてしまった。
(正直に答えるべきだっただろ、このバカ野郎!!!)
一度始まった嘘は止められない。
正直に告白するつもりでなければ、もっと濃い嘘で塗り重ねるしかない。
ひまりとの関係で秘密にしておきたいのは、私の職業で十分だ。
これ以上の秘密を作りたくはなかったが、先程のミスで私は取り返しのつかない川を渡ってしまった。
罪悪感に押しつぶされ、私を見つめるひまりの視線に向き合う勇気がない。
「へえ~じゃあ、このマグロは私が食べてもいいんだよね?」
「あ、うん...。」
罪悪感で内臓の感覚が鈍くなる気分だ。
「お持ち帰りでこれだけ美味しいのに...レストランで食べたらどんなに美味しいんだろう......だよね?」
何度も私の良心の呵責を切り続けるひまり。
どうやらひまりは抜いた刀を元に戻すつもりはないようだ。
今はまだゴールデンタイムかもしれない。
今でも正直に打ち明ければ、ひまりが理解してくれるかもしれない。
そうだ!そもそも何も起こらなかったのだから許してくれると信じている。
「あの...ひまり?実は...。」
「あ、そうだ!今週末ちょっと出かけてきてもいい?」
「うん?もちろんだよ。 友達に会いに行くの?」
「あ、そうじゃなくて実は··· 同窓会が今週末に開かれるそうだよ! でも、男の子たちも来ると思って、先にあなたのところに行ってもいいかどうか許可をもらおうとしたの!」
「うーん...ダメなことはないけど.......」
私の表情を見ていたひまりの口元に笑みが描かれた。
「大丈夫だよ、あなた。不安なら行かなくてもいいよ!」
「あ、そんなことじゃないよ! 行ってもいい! その代わり、必要な時はいつでも連絡してね?」
「うん! ありがとう!」
どうやら私が心配しすぎたようだ。
ひまりは今日私がひよりと一緒に夕食を食べた事実について知らないようだ。
今、いきなりこの話を持ち出すとぎこちないな雰囲気になりそうなので、とりあえずこの話は保留にすることにしよう。
ひまりに嘘を増やすことにしたからではない。
もっと確実に潔白を証明する計画があるからだ。
(そうだ...その方法を使えばその方法を使えば確実だろう...。)
何の問題もなく夕食を終えた私は、ひまりが台所を掃除するのを手伝ってから書斎に向かった。
そして携帯電話を取り出し、すぐひよりに電話をかけた。
「もしもし?」
「あ、ひより。あの...急に悪いけどお願いがあるんだけど......。」
「あ、先輩、その前にメールから確認してください。」
「メール?」
私はしばらく携帯電話を耳から離してメールを閲覧した。
「メールの中にChange Of Planというタイトルのメールがあるはずです。 修平さんが早く確認するように言われました。」
メールは依頼者からのメールだった。
内容を要約すると、自分が望む内容が変わったので、ストーリーを変えてほしいという話だった。
たまに私たちにかなり高額な支援金を送りながらパーソナル作品を依頼する場合がある。
特に、私が英語を流暢に話せるため、外国人の依頼まで全て受けることができ、思ったより件数が多い方だ。
今回修正を依頼されたお客様などは、よく依頼を依頼される外国人の常連さん。
この人から要請が入ってくると軽くは考えられない。
メールは2つの部分に分かれていた。
どうやら2番目の部分は詳細な要求事項のようだ。
「うーん...要約すると新しく書いてくれという話だね?」
「その通りです。まあ... 追加金を十分に支払われたとのことなので不満はありませんが...。」
「それで何が欲しいの?」
「えっと··· 何の苦痛もなく、すぐに主人公の精神を陥落させろというのですが?」
「拷問なしに精神を破壊しろというのはとんでもない頼みじゃないか!」
「ここに書かれている通りなら、ヨジュが苦しむ姿にはもううんざりだそうです。 でも催眠アプリとかは目に見えてるから使うなって。 どうしましょう?」
「うーん...じゃあ、ここでは薬を使うしかないね。」
「あ、そうしましょうか? 確かに魔法の薬物が存在するという設定で推し進めればいいのでしょうか?」
「うん··· まあ、そういうのはよくあることだから。 薬物を原液のまま注入すると、普通は正気に戻らないんだ。」
「先輩...そんなレベル高いものまで見たんですか...。」
「あ、これは勉強のために...。」
何やら電話の向こうからため息が聞こえたようだ。
「……あ,そういえば,催眠魔法具を使ってくれと言ったような気もするが......私はこれと催眠アプリと何が違うのか分かりません。 これはそのまま棄却して、主人公の後ろで誰かが魔法の薬物が入った水鉄砲を使うことにしましょうか?」
「ああ、それなら確かに拷問は越せるわね。どうせ拷問するのも面倒だし...。それに、そんなの書くのは私の好みじゃないしね。」
「わかりました、じゃあとりあえず、先輩がストーリー構想を終えるまで待ちますね。 今は私一人では何もできないですし......それに明日までコミックストームに出品するグッズの構想もしなければならないのでとても忙しいです......。ゲームでもやりたいけど、バカみたいなギルド員のやつ一人のせいで、今はゲームもストレスですね。」
「あ、そいつのことか? 私も心配なことがあるんだけど...。」
「何ですか、まさか...モンスタースレイヤーのレイドパーティーのことですか?」
「うん...どうやら怪しまれてるみたいでね、ずっと隠してたからさ。 そろそろ話す時期が来たような気がするんだけどね。今朝も実は...ちょっとびっくりしたんだ。まさかそんなバカなことをするとは思わなかったからさ。」
「確かに...その人を除いてゲームをしてからかなり経ちましたね...ギルド員の間で仲違いをしていたとは... 醜悪すぎて私も驚きましたよ。 どうやら警告をしなければならないようです。」
「うん、すぐに言わないとね。 でも...受け入れられないなら...それで終わりかも。」
その時、床の木製タイルがきしむ音がした。
ひまりが近くにいることを意味する。
私は慌てて会話を切った。
「あ、ちょっと待ってね...。」
私がドアを開けようとした瞬間、ひまりが外でノックした。
「あなた?デザート持ってきたよ!」
ドアを開けるとひまりが果物の入った皿を持って立っていた。
私のために丁寧に削られたリンゴ。
やっぱりひまりは最高の妻だ。
「あ、ごめんね...もしかして邪魔したの?」
「あ、いいえ!気を遣ってくれてありがとう。すぐ出るから、ちょっと待っててね。」
「うん!居間で待ってるよ。」
再びドアを閉めて席に戻ると、ひよりの電話は切れていた。
代わりにひよりから取り残された文字メッセージ。
(ラブラブですね! 邪魔はしたくないので、私はもう仕事に行ってきます!)
「こいつ...!いくら親しい間柄でも、いきなり電話を切って消えるのはマナー違反だろ...!でも、こんなことで指摘するのは難しいかな...。」
私はひよりに対する小言は次に延ばすことにし、依頼人が頼んだ作品のスライドを再びチェックし始めた。
コミックストームまで残った時間はまだ余裕があり、依頼人の要請事項を処理するのが先だからだ。
修平くんからもらった課題もあるけど、とりあえず後回しにしよう。
心理的にとても大変な1日だったので、今はこれだけ確認してひまりと一緒に休みたいとしか思わない。
「あ、そういえば... ひよりの奴に頼むの忘れてた。まあ…明日聞けばいいだろう。」
最後のスライドを確認し、コンピューターの電源を切った私は、ひまりが待っているリビングに向かった。
((メル!))
<<発信者:修平>>