幕間(26)ー1
今夜はディアナの兄の婚約パーティーの日だ。
慶事すべき日であるはずなのに、俺の心は落ち着かなかった。自分の覚悟をジュードに示したにもかかわらず、宴の類はまだ俺をあの時の光景の中に連れ戻す。
騎士団が警護をしていても、ジュードの影が邸の至るところにいても、胸の奥底に溜まっている不安が顔を出してくるのだ。
だが世話になっているヴィエルジュ家の者の前で俺の様子がおかしいなどと思われてはならない。邸の中に漂う喜ばしい雰囲気を俺のせいで壊したくはなかった。
自分の身支度を終え、会場となる1階のホール前で使用人が準備を進めているのを眺めていると、ジュードの妻エレアーナに「フィシェ家の皆様がもうすぐお見えになるのでディアナを呼んで来てくださいますか」とお願いされた。
「いつもそれを身に着けておりますが、余程のお気に入りなのですね」
階段を登ろうとした時、夫人が俺の首元を見てそう言った。
「はい。ディアナ様から頂いたので、とても大切にしております」
「ふふ、そうですか。何故その色なのか卿はわかっていらっしゃる?」
ディアナの本来の瞳の色を知っているのかと聞いているようだ。「もちろんです」と肯定すると夫人は柔らかな笑みを浮かべた。
「あの子をよろしくお願いしますね」
「はい……ありがとうございます」
夫人は俺とディアナの関係に肯定的なようだ。設定上倍程の歳の差があるのだがあまり重要視していないように見える。だが夫人は俺の正体を知らない。知ることが来た時、俺がディアナの側にいることを許してくれるだろうか。
ディアナを呼びに3階へと上がる。
そして部屋を訪れた俺は、ディアナの姿を見て衝撃を受けた。
ディアナは『星月夜の女神』そのものだった。
いや、あの絵を見た瞬間から俺はあの女神をディアナだと思っていた。あれを描いた人物は姉上をモチーフにしたはずなのに。
幾星霜の歳月を共にしている姉上よりも、知り合ってまだ数ヶ月程度のディアナを一番に思い浮かべてしまう。
姉上に対する思いとは違うもの。胸が締め付けられるような想いと、ディアナの側にいたい想い、ディアナを誰にも渡したくない独占的な想いを抱いていると初めて理解した。
天界には愛の女神ヴィーテがいることと、俺と姉上の眷属であるアクアリウスとサジテールを見ているため「恋」というものがどんなものか知らないわけではなかった。ただ興味がなかっただけだった。
だがこれが恋かと、理解した瞬間俺はあの男神の気持ちがわかった。わかってすぐ、笑いが漏れた。
愚かなのは、俺もだったか、と。
好いた人が自分ではない誰かを好いている……考えただけでどうにかなりそうだ。
ならば、ディアナに他に好いた者がいれば、俺はあの男神のようになってしまうのだろうか。
理性はあんな愚かで身勝手なことをするはずないと訴えているが、目の前でその光景を見せられたら……
ディアナは俺のことをどう思っているのだろうか。
俺が好意的な素振りをディアナに見せてもディアナに伝わっている気がしない。時々、他人に向けることはない笑みをディアナにだけ向けることはある。色々考えて敢えてそうしている。だがディアナにはあまり効いていないように思える。頬を赤く染めることはあってもすぐに引っ込み真顔になるのだ。だから確信が持てずにいる。本来の瞳の色である金色と魔力の込められた魔石を渡されても、ただ単に神力を封じている不便さから魔法付与された魔石を親切で渡した可能性も捨てきれないのだ。
聞けば良いのだろうが、もし違えば? ヴィーテの目があればすぐわかるのだが。
無関心だった色事に右往左往している今の俺を姉上や星の眷属たちが見たらどう思うのだろうな。
そして色事に興味も関心もなかったツケか、アプローチの方法や加減がわからないことに加え、まだ俺はここで何も大成していないのに気持ちを伝えることができないでいた。
そんな胸中を抱えている中、宴が始まる。
ディアナの婿養子候補のマクファーレン家がディアナに挨拶をしに来た。
癖の強い星の眷属や柱神たちと長い時間過ごしてきた俺には、伯爵の堂々たる圧や自信たっぷりの言葉を受け流すことは容易い。だが去り際に放ったユージンの一言で焦燥にかられた。
――ディアナは俺と……
添い遂げてくれるだろうか。そう言おうとした。邪魔が入ったため言葉を飲み込んだが、再びそれを口にする勇気はなかった。
婚約候補の3家だけ注視しておけば良い。宴に出るまではそう思っていた。
だが周りを見渡せば、ディアナを盗み見る男、あからさまに見惚れている男、話しかけたいと顔に出ている男……数えればキリがない。
ディアナに秋波を送る者がとても多いことは一緒にノアたちへの贈り物を買いに街に出掛けた時に認識したはずなのに、自分の詰めの甘さに歯痒くなった。俺の魔石だけでは牽制したことにならないらしい。ブレスレットではなく指輪に変えれば良かったかもしれない。そうすればすぐ周りに気づかせられただろう。ディアナは俺のものだと。
……ふ、ディアナは俺がこんなことを思っているなんて、露ほども知らないのだろうな。
そして、誰もが羨望するディアナの隣に俺がいるからか、俺に対し明らか敵意のような視線を向けてくる者がいた。名前は知らないが、ノアと同い年くらいの露草色の髪をした陰のある男だ。
既視感を覚えた。
両目が疼く。あの男があの男神と重なって見え、怒りと諦観という相反するものが混ざり合い、体が徐々に重たくなっていく。
……ああ、やはりここでも俺は……
足元が鉛の水たまりに浸ったかのように身動きがとれない。ざわめくこの会場が月の神殿の庭にいる神々と漆黒の闇が広がる景色に変わっていき、その空間に呑まれそうになる。
俺は無意識にブローチに手を伸ばしそれに触れた。
瞬間、ディアナのあの言葉が蘇った。
――幸せか不幸かは他人にもたらされるものではなく、自分自身で決めるものだと思うんです。
――誰かにそう言われていたとしても、決して貴方のせいではないです。断言できます。
ディアナの言葉と、ディアナに対する俺の想いが鉛の水たまりを吸収していき、そして体の重苦しさも消していった。
目を閉じ、一度息を吐き出すと、再び目を開ける。月の神殿と闇、あの男神の幻影が綺麗に消えていた。
俺はタイごと魔石を握りしめた。
月の宴の二の舞にはならない。俺はあの敵意の意味も、自分の想いも理解しているのだから。
次回は2/27(金)に投稿致します。




