ノーマルENDの裏仕様
あの激動の『エンドコンテンツ』から早一ヶ月──。
俺は確かな手応えを感じながら、学園での穏やかな日常を満喫していた。
(あー……平和だなぁ)
窓から差し込むうららかな陽光に目を細め、俺はふぅっと気の抜けた息を吐く。
気がつけば、学園生活もいよいよ後半戦。
昨日は、ゲーム最大の萌えイベントともいえる『聖アルカディア祭』だった。にもかかわらず、誰とエンカウントすることもなく一日を終えた。
これはもう、何事もなく卒業を迎える『ノーマルEND』の確定ルートに入ったと見て間違いないだろう。面倒なヤンデレ展開も世界崩壊の危機もない、完璧なお独り様大団円の完成である。
「ふぁ〜……ねむ。このまま卒業まで、あと2年? うわぁ……。求むスキップ機能、せめて早送りぃ……」
大きな欠伸を一つして、俺は机に突っ伏してだらけきった独り言を呟いた。
するとすかさず、教室の端から『少しはシャキッとなさい!みっともなくてよ!』と、ピシャリと扇子を鳴らし小言が飛んでくる……はずだったのだが。
──待てど暮らせど、その凛とした声は降ってこない。
「……あれ?」
ゆっくりと顔を上げ、いつもの定位置へと視線を巡らせる。
だが、そこで俺をジト目で睨みつけているはずの、ミレニア様の姿はどこにも見当たらなかった。
「ねえ、ミレニア様って今日お休み?」
近くの令嬢たちに声をかけてみるが、皆一様に「さあ……?」「存じ上げませんわ」と首を傾げるばかりで、誰も彼女の行方を知らない。それどころか、彼女たちの関心はすぐに別の話題へと移ってしまった。まるで最初から彼女の存在など、気にも留めていないかのように。
(ちょっと気になるな。クライヴ王子に聞きに行ってみるか……)
俺は席を立ち、王子たちがいる特別教室へ向かってぽてぽてと廊下を歩き出した。
「──ミレニア様を探していらっしゃるんですの?」
唐突に、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには見知らぬ女生徒が立っていた。
「彼女は、もう学園にはいらっしゃいませんわ」
「えっ? あの、あなたは……?」
女生徒は俺の問いには答えなかった。どこか機械的な声で……台本を読み上げるように淡々と続ける。
「筆頭公爵家の人間として、国のために尽くすことが決定したのです」
「『国のため』?」
国のために尽くす? 王太子妃としての公務が前倒しになったということか?
うん、ありえる。ノーマルENDが確定したことで、他ルートのメインキャラもフェードアウト(退場)しはじめたのかもしれない。
「ええと、それ、もう少し詳しく──」
「あら。少し空気が淀んでいますわね。──ですが」
俺の質問を女生徒が冷たく遮断する。彼女は瞬き一つしない虚無の瞳のまま、温度感のない声で告げた。
「これは『日常』へと回帰する物語。もはや、貴女には関係のないことですわ」
言うが早いか、女生徒は踵を返し、足音すら立てずに静かに廊下の奥へと消えていった。まるで、俺にその『情報』を伝えるためだけに配置された、システム上のNPCであるかのように。
一人取り残された廊下で、俺が呆然と立ち尽くしていると──。
「こら、そこの君。こんなところで立ち止まってどうしたんだい?」
「……あ」
声をかけてきたのは、通りかかったモブの教師だった。俺は縋るような思いで口を開く。
「先生、わたし、ミレニア様のことで──」
「早く教室に戻りなさい。もうすぐ授業が始まる時間だ」
俺の言葉など聞こえていないかのように、教師は型どおりのセリフだけを吐いて通り過ぎていく。こちらの必死さなどお構いなしの対応に、なんともいえない疎外感を覚えた。
そう。それは、まるで──。
──まるで、俺自身もただのモブになってしまったかのようで。
俺は焦燥に駆られて、駆け出した。背後から「こら、廊下を走るんじゃない!」と、お決まりの叱責が飛んできたが、構わず王子たちがいる特別教室へと急ぐ。
だが──。
ガチャ、ガチャッ。
「……くそっ、やっぱりか!」
いつもなら誰でも歓迎するように開け放たれているはずの、重厚なオーク材の扉。それが今、固く閉ざされ、ノブを引いてもビクともしない。中からの気配も完全に遮断されていた。
──間違いない。
俺はついに、『ノーマルルート』に入ったんだ。
攻略対象 (イケメンズ)とのイベントフラグがすべて消滅した。同時に、俺が──ヒロインが、彼らのシナリオに干渉する『権限』も失ったのだ。
もう、俺が特別な力を行使することはない。
ただ授業を受けて帰るだけの平穏な日々を送り、そのまま何事もなく学園生活を終える。
望んだ通りの、平和な大団円 (ノーマルEND)だ。
(でも、じゃあ……攻略対象たちは? ミレニア様は、どうなったんだ?)
『世界の歪み』は、確かに存在している。
俺がこの世界に転生してきたあの日。そして、瘴気に包まれた村の一件。この世界は『崩壊』に向けて、刻一刻と進んでいたはずだ。
(なのに、なぜ……いつ、どうやって、『歪み』は正されたんだ?)
あの『エンドコンテンツ (瘴気)』をクリアしたから?
いや、あれは進行した事象をロールバック (巻き戻し)しただけだ。根本原因の解消にはなっていない。
なら、なぜだ?
今、この『ノーマルルート』の裏で……一体、何が起こっている!?
思い出せ、他のルートではどうだった!?
ふいに、王子ルートの『顛末』と、さきほどの女生徒の『国のために尽くす』という言葉が脳裏で結びつく。
背筋に、ぞわりと氷を押し当てられたような悪寒が走った。
(まさか)
カチリ、と。
最悪のパズルのピースが、頭の中で組み合わさった。
(……『物語 (シナリオ)』に描かれなかっただけで……)
(どのルートでも……ミレニア様が、誰にも知られず『犠牲』にされていたんじゃないのか……!?)
──気づいた瞬間。俺は弾かれたように駆け出していた。
(そんなの絶対ダメだ! ふざけんな!!)
なにがノーマルエンドだ。日常だ。
ミレニア様を──一人の女の子を犠牲にして成り立つ平和なんて、言語道断だ!
だが、俺はすでにノーマルルートに入ってしまった。
正規シナリオは、完全に塞がれている。攻略対象 (イケメンズ)へ干渉することはできない。
なら、残された手は一つだけだ。
(くそっ!! 早まるなよ、ミレニア様……!!)
向かう先は、王家の祭壇。
それは、ノーマルルートから分岐する、唯一にして最凶最悪の隠しルート。
──『メリーバッドエンド』の舞台だった。




