第十六話:そして、華は咲き誇る
項垂れてしまったクラレンスは、最早生きているだけの屍に見えました。
こんな男に私の人生は狂わされてしまったのかという怒りと、そんな彼を救えなかった自分への罪悪感が胸を満たしていて、それが虚無へと変わっていきます。
どんなに怒っても、どんなに嘆いても、どんなに悔やんでも、時を巻き戻すことは出来ないのですから。
「……フィリップ陛下」
「なんだい、ベラドンナ」
「クラレンス殿下への罰を考えているなら、私に一つ提案が」
「聞こうか」
「彼の存在を消してください」
私の言葉にフィリップ陛下は表情一つ動かさなかった。お父様も動く気配はありません。
動いたのは震えるように身を震わせたクラレンスだけです。
「表舞台に今後、上がらないようにクラレンス殿下は死を賜ったと。そして、そこの〝誰にもなれなかった男〟は野にでも捨ててください」
「……ぇ?」
クラレンスが憔悴しきった顔を上げて私を見ました。私はその顔を一瞥してからフィリップ陛下と向き直ります。
「ニーナさんの罪も決して軽くはありません。ですが、彼女は陰謀に巻き込まれただけとも言えます。そのままでは生かしてあげられませんが、〝誰でもない女〟であれば私がどうこう言うこともありません」
「……良いのかい?」
「企てたのは貴方もでしょう、陛下。貴族令嬢としてなら貴方に従います。ですが、ベラドンナという一人の女に報いるつもりがあるならば、どうかこの願いを叶えて頂きたいのです」
クラレンスの名前を剥奪して、誰でもない男として追放する。合わせてトラペゾイド王家とオルラウンド侯爵家に対して泥を塗ったニーナさんも、今までの人生を剥奪して一緒に放逐する。
「死んでしまえばそれで終わりです。名前も、存在も死ねば、その後の抜け殻になど興味はありません。何も頼れぬ生にしがみつくも良し。無様に死に絶えるも良し。私はそれで構いません」
「……ベラドンナ」
力ない声でクラレンスは私を信じられないものを見たような表情で見つめます。私はその顔を睨み付け、低い声で囁きます。
「勘違いしないでください。王子として生きて来た貴方に、何者にもなれぬ無能の貴方にそう簡単に生きていけるほど世の中は甘くありません。精々、野垂れ死ぬ可能性の方が大きいでしょう。貴方には王子として名誉の死すら惜しい。だから――這い蹲って、私の慈悲に縋って生きなさい。貴方の苦しみこそが私の復讐です。生きている間、ずっと私の慈悲に苛まれ続けろ」
「……お前は」
「愛がそんなに大事なら、愛だけは残してあげます。その愛があれば良いんでしょう? なら王子としての今までの生も、苦しみも、何もかもが貴方には惜しい。愛に生きて、愛に死ねば良い。貴方にはそれがお似合いです。貴方が私に苦しみ続ける限り、私は――貴方に復讐し続けられる。永遠に勝ち続けることが出来る」
苦しんで欲しい。幸せになどなって欲しくない。
それでも生きて、それでも尚、良かったと言えるものなら言って見せれば良い。
「……最後ぐらい、私に勝とうとしてみてくださいよ。永遠に張り合いのない男で終わりたくないなら」
この場では私の勝ち。それは譲らない。命を奪うことだって出来た。けれど、私はそれを許さない。何を比べたって私はこの人に勝ったのだ。なら勝者の権利がある。
私の人生を台無しにした分だけ苦しんで欲しい。そして苦しんで、何かが変わって、私が復讐したい貴方でなくなったのなら――永遠に知らない所で、知らない人として、私に関わらずに生きれば良い。
「私の人生に、もう貴方はいりません」
だから私は、最高に苦しむ復讐を貴方に。貴方の先を最後に願う慈悲だけ置いて、貴方をなかったことにしましょう。
自ら手を下す必要もない。けれど苦しんで欲しい。でも、死を願うこともしたくない。複雑に入り交じった感情が下す、最後の落とし所。
「私は今日を以て貴方を忘れましょう。でも、貴方は私の慈悲に縋り続けろ。永遠に私に負け続けて、それでも尚、私に負け続けるのが嫌だと言うのなら――いつでも、勝負しましょう。お互いの人生をかけて」
涙が零れる。この表現しきれない感情を押し流してしまうように。この澱みを捨てることで、私は最高の自分になるんだと決意して。
「――生きなさい。私が許してあげましょう。何者でもない、誰かだった貴方」
――さようなら、私の運命だった人。その宿命は、ここに断たれる。
私の運命だった人が泣いている。子供のように無様に泣きじゃくっている。言葉にもならない悲哀を吐き出しながら。
その姿を収めてから、私はフィリップ陛下を睨み付ける。フィリップ陛下は何かを堪えるように眉を寄せていたけれど、深く息を吐き出す。
「……二度と王権を乱さない、という条件でなら君の望む処罰を与えよう」
「ありがとうございます、フィリップ陛下」
「……君は、今後どうするんだ? ベラドンナ」
「私はこの国の貴族として生きるつもりはありません」
この身が貴族として生まれたのだとしても、その対価を帳消しにするだけの力が今の私にあるのです。だから、私は私をもう一度始め直すのです。
今度こそ、私が満足するための人生を歩むために。だから笑いましょう。最高の笑顔を浮かべて。
「――私は私として、やりたいようにやらせて頂きますわ」
* * *
トラペゾイド王国は、王太子であったクラレンスがこの世を去ってから早二年の時が経過しようとしていた。
クラレンスが巻き起こした騒動は国王フィリップによって厳粛に処罰された。クラレンスを惑わせたという平民の少女も処刑される事となった。
事態を重く見た国王フィリップは、第二王子であったディミアンを王太子に指名することはなく、その素質に見込みがなければ任命することはないと告知。
王太子の座は空位となり、国王フィリップは新たな側室を招き入れるなどの動きを見せた。
そんな大きな国の動きがある一方で、トラペゾイド王国の市場ではまた大きな動きがあった。
それはある商会の大躍進による勢力図の変化だ。その変化の勢いは凄まじく、少なくない商会が吸収合併されて、瞬く間に時代の波へと呑み込まれていった。
その大きな流れは、商会と懇意にしていた貴族には恩恵を与えた。しかし、逆を言えば恩恵に与れなかった貴族もいるということだ。
一つの商会が市場を大きく塗り替える。時には無謀とも思われる試みも成功を収め、流星の如く現れた商会の大躍進の理由は謎に包まれている。
その商会は孤児院などの寄付にも力を入れた。教育の場を自ら提供し、自らの商会員候補生として育て上げ始めたのだ。
勿論、必ずしも商会員になる訳ではない。孤児や商会員の親が預けて教育を施された者たちは商会と縁のある様々な職種に就職していく。
就職した者たちは、その優秀さから商会の名を更に広げた。それが新たな販路や事業のキッカケとなっていく。
トラペゾイド王国の失業率を明確に低下させる程の活躍を見せ、貴族でも無視できない一大商会となった商会の名前は〝ルーレット商会〟。
転がる球は何度外れに落ちても、諦めなければ当たりへと繋がる。商会紋としてルーレットを掲げる商会を統べるのは――――。
* * *
「くそ……くそっ! この私が……カジノに命運を託すしかないなど……!」
その日、トラペゾイド王国のカジノに一人の客が来店していた。その男は貴族で見栄を張った格好をしているが、その輝きもくすんでしまいそうな程に草臥れている。
彼は大躍進するルーレット商会の恩恵に与れなかった不幸な貴族の一人だった。なんとか恩恵に与れないかと手を尽くし、そのどれもが失敗した。
失敗した投資は家を傾かせるほどの影響をもたらし、貧乏、没落などの不名誉の文字がちらつく程だった。
彼は、元々第二王子であったディミアンを推していた。愚かで無能な王太子であったクラレンスを廃し、ディミアンを王太子にすることで権力を得ようと暗躍していた。
しかし、結果はどうだったかと言えば失敗した。確かにクラレンスを廃することは出来た。しかし、国王はディミアンを王太子に指名することはしなかった。
代わりに側室を娶り、その側室との子を設けようとしているのだからディミアンを支持していた派閥からの国王への批難の声は大きかった。
しかし、フィリップはそれこそクラレンスの失敗を挙げ、ディミアンも含め王家の権威の復権を誓った。その一環として己に為せることは何でもすると宣言した。
それはディミアンへの評価もまた厳しい目になり、この二年の間、ディミアンが王太子に選ばれるほどの功績は上げられていない。
それどころかディミアンを支持していた多くの派閥が事業の失敗や、領地の統治に失敗が相次ぎ、どんどんと力を失っていったのだ。
彼もまた、そんな貴族の一人だ。そして逆転の目を探し、彼はカジノを訪れた。
「――ようこそいらっしゃいました」
そして、彼は息を呑むこととなる。
案内人として現れたカジノのバニー、その装束に身を包む女を彼は知っていた。
深い紫色の髪を三つ編みに纏め、垂れ気味な緑色の瞳は笑みによって細められる。印象を一言で纏めれば妖艶。
彼女の名は――ベラドンナ・オルラウンド。かつて、己が暗躍の果てに追い落とした女だった。
「あら、お久しぶりでございます。カテナイ伯爵様」
「う、うむ……き、君はベラドンナ嬢か? オルランド侯爵家の……」
「はい。覚えて頂いて光栄でございますわ」
蠱惑的に微笑むベラドンナに対して、彼――カテナイ伯爵は服の下に大量の汗を拭きだしていた。
かつて暗躍によって追い落とし、しかしカジノで一発大逆転を当てた後は行方がわからなくなっていた元・次期王妃。
まさか、彼女がカジノでバニーとして働いているとは思わなかった。ここ最近、カテナ伯爵は事業や投資の失敗のツケを払うばかりで、カジノに訪れることはなかった。
その間にカジノで働いていたのだろうか? しかし、あれだけの富を当てて何故……?
「ご縁がありまして、副業がてらこちらでバニーとして働かせて頂いております」
「……それは二年前の大当たりから、ですかな?」
「えぇ。大変運にも人にも恵まれ、今は充実した生活を送っております。本業は別なのですが……」
「本業は、今は何を?」
「――商会長を。とは言っても、実務は部下に任せきりで名ばかりなのです。事実上の後援者ですね」
汗が、止まらない。カテナイ伯爵は流れ落ちていく水分を補おうと唾を飲み込む。
「その、商会の名前は……?」
「――ルーレット商会と申します。ご存知でしたでしょうか?」
白々しい、と。そう言いかけた言葉を呑み込んだ。自分を見つめているベラドンナの瞳が、まるで獲物を捕らえた蛇のようであったからだ。
さしずめ、自分は睨まれたカエルだろうか。うまく地に足をつけている実感が感じられない。ただ、ベラドンナの視線から目を反らせない。
「今宵は楽しんで頂ければ幸いでございますわ。どうぞ――私と勝ち負けを競い、楽しんでいってくださいね」
逃げ場はない。ここで逃げても退路はない。待っているのは没落だけなのだ。
なら、前に進むしかない。しかし、思うのだ。この先にあるのは望んで止まない栄光か、それとも破滅を齎す処刑場なのか。
「――ようこそ、夢と希望のカジノへ。歓迎致しますわ」
――後日、カテナイ伯爵は家の財政が傾いたことを理由に爵位を返上する事となる。
投資や事業に失敗し、そのツケを払わんと最後の希望を託したカジノで大敗を喫した。この大敗が原因で金が底を突いたのがトドメになったとの噂が貴族たちの間で広がっていくのだった。
* * *
「相変わらずエグいことをなさいますね」
「そうかしら? ちゃんと華も持たせたでしょう? 程良く勝ち、程良く負かせる。そしてお楽しみ頂ければ、と思っていたのだけれど……あそこまで賭けられたらかつての私を思いだして、奇跡が見たいと思ってしまうでしょう?」
「まるで麻薬のようです。流石はベラドンナ、カジノが育てた毒華でございます」
「ちょっと、シャーリー。人聞きが悪いわよ? 私はちゃんとお持て成ししただけ。そうでしょう?」
「物はいいようですね。……でも」
「なに?」
「――楽しかったのでしょう?」
「――えぇ、当然じゃない」
* * *
カジノの華とされるバニーたちの中に、彼女は名を連ねている。
名前はベラドンナ。その妖艶さで客を惑わし、勝利と敗北すらも操ると言われる程だ。
運に愛された〝紫兎〟。今日も彼女は笑う。運命の糸を、その手で手繰るかのように。
ここまでを第1章として、「転落令嬢、転がり落ちた先は大当たり ~ルーレットで大当たりした令嬢は人生をやり直す~」は一度、ここで筆を置きたいと思います。
第2章もベラドンナの商会活動や、国のその後や、彼女と接触しようとする者がいたりするお話を考えていますが、この作品で書きたいことはひとまず書き切りましたので。
この作品の続きか、或いは別の作品になるかもしれませんがお会い出来れば嬉しく思います。ここまで読んで頂きありがとうございます。




