帰る場所
「君はハグメント家を気にかけていたけど……うちには何の心配もいらないんだ」
近くまで来ていたから、東屋へはあっと言う間に着いた。ベンチへ降ろされ、跪いて足の汚れを拭われる。
「君が僕と結婚するより、他の男性と結婚する方がウィーナシュ家にとって利益が大きい。だから婚約破棄によるペナルティも、借金の残額も、子爵が帳消しにしてくれる」
「え?そんなはずない。だって……!」
お父様が浮気したコナーを許すはずない。そう言い切る前に、コナーが微笑んで首を振る。
ハンカチで私の足を包んで靴の上に乗せてから、隣へ座った。背もたれに身体を預け、夜の庭園をぼんやり眺める。
「僕とカミラ嬢の間には……特別な感情なんて無い。ウィーナシュ家が信用を失わない為の偽装だよ」
え?!なっ!?
は……え?あ、頭がついて行かない。置いてけぼりだ。え?
じゃ、じゃじゃ、じゃあ、今までのは全部、見せかけ??演技だったってこと??
「ま、待って!それなら、そもそも何で婚約破棄なんて話になるの?……お父様がそんなこと言い出したの?」
もっと良い家に乗り換えたいから、借金を帳消しにする代わり浮気者の汚名を被れ……って、そんなの酷すぎる。
「ううん、違う。僕からお願いしたんだよ」
完全に頭が置いて行かれた。
何を言われたか分からなくて、しばらく顔も身体もピキーンと固まる。
池で何かが跳ねて、ポチャンと音がした。
……あれ?つ、つまり。
「私との結婚が…………嫌だったの?」
違うと、言って欲しい。
ドレスに施されたリボンを見つめ、今は何も結ばれてない左手首を握った。
その手に、コナーの温かい手が重ねられる。
「レイチェル、僕たちはうんと幼い頃に婚約したね」
子供を慰めるように優しく語りかけられ、場違いにも胸が鳴った。握られた手だって熱く感じる。
精いっぱい、こくんと頷いた。
「そのせいで、君はいつも僕と結婚すること前提で物事を考えてる」
「そ、そんなこと…」
そんなこと……あるかも知れない。
何かをする時、決める時、必ずコナーを意識していた。私の世界は彼を中心に回っている。
「もっと、色んな物や人に目を向けてごらん。僕よりずっとレイチェルにふさわしい人がいる」
コナーの指が頬へ近づく。
俯いていた顔を上げさせ、前に垂れていた髪を耳へかけてくれた。少し視界が広がる。
「君はもっと、幸せになれるんだよ」
見上げた先には……煌めく星々と、愛しげに細められた私のよく知る藍色の瞳。
つまり、婚約破棄するのは…………私のため?
「改めてお願いするよ。僕との婚約を、破棄してほしい」
いつかと同じで、真っ直ぐ見つめて淀みなく言い切られる。
コナーが言っていた真実の愛って……まさか。
「…………コナー…」
呼びかける声が震えてしまった。
涙が滲みそうで、奥歯を噛む。
「コナー!」
震えを止めたくて、わざと強く声を上げる。
それでも止まらない。だって……こんな、こんなの……!
「……レイチェル?」
再び頬へ添えられた手を、ガシリと掴んだ。反対の手も握っているから、逃げ場は無い。
身体を大きくのけ反らせる。
「コナーの、ばかぁあああああ!!!!」
――ズガァアアアン!!!
目の奥で火花が散る。痛みで涙も溢れ出した。
盛大な頭突きを受けたコナーも、後ろへと身体を反らせ痛みに顔を歪める。構わず、ポカポカと追撃した。
「ばかばかばかばかばかばかばか!!コナーの大バカヤロー!!」
驚き惚ける顔も気に入らなくて、口の端に親指を突っ込み、左右へびよびよ引っ張る。
「私の幸せを!勝手に決め付けないで!!!」
誰が!もっと良い人と結婚したいなんて言った!!もっと良い暮らしをしたいなんて言った!!
そんなの!そんなの!!
「コナーがいなきゃ!!コナーが一緒じゃなきゃ意味ない!!っ……」
ぺいっと口から手を離す。
涙を腕でゴシゴシ拭った。
「私が婚約破棄して、他の人と結婚したとして、コナーはどうなるの」
彼は、わざと大事なことを言っていない。
表面的に婚約破棄の形を取っても、ハグメント家が何のペナルティも受けてなければ周囲の目は誤魔化せない。
真実味を持たせて、でもおじ様…ハグメント伯爵が許可できる程度に実害が少なくて、それでもってコナーが提案しやすいこと……。
「廃嫡されて、平民として暮らすつもり?」
コナーが息を飲み、瞼を伏せる。当たりだ。
平民の暮らしが皆悪い訳じゃない。でも、コナーはずっと家の手伝いをしてきて、領地にも思い入れがあるはず。なのに……それを私の為に手放すなんて!
「……僕の事は気にしなくて良い」
懐から新しいハンカチを取り出し、顔を拭いてくれた。私によく使うから、彼は何枚も持ち歩いている。
「気にされたくないから、本当の事を黙ってたの?」
「黙ってないと、他の人との結婚を本気で考えないだろうから、だよ」
ギッと睨みつける。
なんで他の人との結婚を考えなきゃならないんだ!
「私が好きなのはコナーだよ!?」
「……うん、ありがとう。でも、君が僕に向ける好意は……異性に対する憧れ、みたいなものだよ。身近に他の男性も少なかったし、婚約によって君には選択肢も無かった」
あ、憧れ……?
私が首を捻るとコナーは眉を寄せながら笑い、視線を星空へと移す。
「だから、一度でも真剣に他へ目を向ければ、違った見方ができると思ったんだ。……実際に見つけたんじゃない?理想の相手を」
理想の相手と言われて、ある人が思い浮かんだ。
そりゃ……嘘みたいに理想的な相手がいた。
「僕のことは忘れて、幸せになって良い。いや……幸せになって欲しい」
コナーが自分の上着を掴んで立ち上がる。私の前から、いなくなろうとして。
袖を掴んで引き止めた。
「そんなの、無理だよ」
前に、ナス嬢から身分を捨ててまで追いかけられる恋じゃないって言われた時……何も言い返せなかった。コナーみたいに自分を顧みず相手に尽くすなんて、私には出来ない。
この気持ちは恋じゃないって言われたら……自分でもよく分からなくなる。
もしかしたら、本当に恋でも愛でもないのかも知れない。ただの子供っぽい執着かも知れない。
……でも。
「誰といても、何をしてても、コナーの事ばっかり思い出しちゃうの。本当に、呆れるくらい、コナーとの思い出でいっぱいなの」
袖を引っ張って、でも座ってくれないから自分が立ち上がる。
「忘れるなんて出来ない!私と一緒にいたのは他の誰でもない、コナーだから!!」
「……レイチェル」
何か言い返されそうで、またコナーの口に掌を当てて止めた。
「私は、コナーの為に自分の生活を捨てたりなんか出来ない!だけど、二人でもっと幸せになれるよう頑張ることは出来る!」
コナーの左手を取る。
そこには変わらず、成人と合わせて贈った婚約指輪があった。両手で包み、額へ当てる。
「コナー、私と結婚して…!!私もコナーも、まとめて幸せにしてみせるから!!」
ぐっと手に力が入る。心臓が生き物みたいに暴れ出した。
今まで、こんなに緊張した事があっただろうか。
神経を全て耳へ集中させて、ひたすらにコナーの言葉を待つ。
きっと、ほんのちょっとの時間。それが終わりないように長く感じた。
「…………本当に、僕で良いの?」
耳へ届いたのは、落ち着いてるようで僅かに震える声。その感情を確かめようと顔を上げる。
コナーの瞳が、揺れていた。
いつもより多く光が映り込んで、この満天の星空みたいだ。
「もちろんよ!!コナー以外なんて考えられないもん!!」
ずいと前のめりに答え、顔が近づく。
間近で見つめ合って…………互いの緊張の糸が切れるように、どちらからともなく、笑ってしまった。
眉を下げて笑うコナーにまた胸が鳴る。
「ばかだな、レイチェルは」
「ば、ばかはそっちでしょ!」
急に恥ずかしくなって、ぷいっと顔を逸らした。
「好き合ってる二人で婚約破棄なんて、ばかのする事よ!」
言葉にしてみると、本当に馬鹿げてる。
恋は人をバカにすると言うし、コナーも例外じゃなかったのかも知れない。
「……そうだね。レイチェルの言う通りだ」
言いながら、コナーが持っていた上着を何やら探りだした。
何だろうと眺めていたら……ポケットからラッピングされた、けれど潰れている箱が取り出される。
「……それ」
「うん」
中から出てきたのは、見覚えのあるリボン。アイザック様から贈られたのと同じデザインの、山吹色のリボンだった。
「遅くなったけど、誕生日おめでとう」
シュルルと、慣れた手つきで髪に結んでくれる。
「っ……コナー!」
込み上げる気持ちのまま、飛び跳ねるように抱きついた。勢い良すぎてコナーが少しよろけたけれど、しっかり受け止められる。
首筋へ擦り付けば、ゆっくり頭を撫でてくれた。
やっと、あるべき場所へ帰って来られた。そんな気がする。
「コナー、好き!大好き!!」
「うん。僕も好きだよ」
そっと唇を合わせる。
もう慣れたものだから、歯はぶつからなかった。
おしまい。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
感想や評価をいただけると、とても嬉しいです。
少し説明不足な所もあるので、あとで後日談を書くかも知れません。
 




