第32日「せんぱいって、お昼ごはんどこで食べてるんですか?」
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やらかした。
俺は、全力で、駅に向かって走っている。
理由は――電車に、遅れそうだから。そうとしか、言いようがない。
別に、一本見逃したところで、遅刻するような時間ではないんだけれど。それでも、できる限り急いでしまうのは……なんでだろ? 特に考えもせず、無意識に、焦っていた。
んー。やっぱり、あいつがいるから、なんだろうか。後輩ちゃんとの話を、なんだかんだ、自分は楽しみにしているんだろうか。
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秋雨がずーっと続く中、珍しく朝から太陽が顔を出した、水曜日。
雨ならば駅まで歩いて行くところだが、自転車で行けるということは、その分ギリギリまで惰眠を貪っていられる。
その、ギリギリを、攻めすぎた。
さすがにやばいなと自覚して、自転車を漕ぎまくって、信号につっかえたりしながらも、駅の近くの駐輪場に自転車を滑り込ませたのが、電車の来る1分前。
そして、今。電車がホームに滑り込んできた5秒後くらいに、改札を抜けた。
ホームを見渡す。黒いサラリーマンの群れの中に、クリーム色のカーディガンの後輩ちゃんを見つけた。発車ベルが鳴り響く。目が合った。ふたりの距離は2両分は離れていて、声は届かない。とりあえず乗って、後で合流しよう、という意味を込めて、電車を指差す。
俺は、まだ開いているドアに向かって走る。
後輩ちゃんの方を見ると、なぜか、その場にとどまっていて、電車に乗り込もうとはしていなかった。大きく首を左右に振っている。
えっ? なんで?
足を止めると、すぐにドアは閉まってしまった。電車から降りてきた人は改札へと向かい、ホームには俺と後輩ちゃんだけが残された。肌寒い風が、びゅうと吹き抜けていく。
後輩ちゃんがいるのは、いつも俺たちが乗り込むあたりだ。当たり前だけど。そちらへ歩いていって、彼女と合流した。
「おそようございます」
「別にいいじゃねえか。この電車に乗るって明確に約束してるわけじゃないし」
「その割には、せんぱい、全力で走ってきたみたいですけど? まだ息が切れてるじゃないですか」
運動不足だなあ。学校の体育だけじゃダメかなあやっぱり。
「悪いか」
「わるくはないですよ。むしろうれしいです」
「は?」
「せんぱい、わたしのこと、大切にしてくれてるんだなって」
「はあ」
大切、ねえ。
後輩ちゃんそのものが大切なのか、後輩ちゃんと、俺との関係性みたいなものが大切なのか、そのいずれでもなくて、ただ、朝の電車の中での話し相手が大切なのか。
答えは、自分でもわからない。最後の選択肢は、本で代用できそうだけど。というか、これまでずっと、電車のお供といえば本だったわけで。
「でも、ちょっとかっこわるいですね」
「うるせえ」
全力でがんばってる人を笑っちゃいけませんって習わなかったのか。
「ところで、せんぱい、どうしてこんなことに?」
ああ。「今日の一問」ではないのか。でもまあ、答えを渋る理由はない。
「ひとことで言えば、晴れたから、だな」
「確かに、晴れですけど」
晴れだと自転車が使えるから、ギリギリまで家にいられるんだけど、ちょっと家でゆっくりしすぎた、という話をした。
彼女は、ひとこと。
「バカですね」
「先輩にする態度じゃないよね、それ」
「でもバカであることは否定しないんですね、せんぱい」
話題をすり替えたんだけれど、軌道修正されてしまった。相変わらず、デキる女だ。
「実際バカだと自分でも思うし」
「じゃあバカじゃないですか」
「人に言われるのと、自分で言うのって違くない?」
「ばーかばーか」
* * *
「でも、雨がやんでくれてうれしいです」
「なんで?」
「ごはんの時、傘持っていくか迷わなくて済むので」
わたしたちの高校は、校舎と、食堂とか購買の建物が別れて建っていて、屋根でつながっていたりもしません。つまり、雨の日には傘を用意するか、ちょっとの距離を濡れていくかのどちらかになります。
そういえば、せんぱいってお昼ごはんはどうしてるんでしょう。今日の質問は決めていなかったので、これにしましょうか。
「あ。『今日の一問』ですけど。せんぱいって、お昼ごはんどこで食べてるんですか?」
「教室」
即答でした。
「誰とです?」
「いや、ひとりだけど」
「え?」
まあ、そんなことだろうとは思ってました。
「購買ですか?」
「弁当だよ。面倒じゃん購買行くの」
「弁当って、まさかせんぱいが?」
「母親だよ母親。ふつーにそれは感謝だけど」
意外と料理とかできちゃいそうな感じはしますけどね。
さすがにそれはない、ですか。
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学校でのお互いのことをあんまり気にしていなかったから、こういう質問はすごく新鮮だった。
「じゃあ、俺からも、『今日の一問』。後輩ちゃんこそ、昼飯はどうしてんの?」
「わたしはいつも食堂ですね。安いですし」
校舎隣接の建物にある学食。安い、早い、味はそこそこ。学生の味方である。
「もっとインスタ映えするところじゃなくていいの?」
「平日までそんなことやってたら疲れちゃいますって」
それは知らんわ。
「せんぱい、知ってますか? あの食堂、持ち込みOKなんですよ。こんど、お昼ごはん、いっしょに食べませんか?」
学校の食堂で、一個下の美人な後輩ちゃんと、サシで飯?
誰もいないんなら、ごはんに行くくらいどうでもいいんだけれど、特に昼休みとかいっぱいいるしなあ。
「えー……」
「渋る要素がどこにあるんですか!」
「お前とってこと」
「え」
「今はほら、誰も見てないからいいけどさ。高校の食堂とかなるとぜったい俺の知り合いもお前の知り合いもいるじゃん。だから、その後の対応が面倒、というか」
女子とふたりで仲良くごはんなんて食べてたら変な目で見られちゃうんだろ。きっと。やだよ。
「じゃあ、わたしの友達も連れて行きますよ。それなら問題ないですよね。決まりですね」
「えっ」
「来てくれなかったら教室まで呼びに行っちゃいますからね……って、わたし、せんぱいのクラス知らないです」
我が高校には、1学年に10個のクラスがある。しらみ潰しでは結構面倒なんだろう。
「教えないからな?」
「しかたないですね。じゃあ、明日まで待ってあげます」
だから、明日までに、覚悟を決めてくださいね、と。そう、後輩ちゃんは言った。
学校の外だけでなく、学校の中でも、彼女と関わり始める。そういう覚悟、なんだろう。はぁ。
わたしの知ったせんぱいのこと㉜
毎朝、お母さまにお弁当を作ってもらっているらしい。