第516日「どうしてうち来たの?」
ハッピーバレンタイン、です。
今年もこの日がやってきた。
2月14日。バレンタインデー。
本命の心当たりがなかった2年前までとは違って、最近は心穏やかにこの日を迎えることができている。
とはいえ、俺ももう高校3年生。
高3の2月といえば――そう、大学受験だ。
高校は自由登校になり、家に籠もったり予備校の自習室に行ったりして志望校対策をしたり、実際に大学に入試を受けに行ったりする日々だ。彼女と――後輩ちゃんと会う時間も、最近はあんまり取れていない。
今日も、本命じゃなくて滑り止めだけど、試験がある。
そうじゃなかったら、意味もなく電車に乗って学校に行って、図書館で勉強するくらいはするのに。
そんなことを思っていたから、びっくりした。
だって。
朝起きて部屋から出たら、目の前に真春がいたんだもん。
「……せんぱいっ!」
まだパジャマの俺を見て、真春がふにゃりと笑みを浮かべる。
毎晩10分だけという約束で通話をしているけど、顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。
彼女の微笑みがどうしようもなくかわいくてかわいくて、がばっと抱き着いてしまった。ぎゅーっと包み込むようにして、愛しさを伝えようとする。
「もう、せんぱいったら……」
そんなことを言いつつ頬をすり寄せてきてるのわかってるからな。はいかわいい。
……まあでも、いつまでもこうしているわけにもいかない。俺は受験行かないとだし、真春だって制服姿だ。学校に行かなければならない。
名残惜しいけれど、密着状態を解除して向かい合う。
「『今日の一問』。どうしてうち来たの?」
理由くらいはわかってるけど、もうこれは儀式みたいなもんだ。
ふたりだけで、毎日やる儀式。えへへ。
「もう、白々しいですねえ。はいこれ」
満面の笑みで、ピンク色の小ぶりな紙袋を差し出される。
「ハッピーバレンタイン。だいすきです、けいたせんぱい」
去年もやったはずのやり取りなのに、
「……ありがとう」
「もう、何照れてるんですか……」
しかたないだろ。
「今更照れるような感じでもないでしょうに」
「久しぶりだし」
「むぅ……」
ジト目ごちそうさまです。
「中みてもいい?」
「今年はすごいですよ? カカオ豆から作ったんです」
「え、すごい」
去年は「製菓用を溶かしたやつです……」なんて不服そうにしてたんだけど、今年はついに。豆から。すげえ。
「もっとほめてください」
誇らしげにしながらもちょっと不服そうにして、一歩すり寄って頭を向けてくる。
やっぱりかわいいよなあなんて思いながら、さらさらとした髪の感触を味わいつつじっくり撫でてやる。
「そんな心のこもったチョコをもらえるなんて、俺はほんとに幸せ者だよ。ありがとう」
「……もっとです」
「お前もっと撫でられたいだけだろ」
「あ、ばれました?」
「当たり前だろ」
「てへ?」
「そんなに撫でられたいならこうしてやる」
チョコを机の上に避難させてから、両手で真春の頭をわしゃわしゃかき回す。
「ひどーい」
そう言いながらも、まんざらでもなさそうな表情だ。よかった。
「じゃあこれ朝ご飯に――」
「だめですよ、それは帰ってきてからです。朝ごはんはちゃんと食べてください。今日本番なんですよね?」
半分冗談、半分本気でこんなことを言うと、鋭くたしなめられてしまう。
「でも」
「いつもと違うことしたら調子崩しちゃいますよ。衛生には一応気をつかいましたが」
「今日くらい」
「だめです」
「はい」
真春が来てることが一番「いつもと違うこと」なんだけど、とは言えなかった。
「今日は滑り止めだからまあ」
「なおさら受からなかったら本命に影響出るやつじゃないですか」
「まあ、それはそうだけど……」
せっかくもらえたのに食べられないなんて、ちょっと寂しい。
そんなことを思っていると、真春が赤い箱を取り出した。
「……でも、渡しておいて食べちゃだめ、じゃかわいそうですから、わたしも考えてきました」
パッケージを開ける。中から出てきた直方体のバーを、自分の口元に持って行く。
「キットカットだけに――きっと、勝ってきてくださいね?」
そのままくわえて俺の口に向けたかと思うと、「ん」と小さく声を出して目をつぶる真春。
いつぞやのハロウィンとかポッキーの日かよ。
……本能には抗えませんでした。
たいへん甘かった、とだけ。