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偽善と外套

「いらっしゃいませ」

開いた扉からのぞいた顔は、まだ少年の名残を残していた。ただし、それも後数年の猶予であることは間違いない。

すっきりと着こなしたスーツは、店主の手によるものだ。

銀座に裏通りのテーラーには、あまり客の姿は無い。だが、一旦注文すれば、数着のテーラーメイドのスーツを惜しげもなく作る上客に恵まれているため、若者がテーラーを訪れると、店主は常に忙しそうに縫製作業をしていることが多かった。

「角田さん。今日は何処のお客さんの?」

作業の手は止めているが、今まで作っていたらしいものが、作業台の上に広げられている。スーツにしては厚地の生地であることくらいしか判らず、青年は店主に問い掛けた。

「お客さんのではありません。自己満足のようなものです。栄太君、珈琲はどうしますか?」

「忙しいんだったらいいよ。俺が自分で淹れても」

「いいえ。もう休憩しようと思っていたんです」

その言葉には、嘘は無さそうだった。実際、作業中の角田は話し掛けても気づかないことも多く、入り口のカウベルの他に、接客用のカウンターには呼び鈴まで取り付けられている。

栄太が入ってくると同時に声がしたのは、作業の合間だったからだ。

「うん。角田さんの美味しい珈琲、楽しみにしてる」

「ええ」

にっこりと笑った角田は、ほどなくして珈琲のいい香りと共に戻ってきた。

渡されたそれに、ほっと落ち着くのを栄太は感じる。

さっきまでの落ち込んだ気持ちがふっと軽くなる気がした。

「角田さん。スーツじゃないみたいなんだけど?」

気持ちが軽くなると同時に、今度は気になって仕方が無い。

テーラーであるからには、作るのはスーツばかりかと思っていたのだが、今、作っているものは、明らかにスーツではないように見える。

年上の恋人の作るスーツにも惚れ込んでいる栄太は、もしや誰かに贈る特別なものでも作っているのではないかと思うと、気が気ではない。

「自己満足ですよ」

いかつい顔がにっこりと笑うと、包み込むような優しい表情になる。

「それはさっきも聞いたけど…」

「お恥ずかしい話ですが、被災地に送る簡易コートです。マントのような簡単なものですが」

手にとって見せてくれたのは、厚地の毛織の布で出来た暖かそうなコートだ。

折り返しの襟がついているマントのような造りで、フリーサイズのようだ。

「数を作るために簡単にしてしまいましたが、私に出来ることはこれくらいですから」

角田の手にしたそれに触れると、暖かく柔らかい。簡単だと云ってはいたが、作業台の上に積まれた同様のものは、かなりの数があった。

「一流のテーラーが作った暖かいコートだもん。みんな大喜びだよ!」

「そうだと嬉しいのですが」

これだけの数のコートを作るのには、かなりの時間が掛かった筈だ。きっと仕事の合間に根を詰めたのであろうことは明らかだ。

それに比べて自分のやったことは。

そう考えて、思わず栄太は深いため息を吐いてしまった。

「どうしたんですか? 栄太くんらしくありませんね」

いつも真っ直ぐな瞳を向けてくる栄太が、今日はやけに陰鬱な表情をしている。角田はそんな栄太を覗き込んだ。

「何でもないよ」

視線を逸らす仕草もらしくないものだ。

「栄太くん。栄太くんの仕事のことは私には判りませんが、話すだけでも心が軽くなるものですよ? それとも、私はそんなに頼りがありませんか?」

「そんなことないよ!」

角田の言葉に、栄太は慌てて首を振る。

「情けないなと思っただけだよ。俺なんか金を出すしか出来ない」

栄太はこれでも亡くなった父親の跡を継いだ、若社長だ。今回の地震でも大企業には及ばないものの、中小としては多額の義援金を出していた。小さくではあるものの、新聞でも取り上げられ、角田は鼻が高かった。

「どうかしましたか?」

「メールが来たんだ。会社のHPに」

どうせ、何か当てこすりのような悪口でも書いてあったのだろう。胸糞が悪くなるに決まっているから聞かないが、何が書いてあったかは想像は付く。

まだ普通であれば大学生くらいの年齢だというのに、立派に社長としての勤めを果たしたいと考えている真面目な栄太だが、世間はそうは見ない。

年若い栄太が社長だと云うだけで、世間知らずの坊ちゃんの道楽という認識をされてしまう。

社長といっても、しっかりものの母親は雇われ社長としての金額しか栄太には渡していない。今回の義援金もその中から貯めた金をはたいただけだ。

角田は落ち込んでいるらしい恋人の肩をしっかりと抱きしめた。

「栄太くん。『なさぬ善より、する偽善』という言葉を知ってますか?」

栄太は子犬のようにまっすぐな瞳を上げて、角田を見る。

「誰が何を云ったところで、栄太くんの出したお金で救える人たちがいるのは確かですよ。しかも、それは栄太くんが働いて得た、栄太くんのお金です。誰に恥じることもありません」

「角田さん」

見る見るうちに、栄太の瞳に涙が溢れてきた。

そっと抱き寄せると、栄太はしがみつくように角田の大きな体に腕をまわしてくる。角田のワイシャツが栄太の涙を吸い取っていった。


「ごめんなさい。邪魔しちゃった。今日は帰るよ」

ひとしきり泣いたところで、栄太が顔を上げる。泣きはらした目を見て、角田はそのまま帰す気にはなれなかった。

「栄太くん。今日中に発送の準備をしたいんです。手伝っていただけますか?」

こくりと頷いた栄太に、角田はダンボールを手渡す。

「二つ組み立ててください。それで入ると思います」

引越しに使うような大き目のダンボール箱を、栄太が組み立てている間に手早くコートをたたんで、ダンボール箱に詰め込んだ。

一杯になったところで、栄太が箱を閉じる。

あらかじめ調べておいた救援物資の受付窓口の住所を記し、発送準備を済ませた。

後は、明日回ってくる宅配業者に出すだけだ。

箱の外側に『外套・何着フリーサイズ』と書き記し、贈り主には自分の名ではなく、『テーラー角田』と記した。

おそらく、栄太が引っかかっているのはココだろう。下種なやからの云い出しそうな事だ。

「こうしておかないと、何処の誰が贈ったか判らないそのままのコートなど、古着だと思われてしまいますから」

売り物ではないから、タグも付けてないし、ビニール梱包もハトロン紙もゴミになるようなものは入れていない。

にっこりと栄太を包み込むように笑った。

「角田さん」

頭のいい栄太にはそれだけで伝わったらしい。何故わかったのかと問うような瞳を向けられた。

「私はテーラーです。私の出来ることは服を作ることです。被災者の方に、今暖かく過ごしてもらうために、コートを作ることくらいは出来ます。でも私に出来ることはここまでです。私には私の仕事があり、大事な栄太くんがいます。これ以上のことは出来ませんし、するべきでは無いと思います」

自分に出来ることはやった。自分は専門の知識も無ければ、現地で役に立つ何かをもっている訳でもない。これからやらなければならないことは、自分の生活を護る事だ。

「栄太くん。栄太くんの仕事は何ですか?」

「機械の部品を作ること」

栄太が社長を勤める工場は、部品の受注生産を行っている。中小の小回りの良さで何でも作るというのが売りだ。

「今、細かな部品で東北でしか生産されていないものというのは、かなりあるそうです。新聞で読みましたが、西日本の鉄道も消耗品の不足で整備が出来ないものがあるそうですよ。もし、貴方の会社にそういう依頼があれば」

栄太が厳しい面持ちでうなずいた。

自分が出来ること。自分がやらなければならないこと。若い栄太が勘違いしそうなとき、いつでも角田が導いてくれる。

「それで、いつか旅行に行きましょう。復興した街に」

災害の後にはいつも『風評被害』がついてくる。せっかく街が復興しても、危険のイメージはいつまでもまとわりつき、誰も訪れることは無く、作物や出来た製品は買ってくれない。

惑わされないためには、自分の足でしっかりと立つことが必要だ。

「うん、そうだね」

「休憩は終わりです。片付けますから、店番をお願いしてもよろしいですか?」

角田が立ち上がり、カップを持ってミニキッチンへと消える。

栄太は自分の姿を鏡に映して、乱れがないか確認する。角田の作った最高のスーツ。角田の店で自分は商品見本だ。

ネクタイを調えて、カウンター近くのスツールに腰を下ろした。

真っ直ぐに背を伸ばす。

角田のスーツにしょぼくれた自分は似合わない。

『良いことだと思っているのだろうが、それなら匿名でやるべきだ。君のやっていることは子供の偽善だ』

新聞に載った後に、数通のメールには、どれも似たようなことが書いてあった。

『偽善』『子供』『売名行為』

繰り返されるそれに気持ちが沈む。

だが、子供だからこそ、出来ることは義援金を送ることくらいしか出来ないのだ。新聞に載ったのはたまたま栄太が若社長という話題になる地位をもっていたからに過ぎない。

「成さぬ善より、する偽善。か」

自分が出来ることはやった。後は、仕事の上でやれることをやればいい。自分の足で立てない子供に、角田のスーツは着る資格が無い。

そして、いつか。

カウベルが涼やかな音を立てた。

奥から出てきた角田と、立ち上がった栄太の声が重なる。

「いらっしゃいませ」



<おわり>

これで完結です。

思ったことや疑問などを書き連ねただけの話ですが、少しでも感じていただけることがありましたら。

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