第8話 羽鳥家とは何か
≪如月澪 記≫
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この手記を書き終えて、私は一つのことに気づいた。
羽鳥家を説明しようとするたびに、言葉が「していないこと」になる。
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介入しない。
所有しない。
定義しない。
揺らぎを止めない。
境界を開かない。
向こうの者をこちらから呼ばない。
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「していないこと」ばかりに見える。
だが——これは「何もしない」とは全く違う。
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「聞く。記録する。名前を渡す。そこにいる。
必要な時に、個人として動く。
羽鳥家は、境界を守る家ではない。
境界を壊さないように——ただ、見守る家だ」
——羽鳥陽子
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鏡淵事件を経て、私は「見守り」というものの重さを身体で知った。
見守ることは、傍観ではない。
傍観は——見ていない。
見守りは——全部を見た上で、動かないことを選ぶ。
それはどれほどの重さか、やってみなければ分からない。
陽子が「管理権限者としてではなく、私個人として地脈を開ける」と言った時、その言葉の意味がやっと分かった。
羽鳥家の千年が、その一文を支えていた。
千年の「していないこと」が、一瞬の「すること」を可能にした。
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> 境界は、壁ではない。
> 境界は、膜である。
> 膜は呼吸する。
> 呼吸する膜の側に、いつも——
> 聞いている者がいる。
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「観測することが、世界を維持することがある」と陽子は私に言った。
私はその言葉を、夕莉さんに渡した。
夕莉さんはその言葉を——新しいノートの最初の行に、
「夕奈が、甘い卵焼きを食べた。好きだと言った」と書いた。
それは観測記録ではなかった。
でも——それが、見守ることの着地点だと私は思う。
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「だんだん」——出雲の言葉で、「ありがとう」という意味だ。
陽子から私へ。私から梓さんへ。梓さんから夕莉さんへ。
夕莉さんから——誰かへ。
言葉は、渡した後も、なくならない。
——如月澪 記
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〔鏡淵の調律 外伝 羽鳥家始源記 了〕




