表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/69

第41話 進む選択

 硝子街アステラを離れて半日。空は高く、雲は薄い。街道はゆるやかな下り坂になり、遠くに草原が広がっていた。硝子の塔群も、もう背後で霞んでいる。乾いた風が、三人の外套を軽く揺らした。


「……静かだね」

ルーミアが言う。


「ええ。今日は何も起きないかもしれないわね」

ノエルは地図を畳みながら答えた。


レオンは前方を見据えたまま、短く言う。

「“かもしれない”は信用するな」


「分かってる」

ルーミアは小さく笑った。その笑顔に、無理はない。少し歩いたところで、ルーミアが足を緩めた。


「……ねえ」

「なに?」


ノエルが視線を向ける。ルーミアは、ほんの一瞬だけ迷ってから言った。


「今日、もし編む場面があったらさ」


風が、三人の間を通り抜ける。


「一回、相談していい?」


ノエルの足が止まりかける。


「……相談?」

「うん」


ルーミアは、正面を見たまま続ける。


「私だけで決めない。前みたいに」


前みたいに。その言葉の意味を、三人とも分かっている。ノエルは、ゆっくりと息を吐いた。


「……もちろん」


レオンも頷く。


「回数も共有だな」

「うん」


ルーミアは、少しだけ安堵したように笑った。それは“止められる覚悟”ではなく、“預ける覚悟”だった。



 街道沿いの小さな休憩所に差しかかる。石造りの低い屋根と、簡素な井戸。旅人が二、三人腰を下ろしている。その中に、足を押さえている老人がいた。表情は険しくない。ただ、困っている顔。


ルーミアの視界に、色糸が映る。絡まりは浅い。老いと焦りが、少しだけ結び目を作っている。以前なら、迷わなかった。けれど今は。


「……どう思う?」

ルーミアは、二人を見る。


ノエルは老人を観察する。呼吸は安定。立てないわけではない。


「歩けなくはなさそうね」

「でも、放っとけば悪化するかもな」


レオンが付け足す。


沈黙。ルーミアは胸に手を当てた。鼓動は安定している。視界も揺れていない。


「今日、まだゼロ回」

「ええ」


「……一回目にする」


決めた声だった。ノエルは頷く。


「短く」

「うん」


ルーミアは老人の前に膝をつく。


「大丈夫ですか?」

「ああ……歳は嫌だな」


苦笑。色糸が、弱く揺れる。ルーミアは深く息を吸った。


「――色糸魔法(クロマ・ウィーブ)


詠唱は、必要最小限。糸に触れ、撚りを整える。絡まりをほどく。成功。老人の肩がすっと落ちる。


「……軽い」

足を動かす。


「不思議だ」


「無理はしないでくださいね」

ルーミアは微笑む。


立ち上がった瞬間、胸の奥にかすかな圧が走った。


「……」


呼吸を整える。一拍。ノエルが見る。


「どう?」

「……大丈夫。軽い」


嘘ではない。重さはある。でも、制御できる。


レオンが淡々と言う。

「あと何回いける?」


ルーミアは少し考えた。

「……二回、かな」


「三回じゃないの?」

ノエルが問う。


「今日は、二回にする」


迷いなく答える。それが、今の彼女の選択だった。


三人は再び歩き出す。遠くに、次の町の影が見えてきた。賑わいの気配も、風に混ざって届く。


「……次、ありそうね」

「うん」


ルーミアは、真っ直ぐ前を見る。止められていない。でも、独りでもない。その違いは、確かにあった。


やがて街道の途中で、小さな人だかりが見えた。若い男が、荷を拾い集めている。手がわずかに震えている。色糸が、前より深く絡んでいるのが見えた。ルーミアは立ち止まる。


「……どうする?」

自分から聞く。


ノエルとレオンが、同時に男を見る。若い男が、地面に散らばった荷を拾い集めていた。布袋からこぼれた穀物が、乾いた土に混ざっている。


「違う、落としたんじゃない……手が、勝手に」


男は笑おうとして、笑えていない。その手は、確かに震えていた。


ルーミアの視界に、色糸が映る。不安と焦燥。焦りと自己嫌悪。絡まりは、さっきの老人よりも深い。


「……どう思う?」


ルーミアは、二人を見る。ノエルは男の様子を観察する。意識は明瞭。倒れそうではない。


「命に関わる感じじゃない」


レオンが静かに言う。

「だが、このままじゃ仕事は続かんだろうな」


ルーミアは、胸に手を当てる。一回目は軽度。まだ余裕はある。


「あと一回、いける」


自分で言う。ノエルの視線が揺れる。


「本当に?」

「……うん」


呼吸を整える。鼓動を数える。

「短くする」


近づき、男に声をかける。

「怪我はない?」


「ない、けど……最近、急に」


周囲の視線が、困惑と戸惑いを帯びている。ルーミアは、目を閉じた。


「――色糸魔法(クロマ・ウィーブ)


糸を掴む。深い。慎重にほどく。撚りを戻して、絡まりを解く。少し時間がかかる。


(遅い)


自覚する。でも、成功。男の手が、止まる。


「……あ」


拳を握り、開く。


「震え、止まってる……」

安堵が、周囲に広がる。


「ありがとう」

男が深く頭を下げる。その瞬間。胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。


「……っ」


呼吸が一拍抜ける。視界が、ほんのわずか白む。レオンが即座に肩を支える。


「座れ」

「……まだ立てる」


ルーミアは、踏ん張る。倒れない。でも。さっきより、重い。


「今のは?」

 ノエルが問う。


「……重い。前より」

正直に言う。


「でも、二回目だから」

「三回目は?」

レオン。


ルーミアは、少しだけ黙った。答えは分かっている。


「……今日は、やらない」


ノエルの指先が、わずかに緩む。


「本当に?」

「本当に」


自分に言い聞かせるように。


三人は人だかりを離れ、再び街道を歩く。


町の門が近づくと、ざわめきが増す。門の手前で、少女の泣き声が聞こえた。転んだのだろう。膝を擦りむき泣いていて、母親が慌てている。小さな、浅い絡まり。触れれば、すぐほどける。


ルーミアの足が、止まりかける。視界の端で、糸が揺れる。温かい、簡単な救い。


(あと一回)


頭の奥で、声がする。ノエルとレオンは、何も言わない。止めない。見ているだけ。選択を、預けている。ルーミアは、深く息を吸った。


「……行こう」


歩き出す。少女の泣き声は、背後に残る。母親が抱き上げる。時間が解決する程度の痛み。ルーミアの胸が、ざわつく。助けられた。助けられたはず。でも、今は――助けなかった。


「……平気?」

ノエルが静かに聞く。


「……ちょっと、ざわつく」

正直に答える。


「でも、耐えられる」


レオンが小さく言う。

「それでいい」


三人は門をくぐる。



 中継町ヴィア。石の門を抜けると、市場通りがまっすぐ伸びている。人の往来は多いが、殺気はない。


宿を取り、部屋に入る。荷を下ろした瞬間、ルーミアはベッドに腰を下ろした。


「……二回で、こんな感じか」


「どんな感じ?」

ノエルが聞く。


「身体より、胸が重い」


少し考えてから、続ける。


「編まなかったの、引きずる」


ノエルは、静かに頷いた。

「でも、三回目をやってたら?」


「……もっと重かったかも」


ルーミアは、天井を見る。

「今日、二回で止めたの、正解?」


問いかけ。ノエルは、迷わず答える。

「正解よ」


レオンも頷く。

「限界を自分で決めた。悪くない」


ルーミアは、目を閉じた。

「……進むってさ」


ぽつりと。

「全部やることじゃないんだね」


ノエルの胸が、静かに温まる。


「ええ」

「選ぶこと」


ルーミアは、小さく笑う。

「今日は、二回」


それが、今の“進む選択”。


 夜。町は静かに眠る。ルーミアは、すぐに寝息を立て始めた。ノエルは、椅子に座ったままその寝顔を見る。


完全ではない。でも、少しだけ変わった。止められない少女ではない。止まらない少女でもない。選べる少女。


レオンが低く言う。

「今日は、守られたな」


「……ええ」


ノエルは、ようやく深く息を吐いた。


休めない旅は続く。でも。今日は、確かに一歩違った。止められなかった未来ではなく。選んで進んだ未来。それが、ほんのわずかな希望だった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

よろしければ、ブックマーク、評価をいただけると励みになります!

よろしくお願いいたします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ