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第31話 届かなかった一歩

 ローディアの町を出たのは、昼前だった。街道は整備されていて、馬車の轍も新しい。交易町らしく、人の往来は絶えず、誰もが自分の行き先を見据えている道だった。


二人が街道を外れ、林道に差しかかった頃。前方で、急に人の声が上がった。


「やめてください!」


若い女性の声。ノエルは即座に走り出す。


「ルーミア、下がって!」


「……!」


ルーミアも遅れずにノエルの二歩ほど後ろをついていく。


視界が開けた先には、倒れた荷車や散らばった荷物。そして、三人の男と、一人の娘がいた。散々出会ってきたので、身のふり方と服装で、盗賊だ、と一目で分かる。刃物を抜き、娘を囲んでいる。


色糸は、恐怖と絶望、助けを求める切実な色だった。


「離れなさい!」


ノエルが剣を抜き、鋭く踏み込む。それに対し、男の一人が後ずさり応戦する。


「チッ、護衛かよ!」


盗賊の一人が舌打ちし、別の一人が娘の腕を掴む。


「来るな!」


ノエルは一瞬、動きを止める。人質に若い娘が一人。いや、完全に掴まれてはいないが、この距離ではーー


(……間に合う。でも、確実じゃない)


その迷いの一瞬。林道の奥から、聞き覚えのある重たい声が飛んだ。


「……やめとけ」


振り向いた先には、金髪の男ーー昨夜の酒場の男が立っていた。


「ここは、引く場所だ」


男は、腰に手をかけている。あの重い刃ーーリカッソ。盗賊たちが男を見る。


「なんだ、お前」


「増援か?」


酒場の男が一歩前に出た、その時だった。盗賊の一人が、焦って動いた。


「ーー俺らが戦えねぇとでも思ってんのかッ!」


まっすぐ刃が娘に振り下ろされる。


「っ!」


それにいち早く反応し、ノエルが跳ぶ。間に合うはずだったが、刃がカウンターで自身に向くことを考慮したことで、一瞬対応が遅れる。刃は、娘の腕を掠め、赤が舞った。


「ーーっ!!」


娘の悲鳴。


ノエルは男を蹴り飛ばし、盗賊を制圧する。続けて、金髪の男が動いた。迷いのない一撃。盗賊は地面に叩き伏せられる。残りは萎縮し逃げ散った。


「……大丈夫?」

ノエルが娘に駆け寄る。傷は深くない。だが、血が出ている。


ルーミアは、娘の色糸を確認しながら、応急処置として使えそうなものを自身の荷物から探す。


金髪の男は、剣を納めることもなく、立ち尽くしていた。視線は、娘の傷に向けられている。


「……また、遅れちまった」


その後悔ともとれるその言葉は、誰に向けたものかは、分からない。ノエルの耳にも、その言葉は届き、自身も血を止めながら後悔する。


(……私も、一歩遅れた。判断を誤った)


 娘は、まだ震えていた。ルーミアは応急処置に使えるものを出し、ノエルが手早く傷口を確認し、布を当てて圧迫する。刃は深く入っておらず、致命傷ではない。だが、血の量と恐怖が、事態の重さを物語っていた。


「大丈夫。すぐに止まるわ」


ノエルの声は落ち着いている。そうやって、何度も誰かを安心させてきた声だ。娘は何度も頷きながら、唇を噛みこらえた。


「……ありがとうございます」


「もう平気ね。少し休もう」


林道の端に娘を座らせ、ノエルは包帯を巻き終える。その間、ルーミアは一歩離れた場所で立っていた。色糸はみなそれぞれの間で揺れている。恐怖と痛み。そして、助けが間に合わなかったことによる後悔。


(……触れたら、今なら少しは──)


色糸接触(フィロ・ヴェイル)


ルーミアは、気持ちの流れのままに、指をほぼ無意識に動かした。傷は消えない。恐怖も完全には消えない。それでも、少しの安心を届けたい。そんな思いで感情の撚りを少しだけ解す。


「……すまなかった」


暗めの重ための声がした。金髪の男が、娘に向かってそう言っていた。視線は合わさないが、言葉だけは、はっきりその娘に届くように。


娘は驚いたように目を見開き、慌てて首を振った。


「い、いえ! 私、助けていただきましたし……」


「……無傷で助けることはできた。だが、遅れた」


その言葉に、ノエルが顔を上げた。


「……結果として、助かってる」


「それでもだ」


金髪の男は、それ以上何も言わなかった。自分を責めているのか、事実を述べているだけなのか、判断がつかない。ルーミアは、その横顔を見つめていた。


(……この人も、間に合わなかったことを、ちゃんと後悔してる)



ルーミアたちは、半日かけて最寄りの町に娘を送り届けた。


「ここから、一人で大丈夫?」


「はい、知り合いもいますので……本当にありがとうございました」


娘は深く頭を下げ、去っていった。その背中が見えなくなっても、誰もすぐには動かなかった。



風が草を揺らす音だけが、耳に残る。


「……さっき私、迷った」

ノエルが、ようやく口を開いた。

ルーミアは顔を上げ、聞く。


「初め、人質じゃないって判断した。その後、騙し討ちへの警戒で判断が鈍った……気付いた時には、確実に止められる距離じゃなかった」


剣を握る手が、少し震える。


「一歩、踏み込むのも遅れた」


ルーミアは、何も言えなかった。それは、責める言葉ではなかったから。


金髪の男は、二人のやり取りを聞きながら、少し離れた場所で酒袋を取り出した。だが口をつける前に、ふと止まる。


「……今日は、飲めねえな」


誰に向けた言葉でもなく、独り言のように呟く。


「飲んでたら……」


その先は、言わなかった。


ノエルは、金髪の男を見る。

「……あんた」


声をかけようとして、言葉を探す。


「さっき、また助けてくれた」


「結果論だ。偶然って重なるもんだな」


金髪の男の返事は、真意がわかりずらかった。


「現に、動き出しが遅れた」


それは、ノエル自身にも向けられた言葉のようだった。


ルーミアは、二人を見比べる。三人とも、同じことを考えている。結果的には守れたし助けることができた。でも、完全な形ではない。


ルーミアが、静かに口を開く。

「私も……遅れた」


ノエルが、はっとして振り向く。それは、誰の責任でもない。けれど、三人とも分かっていた。このままでは、また同じことが起きる。金髪の男が、ふっと息を吐いた。


「……面倒な旅をしているんだな」


それは言葉としては愚痴のようで、どこか、逃げ場を失った人の言葉でもあった。



娘を送り出したあと、三人は林道の脇に出ていた。夕方の光が、木々の間から斜めに差し込み、地面に長い影を落とす。影は三つ。けれど、その距離は揃ってはいなかった。


ノエルは、剣の柄に手をかけたまま、動かない。


(……このままじゃ、いつか守れなくなる日がくる)


胸の奥に残る感触が、いつもより重い。


「……あんた」


ノエルは、金髪の男に声をかけた。


「さっき、助けたくなかったわけじゃないでしょ」


金髪の男は、視線を逸らしたまま答えない。


「動くのが遅れたのは、怖かったから?」


少し踏み込んだ問いだった。責めるつもりはない。けれど、曖昧なままにしたくもなかった。


「……違うな。動くのが遅れたのは──」

そこで言葉を切り、しばらく黙る。


「……助けた“あと”のことを考えちまったからだ」


ノエルとルーミアが、同時に彼を見る。


「“あと”?」


「一人助けたら、次が来る。次を助けたら、その次も」


金髪の男は、空を見上げた。


「俺は……その先を、全部背負えるほど器用じゃねえ」


それは逃げにも聞こえたし、正直な告白にも聞こえた。ルーミアは、金髪の男の背中に絡みつく色糸を見ていた。重く、絡まり、ほどけない色。


(……この人も、たぶん昔、どこかで“間に合わなかった”人だ)


ノエルは唇を噛む。

「……それでも、さっきは助けてくれた」


「気まぐれだ」


「気まぐれでも、助かった」


ノエルの声は、少しだけ揺れていた。ここで言えばいい。一緒に来てほしい、と。頭では分かっている。だが、警戒心の強さと慎重な性格が邪魔をする。


(今までのやりとり的にも、杞憂だとは思うが……もしこの男を信用し、裏切られ、戦うことになった場合、無傷ではいられない)


ノエルは、そう直感していた。ルーミアが一歩前に出る。


「……私、さっき編まなかった」


二人の視線が、ルーミアに集まる。


「魔法をすぐにでも使えば、傷は浅かったかもしれない。怖さも、少しは減ったかもしれない」


金髪の男が、ちらりとルーミアを見る。


「でも……それでも届かなかった。一瞬の迷いがあったから……」


ルーミアは、ノエルを見る。

ノエルは、ゆっくりと息を吐く。


「……今日は、ここで別れましょう」


その言葉に、ルーミアは驚いた顔をする。


「え……? 町までは同じ道だよ」


ノエルは、金髪の男を見る。


「無理に、何かを決める必要はない」


金髪の男は何も言わず、頷きもしない。


「警戒心が強いのはいいことだ」


そう言って踵を返した背中にノエルは投げかける。


「次また会ったらでいいから、そのときは名前聞かせて」


「……先にいくぞ」


男はそれだけ残し、去っていった。ノエルとルーミアは、その背中を見送る。


「……ノエル」

「うん」


「私、次に同じことが起きたら迷わないようにしなきゃ。判断の遅れが命取りになる」


ルーミアは、まっすぐ前を見る。


夜が近づき、星が一つ空に灯った。

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