第24話 止める力
夜明けの平原は、残酷なほど静かだった。エルド=カナス織街を離れて、数日。振り返っても、もう町の影は見えない。乾いた風が、足元の草を揺らす。音はそれだけだ。
「……ねえ、さっきから顔色が最悪」
前を歩くノエルが、足を止めずに言った。
「……大丈夫」
即答だった。乾いた声で。
ノエルは歩みを止めた。ルーミアも、遅れて足を止める。ゆっくり振り返ったその目は、怒っているわけではなかった。だが――怒りに近かった。
「大丈夫じゃない」
短い断定。
「助けを求められても助けなかった。身を削って人を助ける人もいた。それを"選択"って言い聞かせて、無理やり前に進もうとしてる」
一歩、距離を詰める。
「それで本当にずっと立っていられると思ってる?」
ルーミアは、何も言えなかった。
工房裏での出来事と震える指。迷惑になります、という声。忘れられるはずがない。
「……ルーミア」
ノエルの声が、わずかに揺れる。
「私は、あの場であんたが倒れると思った」
「……魔法は使ってないよ?」
「違う。感情のほう」
拳が、ぎゅっと握られる。
「自分で自分を殴り続けてるみたいな顔してた」
(そんな顔してたんだ)
胸が、ひりつく。
「……間違ってないと思う」
ルーミアは、やっと口を開く。
「編まなかったのは、逃げじゃない」
「知ってる。理屈も理由も分かってる」
声が、強くなる。
「だから腹が立つの!」
平原にノエルの声が響いた。
「全部分かってて、全部背負おうとして、それで平気な顔するな!」
ルーミアは息を呑む。
「誰かを救わない選択をして、その罪まで一人で持っていくなんて……!」
ノエルは、一歩踏み込む。
「そんなの、私が許さない!」
腕を掴まれた。強い力だった。
「いっ、やめ……」
「やめない」
迷いのない声。
「これ以上、自分を削らないで」
削る。その言葉が、胸の奥に刺さる。
「色糸魔法の代償だけじゃない。編まない選択も、同じだけ削れてる」
指先に力が込められる。
「助けなかった人の顔を、あんたは忘れられてない」
――事実だ。
「それでも前に進むなら……」
ノエルの目が濡れていた。
「私が横にいる限り、あんたは無意識に“一人で背負う”って選択を続ける」
声が震えている。
「私は……それを止めたい」
それは命令ではなく、ノエルの懇願。
ルーミアの喉が詰まる。
「私は……どうしたらいい?」
絞り出すような問い。ノエルは、すぐに答えなかった。
「……知らない。正解なんて、たぶんない。でもその選択で、辛そうな顔をしないで」
腕を掴む力が、わずかに緩む。
ルーミアの胸に、熱が込み上げる。
(私は……自分が壊れることを、“覚悟”だと思ってた)
ノエルは、静かに言った。
「止めるっていうのは、あんたの正しさを否定することじゃない」
「……じゃあ、何?」
まっすぐに返すと、ノエルははっきりと言った。
「生きろって言ってるの。やりたいことをやるの」
風が二人の間を吹き抜け、重たい沈黙も流れていく。
ノエルは一度だけ目を閉じ、そして開いた。
「……昔、色観にいた頃ね、守りたい人がいた」
ルーミアの心臓が、跳ねる。
「助けを求めなかった人」
言葉は静かだが、その奥に痛みがある。
「優先度が低いって言われた。戦争でもないし、差別でもない。ただ静かに心が擦り切れていくだけ」
拳が震えている。
「私は補佐官だった。決定権はなかった。だから従った。見守るって言葉で、自分を無理に納得させた」
風が止んだ気がした。
「結果、その人は何も言わなくなった」
ノエルは、ルーミアを見る。
「生きてるかどうかも、もう分からない」
胸が締めつけられる。
「助けなかったって選択は、時間が経っても薄れない」
その言葉は、刃のように重い。
「今のあんたを見てると、同じ道を歩いてるようにしか見えない」
ルーミアは、息を吸い損ねる。
「私は……雑に救いたくない」
震えながらルーミアは言う。
「色糸魔法を、ただ便利な道具にしたくない。それじゃ、私が居ない時にみんな、どうしたらいいかわからなくなる」
ノエルは頷き、掠れた声で言う。
「分かってる。でも……使わなかった結果、誰かが壊れるのを見るのも、耐えられない」
「だから、止める」
「……魔法、使うなってこと?」
「違う」
首を振る。
「一人で背負うなってこと、だから止める」
ルーミアは、息を呑んだ。
「編まないって決めるなら、その選択を私にも背負わせて」
それは、怒りでも命令でもない。
「私だけ、置いていかないで」
その一言が、胸の奥を揺らした。
(私は……“覚悟”って言葉で、一人で地獄を引き受けようとしてた)
「……怖い。使っても、使わなくても、誰かが壊れるのが怖い」
ルーミアの声が、初めて素直さを含んだ。
ノエルの表情が、わずかに緩む。
「やっと言ってくれた」
沈黙は優しくはなかった。怖い、と言ったあとも、ルーミアの胸の奥では、まだ何かがざわついている。
怖い。でも、それでも進む気がある。その気配を、ノエルは感じ取っていた。
「……それでも、次に同じ状況が来たら、あんたは編むでしょ」
否定できない問いだった。
ルーミアは、目を逸らさなかった。
「……分からない」
けれど、その“分からない”は、限りなく“編む”に近い。ノエルは、ゆっくりと一歩踏み出した。
「だから止める」
距離が、なくなる。
「私はね、もう二度と、“助けなかった”って後悔を増やしたくない」
拳が握られる。
「でも同時に、助けたせいであんたが壊れるのを見るのも、耐えられない」
矛盾とも言えるその言葉は本心だった。
「だから」
ルーミアの肩を掴む。
「次にあんたが編もうとしたら、私は止める。力ずくでも」
ルーミアの目が、大きく見開かれる。
「……私の意思は?」
「命に関わるなら、止める」
即答だった。
「どれだけ正しくても、どれだけ覚悟してても。それが私の選択」
掴む力が、強くなる。
その瞬間、ルーミアの中でも何かが弾けた。
「それは違うよ! 勝手じゃん!」
声が荒れる。
「それじゃ、私が……」
言葉が詰まる。
(私が、私である役割。責任……それがなくなると、私は何になるの?)
「私が決めなきゃ意味がない!」
ルーミアは腕を振り払おうとする。だが、ノエルは離さない。
「決めてるでしょ!」
怒鳴り返す。
「もう十分すぎるほど!」
乾いた土が、足元で崩れる。
「助けるか、助けないか。使うか、使わないか。その全部を、あんた一人で決めてきた!」
涙が溢れた。
「それを“責任”だと思ってるなら、それはただの自己犠牲よ!」
突き飛ばされた。
「っ……!」
地面に膝をつく。風が、吹き抜ける。
(止められてる)
物理的に、感情ごと。
「……私は」
喉が焼ける。
「逃げてない……!」
「分かってる!」
ノエルの声も引き裂けた。
「だから止めるの!」
一瞬、手癖で剣に手がかかる。が、抜かない。でも無意識のそれは脅しではない。覚悟の現れだった。ルーミアの視界が滲む。
(私は……)
地面に手をつき立ち上がる。膝に付いた土を払わない。
「……止めてくれて、ありがとうとは言わない」
ノエルの眉が、わずかに動く。
「分かってるわ……」
「でも、それでも私は、“編むしかない”と思ったら編むからね」
風が止んだ気がした。ノエルは、歯を食いしばる。
「……ええ」
短い返事。
「そのとき、あんた自身に影響がある場合は、私も全力で止める」
視線がぶつかる。譲らない。引かない。だが、そこにもう“拒絶”はなかった。ノエルは、ゆっくりと剣から手を離す。
「……行きましょう。次の町へ」
背を向ける。ルーミアは、その背中を見つめる。
(止める人がいる。それでも、進みたい私がいる)
完全な和解ではない。結論でもない。けれどこの“止める”という力は、敵ではない。隣に立ってくれている。
平原を歩き始める。二人、少しだけ距離がある。けれど同時に、これまでよりも強い結び目が、確かにそこにあった。
次に来る選択は、きっと命に触れる。
そのとき、止める力と、編む意志が、本気でぶつかる時が来る。
そしてその衝突こそが、二人を次の段階へ進ませる。
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